2020年1月31日金曜日

野球選手悪事列伝

ニュースを知って驚いた。

「千葉県警佐倉署によると、東京都町田市の無職、千丸剛(ちまるつよし)容疑者(20)は昨年4月26日夜、他の男4人とともに千葉県八街市の住宅に金品を奪う目的で侵入。住人の自営業男性(60)と妻(58)をバールのようなもので殴るなどしてけがを負わせた疑い。妻が大声を出したため、何も取らずに逃走した。駐車中の車からナンバープレートを盗み、自分たちの車に付け替えたとの窃盗容疑でも逮捕。容疑を認めているという。千丸容疑者は野球強豪校花咲徳栄高で1年秋から二塁のレギュラーとなり、2年春・夏と甲子園出場。リーダーシップを買われて満場一致で主将に就任し、3年夏の甲子園では清水達也投手(現中日)、西川愛也外野手(現西武)らとともに初優勝に貢献。駒大でも1年春から東都リーグでデビューしたが、間もなく中退していた。」

うわー、甲子園優勝チームのキャップテンだよ。しかもたった2年前、いや事件は去年の4月だから高校卒業して1年ちょっと、あの夏の栄冠からの急転落に唖然とした。野球センスと人間性を買われ、後に第100回夏の甲子園の優勝チームキャップとなる人物がこうも落ちるものなのか。聞くところによると、進学した駒澤大野球部でいじめに遭ったとか。いや、その前に先輩の財布からお金を盗もうとして発覚、それで自ら退部し退学までしたんだと。それが入学年の11月でのことで、野球も学業も手放した若者はすることもなく金もなく、やろうとしたのは仲間とつるんでの強盗だった・・。

この若者の元々の人間性に問題はあったのかもしれない。しかし思うのは野球ばかりしていては良くないということ。野球以外にも熱中できるものをいくつか持つべきである。やめて強盗しかないというのは極端すぎる。これまでも似たような事件を起こした野球有名人(多くは甲子園球児かも元プロ野球選手)が野球をやめてから他に身を立てるものがなく悪事を働いている。以下その列伝である。

田中将大と投げ合い準優勝投手になった京都外大西の本田拓人というヤツ、彼は女子大生が持っていた鞄をスクーターで追い抜きざまにひったくる事件を起こした。2年後スクーターに乗ってひったくる窃盗で指名手配もされるという事件をまたもや起こし、まさにホンダタクト、名前の通りの事件で高校野球ファンの記憶に残っている。前橋工業高校出身で元ロッテの小川博投手は引退後コーチにもなったが、それもやめた後借金に困り、強盗殺人事件を犯して無期懲役となっている。平安高校時代強肩強打の捕手として鳴らした松岡正樹は、91年にドラフト3位で巨人に入団したが一軍で出場する機会のないまま95年に退団するも、05年に元同僚らと共にタクシー運転手を座席に縛り付け、刃物で脅して売上金を奪ったことで逮捕。その後、余罪が次々と出てきて、強盗致傷などの罪に問われ奈良地裁で懲役20年に判決が下っている。東海大甲府を卒業後、新日鉄名古屋の社会人野球を経て、91年に横浜に入団した山根善伸は、05年に女性の借金につけ込みソープランドで働かせたとして売春防止法違反で逮捕され、この時には個室マッサージ店経営となっていたのだが、12年に再逮捕。この時は、亡くなった同級生の妻からおよそ300万円を騙し盗ったとして詐欺罪で逮捕されるがその肩書きが何と「指定暴力団幹部」の山根となっていたのであった。近江高校で高校通算74本塁打で“伊奈ゴジラ”とも呼ばれた伊奈龍哉は、06年にホークスに進むも07年に戦力外通告で話題にもなっていなかったが、その名が新聞紙上で報じられたのは11年4月のことだった。東日本大震災があった直後の福島第1原発から30キロ圏内の屋内退避地域で、電柱の電線を盗んだと窃盗容疑で逮捕されたのだった。阪神からオリックス、そして韓国と渡り歩いた塩谷和彦は06年に現役引退するが、現役時代から手癖が悪いと言われており、他の選手の私物を着服する疑惑も噂されていたそうで、新しくできる商業施設の売上の一部を受ける権利などといって550万円をだまし取り12年に詐欺容疑で逮捕された。神村学園出身でドラフトで楽天に入団後17年に巨人へ移籍した柿沢貴裕は同僚選手のロッカーから野球道具などを盗み、ネットオークションに出品するなどしたのが発覚し契約解除になった。現役時代のあだ名は“ルパン”だったというから周囲には知られていたそうだ。ああ・・。

話は違うが、千丸剛が凶器に使ったという「バールのようなもの」という言い方はある種記号のような言い方で報道などでよく使われる。清水義範の短編に「バールのようなもの」というのがあり、落語の立川志の輔の新作落語にも「バールのようなもの」というのがあるそうだ。朝ドラの「あまちゃん」でも「バールのようなもので壊した」という表現も出てきたのを覚えている。事件現場の検証では「バール」と思われても日本ではカジヤという似たような物も使われるから「バールのようなもの」という表現が正しいのは分かるがきっと文学や落語に詳しいマスコミ人が分かっていて使っているんだと思う。まだ読んだり聞いたりしていないのでいつかきちんと「バールのようなもの」を知っておこう。

2020年1月30日木曜日

またまた「植物に学ぶ生存戦略3 話す人・山田孝之」

NHKEテレでまたまた「植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之」をやってくれた。今回で3回目の教養爆笑番組だ。22時50分になると、カールが「テル君やってるよー」と教えてくれ、おおそうだったとTVの前に鎮座した。主役はもちろん山田孝之、受け手は林田理沙アナだ。

取り上げられた植物は「ネナシカズラ」「カラスウリ」「キャベツ」でそれぞれにゲストが出演していた。ネナシカズラにはヒモ男の駒崎さん、カラスウリにはなんとジュディオング、そしてキャベツには鼻息荒い変態おじさん、もう何なんだである。そもそも山田孝之のひげ面が第2回よりいっそう濃くなって、林田アナを見つめる時間も長くなり、何も言わなくても画面にシュールな雰囲気が充満していた。↓じっと見つめる先に林田アナ。

ネナシカズラは植物に寄生し、しまいにはその植物を枯らし、また別の植物に寄生する。最初から自分で光合成して生きていく気がさらさらない。それが「ただのヒモではないくずのヒモ」と同じだという解説だった。↓堂々とくず発言をする駒崎さん。

カラスウリにはジュディオングが登場し、例の白い衣装で「魅せられて」を歌ったのはカラスウリの花の開く様が似ているということに尽きる。だがイラストか写真で済むのをわざわざ御本人を呼ぶ、さすがNHKだ。↓まあその比較は分からないこともない。
しかし歌唱中に出てきた↓この二人の見つめ合う構図はいったい・・・

さらに山田は畳みかける。「カラスウリのようにインパクトの強い白をパクった例は多い」とエルビス・プレスリー、にしきのあきらを出したまでは良かったが、たまの白シャツ、そしてスケキヨの白マスクを最後に持って来たのには吹き出した。

最後はキャベツということだが、いきなり変なオジサンが出てきてスーハースーハーと林田アナに迫った。およそTVの画面に出て来られるような風体ではなくこれは放送事故かと思いきや、山田がこれを撃退する。そして「自分を食べる幼虫を撃退するためにキャベツは独特の匂いを発して天敵の虫を呼び寄せる」能力があると解説する。たったそれを言うためにこの変態オジサンかい?!(↓)

さらに「なぜキャベツは元はそうでなかったのにこんなに葉っぱを重ねるという進化を遂げたのか」と問う。それは人間に食べられることでたくさん植え付けられるようにしたのだと解説し、タレントの小倉優子がデビュー当時は「こりん星生まれのりんごももか姫」と常軌を逸した生い立ち突然言いだし人気を得ていたが今はそんなことは言わなくなったなぜか?それは世間が飽きて来たからだと。つまり周りの人に合わせるというのも立派な生き方だと強調していた。

これに林田アナが「でも生き残るために自分らしさを捨てるというのは少し可哀想な気がする」と述べると、山田は「そうでしょうか」とやんわり否定し下のパネルを出した。「これは自分を探しにインドに行った若者です」と山田。
そして「こんなのは無駄です」「そもそもインドに自分なんかいません!」と断じるのだ。そうだそうだ。思わず相づちを打ったよ。「私たちは大人に『自分らしく生きなさい』『自分のやりたいことを見つけなさい』そう教わってきました。あれは呪いの言葉です」よく言ったぞ、山田。「自分のやりたいことをやって生きるのが人生の正解ではないのです。・・他人の求めるものに姿を変えながら生きていくのも一つの人生なのです」うーん、若者にしかと聞かせてやりたいわ。ほとんどの人が自分の生きたいようには生きていけない。ならば・・そうキャベツのように人に合わせる生き方を選んでも問題ないどころか多くの人の参考になる生き方と言っていいだろう。

なかなかの箴言(しんげん)を言い放った後で、山田は小倉優子のデビュー曲の詞の一部を紹介し林田アナをじっと見つめるのであった(恋の祈りを叶える?)。
そして数秒間、山田のどアップ。吹き出さずにはいられない。

どう見ても林田アナを口説いているようにしか見えない。しかし、これをじっと受けて林田アナは「山田さんありがとうございました」とサラリとかわし手を振って番組の終わりを告げるのであった。いや〜、笑ったわ〜。

2020年1月29日水曜日

NHKの明らかなミス

夜、NHKのためしてガッテン、今は単に「ガッテン!」というタイトルの番組を見ていた。テーマが大腸内視鏡や便潜血検査についてだったからだ。このところ青雲会病院でも毎週のように大腸癌の患者が見つかる。そのきっかけとして検診での便潜血陽性によるものが多い。だがそう指摘を受けてもなかなか精密検査(大腸内視鏡)を受けに来ない人が多く、それはなぜかどうすればいいのかといった内容だった。

来ない理由で多いのが「痔じゃないかと思っていた」が一番多く、次が「行くのが面倒」だった。しかし実は痔出血では意外に便潜血陽性反応は出ないということが文献や調査で分かっている。引っかかったらまずは受診して大腸内視鏡検査を受けるべき、これが基本である。一度でも大腸内視鏡を受けたらその後大腸癌で死ぬ確率がぐっと減る。命に関わる大腸癌に罹る人は大腸内視鏡を受けたことがない人であると言っても過言ではない。

そこで番組では大腸内視鏡とはどんなものかと紹介するコーナーがあった。そんなにきついものではないし、小さなポリープだとほらこんなに簡単に痛くもなく切除できるって・・。大御所の工藤進英先生の動画もあった。なかなか啓蒙する番組としては良かったのだが、一つだけ、思わず「それは間違っているやろ!」と叫んだ場面があった。それは大腸内視鏡をしている場面のイラストが出てきた時だ。まずは↓を見て欲しい。
何もおかしいところがないじゃない、と思ったらそれは一般ピープルかNHKのスタッフたちだ。だが実際にこの位置と患者の体位では大腸検査は不可能である。患者は右側臥位になっているがほとんどは左側臥位にしてから検査は行われる。とにかく患者の頭と足の位置が逆なのでまずそこを訂正してみる。↓。
うん、これなら患者と医師の位置関係は正常だ。が、しかしー。こうなるとスコープを右手で持っているのがおかしくなる。大腸内視鏡や胃カメラは左手で前後左右、吸引送気のボタンを操作し、右手でスコープを送ったり引いたりするのだ。上図の医師の持ち手は正常だが、反転図のように右手では絶対に操作ボタンは扱えないのだ。従ってどう解釈してもNHKのイラストは間違っていると言わざるを得ない。↓が正しい大腸内視鏡の姿勢。
イラストレーターは実際の写真を見ては描いていないのだろう。しかし専門家がみれば違和感が相当あり、私はNHKに抗議の電話(?)をしようかと思ったくらいだ。だが電話では非常にめんどくさい説明になるのでこうしてブログでアピールしようと思ったわけ、以上。

2020年1月28日火曜日

「新型コロナ」だと?

ネットニュースに「『新型コロナ』で限界」とのタイトルがあった。おや?と思い調べると、例の中国で発生流行中の新型コロナウイルス肺炎で武漢の病院に患者がどっと押し寄せ1万5千人もやって来たと。そりゃ受け入れ能力の限界だわ。うちの病院だと千人でも即限界だ。

それよりも私は「新型コロナ」ならば「新型ブルーバード」はどうなったと思ってしまった。かつてトヨタコロナと日産ブルーバードは熾烈な販売争いをして有名なライバル車同士だった。しかし今はとんと聞かない。ならばとネットで調べてみた。するとコロナもブルーバードも2001年に仲良く(?)販売が終了していた。その頃はコロナプレミオ、ブルーバードシルフィと名前がなっていて、その後それぞれプレミオ、シルフィと味気ない名前に変えて販売されている。かつてなら「新型コロナ」と略して報道したらトヨタから文句が出たかも知れない。うちの父デンコーが始めて買った車がコロナだった。
懐かしいね。その後クラウンになって長く、年取って「田舎じゃこれで十分」と最後はカローラで終わった。ずっとトヨタ一筋だったわけだ。コロナは残して欲しいブランドだったけれど今の新型コロナは早く無くなって話題に上らなくなって欲しいもんだわー。

2020年1月27日月曜日

簡単!ボウリング

明け方、TV付けっぱなしで床寝してしまった私は1時間ごとに覚醒してはまた寝るという無駄な睡眠を繰り返していた。ガス暖房の1時間終了ボタンをその度に押していたからだ。途中、ニュース映像でコービー・ブライアントが死亡というのが目に入った。あれ、なんで?と思ったが睡魔に呑み込まれ詳しくは知らず寝てしまい、後で真相を知った。ヘリコプター事故だなんて・・。

これまで何回か日記にも書いたけど私は絶対ヘリコプターに乗りたくない。乗ればそれだけで寿命が確実に縮まっている。だってヘリって毎年何台も落ちているでしょ。相当危険な乗り物だよあれは。だからドクターヘリに乗って救急医療ってのは自分は遠慮したい。ヘリコプターを信用できないから。乗ってしまえば全てをヘリと操縦者に預けざるを得ない。飛行機に乗るのは仕方ないと思っているけれど、ヘリは必ずしもそうではない。まあ、乗るのは災害で命が危ない場面に出くわした時くらいかな。コービーもリスク承知で使っていたのなら仕方ないが・・残念だ。

今夕は七五調病院での感染症の定例会議が予定されていた。16時過ぎには病院を出ないと17時からの会議には間に合わない。ところが、私が組んだ大腸内視鏡の患者が排便が遅かったのと取りごろの大腸ポリープが5、6個あり、しかもそのうちの1個は早期癌が匂う形状だったためかなり時間がかかった。17時くらいまでは今から出れば会議終盤には間に合うと思っていたが・・結局終わったのが17時15分、説明をして内視鏡室を出たのが17時半過ぎじゃ絶対に間に合わない。しかし、会議終了後の18時半からは国分スターレーンでの久々のボウリング練習も予定していた。結局、国分には行かねば!

今回はいつものメンバーは参加出来ず、その代わりといってはなんだが病院のリハビリスタッフ3人に来てもらった。石灯籠、チクショウの両君によさこいさんだ。この3人は来月の社会保険医協会の「健康作りボウリング大会」に青雲Bチームとして出てもらうことになっている。今日はその練習も兼ねてのことだった。この中で石灯籠君は以前ボウリング場のマイボールキャンペーンでマイボール欲しさに何回も通ったことがあるというだけあってかなりフォームが出来上がっていた。ハウスボールで投げるのは惜しいと私はインフェルノブルーフレームを貸して投げさせた。15ポンドのマイボールは初めてだったのに器用に投げて最後は170台を出していた。チクショウ君は自己最高が140程度で自信ないとのことだったが、私がいつも教える基本テクを教えると、まずガターがなくなりしかもボールがヘッドピンをよくとらえストライクも何度も出した。最後は168と自己最高スコアだ。だろう、ボウリングなんて簡単なんだよ。

問題はよさこいさん。100を越えたことがなく「50、60くらいです」と小声で言う。まずは試投してもらった。ふむ。まずは立ち位置がレーン最後尾なのを少し前に立たせ、一歩目二歩目が大きすぎるのを「始めの一歩二歩は小幅で歩くように」と指導した。そしてピンを見ずに手前のドットを見るようにと繰り返し注意した。また、最初8ポンドだったボールの重さも徐々に重くして11ポンドにした。これだけで80点まで行き次は90点、そして最後はついに念願(?)の100点越えを果たした。たった1回の指導で2人が自己最高を出す。かようにボウリングは簡単なスポーツだ。これを知らずボウリングの面白さを実感出来ない人が多い。

私はというと1ゲーム目いきなり5連続ストライクを出し200アップでリハビリ連中を唖然とさせた。ふふ、こうなるなるまでにはそう簡単ではないが、人によっては練習次第で1、2年でなれる。繰り返し言う。ボウリングは簡単だーぁ!

2020年1月26日日曜日

タバコの香水

この間書いたカールの誕生日失念事件、その埋め合わせというわけでもないが、お店で遅れた誕生日祝いをすることにした。ただ私は店選びが苦手でなかなかイベントに合った店が浮かんでこない。内視鏡室のコッパマNsに聞くと「娘があちこち店で食事しているからねー」といくつかアドバイスをもらって良さそうな所に電話してみたがすでに予約でいっぱいだった。ならば本人と直接話してみるべきとピックアップして選んだのがフランス料理の「T」という店で土曜はいっぱいも今日の日曜は空いているという。

ちょうどT-MAXボウルの近くでもあったのでそこにプリウスを駐めた。帰りは代行でいいや。店はそれほど多く入る風ではなく夫婦二人でやっているようだった。飲み物は生ビールで私も久々に頼んだ。その後カールはワインも頼んだが私はアルコールはこれだけ。ワインぐらいはもう1杯いけそうだったけど弱いので自重した。料理は淡々と進み、途中事前に頼んでいた誕生日祝いのプチ花火イベントをしてもらった。
(↓カールは滅多に着ないアニマル柄の服だった)
フランス料理って一品一品は「なんだこれだけ?」と思うけれど終わる頃にはお腹いっぱいだよな。デザートになったらカールは食べきれず私が代食した。その私も一品残してお店の人に「こちらも残っていますが」と指摘されてしまった。飲み物はお代わりが出来たので紅茶とハーブティーを交互に飲んだ。いつもはコーヒーもたまにはと飲んだ紅茶は美味しかった。

支払いは当然私。カールが満足してくれればそれだけで有り難いってこと。ボウリング場の駐車場から代行業の二者に電話をしたがなぜか出てくれず、道路待機の業者がいたので頼んだ。値段もごく平均的でそこは問題なかったが、運転手のたばこ臭さには閉口した。後部座席のカールが窓を降ろした時、「あ、カールもきっとそう感じている」と思った。だがなぜかすぐに閉めたのが解せなかったが、ちょうど雨が降っていて入り込んでくるため仕方なかったんだそうだ。

降りてすぐに二人の話題はタバコ臭運転手のことに。カールは「もう、吐きたくなるほどだった。『あなた、タバコの香水付けているの?』と聞きたくなったわ〜」とげんなりしていた。この日の誕生日祝い、フランス料理よりもタバコの臭いが後々まで記憶に残りそうであった。

2020年1月25日土曜日

家康が城を作れば楽器の町が生まれる

NHK「ブラタモリ」はたまにリアルタイムで見る。今回は浜松でのロケでテーマはというと「なぜ浜松が楽器の町になった?」だった。その理由を5つのステップで探るという趣向で、例によって地元の識者らが質問を交えて各所を見て回っていた。今回はその答えが地理と歴史の中にあるということがよく分かりとても面白かった。

まず浜松がピアノに限らずいろいろな楽器の生産世界一というのは初めて知った。番組では触れられていなかったがオートバイ、車も有名だ。ヤマハがあるしカワイもホンダもスズキも浜松だ。まずはこの地が大きくなるきっかけを作ったのが徳川家康だったという。だからかつての城跡に東照宮が今でもある。元々は引馬野という単なる田舎町だったのを武田など東の敵を見渡せる河岸段丘がそこにあったのが大きかった。
家康は若き頃は17年も浜松に城を構えていたそうだ。地理と歴史の理由があって浜松という町が出来たというのはこの後も続き、毎年のように洪水を引き起こす「暴れ天竜」こと天竜川流域で栽培出来るものに綿花があった。綿花はかさ上げした土地で作ることが出来るんだそうだ。
綿花がたくさん出来れば当然木綿織物もたくさん出来る。それを作るための織機の生産も多くなる。なるほどなるほど、このあたりで見えてきた。織機職人も当然増えてそこから楽器作りに発展するんだな。
隣の三河では豊田佐吉が自動織機なんてのを作り始めたって、昔小学国語の教科書に載っていたわ。そんな中、明治に入って浜松では織機と似た構造のオルガンを作り始めたのが山葉寅楠さんという人だった。名字を見てみよう。ヤマハそのものじゃないか。
さらに遠州は北西風からの空っ風が強くて有名な所だそうでピアノの板は乾燥率10%まで下げないといけないらしくこれが木材の乾燥に役立った。さらに優秀な職人が集まるようになって後の航空自衛隊発祥の地でもあった浜松で木製プロペラの製作(昭和6年日本楽器製の銘も)も担うようになった。木製はやがて金属製になり、中を空洞にする必要があり・・これが今度は管楽器への製作につながっていく。

下にまとめると

・家康が城作る 
・城下で綿花を栽培 
・木綿を織る織機を作る職人が集う 
・木工技術を活かしてオルガン修理 
・ピアノ作りに発展 
・ピアノのボディ作る技術で木製のプロペラ作る 
・金属プロペラに発展 
・金工技術を活かして金管楽器

見事である。これって風が吹けば桶屋が儲かるの例えそのものじゃないか。だって家康がそこにお城を建てたから世界一の楽器の町になったって全くつながらないしー。よくまとまっていて45分でこれだけの内容を分かりやすく詰め込みビデオとぶらぶら散策風に見せるなんてすごい。「ブラタモリ」は相当あなどれない番組だ。

2020年1月24日金曜日

私の得意なレンコン

私と同世代で同じ大学内視鏡室の仲間だった摩周像Drが直腸癌に侵されているらしいと聞いた。かなり進行していたとも・・。自分の専門分野の病気に掛かる話はこの世界ではよく聞くが、胃や大腸の病気は治療可能なことが多いだけに残念、無念だ。

今年はオリンピックイヤーなので私はまた大腸内視鏡を受けるというかするつもりだ。1992年のバルセロナオリンピックの年から4年ごとに検査をし、2000年のシドニーからは自らスコープを入れてやっている。だいたい大腸内視鏡って1回でも受けた人は大腸癌で亡くなる率が下がる。ちゃんとそういうデータがある。大腸ポリープなどを取ってしまうし仮に大腸癌が見つかっても早目に手術をすれば助かることが多いのだ。大腸癌で亡くなる人はたいてい大腸内視鏡を受けたことがなかった人たちなのである。摩周像Drもここ20年くらいは内視鏡から離れていたから受けていなかったのか・・。

夜は今年2回目の串木野トリオリーグだった。前回とレーンコンディションが変わっていないはずで、となれば私はまたハイスコアが出るはず・・と思っていた。こんな場合思惑は外れて散々という結果になりやすい。しかししかしー。サウスポーの海広しDr、サンシさんがアベ150以下だったのに比べ、またしても3ゲームすべて200アップ(3G643点)しチームに大貢献したのだった。アウトサイドに立って板目7枚目付近を真っ直ぐ投げるだけでボールはポケットに吸い込まれストライクか9本残りになる。ただ10枚目付近に投げてしまうとボールが滑りポケットを外してしまうコンディションでもあった。

帰りに先週までの成績表を見ると、私の3G669点が個人ランキングの1位になっていた。うへー!途中経過でも1位だなんて初めてだ。リーグ戦は何ヶ月も続くのでいずれ700アップする人が出て来るし、レーンコンディションは毎月変わるので順位は落ちるはず。ただこの手のレンコンが自分の得意パターンなんだというのははっきりしたわ。↓のパターン図を見れば分かるように、両サイド板目10枚より中はオイルが多くフラットなのでこのラインと使うとコントロールしづらい。アウトサイド真っ直ぐに投げればオイルの壁があって良さそうと思ってそれに徹したのが大成功だった。

2020年1月23日木曜日

「しま」か「トウ」か

是非みんなも視て欲しい!1月30日木曜夜10時50分、NHKのEテレであの「植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之」がある。今回で第3弾。爆笑とツッコミどころ満載の超異色番組だ。見る前に録画予約もしておこう。きっともう1回見直したくなるはずだから。私は
その感想を2018年10月8日と2019年5月6日付けでそれぞれ日記にアップした。今回も必ず書くと約束する。この日記は6日遅れだから2月5日にアップ予定だ。

昨日は病院を訪問するMRを話題にした。実は「正史」MRの後にやって来たこれも新人MRも話題にするつもりだった。しかし私の横溝オタクぶりが過ぎ、長くなってしまったので今日書く。その新人MRは姓が「キタオ」だった。しかも見た目が恰幅のいいタイプ。こうなれば話の方向は決まったも同然だ。

「北尾かぁ」「はい」「いやー、あの時はいったいどうしたん。親方とケンカしてしかも女将さんも突き飛ばしたって話だったねー」「え?」「あのニュースはさー、確か大晦日に友人のマンションで麻雀している時に雀友の一人が『知ってる?北尾って部屋を飛び出して行方不明らしいよ』って教えてくれたんだよねー。いったいどこに行ってたの?」「??」

「晩年は体壊して大変だったそうじゃない」「あの・・(北尾だったら)もう死んでます」「あは!だよなー、いや、どう見たってこんな風に言いたくなるでしょ」
(右がキタオ君。左の前任のMRと比較して恰幅のいいのが分かるよネ↓)
今後、ドクターに取り入るなら、本物の北尾になりきって「あの時は女将さんには手を挙げていないです。でも部屋を出たことは悪かったと思っています」ぐらいの弁明をしてくれると嬉しいぞ。名前と見た目で元横綱を連想するのは必定だから。

今夕もMRとの会話ネタだ。ボウリング練習でおなじみのタナカッツMRがまた病院担当になった。帰り際、「明日は与論島(よろんとう)に行って来ます」と言うので「ううむ、よくみんな『よろんとう』って言うけど正しくは「よろんじま」なんだよね」と指摘した。私も昔は「よろんとう」って言っていたのだ。なぜかそう言いたくなっていた。言われたタナカッツ君も「ですよねえ。沖縄の島や他の奄美の島はみんな『しま』って呼びます」「だろう、不思議だな」「でも北海道の島は礼文島など『れぶんとう』って言いますよね。あれもなぜなんでしょう」「おお、そうだ。利尻島も『りしりとう』っていうみたい」そうだ、太平洋戦争の激戦地「硫黄島」も「いおうじま」「いおうとう」の二つの読み方がある。確か映画で話題になった後、「いおうとう」が正式になったんじゃなかったかな。

そこで今回「島」の読み方についていろいろ調べてみた。まずは原則だが、日本の島々は基本的に「しま」もしくは音便化して「じま」と呼ぶのが正しい。それが日本語本来の読みだからだ。飛鳥時代か奈良時代に中国から漢字が入って来て「しま」を「島=トウ」と呼ぶのが知られてもその原則は変わらなかった。しかし北海道では開拓が近代になってからで「トウ」の読みも普及していた。それに礼文島はアイヌ語で「沖の・島」を表す「レプンシㇼ」から来ていて「レプン」という言葉に島を付けたため「トウ」と発音し、利尻は「高い・島」を表す「リイ・シイ」から来ていて、この場合も「しま」より「トウ」がしっくりくる。外国の島を例えばオアフ島(トウ)、ハワイ島(トウ)と呼ぶのと同じだ。硫黄島については戦前は地元民がなぜか「いおうとう」と呼んでいた。逆にアメリカは「いおうじま」と呼んでいて映画でもそうだった。映画がきっかけになって「いおうじま」が流布されているのをかつての地元民がそうではなかったと意見し、それが尊重され「いおうとう」が正式になったそうである。

そう、実は与論島もかつて本土最南端だったころ海外の島のイメージで呼ぼうと、島民の意見で「ヨロン島」と書き、読みも「よろんとう」であるとアピールしていた。観光客がどっと押し寄せそれは昭和50年代ごろまで続いた。その名残で今でも島の役所は「よろんじま」「ヨロントウ」どちらでもよいと併記(平気)らしい。なるほどね、納得したわ。

2020年1月22日水曜日

横溝ワールドへのお誘い

病院は夕方になると製薬会社のMRらが医局訪問をしてくる。

あんたらゼニカの女性MR先順さんに付き添って初訪問したのが眉ハマMR。名刺をもらって名前が『正史』とあるのに気づき、「横溝正史を読んだことある?横溝と同じ名前だね。それで読み方は『せいし』もしくは『まさふみ』どっちかな」と尋ねた。「まさふみです」「ほう。実は横溝正史も本名は『せいし』ではなくて『まさふみ』なんだよ」と横溝オタクの私は自分の得意分野に相手を巻き込んでいく。

横溝正史作品は私ら世代は本や映画、ドラマなどで知らない人はいないはずだが、20才くらい違う世代だと横溝ブームも落ち着いていて「犬神家の一族」や「八つ墓村」もストーリーを知らない人も多い。せっかく名前が同じなんだから是非読んで欲しい。ほぼ全ての作品を読んだ私のお勧めかつ好みは先の2作に「本陣殺人事件」「獄門島」あたり。

この中で読み始めたら終わらないのが「八つ墓村」である。
実はこの作品、推理要素はそれほど強くはない。主人公の一人称で語られ、どちらかと言えば冒険小説である。私は高校時代に桜島一周をするイベントがあった日、足に豆は出来るは筋肉痛はひどいはで疲れ切っていたにも関わらず、夕方読み始めてあまりにも面白くて一気にその日のうちに読み終えてしまった。この間沖縄に行った時、那覇市内のど真ん中に「七つ墓」という場所があるのを知り「惜しい!あと一つあれば八つ墓だったのにー」と漏らしてしまったほどだ。その少し前、高校時代の同窓生で私と似ているというエピソードを紹介したハカマさんが、現在は岡山の津山市に住んでいると聞き、「津山?津山事件、八つ墓村だね」と気を悪くするかもしれないがどうしても言ってしまいたくなるほど偏愛している。(津山事件というのは昭和13年に起きた有名な大量殺人事件で、岡山疎開中の横溝正史はこの事件を知り、八つ墓村のモチーフの一つにもなった。ただし物語の面白さとこの事件は全く別である)

面白さと推理、そして舞台設定の不可思議さでバランスが取れているのはやはり「犬神家」だろう。何度も映画、ドラマ化されているのもむべなるかなだ。そして推理小説として最高峰とも言えるのが「獄門島」だ。ただ映像化にすると確かに見立て殺人の派手さはあるが映像が活字には叶わないポイントがある。多くの読者を唸らせる仕掛けがあり、それはまた現代では映像化しにくい部分でもある。日本のミステリーで読者投票をすると「獄門島」が一位に選ばれることが多い。まあそれくらいの傑作ということだ。「本陣殺人事件」は金田一耕助初登場作品でかつ横溝が本格探偵小説を書き始めた最初の作品である。中編ですぐに読み終えられるが、日本情緒漂う密室トリック&動機、意外性など申し分ない。日本のミステリー界で最も権威のある第1回の日本推理作家協会賞(当時は探偵作家クラブ賞)を受賞した作品でもある。

上記の4作のほかに「悪魔の手毬唄」「悪魔が来たりて笛を吹く」「夜歩く」「女王蜂」あたりも遜色はない。さてさてこの病院では新人の「正史」君、私に取り入るにはボウリング、麻雀、囲碁、韓ドラなどあるが横溝正史という手もあるんだよ。せっかく本名までいっしょなんだから読んでみたらぁ。「はい、読みます」と言ってくれたが果たして・・?

2020年1月21日火曜日

私の取った怪しい行動

早帰りで帰宅後、仮眠を取って、夜は中央駅近くのテナントビルでの講演会に行った。タクシーチケットをもらっていたこともあって専門外ではあるが心不全の講演を聴いた。心不全患者のクリニックと専門病院との連携の話題が中心で、意外に聴講者が多かったのは医師以外のメディカルスタッフの参加もOKだったからのようだ。私も最近は心不全の患者を受け持つことが多く、それもわざわざ出向いた理由だ。

会が終わっての懇親会にはすでに食事済みだったがせっかくなんで参加した。そこで循環器内科のターボDrとも久しぶりに会えたのはよかった。先生は青雲会病院に半年勤務の経験もあり、15年以上にわたって週1回の循環器外来にも来てくれていた。若干やつれた印象もあったがまだまだ自分のクリニックで診療を続けている。「(故郷の)別府には帰ることもあるんですか?」と聞くと「ええ、今でも2ヶ月に1回は帰ってます」とのこと。さすがに車での帰省はしなくなって新幹線と特急で4、5時間かけて帰るそうだ。大分は鹿児島からまだまだ遠いな。先生は以前、かしましい病院に長く勤務されていて「かしましい病院が潰れそうなのが心配です。循環器内科は頑張っているんですがねえ」とも言っていた。詳しいことは知らないが鹿児島市内の病院はいろいろ大変らしい。

懇親会では青雲会病院の担当MRの杉の実さんが付いて飲み物など取って来てくれた。食べ物もいかがと言われたがほんの少しつまむ程度しか食べられなかった。そろそろ帰ろうとエレベーターに向かうと彼女も付いて来て挨拶をしようとする。この手の会ではどこの担当MRもそうするからしつけられているんだろうねえ。ただ今回はそっとして欲しい気持ちであった。というのもこの後私は怪しい行動をしたからである。その講演会場は2階にあり、帰るとすれば当然1階に向かわねばならない。しかし私が推した行き先は3階だった。3階に着くとすぐに下に降りた。1階を押したのだがエレベーターは2階に停まってしまいまだそこにいた杉の実MRらに怪訝な表情をさせてしまった。

私はエレベーターが3階に着く時、じっと耳を澄ませていた。最近では「さんかいです」というタイプも出てきているらしい。だがここでも「さんがいです」と正しく発声していた。それを確かめたかっただけなのだ。ハハハ。昨日までのエレベーター音声問題の余波はまだ続いていた。

2020年1月20日月曜日

「誤解でございます」

3ヶ月ぶりくらいの朝礼スピーチだ。タイトルは「その言葉間違っていませんか」。

日常で間違いやすい言葉を指摘し正しい日本語を知っておきましょうという意図だ。だが、このスピーチスライドを作るに当たって実は密かな企みがあった。それはずっと以前から機会あればやってみたかったことだ。最後のスライド1枚を披露したくてのことで、それをやるために延々と言葉使いの話をしたと言ってもいい。最初に作ったスライドもその最後の1枚だった。

間違いやすい日本語の質問(全10問プラス1)

1:一世一代:「いっせいいちだい」or「いっせいちだい
2:上意下達:「じょういげたつ」or「じょういかたつ
3:代替薬:「だいがえやく」or「だいたいやく
4:「押しも押されぬ」or「押しも押されもせぬ
5:綺羅星のごとく:「きらぼしのごとく」or「きら、ほしのごとく
6:「シュミレーション」or「シミュレーション
7:「足元をすくわれる」or「足をすくわれる
8:荒らげる:「あらげる」or「あららげる
9:神社:「じんじゃ」or「じんしゃ」
10:十回:「じゅっかい」or「じっかい

答えは赤色が正解である。詳しい解説はスピーチでは話したがここでは省く。9問目だけが非常に簡単なのは次の問題のヒントにしたからだ。

「青雲会病院のリハビリ訓練室は何階にありますか?」

青雲会の職員なら全員が「三階」と答えられるだろう。しかし事前に私がこの質問をし40名中正解者は1月15日の日記にも書いたようにたった1人年配のブルゾン看護師だけだった。「さんがい」と発音するのが正しいのだけれど九州の人は「さんかい」と濁らず発音する人がほとんどなのだ。神社ですら「じんしゃ」と発音する人がいる。さあ、みなさん気をつけましょうねぇ。

「ところでですが、実はエレベーターも知っていたんです。私はエレベーターに向かって言いました。『エレベーターさん、 「さんかい」と「さんがい」の どちらが正しいですか?』と言うと・・」
ここでエレベーターに乗って録音しておいた音を聞かせた。

さんがいでございます」

ほら、エレベーターもちゃんと「さんがい」と言っているじゃない。三階のリハビリスタッフは毎日のように聞いていたはずなのに全員正しく言えなかったでしょ。ここまで言っていよいよ最後のスライドになった。私は言う。

「エレベーターはすごいですね。そこで私はエレベーターに向かって言いました。『おい、エレベーター! お前は何でも知っているな。人間より賢いって思っているだろ。エレベーターは何と返事を・・』」

私がやりたかった落ちのセリフが出るはず・・・え?・・音が出ない。うわ、どうしたんだ。ここでエレベーターのセリフを言わせる予定だったのにーー!みんな黙って待っている。慌てて再生ボタンを押したらやっと音が出た。

ごかいでございます」

少し間があってくすくすと笑いが出た。あー、せっかくのネタが今一決まらなかった。事前練習では毎回出来ていたのにィーー。

2020年1月19日日曜日

沖縄ドライブ

帰りの飛行機が夜19時50分発と遅いので今日は時間潰しにとヨーコバーバから車を借りて島内をぐるりと出かけた。

首里は龍潭(りゅうたん)の池からチラッと焼け落ちた首里城が見えただけで、特に立ち寄らず、カールの興味のある住宅見学会に寄った。(↓池越しに首里城を眺める若者)

高速は利用せず東側の与那原町から北上しコザ付近を目指した。途中沖縄独特の亀甲墓が並んでいる所もあった。カールも父方はこの手の墓だそうだ。一族が入る墓だから小さな家くらいの規模である。

そのまま国道329号線を上っていくとある交差点で「辺野古へ行こう!」という横断幕があった。なんと無料バスツアーが毎月あるんだそうだ。
ここは確か中城(なかぐすく)の辺りでバスで行くにはまだまだ遠いぞ。私は25年以上前に辺野古のキャンプシュワブ内に入ったことがあるので行く気はしないが・・。今となっては基地内に入るのは至難の技だろう。あの頃までは許可証を持っている人に付いていけば簡単に入れた。基地内のボウリング場でニューボールを買ったのもいい思い出ではある。

昼になって「そろそろお腹も空いたがなかなか食事するところがないな」と店を探すうちにA&W(沖縄ではエンダーと呼ぶ)があって「ここでいいか」ってそれこそ25年ぶりくらいに入った。いかにもアメリカンなハンバーガー店のイメージで確かにそうなのだがメニューも以前とは違って1個400円、600円とか盛りだくさんの中身のものが多くなっていた。私は普通のバーガーにサンドにしたが、カールは「TheA&Wバーガー」という何でもありの630円というのを頼んだ。ビーフにポークにチーズなど「いろんな味が楽しめて意外に美味しい」と。そして飲み物はそれにあのルートビア。私は苦手だ。試しに一口飲ませてもらってうえぇーっとなった。薬品臭のあるコーラって味だ。カールは「昔から飲んでいるから別にー」だって。↓一見コーラ、でも味は別じゃー。

この後、カールが行きたかったという家具店に寄り見物して回った。その中で一つだけ、巨大ぬいぐるみがベッドに寝ていて近くにいた子どもらは家具よりそっちに興味津々だったね。確かに。

ここで2時間ほど過ごして「このあとどーしよーか」とカールが運転しつつ尋ねていたようだけど私は爆睡していた。だって夜明け近くまで韓ドラ見ていたわけだから・・。ヨーコバーバの家の駐車場についてもそのまま1時間ほど寝ていた。カールは呆れていたがそりゃそうだわな。

夕方は近くの魚系居酒屋で食事をした。最初、頼んでもいないのに魚1匹(ぐるくんの揚げ物)が出て来て「これ、頼んでいませんけど」と言うと「ソレハ、お通しデス」と東南アジア系のバイト店員の返事でびっくりした。こんなのがお通しだって初めてダヨ。
店ではTVモニターでBEGINのコンサートの様子を見せていた。「島人ぬ宝」は昨日の居酒屋でも歌われていた。チッチが好きな曲でもある。思えばこんなところも沖縄だよな〜。鹿児島では地元の歌手の歌を披露してくれる店なんてまずないもんね。

帰りはすっかり暗くなって鹿児島に着いたのは21時過ぎ。寒い。沖縄では従兄弟連中が「寒いでしょ」と言ってもシャツ一枚で過ごせた。気候がやっぱり違う。そろそろプロ野球のキャンプも始まり、沖縄で9チームがキャンプを行うのも宜なるかなだ。春も近いぜ。

2020年1月18日土曜日

沖縄のいとこ(従弟妹)らと会う

午前の地鎮祭にはカールの母方父方両方のいとこ(従弟妹)を中心に10数人が参加した。面白いのは同じ従弟妹でも母方、父方で性質というか気質に傾向の違いがあるんだ。母方は堅実、公務員タイプが多く、父方は商売っ気の多い連中が多い。カールは両者との付き合いがあるけれど、両者同士はほとんど交流がない。私も父方の従妹らとはチカちゃんを除いて会うのは初めてだった。地鎮祭が終わって近くの「我那覇豚肉店」で会食しても父方は賑やかにおしゃべりしてああだこうだと話しているのに対し、母方は物静かに料理を食べているといった調子だった。カールは私の見たところ両者の性質を受け継いでいるみたい。

母方の従弟フミナンが某ステーキ系列店の評価をし始めた時、カールがパッと彼の手を押さえ「ストップ!それは・・」としゃべるのを制した。系列店のオーナーは父方の従弟の大ちゃんだったからだ。幸いチカちゃんらはおしゃべりに夢中で聞こえていなかったからよかった。すかさずフミナンは「あそこはコストパフォーマンスに優れていてなかなかのもの」とそつなく切り替えていたのには感心したけれどネ。ステーキ系列店は一昨日もフジTV系列の全国ニュースでも紹介されるほど話題になっている。来月は東京にも進出予定とかであまりにも忙しく大ちゃんには今回は会えなかった。

その代わりではないけれど、その弟の公ちゃんのやっている松山の居酒屋で夕方は食事をした。20時前には30分ほど沖縄民謡のライブもあって有名な民謡歌手前川守賢の甥っ子が来て何曲も歌ってくれた。最後はお決まりカチャーシーで手の振り方は「ふすまをこうして左右に動かす要領で」と歌手自ら教えてくれた。いつもはおとなしいカールもビールを一杯飲んで踊っていたわ。(↓店主の公ちゃんが太鼓も叩いていた)


そのほか、ヨーコバーバの家も訪問した。サダオ叔父さんは今は胃瘻を作っての栄養管理だが頭はしっかりして自分で歩くことも出来ている。今年の年賀状も「こてる君の作ったやつだからきっと合成していると思った」との評価だった。確かに人物と紅葉は合成だが実際にその場で撮影はしていた。ただ表情と背景がしっくりこなかったので別の表情の写真と組み合わせたのだけなのだ。今年はあまり受け狙いの年賀状でなかったので拍子抜けしたかな。今年はカールの意見を最大限尊重したから来年はまた私らしさも出そうか。

帰りはコンビニに寄ってまた明日の朝食を買って帰った。カールは調子に乗ってオリオンビールを買っていたが、結局飲めずじまい。さすがに4杯目は無理だったようだ。私は韓ドラタイムスリップ&医療ものの「以心伝心(tvN2017年)」が佳境に入って来ていたのでMacBookProでずっと鑑賞していた。気が付けば午前4時近く。これではまずいとようやく寝入ったのだった。

2020年1月17日金曜日

久々の沖縄

今日は午後休みを取って、夕方からカールと沖縄に向かった。カールは毎年数回沖縄に行くが私は6年ぶりである。そしてこれまではギボヒサコがいたいわゆる実家が使えなくなり那覇市内のホテルに宿泊することになった。意外にも那覇市内のホテルに泊まるのは初めてのことだ。空港からモノレールに乗って市内中心部の美栄橋駅で降りた。15分で着いて料金は300円、以前のタクシーなどに比べれば早くて安く便利になった。雨模様の中、鹿児島よりは暖かいとはいえ若干寒く、服はシャツ一枚でもう一重ねするものがあっても良かったかも。

駅から58号線沿いのリッチモンドホテルが宿泊先だが、その前に明日参加する地鎮祭の現場を見てから向かった。ホテルではフロントから宿泊カードを受け取りエレベーターに乗ろうとすると、中で年配の男性がオロオロしていた。「すみません、どうしていいか分からない」と、目的階を押しても上手くいかない、このカードをどうしたらいいんだという。「こうするんですよ」ピッと私の部屋カードをセンサーにかざしてあげた。男性はホッとして降りる時にも感謝していた。ふふ、同じシーンは2年前の福岡のホテルでの私の姿でもあった。

夕食を摂っていないのでホテルから歩いてカールの導きで久茂地方面に向かった。といっても目当ての店があるわけではない。お腹が空いてもうどこでもええぞと思っていたら「なかむら屋」という古びた店が目に入った。「あー、この店知っているぞ」と瞬間30年前の光景がよみがえった。周囲を見てもここだけが変わっていない。
そして右側を見て「確かこの辺りに『すしハウス』があったんだ」と行きつけだった寿司屋を探すと、そこに店の名前こそ違うが寿司屋があった。カールとも行ったことがある寿司屋で当時安くて美味しい店で知られていた。せっかくだからとそこに入った。
店の構造は前と変わっていなかったけど寿司の値段は割高で寿司チェーン店が跋扈する現代ではやや入りにくくなっているかな。久しぶりにビールも飲んだら1杯で真っ赤になった。カールは2杯でそれほどでもないって顔なのに。

帰りはホテル近くの24時間スーパー「ユニオン」に寄り明日朝の食事、飲み物など買って帰った。ホテルの朝食一人1200円に比べ割安に済ませるためだ。あくまでも庶民的な二人であったヨ。

2020年1月16日木曜日

既婚・初婚・再婚

韓ドラ「屋根部屋のプリンス」を見終わった。タイムスリップの面白さがよく出ていた。ところで主人公のユチョンがアップになるたび、私は病院外来のチュンジョー看護師が思い出されてしかたなかった。特に横顔がそうでよく似ているんだ。チュンジョー君にそのことを話すと全く韓ドラのことを知らないのでピンときていなかった。しかし内視鏡室の佳及主任は「先生、『屋根部屋のプリンス』見たの。あれさー、主人公はチュンジョー君に似ているでしょ。私、以前彼に『似ているわよ』って言ったのよ」と全く私と同じことをしていた。「だろー」と私も激しく同意。彼もそこまで言われて嫁さんに確かめさせると言っていた。独身だったらもっとブイブイ言わせてたかもナ。一応、彼の許可を得て下に比較写真を載せてみる。↓。もっと似ているシーンがあった気がするが20話もあって選ぶには時間がなくて・・。

夕方、病棟に上がっていくと夜勤の看護師らが引き継ぎで来ていた。ふとその中の美人看護師ナナミンさんを見た時、すこし顔がほっそりし目も輝いているように見えた。そんな時、ついちょっかいで言いたくなるのが私の性分だ。「何かのためにダイエットしたの」と尋ね、「結婚式があるとか」と畳みかけた。すると「ええ」とあっさり返事して「2月に」だという。へーえ、それはおめでたい。「確か今年30才?」と聞くと「そうです」と。相手は3才年下の彼氏だとか。そうか、自分も20代で結婚をしたかったんだな。

さらに医局に戻り、そろそろ帰ろうとしたら、某製薬会社の男性MRが来て「私ごとですが最近結婚しまして」と話しかけてきた。ふんふんと聞いていたら別の製薬会社の女性MRが相手だった。今は当院の担当を外れているけど知っているMRだ。ただ、私は彼女がバツ1だという噂も聞いていた。するとその男性MRが「実は二人ともバツ1でして」と自らバラしてきたじゃない。ほほー。それはお似合いの夫婦で。幾久しく幸せでありますよーに。

2020年1月15日水曜日

スピーチスライドが早目に完成したった

来週月曜の朝礼スピーチがほぼ完成した。テーマは「間違いやすい日本語」で私の好きな分野である。今までなら、前日ぎりぎり、下手すれば当日直前にようやく完成することの多い私には珍しいことだ。当直や週末に沖縄に行く予定があるため早々と手を着けたらあっという間に出来上がった。何事もまずは着手することが肝心だ。そうすると少しずつでも事が進み、時には興が乗って予想外に進むことさえある。

おまけに今日は当直だったのにシマッチ院長が「この前のインフルエンザで代わってもらったから」と交代してくれ、余裕が出て来て、さらに面白くするためにリハビリのメインスタッフらの写真を撮ったりした。例に出す言葉の「綺羅星のごとく」の用例として出すつもり。ちなみにこれは「きらぼしのことく」と読むと間違いで、正しくは「きら、ほしのごとく」と読まねばならない。他に「押しも押されぬ」「足元をすくわれる」なども間違った言い方であることを質問形式で紹介していき、最後に「青雲会病院のリハビリ訓練室は何階にありますか」という質問をする。答えは「3階」なのだが、実はほとんどの人が間違った言い方をしているというのが骨子である。

正解したのは60代のブルゾンNsだけだった。ところが昨日名古屋出身のタナカッツMRに質問すると彼は正しく答えられた。私はあは〜んと思ったよ。実は東日本在住の人は正解することが多く西日本や九州の人は間違いやすい。答えは「さんがい」で「さんかい」は間違いということになっている。日本語のおおまかな原則では「ん」の後に続く言葉は濁る(連濁)のだ。西日本は濁らない発音が主流のためか病院では40名中39名が「さんかい」と答えていた。ただ最近は若者を中心に清音で発音する傾向があり、今後は「さんがい」「さんかい」が併用となっていくかもしれない。

私は江戸かるたの「子は三界の首っ枷(こはさんがいのくびっかせ)」で「へー、さんがいって読むんだ」と知った(三界とは仏教の教えで欲界、色界、無色界のこと、詳しく説明するのはここでは無理)。その後、病院が新築移転した際にエレベーターが3階に着くと「さんがいでございます」とアナウンスするのを聞いてなるほどと思った。いつかこのことをしゃべろうと思っていたところ、理事長の年始スピーチで「耳障り言葉」を話題にしていたのでそのアンサーソングならぬアンサースピーチの意味もあってテーマにした。

さらにスピーチの落ちも考えた。今回はまるで落語だ。上手く行くといいが・・。
(「押しも押されぬ」→「押しも押されもせぬ」、「足元をすくわれる」→「足をすくわれる」が正しい)

2020年1月14日火曜日

マラソンには負ける

今週の朝礼スピーチはシマッチ院長だった。インフルエンザで休んでから初の出勤だ。スピーチのテーマは一昨日の指宿菜の花マラソンで、インフルエンザが治ったばかりの院長は「走れなくてもせめて応援にでも」と行ったそうだが、毎年流れる菜の花のテーマ曲を聴くとやはり走りたいと思い、13年連続参加という記録を途切れさせたくなかったこともあって着替えて参加したそうだ。5kmごとに体調を確認し無理なら諦めるつもりが街道沿いの様々な応援にも元気づけられ、いつもよりずっと遅いながらも完走したという話だった。

聞いていてマラソン好きの走りたいという欲求の強さを感じた。同じく参加した医局の福香さんも「同じ立場なら私もきっと走った」と言う。彼女は週に何回か走らないとモヤモヤするそうでその日のために準備して来たならばなおさらだと。ずっと昔、私の大学の内視鏡室の先輩「その道」Drは毎朝のジョギングが欠かせず、当直の朝も走っていた。ある寒い日の朝、道路が凍結していたのだが走るのを止めなかったところ、すってんころりんして足を骨折してしまった。当然しばらく走れなかったわけだが「それでも走りたいのよねぇ」とその中毒ぶりに驚いたものだ。

それに対してボウリングはどうだ。マラソンなどよりはるかに楽なのに競技人口は漸減傾向が続いている。かく言う私もインフルエンザはもちろんちょっとした風邪でもすぐ休むし、来週朝礼のスピーチがあるからと今週の練習は休みにした。あかんねえ。のめり込むようなことって何かしらのキツさが必要、そしてそれを乗り越える時の快感のようのなもの、ボウリングにはそれが欠けているのかも。

2020年1月13日月曜日

新しい卓がやって来た

今年初めての麻雀はいつもの見せたまえDrの院長室であった。そして全自動麻雀卓が新品になっていた。

年末に5年以上使ってきた中古麻雀卓がおかしくなり3回に1回は築牌できなくなった。それで新品卓を見せたまえが注文したのだった。選定は前回同様私がした。今、中国製ではあるが日本で整備した卓が安く手に入るようになっていて、だいたい15万円以下なのだがそれらは点数表示機能がない。それがないと私たちは困る。で、点数表示付きで格安となると27万円ほどで日本のトップメーカーの大洋技研が作っている「アモスJP-EX」がいいと勧めたのだ。これまでの接点式の点棒は湿気が多いと狂いがちだった。アモスJP-EXはICチップ入り点棒なので一切狂うことがなく安心だ。ただ元が中国製なので麻雀牌が高さ30mmと大きい(日本製は28mmでそれでも他社の33mmに比べればまし)。牌をつかんだ時にこれまでとの違和感がある。でもそれも徐々に慣れていった。意外に静かで築牌セット時間も50秒足らずで早い。前の卓は業者が回収し値段も26万円と少し割り引いてくれたという。

記念すべき新卓での初上がりは見せたまえの発ドラドラ千二千だった。前回も初上がりは見せたまえでさすが持ち主は強い。しかしこのあとサブアラドDrが大爆発しなんと5回の半荘中4回もトップを取った。私と腹出しDrがトップなしで沈んでいたが、ラスト2回私は頑張った。2連続トップを取りかろうじてプラスに回って終わることが出来た。まずはめでたしめでたし。今年も麻雀ライフは続くねぇ・・。

2020年1月12日日曜日

赤色は止められる&奈良国立博物館

一昨日、2回目の下血があった大腸憩室出血患者がまた下血したという連絡が入った。いやはや、普通は結紮ゴムで止血出来れば再出血はしない。なのになぜ・・。考えられることはまずゴムが早く外れてしまった、もしくは結紮部位がずれていた、そのどちらかだ。

病院に着いて前処置なしで大腸を観察するとかなりの出血が腸管内にあった。出血部位である上行結腸にたどり着くと、結紮のためのマーキングクリップはそのまま残っているのにゴムがない。ああやっぱり外れてしまっていたのだ。それなら再出血もある。ラッキーなことに憩室内に赤い凝血付着が見えてクリップ止血がやりやすくなっていた。これなら完全に止血出来る。しっかりクリップで止め「三度目の正直、今度こそ大丈夫ですよ」と患者に話しかけ安心させた。

帰りの高速は車は少なく気分もよく思い切り飛ばしたくなるが慎重に制限速度設定にしてのんびりと帰った。実は昨日、同じように運転していたところ、爆音が聞こえ隣の車線を赤いフェラーリがびゅーんと追い越して行ったと思ったら、1秒もしないうちにサイレンと赤いランプをともしたグレーのクラウンがやって来た。覆面パトだっ。哀れ赤フェラーリはクラウンに誘導され吉田インター出口で捕まっていた。せっかくのスピードも残念、その様子は白プリウスがしっかり激撮していた。(グレークラウン3125には気をつけよう)
今日は「赤いもの」は止められる運命だったようだ。


昼はトヨタでプリウスの12ヶ月点検を受けた。ちょうど洗車もしようと思っていたので都合良かった(点検後洗ってくれるので有り難い)。車を預けて待っている間、店内のTVではアタッククイズ25をやっていた。いつもは繰り出される問題の半分以上は分かるのだが、今日は難しく、しかも優勝した緑パネルのおっちゃんのボタン押しが早く全く付いていけなかった。「クイズ猛者対決」だったようでさもありなんだ。ところが優勝者に対する海外旅行チャレンジVTRクイズでは「何という『施設』でしょう」という問いにおっちゃんは答えられなかった。私は見たことも聞いたこともない施設だったのに正解出来たのにだ。論理的に考え、推理して導き出せたのである。

パネルでは創設は1895年、国宝らしい仏像が出てきたり、なぜかアインシュタインの写真も出てきた。正倉院かなと思ったら「正倉院展」のパネルに人が集まっていたので正倉院では絶対にないと分かる。最後は施設の正面写真だったので「博物館ぽいな」と思った。となると場所は奈良は間違いないので奈良博物館かもしれないが多分国立なんだろうと思われ「奈良国立博物館」とつぶやいたら正解だった。アインシュタインは「この人も訪れたことがある」という誤誘導パネルだった。強者のおっちゃんは動揺して「奈良公園」と的外れな答え(問われているのは施設)で撃沈した。へーえ、あんなに何でも正解出来る人なのに優勝した後で冷静さを欠いていたんだろうか、私は少し優越感を感じたよ。

2020年1月11日土曜日

長谷川先生が長谷川式を受けたら

長谷川式簡易知能評価スケールと言えば認知症のテストで現在ではHDS-R(改訂長谷川式簡易知能評価スケール)と呼ばれ認知症のスクリーニング(ふるい分け)に医療現場で頻用されている。

質問項目は以下の9問で、見当識(時間、場所、状況などの認知)や、記憶に関することを聞き、正しくできたら1点、できなかったら0点などと数値化し、30点満点中20点以下の人は認知症の疑いが高いと判断される。回答にかかる時間は、だいたい10分以内だ。

1) 年齢

例:お歳はいくつですか?
2年までの誤差は正解とみなします。

2) 時間

例:今日は何月何日、何曜日ですか?

3) 場所

例:今、私たちがいる場所はどこですか?
場所の名前や住所まで言えなくても「病院にいます」「施設にいます」などと答えられれば正解とみなします。

4) 3つの言葉の記憶

例:「これから言う3つの言葉を覚えてください。あとからまた聞きます」
このように言って、「桜・猫・電車」または「梅・犬・自動車」のどちらかを覚えてもらいます。

5) 計算

例)100引く7はいくつですか?

6) 数字を覚え、逆順に復唱する

例:次の数字を逆から言ってください。2、8、6。 

7) 3つの言葉の思い出せるかどうか

例:先ほど覚えてもらった3つの言葉は何でしたか?
質問4で使用した言葉を、もう一度言ってもらう。

8) 5つの品物の名前の記憶

例:これから5つの品物をお見せします。それを隠しますから、何があったかを言ってください。
時計、消しゴム、鍵など無関係のものを5つ用意し、名前を言いながら目の前に並べます。並べ終わった1つずつ手に取って「これは?」と聞き、正しく答えられたことを確認してから全て隠します。その後、何があったか言ってもらいますが、思い出す順番はどうでも構いません。 

9) 言葉の流暢性(素早く、数多く言えるかどうか)

例:知っている野菜の名前をできるだけ多く言ってください。
6個以上答えられたら1点ずつ加点します。 

作った人は精神科医の長谷川和夫先生で1974年に発表されているから随分と以前のことだ。その長谷川先生が今日NHKスペシャルでTVに出ていた。まだ存命であったことに驚いた。満91才でかくしゃくとしておられた。ところがTV画面には「認知症の第一人者が認知症になった」と出ているではないか。へーっ!でもしっかりしゃべりも出来るし典型的な認知症には見えない。2年ほど前に発覚し、本人は最初「自分はアルツハイマーではないか」と思ったそうだが、嗜銀顆粒性認知症という聞き慣れない病名だった。長谷川式を受けたのかという質問には「いいや、受けなかった。だって私は全部答えを暗記しているから役に立たない」だと、なるほど。別の専門医に診てもらって今の診断が付いたという。


先生は「今の暮らしについては、毎日新鮮な気持ちで過ごしています。認知症になったからといって、最近の新しい出来事をすべて忘れるわけではないんですね。新しい出会いもありますし、新たに興味を持つこともあります。認知症になっても、今までと変わらない部分もたくさんあることを知っていただきたいです」と言う。今では80才90才まで生きる人が多くなり認知症になるのが当たり前にもなった。先生を見ているとこんな認知症なら受け入れられるなって思った。あと20年後か30年後か認知症になっても嫌がらず受け入れるように今から心しておこう。

2020年1月10日金曜日

トリオリーグで結果反転

朝一番で職員のダッペイ君が発熱があり調べるとインフルエンザだった。あらら、院長に続いていけないな、職員に蔓延しないよう十分に気を付ける必要があるぞ。

午後は大腸憩室出血の入院患者がまた下血したと聞き再度大腸内視鏡をした。上行結腸から出血していて2日前に掛けた止血クリップがうまく掛かっていなかったと分かった。あの時は血だらけでピシッと出血源を捉えられないまま止血したんだった。今度は出血源憩室は特定出来て結紮ゴムを使った。一応結紮出来たのだが十分に吸引出来なくて「もしかすると外れることもある」と説明をして手技を終えた。憩室のある位置が吸引するには固くてやや不安だった。でもとりあえずはこれでしばらく経過をみるしかない。

夜は今年初の串木野トリオリーグだ。練習ボールでは相変わらずサンシさんが好調でストライクを出していた。私はというといつもの位置ではボールが曲がりきらず段々アウトサイドからの狙いに変えていった。ようやくこの辺りならストライクが出るかもと思ったころ試合が始まった。

終わってみたら何と私がオール200アップアベ223の爆発に対しサンシさんはアベ174。2日前とは真逆になった。ほらね。ボウリングの腕が2日で反転するわけじゃない。レーンコンディションでこんなにも違う。海広しDrは調子は今一も2ゲーム目で213を出し、チームもそこそこポイントを稼ぎ、まずは順調なリーグ戦となった。気が付けば串木野トリオリーグは初参加から丸9年も経った。3月で10年目に突入だ。あっという間だねえ。

2020年1月9日木曜日

予定外を楽しむ

夕方から予定外の当直に入った。とはいえそんなに忙しくはなく、野球好きのヒラーツMR、後からタナカッツMRや蛇蝎MRなど知り合いのMRらと歓談しつつしばらく過ごした。

夜の21時を過ぎ外来も病棟も落ち着いた頃、私は3階や5階へエレベーターに何度か乗り降りした。実はこれ、再来週20日の朝礼スピーチに使う資料を撮影していたのだ。人の乗り降りが多い昼間には出来ないことで予定では来週水曜の当直の夜に実行するつもりだった。どういう内容かは今は明かせない。ただ、これさえ撮っておけば後はどうにか進めていける。来週はいろいろ用事があるので今夜が当直になったのはラッキーだった。そう、予定外のことが起きた時にはそれを楽しむくらいの余裕がないと。

韓ドラは「屋根部屋のプリンス(SBS・2012)」を6話まで見た。大ヒットしたタイムスリップもので、本来ならもっと早目に見ていてもおかしくなかったのだが、躊躇していたのは主役のユチュンがここ数年女性への性的暴行問題、その後薬物で逮捕されるなどドラブルを多発していたからだ。ドラマの役と本人とは別物とはいえどうしても連想されるので気が進まなかった。まあ相手役のハン・ジミンは「復活(2005)」以来、安定、信頼できる女優なのでU-NEXTでクリックし見始めたところだ。朝鮮時代の人が現代にやって来たらどういう反応を示すのかをユチョンの部下3人が面白く演じている。タイムスリップものの定番シーンだがやはり見ていて楽しい。一時期サスペンスものを中心に見ていたので今は気楽なドラマを見たい気分だ。

当直室で寝ていて救急外来こそ呼ばれなかったが何度か電話で起こされた。午前2時から7時くらいまでのこうした連絡は堪えるなあ。結局診察した患者は2人だけだったにもかかわらず疲労感はいつもの当直とほとんど変わりなかった。明けた日の午後に帰宅できるのは有り難い。以前はそれすら出来なかったしな。やれやれ、あと一踏ん張り頑張るとするかー。

2020年1月8日水曜日

ヒサコかサダコか、院長がインフルに

明け方、例によって前日夜うたた寝してしまった私は居間の床で目覚め、ぼんやりTVを見ていると、玄関の方からザザッと異音がした。何だ?と思って見に行くと・・。

うわっ!髪の毛の短い「貞子」が這ってこっちを見ているのかと・・。
新聞を取りに行ったはいいがよたよたしてすぐに立ち上がれないでいるギボヒサコだった。まったくもうー、驚かさないでくれよ〜。

朝、外来に行くとずっしり副師長に呼ばれ、「先生、シマッチ院長がー」どうしたのかというと「インフルエンザA型が出たんです」だと。昨日から発熱、倦怠感があり今朝検査すると反応が出た。どうやら日曜日直時にたくさんインフルエンザ患者を診たからのようだ。そうと分かれば即休みだ。外来もカワゼンDrが代診をした。あ、そういえば明日はシマッチ院長が当直の予定だった。当然それも代わりのDrが必要だ。今週当直がなくて出来るDrといえば・・私しかいないみたい。あいちゃー。でもそこは仕方ない、お互い様だ。私も2年連続でインフルエンザに罹(かか)った。去年(1月13日)は日曜当番医でインフルエンザ患者を診ながら自分も患者であったという有様で、午後から信号Drに代診してもらい、一昨年(1月20日)は土曜勤務でインフルエンザB型が判明し午後日直をキブンDrに代診してもらった。相手Drは違えども今年は恩返しの番だ。うし!

夜、T-MAXでのボウリング練習は私とサンシさんだけだった。二人とも今年初投げである。3階レーンで投げたのだが今夜のレーンコンディションは左右差がひどかった。サウスポーのサンシさんは投げればストライクと絶好調で4ゲーム全て200アップのアベ220に対し、私は180も出せずアベ164と全く話にならなかった。明後日は串木野でトリオリーグがある。「いや、場所が変わればレンコンも変わる。結果が逆になることもあるさ」と思い直すしかなかったのだった。

2020年1月7日火曜日

タイムスリップしたい

最初に断っておく。本日のエピソードは実際には今日起きたことではない。以前の話題で、今日は特にネタがないので、ようやく書くことが出来た。

その日は朝からカールのスマホの着新音がうるさく「音が大きいな」と私は言った。カールに言わせれば「夕方の帰るコールが聞き取れないと困るので大きくしてしまっている」とのことだ。まあそれなら仕方がない。

その日は仕事も忙しくバタバタしていた。昼休みも取れないほどで、やっと片付き、帰宅、入浴&夕食を終わらせようやくくつろぐことが出来た。床に寝そべり頭をソファの下に付けMacBookProを開きタイムスリップ物の韓ドラを見始めた。

その時だ。カールがつかつかと寄って来て、「みんなメールもたくさんくれて従妹の旦那からも来たというのに、テル君からは何もないし、私のことなどどうでもいいのね」と何かご不満のようだ。うん、何?・・ハッ!!その瞬間、青ざめた。

その日はカールの誕生日だったのだ。なのにすっかり忘れて、プレゼントどころか「誕生日おめでとう」の一言すら言っていなかったのだ。カールも自分からは言わず「もしかするとサプライズでもあるのかなと思っていた」と。あわわ、「いや、誕生日ってのはつい数日前は覚えていたんだ、それで・・」と言いかける「待って。言わないでいいから」と制された。うーん、弁明も許してくれないのか。

寝そべったまま、私は固まってしまって痛切に思った。時間をくれ、せめて一言「誕生日おめでとう」と言いたかった。ああ、半日前、いや1時間前、ううん10分前でもいい、タイムスリップしたかったぁ・・・。

2020年1月6日月曜日

禅智内供を笑えない

朝、病院駐車場に着いてダウンジャケットのフードを被ってから院内に入った。昨日の髪形がおかしいと思っているから、うつむいてコソコソって廊下を走り、医局に入った。ちょうど山の神さんがいたので「ねえねえ、私の髪形おかしくない?」と尋ねた。じーっと見つめて「いいえ、いいですよ、センセイ」と。あれ?笑われるかと思いきや、そんなに悪くないだと。その後、内視鏡室で聞いてみると「短くなってさっぱりしていいですよ」と言われる。あれれ、今朝、鏡で見た時にはすっごおかしく感じたのにー。改めて見直して見るとそんなに悪くもない。今朝のあのコソコソはいったい何だったんだ。

自分の見た目って自分では上手に評価出来ない。すぐに人の意見に左右される。私は芥川龍之介の「鼻」を思い出した。

高僧である禅智内供(ぜんちないぐ)は鼻のでかいのを気にしていたが、ある人から治療を教えてもらい鼻が短くなる。ところが返って人にクスクス笑われ、それが気にくわない。また元に鼻が戻って「こうなれば誰も笑うものはいないに違いないない」とはればれとした気持ちになる。

禅智内供を笑えないわっ。

「鼻」は以下で読める↓
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_genbun/archive/2015_genbun_27_32.pdf

2020年1月5日日曜日

カット失敗か?

土曜からの1日当直が終わり、ぐったりして帰宅した。帰宅直後、なんとMacBookProを病院に忘れたことに気が付いた。「(取り戻すのは)明日でもいいんじゃない」とカールに言われたが、こてる日記はノートパソコンでの入力でないと書く気がしない。スマホでの入力だとぞっとする。ただ、すぐに取り戻しに行く気になれず仮眠を取った。

夕方、取りに行くと、明け方入院させた患者は気管挿管と人工呼吸がされていた。急に呼吸困難悪化したらしい。日直のシマッチ院長に感謝感謝だ。

帰りはついでに散髪してもらおうと鹿児島市内の「スピードカット」に寄ったが、駐車場が満杯で入れず、別の「3Qカット」に行った。ここはスーパーの駐車場が使える。入ると6人待ちで全然スピーディーじゃないと最初は思った。こういう時でもiPhoneで韓ドラを見るといい時間つぶしで、6人なんてあっという間に過ぎ、「ハイどうぞ」と呼ばれ散髪に入った。これまで格安カットでは理髪師は毎回別人だ。それでカットの仕方が毎回違う。今日の人はいろいろカットのやり方を尋ねてきた。私は大半の質問に答えることが出来ず「とにかく短めにして」としか言えなかった。カットの用語ってよう分からんのよ。

10分ちょっとでカットは終わり、さっぱりして帰宅すると、カールが「あれ?短くなったね。うーん今イチだわ、今まで一番良くない」とバッサリ。あわわ、やり過ぎたんかな。格安カットは理髪師が毎回違うのが善し悪しで今回は「悪し」だったか。明日から実質初出勤のようなもの、新年早々この髪型じゃ恥ずかしかな・・そんな気持ちで夜を過ごしたのだった。

2020年1月4日土曜日

「ナイン~9回の時間旅行~」

外来と病棟、そして翌朝までの日当直と今年の初仕事だった。

外来はいつもよりやや少なく、日直も怪我やインフルエンザの患者とそれほど忙しくはなかった。しかし夜間は圧迫骨折や重度の嘔吐脱水のほか肺水腫など高齢重症患者が多く眠れなかった。そんな中、当直室のベッドでiPhoneにダウンロードした韓ドラを見る時間があった。以前は画面が小さいのでノートパソコンより見にくいだろうと思ってやっていなかったのだが、持ちやすいし画質もいいので意外に見やすかった。

見ていたのは私の韓ドラ100作目となるものでタイムスリップものの「ナイン~9回の時間旅行~(tvN・2013)」。実は途中まで見ている作品は他にいくつかあったがサスペンス、バイオレンスもので新年から見続けるには少し気が重かった。で、やや軽めのものをとこれを選んだ。ヒマラヤで亡くなった兄が残した遺品に不思議な線香があり、それに火を着けると燃えている30分間だけきっちり20年前に戻るという内容のドラマである。主演は30代半ばのイ・ジヌクでなかなか渋みのある良い演技をしている。
内容も考えさせられるもので、もし自分が同じ立ち場にあったらどうするだろうかと思った。わずか30分でもその時の選択次第で後の人生が大きく変わる場合がある。ドラマでは亡くなった兄は生き返るが、主人公は恋人が血のつながらない姪になり苦しむことになる。自分には両方の記憶が残るが周囲はそうではない。ところがこのドラマでは相手の姪が徐々に昔恋人だった記憶が戻ってくるというドラマとしてはややルール違反の経過をたどる。線香が残り少ない中で主人公は奮闘し・・。

面白さと考えさせる内容で久々に10点中9点を付けた。しばらくタイムスリップものを見てみよう。韓ドラでは一時期この手のドラマが大流行りした。次は同じソン・ジェジョン脚本家の作品「イニョン王妃の男(tvN・2012)」にするつもり。朝鮮時代の男が現代と昔を行き来する話らしい。まだまだ韓ドラマイブームは続いている。

2020年1月3日金曜日

クラス同窓会

朝早く、チッチは空港から、セージは昼に新幹線でそれぞれ帰った。いずれもカールが車で送っていった。チーはいつものようにゲンちゃんとツーショットを撮り、セージは格好付けだからクールに去って行った。

私はセージを見送った後、セントラル高校のクラス同窓会に参加した。半年ほど前に学年全体の還暦同窓会があったばかりだが、クラスの還暦同窓会も開きたいという要望もあり夏に参加出来なかった人やまだ話したりない人など5組6組合同で開くことになったのだ。このクラスはいわゆるトップクラスで3年間顔見知りが多い。計28名が集まり卒後40年以上経過したにしてはまずまずの数だった。遠くはシンガポールから謝美さんも来てくれた。彼女は会の冒頭、娘と孫娘も披露してくれた。二人とも可愛いねぇ。

久しぶりに顔を合わせる中で、ハカマさんとは初めてじっくり話をした。実は私は高校時代、彼女をわざと避けていたのだ。なぜなのかは彼女も何となく察していたようで、1年生時隣のクラスだった彼女と私が「顔が似ている」「兄妹じゃないか」などと話題になり、みんながはやし立てるようなことをしていた。そのことが少年の感情としては恥ずかしいというかとても嫌で彼女の近くには絶対近寄らないようにしていた。3年生になって同じクラスになってもそれはいっしょでまともに会話したことがなかったのだ。彼女は熊本大に行ったのでその後全く縁がなかった、しかし、こうして久ぶりに会ってみると、おしとやかで色白、とってもいい雰囲気の奥さんになっていた。大学時代に知り合った今の旦那さんと結婚し今は岡山の津山市に住んでいるという。今じゃこうして気軽に肩も組める。年を取るのもまんざらではないな↓。

男性陣は定年前後が多くてすでに年金もらっているヤツ、まだ仕事を続けるために画策しているヤツ、定年のない社長や私のような医療従事者などそれぞれだった。バタヒロ君は脳梗塞をしてから車椅子生活だが老人施設で働いているというから立派だ。石立君はマラソンをやっていて若いころは2時間45分を切ったことがあったそうで、それは知らなかった。まさに驚異、今でも走っているらしい。1週間ずれていたら菜の花マラソンにも出たかったそうだ。

私は少しビールを飲んだだけであとはノンアルコールだけで済ませ、一次会で帰宅した。しかし幹事のジュラ君や女性陣の一部はなんと五次会まで参加したそうだ。いや、元気だこと!

2020年1月2日木曜日

フサンコ、驚きのエピソード

(元日の続き)
ヒトミンチョ家に近づくと家の前まで釜蓋(かまふた)神社への初詣の車が並んでいた。いまだにブームが続いているとはねえ。

家に入るとトシ登り、フサンコ、ヒトミンチョはいたがヨカトモ従兄は不在だった。兄妹全員がそろうのは稀なのはどこも同じだ。ただ、TVでサッカー天皇杯決勝を付けながらワイワイガヤガヤというのは毎年恒例だ。今年は鹿島対神戸。Jリーグで一番多くのタイトルを持つ鹿島に対し、タイトルが一つもない神戸とでは神戸に応援したくなるのは人情だろう。結果もその通りになりめでたしめでたしだ。

今年は主にフサンコ従兄とよく話をしたのだが、私にとってすんごい興味深いエピソードを知ることが出来た。若くして胃癌で亡くなったエキアハハのことで、フサンコが小学5年の夏休みに大川のデンコー宅の床下で遊んでいた時のことだった。エキアハハとデンコーの会話が聞こえてきた。「あなたは私が死んだら若い人と再婚するんでしょ」とエキアハハがデンコーに言ったというのだ。実際、エキアハハは1ヶ月後には亡くなってしまうのだが、幼いフサンコはそんなことは知らなかったので驚き、しかも大人の会話を耳にしてその場をすぐには動けなくなってしまったという。30年以上経過してから彼はその一件をデンコーに話したが覚えていなかったそうだ。

へーえ。まずエキアハハが実は死を覚悟していたということを初めて知った。胃癌発覚から2ヶ月あまりで亡くなったのだが、周囲の話では手術も受けた(実は開腹のみで取り出さず)から「(私は助かるけど)子宮癌のフジコ従姉さんは助からないんだって」と言っていたとも聞いていた。しかし実際は衰えていく自分の体から死を予感していたのだ。そして先の会話などいかにもありそうではないか。同じようなシーンはラフカディオ・ハーンの「怪談」にも出て来る。亡くなった妻が幽霊となって新妻に害を加える話だったが、小説でも現実でもとかく亡妻は夫の新妻が嫌いなようだ。あと余談だが、フジコさんは子宮癌を乗り越えその後もいくつかの病気を克服し去年95才で天寿を全うしたのだった。

さらにエキアハハの葬式ではフサンコは同年の従妹コーコさんが墓場で泣きじゃくっていたのを思い出すという。ああ、私は墓場に行く前にコーコの姉星娘さんらが「エキア姉さ〜ん」と泣いていたのを思い出す。あまりに周囲が泣くので私とヒラーキは無邪気に笑っていた。後年、エキアハハの三十三回忌でヒラーキも「あの時は笑っていたよな」と覚えていた。二人とも小学校に入る前のことだから責めることは出来ない。

さらにフサンコは「イチオジは古賀政男の『男の純情』が好きで、踊りが得意だったアキエハハとその曲で長崎鼻で踊ったのを覚えている」という。ほう、それは珍しい光景だ。アキエハハが踊る様子は私は写真でしか知らない。フサンコと私は5才違いだから幼い頃の差は大きい。私とフサンコは50年以上も前の昔話で盛り上がったのだがセージやチッチには退屈だったかも。で、帰りがけにフサンコ宅に寄って、一昨年の県美展、南日美展での最高賞を取った油絵を見せてもらった。新聞でしか見ていなかったので意外に大きなキャンバスに繊細に描かれているのを見て子どもらもギボヒサコまで驚いていた。
↓4枚のうち左の3枚が受賞した絵。モチーフはいずれも一緒だ。

帰宅すると年賀状が届いていた。今年は若干いつもより少なかったかな。私の出した年賀状も例年と路線が全く違い、もらった人は少し驚いたかも。子どもらをいつまでも載せるのはどうかということやコラージュも毎年同じようだからとカールに言われてのことだが、縁なし全面写真プリントで目立つ年賀状であることだけは変わりないか。途中まで作っていた例年通りの年賀状の片鱗は昨年12月23日の日記を見ればうかがえる。

1月2日に例年通り護国神社に初詣をした。明日になったら子どもらはまた帰ってしまう。二人帰って来るだけで賑やかだったのがあっという間に寂しくなる。しばらくはこんな正月が続くね。

2020年1月1日水曜日

2020お正月

2020年の年が明けた。明けましておめでとうございます。2020はキーを打つ時に打ちやすくまた見た目も2019よりいい。いい年になるといいな。

おせち料理はいつもの「よたけち」のものでちょうど5人前だ。これに赤飯とお雑煮でまずは正月気分を味わった。
味わったら、年賀状が来るのを待たず、午前10時と例年より早目に家を出た。遅くなるとあこネーサ母が施設に戻ってしまうからだ。で、夫婦二人、子ども二人とギボヒサコの5人、プリウスではなくゴルフに乗って出かけた。10月に買って以降なかなかゴルフに乗るチャンスがなかった。iPhoneをUSB接続すると地図も表示されナビの代用も出来る。これならこの前のポロでの新名神高速道路が標示されないという際の代用になるわ。ぽかぽかして暖かい正月だ。知覧に入ると遠く開聞岳とこの時期の風物詩「大根やぐら」が見えた。普通に見られるので鹿児島ならどこでもやっているのかと思いきや知覧や頴娃ぐらいで他は大隅の錦江町あたりくらいのようだ。
実家に着くと、真っ先に目に付いたのがなんと私たちと同じ赤いゴルフだった。「うわ、全く同じ」「誰の車だ?」聞けば、姪っ子のアサちゃんので、カールより2、3ヶ月ほど前に購入していた。ナンバーもかなり近く後で並んで写真に収めた。
(左がアサちゃん、右がカール)
このゴルフ、驚くべき事実が判明した。鹿児島では同じ販売会社なので担当者がいっしょだったのはまああり得ることだった。しかし、購入時にその担当者が車の保険を勧める理由として「こんなケースがあります。その購入者は若い医療系の仕事をしている女性でしたが、買って運転し家に帰る直後、店のすぐ裏の十字路で衝突事故を起こしてしまったんです。見に行くと車は大破し修理するにも相当お金がかかり、結局同じ新車を再購入することにして手出しのお金は最小限で済ませることが出来ました」とのこと。世の中にはそんな可哀想なケースもあるんだなぐらいに思っていたが、まさかアサちゃんだったとは!結局1ヶ月以上経って今の赤ゴルフが届いたんだと。これは日記ネタになるわいとアサちゃんに打診すると「どうぞ(書いて下さい)」との了承を得た。ハハ。

あこネーサ母は相変わらず物忘れがひどく、私らやヒラーキ家族をファミリーと認識している様子だが具体的にどのような関係かがなかなか言えない。ギボヒサコとも久しぶりで挨拶出来るも、しばらく経つとカールに「お母さん(ギボヒサコ)は元気?」と質問する始末だ。まあ椅子に座って自分で食事もできるからぜいたくは言うまい。

食事も終わった頃、ヒラーキがセージやチッチと「どら、腕相撲をしよう」と誘った。当然勝つつもりのようで、その自信に違わず若い二人を立て続けに片付けた。
へーと思って見ていたら勢い私にもご指名が来た。さて、昔はよくやったものだがどっちが強かったかな?もう何十年も前のことだから覚えていない。でも兄貴がそう簡単に負けるワケにはいくまいと気合い入れたら、なんと勝ってしまった。ホントかな。花を持たせてくれたのかも。

実家の海岸からは初日の出がちょうど開聞岳の頂上から上がって来る。チエコンさんが写真を撮りに行っていて後からLINEで画像を送って来てくれた。同じく信ジロウ従兄からも送られて来た。 午前7時半頃117°の方角に見える開聞岳頂上からの初日の出の画像は↓。
さて、この後はヒトミンチョ家に寄るパターンで今年もそうしたが、日記が長くなった。明日にまとめて書くことにしよう。では今年もよろしく!