2023年1月31日火曜日

これが鹿中央高の校風だっ

鹿児島MBCの毎日の帯番組「あの日のふるさと」の今日は「鹿児島中央高校寒中鍛錬(昭和52年)」とのタイトルだった。私は「昭和52年」の文字にオオッとなった。ちょうど高校2年が終わろうとする頃で、高1高2が参加する寒中鍛錬に私も参加していたはずだ。もしかして映っているのでは?!わずか1分50秒ほどの映像を食い入るように見たが、自分らしき人は映ってはいなかった。その代わり同級生は何人も指摘出来た。

準備運動に4秒もの間一人で映っていたのが前田君だ。
二人で組んで準備運動をしているのは小原君。
小原君はこの後ランニングする時も映っていた気がするが、お父さんが確かMBCの役員だったんじゃなかったな。ちょっとうがった見方だが、カメラマンもそのことを知っていたのか・・?

48のグループに分かれて訓練開始、とのテロップに映っていたのは知識君だ。
私が入ったグループは「甲東中出身」で体育館でバスケットをやっていた、と当時の日記に書いてあった。4日間毎朝そればかり。確かに汗は良くかいた。

寒中鍛錬は「強固な意志を養うことを目的に創立以来続く伝統行事」で真冬の約1週間早朝に行われ、毎週1回授業終了時に全校生徒が集まって体操や団体ランニングを行う「団体訓練」同様、いかにも鹿児島中央高らしい行事だ。寒中鍛錬が終了した翌日土曜日は男子10km、女子5kmのマラソン大会もあった。その年私は175位だったと日記にあった。中学の頃はバスケット部で鍛えられて持久走も学年10位以内には入ったものが、高校では帰宅部で「どんどん抜かされて」という体たらくだった。

最後は学校の周囲を隊列組んで3周走って終わりだ。この時のことをよく覚えていて、日頃の団体訓練では足並みがあまりそろわないのに寒中訓練では皆よくそろって走っていた。全員が疲れてくるとそうなるんだと知ったのだった。
その最後のランニングに映っていたのが加治佐省二君だ。↓左の男性。なぜ彼だけ氏名を書いたかというとすでに亡くなっているから。平成8年(1996年)の13期生の第2回同窓会直前に白血病で亡くなってみんなで黙祷したのだった。この時代まだ家庭用ビデオは全く普及していなかった。この頃の写真ではなく動画を見られるのは実に貴重だ。彼には息子と娘がいたそうだが今日のこの映像を見られたらなと思った。

カールにこれらの映像を見せたら少し意外な感想を語ってくれた。「14、5年前ぐらいのことだけど、チッチの同級生に沖縄から転校して来た男子がいて、そのお姉ちゃんが中央高校に転入したのね。そのお母さんから聞いた話、『娘は中央高に入ってびっくりした。とにかく当たり前のようになんでも強制されることが多くて嫌だ、自分に合わない』っていうのよ。まるで軍隊か自衛隊みたいで・・今のTV映像を見て、なるほどーと思ったわ」と。その娘さんの家庭は転勤族で幼少期は沖縄で育っていた。転校したところ、鹿児島の武骨&管理教育が性に合わなかった。で、大学は琉球大を希望し、また沖縄に帰って行ったという。

ほうほう。自分も高校に入って初めて中央高の校風を肌で感じ驚いたりしたが、こんなものかと思っていた。今、中央高のホームページで確認すると、団体訓練は残っているが寒中鍛錬のことは書かれておらず今はもうやっていないようだ。秋の桜島一周遠行約37kmは南薩路遠行約30kmになっていた。ただその娘さんは私より30年も後輩なわけだが中央高の雰囲気や校風はあまり変わっていなかったようだ。今からでも高校の受験先を考えている中学生はこの校風ってのを軽視せず自分に合ったところを選んで欲しいね。ちなみに私の息子たちは敢えて鹿中央は避け、私立の高校に行かせた。私の母校が悪いというわけではない。息子たちの相性と進路を考えてのことだったのだ。

2023年1月30日月曜日

難ガターさんと1年以上ぶりの練習

近々、社会保険協会の「健康づくりボウリング大会」に参加を予定しているため、難ガターさんと国分スターレーンに練習に行った。ボウリングは、私は昨年8月以来、難ガターさんは1年以上しておらず「ボールが割れていないかなぁ」と心配していた。幸いボールは大丈夫も「ボールバッグがだいぶへたっている」とのこと。それは私もだ。やっていないと新調する気にもならない。さて、ゲーム数だが、以前は4ゲーム5ゲームが当たり前も、久しぶりということで3ゲームパックにした。

1、2回投げてみて腕がじーんと痛くなる感覚があった。いかんいかん、ボールはあまり握りしめないのが投げるコツで、マイボールはそうしなくてもスムーズに投げられ、だから疲れず何ゲームも投げることが出来るのに、基本的なこともうっかりしていた。

序盤はやはりというかスペアミスが目立った。練習不足はスペアに現れるんだ。↓のスコア参照。

難ガターさん、意外にも序盤はストライクがよく出て「あれ、練習しない方が調子いいのかなぁ」なんて笑っている。
しかし私は慌てなかったヨ。投げるラインが分かってくればいずれストライクは出る。ほうら、後半に入ると私の方にストライクが続きだした。10フレ、難ガターさんはミスをしなければ私に負けない状況だったのにイージーミスで逆転されてしまった。私は序盤3連続ミスしたのに192点で上々のスコアを出せた。

いやいや、長年のキャリアで半年ぶりって言ってもどんなもんだいと胸を張りたかったが、2ゲーム目、3ゲーム目は難ガターさんに負けてしまった。ボールのフック力は彼の方がある。

でも何年ぶりかのボウリング大会に向けていい準備が出来た。帰宅したら、筋肉痛と関節痛予防のために右手指、右肘、左膝、ふくらはぎなどに湿布を貼らねば。そう、メインテナンスも欠かせないのよ、ボウリングは。はあ、何度でも言うが、本当に久しぶり感が半端なかったナ。

2023年1月29日日曜日

美女3人のうち、誰が40代か

昼間、テレ朝系のTVを見ていたらジャニーズWESTという関西のジャニーズ事務所のメンバーがやっている番組(「リア突WEST」)で「人を見た目で考察するクイズ」というのをやっていた。例えば「13人の子持ち美女はどっち?」というクイズは54歳と45歳の二人の女性が出てきて大量の料理を作っている様子がビデオで紹介された。これを4チームに分けられたメンバーが当てっこするのだ。
で、45歳の方が13人もの子持ちだったと判明するが、メンバーのクイズ王こと中間淳太は正解しドヤ顔で「調理器具がめちゃくちゃ多かった。子どもがたくさんいるのにあんなに料理に手間をかける余裕はないはず」という素晴らしい着眼点で不正解の女性を見破った。なるほど!こいつ頭ええぞ。
実際、この54歳女性は家事代行会社で働く女性だった。

で、次は「20代に紛れる、40代美女は誰?」で3人の若そうな女性が出てきて一人だけ40代がいるがだーれだ?という問題。さっそうと歩く3人の様子や3人で女子トークする場面など出てきて一見誰もが20代に見える。でも、私は絶対にこの女性が40代と確信を持って見ていた。
↑の1枚目の写真でもおそらくこの人ではないかと思ったが、↓の歩く姿の写真を見て確信した。

果たして皆さんお分かりだろうか?番組では4チーム中1チームしか当てられなかった。ええ?そんなに難しかったかなぁ。結果が出て、私は「うむ当然」と肯いたわけだが、どこがそうなのかと具体的には指摘しづらい。正解者はなんていうか私には熟女の雰囲気を感じるのだ。↓の並び写真を見て誰だと思いますか?また、正解者の他、絶対に40代ではないと思える女性も指摘出来る。しかし番組では私には20代にしか見えない人を3チームが40代だと間違うのだった。
では正解は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







絶対1番の谷本ゆきさんが40代でしょ。20代の息子もいるらしい。2番の野田怜奈さんは肌のつやといい表情といい20代と確信出来た。それを3チームが40代に選ぶとは。ジャニーズWESTまだ若いのう。

ふふふ、このあたりは人生60年以上生きて来た年の功が活かされたかな。

2023年1月28日土曜日

ふと、コロナを忘れる

今日は午前は外来で午後は居残り日直だった。外来勤務のポンシンDrが1週間前にコロナに感染していて休みで、その分の仕事もあり午前は少しだけ忙しかった。

昼前に今週月曜に退院させたばかりの高齢男性が「誤嚥性肺炎かも」とのことで施設から受診すると連絡が入った。あれま、せっかく肺炎が直ったばかりなのにー。施設の人の言うことが本当ならまた再入院だろうと、本人の診察前にあれこれ検査指示を出しておいた。こういう手順も外来を効率よく進めるためには必要だ。何が何でもまずは問診、診察、そして検査、治療という手順にこだわると、時間内に終わらなかったり受診者全てを診られなくなる恐れがある。

その患者は胸部CTも先に実施したようだった。ところがーである。なんと、「コロナが陽性に出ました」と連絡が来たではないか。げっ!

本来なら肺炎を疑う患者さんならコロナか否かをチェックしてから院内に入れるのが、ここ最近の病院のルールになっている。ところが施設の人から「昨日も一昨日もコロナ抗原検査は陰性でした」との通知もあり、また肺炎を起こしやすい状況の人だったゆえにコロナチェックはせずに検査を急がせたのだ。しかし、「じゃー、先に入院のためのコロナチェックをしときましょう」と先走ったのがぎりぎり奏功した。接触した職員はそれほど多くなく患者さんを入れたのもレントゲン室とコロナチェックの部屋のみだった。すぐに隔離してコロナ担当のカワゼンDrに連絡しコロナ病棟に入ることが決まった。撮影したばかりの胸部CTには肺炎の所見は全くなく、呼吸状態が落ちていたのはやはりコロナによるものだったのだ。

いやいや、また肺炎かぁと濃厚接触の診察などしていたら面倒なことになっていた。第8波もそろそろ下火とは聞くけれど、まだまだコロナは油断出来ませんわ、ええ。

2023年1月27日金曜日

カジキマグロ病院へ行く

滅多にないことだが、今日の午後は隣町のカジキマグロ病院へ病院スタッフ合わせて6人で訪問することになった。「医療安全対策地域連携相互評価」というシステムがあって、今回は私たちがカジキマグロ病院の医療安全を評価する立場になった。この間は国立のサンキュー病院と互いに評価しあったりしたそうだ。参加者にどうしても医師が一人は必要で、シマッチ院長が不在のため副院長たる私に要請があったのだ。面倒くさいなとは思いつつも、日頃、患者さんを相互に紹介や依頼しあっているのに、一度も行ったことがない病院だったので興味はあった。それに第2内科出身のドクターも4、5人はいるので気安さもある。

場所は加治木インターの近くで、日本の滝百選に選ばれている龍門滝や特徴的な山容の蔵王岳が外来から眺められる病院だ。↓は龍門滝。今日は水量が少なかった。大雨の後だと「まるでカフェオレが大量に流れているみたいですよ」と看護師さんが教えてくれた。
↓は加治木のシンボル蔵王岳。あれは「火山岩頸(がんけい)」の一種なんだよね、と私が逆に看護師さんに教えたヨ。「へーえ」と看護師さんメモしてました。かつてのこてる日記「あれは片子山、火山岩頸っていうの」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2015/07/blog-post.htmlも参照。

病院の医療安全がどのようになされているかをチェックする役目で来たのだが、それはいいとして、外来で消化器内科の島豊Drと久しぶりに談笑したりしていると、耳鼻科の非常勤Drが挨拶に来て、誰かと思えば鹿大医学部ボウリング同好会のマッキー君だった。会うのは彼が学生時のボウリング同好会解散試合以来だからほぼ16年ぶりだ。彼は自らマイボールを購入して曲がるボールを投げていたもんだった。聞けば案の定というか今はボウリングはほとんどやっていないという。まあ、私もこの1、2年ほとんど投げていないから周囲にいっしょに投げる仲間がいないとボウリングってやらなくなるもんなんだよな。↓上、島豊Dr、下、マッキーDr。
カジキマグロ病院は療養型病院で救急患者や外来患者が多い病院ではないがアクシデントやインシデントへの取り組みは青雲会病院よりもしっかりしていると思った。これは鹿大の外科教授を定年退職後ここの院長になった夏越先生の指導が徹底しているからだという。うむ、見習わねばー。

他、検査室やリハビリ、内視鏡室など見学し仕事を終え、夕方に青雲会病院へ帰った。私がいなかったことで本来なら受け持たねばならない患者さんなどいたようだ。まあそれも仕方ない。たまには連携しているこのような病院への訪問も有益なことだった。

ところでカジキマグロ病院というのは当然本当の名称ではない。こてる日記にはこうした別称を当てているケースがあるが、その中でこれまで一番私に質問が多い病院が「七五調病院ってどこなの?」だ。あはは、これの由来は分かりようもないだろう。ヒントは霧島市で一番大きな病院といえば分かる人にはすぐに分かるはず。なぜそんな名付けをしたかというと、2000年の7月から9ヶ月間私はそこに週1で内視鏡検査を担当していた。大学病院を辞める時に「最後のご奉公で民間移設になったその病院の内視鏡担当Drが不足しているので翌年3月まで非常勤で行ってくれ」と松ピカ先生に頼まれたのだった。その際に内視鏡検査が週に7件、5件、7件、5件とたいてい7件か5件の検査数だったので「まるで七五調や」と勝手にそう名付けた。だから皆さんが由来を知りようもないのだった(笑)。

2023年1月26日木曜日

最弱県

下の写真は昨日の夕方16時ごろの九州道の通行止めの状況である。福岡あたりはほぼ高速は再開していたのに他の県ではまだ通行止めが残っていた。

熊本の人吉八代間なんて山間部そのものなのになぜか解除は早いことが分かる(ホントになぜだろう?)。そして↓がそれから1時間半後の17時半ごろの状況だ。熊本市付近の通行止めはすでに解除され、この時点で長崎、大分、鹿児島の3県のみが高速不能状態だった。
次の写真は昨夜19時半頃の状況↓で、長崎が解除され、残るは大分、鹿児島のみになった。
で、このままどうなるのかと、本日明け方5時半ごろに確認すると・・
大分は全面解除され、鹿児島も鹿児島市から空港までは解除されていることが分かった。私はこれで一安心した。これで姶良までの通勤は支障ない。しかしここまで見てきて雪に対しての対処は鹿児島が一番遅れていることが分かる。私が全面解除を確認したのは17時半頃だった。
朝、団地内の北側の坂はまだ一部凍結していて、そこで試しにブレーキを踏むとつるつる〜と滑るのを体感できた。こわー。
さらに北側裏道の坂も同様で、ちょうど融雪剤を役所の人かな、撒いているところだった。いやー、昨日は通勤しなくて正解だったと改めて思ったよ。

鹿児島は雪に弱い。ということは日本で一番雪に弱い県ってことだ。南にもっと弱そうな沖縄があるが、あそこは歴史上雪が降ったことがない。最弱県なのは仕方ないし自慢出来ることでもないねー。

2023年1月25日水曜日

雪の1日

朝起きて点滴室から外の風景を見ると、雪景色なのは当然だが、昨日からそれほど雪は積もっている感じではなかった。

医局に上がると常勤のドクターらは既に到着していつものように仕事を始めている様子で、あれ、意外に道路状況は悪くなかったのかなとも思った。しかし、早めに家を出て国道10号線が混まない時間帯に通ってくればの話で、非常勤の先生方はほとんどが大幅に遅れるか来られない人もいた。今日だけ勤務のクニンダDrは私と同じ団地に住んでいるが、10時半になってもまだ来ていなかったようで、やっぱり私が病院に泊まったのは正解だった。隼人、加治木方面から通勤の職員に尋ねても、渋滞が発生し「2時間近くかかりました」とか、「道路が滑って怖かったです」などかなりの影響があったようだ。

↓は病棟からの眺めで、時刻は午前8時41分、方角は西。駐車場や道路に車が極端に少ないのが分かる。緑の建物は私がよく利用しているコスモスの姶良重富店だ。

↓は病棟の廊下から方角は南。思川、姶良市内、そして桜島が眺められる。
↓は12時40分頃の駐車場の写真。すでに雪は大部分溶けていつもの風景に戻っていた。
外来患者もやはり少なくて仕事自体は忙しくもなかった。しかし夕方近く、高速道路通行止めが解除されるかどうかだったがどうも九州道の鹿児島管内は再開しそうになかった。高速沿いの県道で帰宅することにしたが、思いのほか車は少なくいつもより20分ほどの遅れで済んだ。やれやれだ。

後日、今日は休みを取っていた医局の山の神さんに聞くと、娘の私立高校受験に付き添うため大変な思いをしたという。前日のTVニュースでも今日が試験日の鹿児島実業は大雪対策で学校前の坂道に融雪剤を準備したりしているなどあったが、実際はそれどころじゃなかったそうだ。山の神さん宅は鹿児島市内の東側、鹿児島駅付近にあり、試験会場の鹿実に行くには西側の鹿児島中央駅の送迎バス停を目指す必要があった。しかし路面電車もバスもタクシーも動かない。「で、どうしたの」と聞くと、「歩いて中央駅まで行きました」と。ええー。「それって足元もおぼつかなかったでしょ。それに言っちゃいけない禁句『すべるぅー』も使えないしー」と言うと「もう、言いまくりましたヨォー」だって。で、学校の送迎バスに乗り込んだは良かったがいつもは20分もかからない到着時間が1時間半もかかったそうな。「え、試験時間に間に合ったの」「午前8時半から試験開始だったんですけど11時からに変更になったんです」「へー」「試験科目も5教科が国数英の3教科になってしまってー」山娘さんは前日に理科の勉強だけをしっかりやっていて、それも無駄になり「おわった・・」とつぶやいたとか。試験科目が当日に2つも減らされるとは前代未聞だ。山娘さん、今日はすべっても結果はすべらないでいて欲しいネ。

県内の他の地域では昨夜から坂道の凍結で動けなくなった車を放置して避難した人たちも大勢いたらしい。鹿児島市内の明和団地に帰れなくて「一晩、ファミレスで過ごしました」と朝になって徒歩で帰宅している会社員もニュースに出ていた。雪にはめっぽう弱い南国鹿児島の1日であった。

2023年1月24日火曜日

雪だ、どうする?

さて、天気予報では、今日の午後から10年に一度の大寒波がやって来て、南九州でも降雪があり、道路の凍結による交通機関の遅れや水道管破裂の恐れがあるから十分に気を付けましょう、とのアナウンスがかまびすしかった。昨今の天気予報は十分信頼に値する。これは明日朝の通勤が問題になると危惧した。もしかしたら病院から帰らず一晩泊まって明日の通勤を避けるのが賢明ではないかと念のためお泊まり用の下着を持っていった。

もし雪が明日朝まで残れば、高速道路は100%通行止めだ。となると鹿児島蒲生線の県道も通りにくく、海岸沿いの10号線が通勤路になる。うぎゃー、10号線は雪は積もらないが渋滞がほぼ必発だ。7年前の同じ1月25日大雪の時は病院到着が午後になったのを覚えている。それで今日の夕方の雪の降り具合情報を待ってから決めようと思った。すると、17時半頃、カールからLINEで自宅団地付近の様子が写真で送られてきた。

うわっ、これはいかん。今でこの状態なら明日朝まで凍結が続き、団地を出るのも恐る恐るだ。これで病院居残りを決断した。青雲会病院に勤務して20数年、雪や台風で帰らず居残るのは初めてのことだ。外科のキブンDrや外来のホントだ師長も泊まるという。コンビニに弁当を買いに行き、シャワーは手術室のを借りて浴び、内視鏡室に暖房を入れてネットやるなどして過ごし、隣の点滴室のベッドで寝ることにした。買い出しに行く前の車を見るとすでにフロントガラスには凍りついた雪がへばりつき、ヒーターで温めないと前が見えないくらいだった。寒い!
深夜、点滴室から病院前の駐車場を見ると一面雪が積もり、しーんとしていた。
南国らしからぬこの銀世界、子どもの頃は雪が積もるとワクワクしたものだが、今は明日朝の様々な面倒さを心配し、静かに過ごそうと思うだけだった。後で聞くと、カールは風の音や寒さなどで、一人で家にいるのがさみしく、私がいたら心強かったのにと思ったそうだ。ただ、昨日も書いたように「ゲンちゃんがいるだけでもほんと良かった」と、ネコの手も時には役に立つものだと実感したそうな。

さて、明日の雪景色、どうなるか。鹿児島では県人それぞれミニドラマが起こることだろう・・。

2023年1月23日月曜日

こてる家にはゲンちゃんがいる

昨日のTJARを見ている時にゲンちゃんもソファに乗っかって見ていた(はず)。

無論、ゲンちゃんに山岳レースのなんたるかが分かろうはずはないが、ご主人様(いや同僚と思っているか)といっしょにいて同じ気持ちになろうとしている感じがするんだ。

で、しばらくすると冬の暖かい日差しのあるところでお昼寝をする。

最近は小さなホットカーペットを買ってあげているので夜になるとその上にのせたネコ小屋で巣ごもりもする。↓うん?何。
カールは「ゲンちゃんがいるだけで何かしら心強いのよねぇ」と体をナデナデしている。

「今日はたいした日記ネタがないんだわー」と私が言うと、カールが「ならゲンちゃんを載せてよー」だって。そんなわけでただゲンちゃんを載せるだけの今日の日記でした。にゃん。

2023年1月22日日曜日

TJARにハマる

昨日のリアル麻雀は最後の半荘に入るまで4人とも大接戦で最後私はラスを引き、その分だけ負けた。サブアラドDrが最後2連勝して結果的には一人勝ちになり、久々の勝利だった。昨年秋まではずっと勝っていたのに11月頃から負け続けていたがようやく不調を脱したようだ。逆に私は正月に沖縄から帰ってきてからリアルでも天鳳でも負けが込んでいる。年賀状も朝礼スピーチも終わったし車検も終わったしで、何ら気に掛かるようなことはなく麻雀に集中出来るハズなんだけどなぁ・・分からん。

今日は外に出ることなくTVで「トランスジャパンアルプスレース(TJAR)」の前後編を見ていた。昨年8月に行われた日本一過酷な山岳レースのドキュメントを11月に録画していて、今になって見始めたのだ。というのも今年の朝7時45分からNHKBSプレミアム(BS3)で毎日15分に分けての放送があり、それに出てくる参加者たちのドキュメンタリーが面白く、ならば一気に見てしまおうとー。

TJARは富山湾から静岡の海岸まで北アルプス、中央アルプス、南アルプス415kmをを8日間以内に縦走するという下手すれば死ぬこともあり得るという過酷なレースだ。2年に1回偶数年に開かれるが、コロナの影響で1昨年は去年にずれて行われた。で、1年後の今年からまた偶数年に戻った。参加者は予選の基準をクリアした30名に絞られるが、その基準もかなり厳しい。フルマラソン3時間20分以内、もしくは100kmマラソンを10時間30分内に完走する走力、標高2000m以上の高地で10泊以上のキャンプ経験、などが定められ、本大会前には選考会も催され、テーピングや三角巾を用いた実技、ツェルト設営や筆記試験も行われる。これには過去の本大会の実績は考慮されず、現に前回3位の選手はテント設営4分以内がダメでここで落ちていた。

本大会でも途中途中の何ヶ所ものチェックポイントを指示時刻通りに通過しないとその時点で失格にもなり、TVで視聴している側もハラハラさせられる。特に後半の南アルプスでは参加者らが疲労とあせり、時に幻覚を見つつの限界に達しながらもゴールを目指す姿が何とも感動的だ。今回は2010年から4連覇した望月翔吾さんが復活参加し、そこに新たな強者の土井陵(どいたかし)選手が挑戦した。土井選手は昨年もものすごいスピードでトップを走っていたが、何と台風接近で2位以下の選手らの北アルプス越えが危険との大会主催者の判断でレース全体が中止になってしまった。その時の土井選手の「ええ!中止?」という驚きの表情が今年も放送されていた。しかし今回は去年を上回るスピードで後続を引き離し、大会新記録で優勝を果たした。対する絶対王者の望月選手は体調も戻らずモチベーションもはっきりしないという中で苦悩しつつのレースだった。4位でゴールは40歳半ばでは立派だが本人がその事実を受け入れつつゴール付近では歓声に応える態度になっていた。↓2枚とも優勝した土井陵。

しかしこのレースの見所は中下位者のそれぞれのレースへの思いが詰まったドラマ性にある。60歳過ぎての参加者は序盤の北アルプスで関門突破できず失格となった。胃けいれんで水、食事を受け付けることが出来ずにの果てだった。途中の怪我で断念するもの、南アルプスを越えるだけの状況で今回が最後という50歳代の参加者は台風が近づく風雨の中、他の二人はレース断念したのに一人向かって行った。しかし結局はリタイアせざるをえなかったのだが、その思いはTV側のこちらにもひしひしと伝わってきた。

今回は女性の参加者は一人もいなかった。確か過去には3人の完走者がいて2014年に女性3人目の完走した女性は2019年の冬の中央アルプスで滑落し残念ながら亡くなっている。このレースでは一人一人にGPSを着けさせ主催者は全選手の動きをチェックし時にはレース継続を中止させる権限もあり、そのおかげかこれまで一人の死者も出してはいない。今回は30名中20名が完走出来た。参加者の多くは40歳代でほぼ全員サラリーマンである。そうしたプロでもない人たちの山岳レースでの極限での様子をNHKスタッフはよく拾い上げてくれている。番組テロップでその撮影者の中に田中正人の名を見つけた。現在はプロアドベンチャーレーサーでこのTJARでも過去2回(2004、2008)優勝している人で、グレートトラバースで日本百名山踏破で有名な田中陽希も彼のチーム「Team EAST WIND」所属している。いや撮影者も山岳レースの一流どころでないとこれだけ感動ものの撮影は出来ないだろう。

まだ今週朝も放送はあるようだ。前後編にない場面もある。また見てみよう。

2023年1月21日土曜日

久しぶりにビール(本物)を飲んでみたら

昨日の日記で誤解されそうな記述の訂正がある。サントリーのオールフリーが「生産期日がわずかだが古いものが多く」と書いたが、これは私の勘違いだった。アサヒのドライゼロと実は生産月は2022年11月で全く同じだった。ところがオールフリーは消費期限が短くて期限が今年の7月まで、ドライゼロは10月までと長いのだけで新鮮さには差はないのだった。これなら一番好みのオールフリーで何も問題はない。買ってから半年以上も保存して飲むことはないからね。

さて、うちではカールがビールが好きで、と言っても1日1本せいぜい2本の缶ビールを飲む程度なんだが、ふるさと納税でスーパードライの他、各地のクラフトビールというのも取り寄せている。他には彼女は沖縄出身だからオリオンビールもね。このビールは私も沖縄にいる頃、たまに飲んでいた。比較的軽めの味わいで私にも飲みやすかった。今家にあるのはオリオンの冬季限定の「いちばん桜」というものでこのタイプはまだ私は飲んだことがなかった。いつか飲もうと思いつつもなかなかチャンスがなかったが、今夜リアル麻雀が終わって明日も日曜で朝も何も用事がないという状況、これはビールを飲むにふさわしいと思って、風呂上がりに一缶開けてグイッと飲んでみた。

うーん、やっぱりビールはニセビールとは違う。苦みと喉ごし、私にも美味しく飲めた。パソコンでYouTubeなど眺めつつ1本飲んでしばらくしてから床に就いた。ほろ酔い加減で眠りに入ってそのまま朝を迎えるはずだった・・。だがー。

未明の布団の中で私は苦しみ始めていた。気分が悪く顔は青ざめ嘔気もある。体を右に向け左に向けても苦しさは変わらない。カールは隣で熟睡している。とうとう我慢できなくなってトイレに駆け込んだ・・いや、ふらふらで足元おぼつかなく電気もつけられずよろよろでどうにかトイレに入れたのだった。吐き気を我慢しつつどうにか便が出てくれ〜と思っていた。これまで何回もこんな苦しい時、排便があれば気分が和らぐと経験則で知っているからだ。そこまで持たないと後は嘔吐するしかない。吐けば後が多少なりとも楽になる。

なんとか吐かずに排便できてほんの少し気分改善し、また布団に潜り込んだ。はぁ〜。どうにか朝までには持ちこたえられそう。でも、思った。やっぱりはビールは気軽に飲むもんじゃない。一口だけにするか、少なくとも空腹では飲んではいけないとー。結局私はまたノンアルビールを飲むしかないと強く思ったのだった。

2023年1月20日金曜日

ノンアルコールビール、この銘柄は危険!?

私は見た目と違ってお酒に弱い。たまにビールを飲んでも350ml缶1本がせいぜいで、それですら体調次第では気分不良を来すこともある。しかしビールの味と喉ごしのすっきり感は好きなので食事の時などは飲みたい。だから最近はノンアルコールのビールもどき飲料(うちではニセビールと呼んでいる)をよく飲む。今はビール会社も各種ニセビール銘柄を出していて、私はサントリーの「オールフリー」をよく買っている。ここでも姶良重富のコスモス店が安く6本で600円しない値段で買える。

だが、この店でのオールフリーはちょっと気になる点があって、他社のものと比較すると生産期日がわずかだが古いものが多く、この前は若干新しいサッポロの「うまみ搾り」というのを買ってみた。尿酸値を下げるとの謳い文句があるがこの辺を気にしたわけではない。尿酸値が本当に下がるかはノンアルコールビールぐらいではほとんど差が出ないはずで味がどうかが一番だ。味についてはまずまず合格点だった。

私は生産期日が一番新しいのはどれかが一番気になるたちで(ビール飲料は古いほどまずくなると私は思っている)、重富店で調べたらアサヒのドライゼロが一番新しかった。値段も差がない。で、買って冷蔵庫で冷やしておいた。少し気になったのはこのノンアルコール、缶のデザインがアサヒスーパードライとそっくりなことだ。アサヒの絶対銘柄であるスーパードライを絶対意識しているよね。
もしやカールが本物のスーパードライと間違って飲みやしないか・・そんな風に思っていたら、「あら私、昨日間違ってニセビールを飲んじゃった。あれ?なんか味が違うなーと思って確かめたらノンアルだったわー」だって。あーやっぱり。オレもまだ飲んでいないつーに。いや、間違えてしまったカールを責めるのは酷だ。逆に私がスーパードライに口をつけてしまう危険もあった。今日は2つを並べてみた。↓。こりゃー間違うでしょ。ま、私が間違わなくてよかった。運転前だったりしたら一大事よ。日本国中でこてる家のような些細なミスの悲喜劇が起きているに違いない。
もしこれが病院の医療機器や薬剤などだったら、味や値段や消費期限がどうあれ危機管理のために真っ先に違うデザインのものを導入するね。例えばノンアルはサッポロのうまみ搾り、ビールはスーパードライという風に分けて仕入れる。そうすれば間違って飲むことはまずない。キリンのグリーンズフリーもその前は買った。味も許容範囲で最近のビール会社がこの手の飲み物に力を入れているのが良く分かる。
ともかくも飲み間違うかもしれないドライゼロはこてる家ではしばらくは買わないだろう。新鮮でビールを飲んでいる気分に一番なれる銘柄だが致し方ない・・残念!

2023年1月19日木曜日

マイ・ベストスリー

昨日の日記ネタを書いていて、自分の趣味嗜好に触れている箇所があった。「囲碁、麻雀、ボウリングって」のところだ。これらは囲碁50年、麻雀40年、ボウリング30年以上と続いている私の三大趣味といってよく、こてる日記でもちょくちょくネタにしている。実は他にもたくさん趣味はあるけれど、いずれも長期間に渡って続けていて、それらに関する書物も100冊以上持っており相当のめり込んだと言える。

そこでふと気がついたのだが、自分の好きなものを上げる時にたいていベストスリーをセレクトしていることだ。以前、自分の「偏愛マップ」を書きだした時に、音楽、映画、ドラマ、読書などで代表的なもの3つをあげていた。ベストワンでもいいがその時の気分で変わることもありその点ベストスリーはなにかと座りがいい。それらを以下にあげてみる。
書物:
横溝正史:「八つ墓村」「犬神家の一族」「獄門島」
アガサ・クリスティー:「そして誰もいなくなった」「葬儀を終えて」「ナイルに死す」

音楽:
ビートルズ:「ヘイジュード」「抱きしめたい」「ノーウェアマン」
昭和歌謡:「星影のワルツ」「いつでも夢を」「王将」
文部省唱歌:「故郷」「冬景色」「我は海の子」

漫画:「あしたのジョー」「ガラスの仮面」「がきデカ」

映画:
ヒッチコック:「サイコ」「レベッカ」「北北西に進路を取れ」
黒澤明:「椿三十郎」「七人の侍」「用心棒」
007シリーズ:「私を愛したスパイ」「ロシアより愛をこめて」「ゴールドフィンガー」

おっとここまで書いて自分の嗜好にある共通点が・・。アガサ・クリスティー、ビートルズ、ヒッチコック、007の4つには共通するものがある。お分かりかな?答えは全てイギリス由来ということだ。同じ英語圏でもアメリカ由来の文化、エンタテインメントにはなぜかハマらない。これはなぜなのか、自分でも不思議だ。

以上はほぼすべて昭和時代の作品だが(唱歌だけは明治、大正)、平成になってハマったものに韓ドラがある。
韓国ドラマ:「復活」「ファンタスティック・カップル」「冬のソナタ」

アニメでは宮崎駿監督作品の「ルパン三世・カリオストロの城」がダントツで他作品はこれには全く敵わないのでベストスリーを選ぶことが出来なかった。このアニメ映画ほど繰り返し鑑賞した作品は他にはない。同じく映画全体で語ると「ゴッドファーザー」がダントツかもしれない(私にしてはめずらしくDVDを購入している)。この2作品は著名人のアンケートでもオールタイムベストワンに輝いているので私の好みというより名作中の名作といえよう。

そして、ここにあげた作品群、全てに共通することがある。それはとってもシンプルなことで繰り返し繰り返し鑑賞しても飽きが来ないというところだ。上の作品群はいずれも2回(ほとんどが3回以上)は鑑賞している。久しぶりにそれらを手に取って鑑賞し始めるともうその世界に入り込んでしまう。朝礼スピーチが終わって、また韓ドラでも見ようとNetflixやUーNEXTのドラマ一覧を眺めてみたがどれも帯に短し襷(たすき)に長しでUーNEXTに「ファンタスティック・カップル」があるのを見て、思わずクリックしそうになった。いかんいかん。でもドラマは長時間かかるので、あとでつまらないなーと思いながら見続けるよりは、ストーリーは分かっていても見れば絶対面白い作品の方が良かったりする。

これらは自分にとって大切なもので、私という人間を形作ったものといえるかもしれない。みなさんもこれらのうちで見たことも聴いたこともなければ一度チャレンジしてみては?お勧めですよ。

2023年1月18日水曜日

昭和世代

朝の外来中に総務課の新人職員2人が検診でやって来た。そのうちの1人の名前が「宮路〇〇」さんだった。そこで私が「ほう、ミヤジね。なら、お父さんの名前はオサムさんかな」と言うと、当然「違います」で「だろうね、でも宮路オサムを知らないかなぁ。『なみだの操』を歌った歌手のー」にも「知りません」だった。平成生まれの女子はまあ知らないだろうな。ところが昭和生まれのホットウォーターNsも「私も知りませんよー」と言うので、これはいけない、と私は歌いだした。

「♪あなたぁ〜のためにぃ〜 守り〜とおした 女の操〜」

歌いだしたら出だしだけで終わるはずがない。

「♪今さら人にぃ〜捧げられないわー」「あなたのー(あなたのー)けしてお邪魔はしないからぁ〜 おそばにー(おそばにー)置いて欲しいのよ〜」「お別れするより死にたいわ〜おんなーぁだから〜」

はあぁ、最後まで歌いきったぜぇー。

で、その様子をホットウォーターNsやブルゾンNsに撮られていた。ホットさんなんか動画まで撮っていたよ。私が握りしめているのはカルテのバーコードリーダー(笑)。


殿様キングスの「なみだの操」が200万枚を超える大ヒットを記録したのは昭和48年(1973年)だから今年でちょうど半世紀50年になる。200万枚と言えば誰もが知る・・と言ってもいいほどだが、平成、令和とくれば半分もの人が知らない。

まあ、私も人生の半分は昭和で育っているから、自分の好みを挙げていくとそのほとんどがその時代に流行ったものばかりだ。囲碁、麻雀、ボウリングって昭和40年代にそのピークがある。「女のみち」や「なみだの操」もそのまっただ中だ。好きな作家も横溝正史やアガサ・クリスティー、好きな音楽も昭和歌謡にビートルズで好きな映画監督もヒッチコックに黒澤明とまさに昭和世代だ。

TVなどでは最近「昭和」を題材にしたバラエティー番組がちょくちょくある。「今では考えられない昭和の常識」ってな切り口で扱われているんだ。昭和って今そのものだったのに歴史的な扱いになっている。あ、そうか。自分らが子どもの頃、当然のように「明治時代」って言っていたな。小学3年の時には昭和43年が「明治100年」だと言われていた。まてよ、今は昭和何年だ?げっ、昭和98年・・。あと2年で昭和100年じゃん。あー、その時はTVや雑誌、ネットで「昭和」が盛んに取り上げられるだろーて。ますまず自分が時代遅れの人間だと自覚させられる。でもね、今さら平成令和になびくことは出来ないわ〜生まれも育ちも昭和だから〜。ううむ、頭の中を「なみだの操」のメロディが駆け巡るわい。→https://www.youtube.com/watch?v=vzYxuNMB3H8

2023年1月17日火曜日

看板は分かっていた

吉田姶良間の高速道路が工事中のためいつもより早めに家を出なくてはならない。ましてや医局会が午前8時過ぎには始まるためさらに急ぐ。しかし、だからといって高速で飛ばすのは危険だ。

車検を終えて8年目に入ったプリウスで高速を走らせていると、思っているよりも早く渋滞が発生していた。おかしいと思ったのはいつもはほとんどの車が左側を走行しているのになぜかみんな右側に寄ろうとしていた。そのうち救急車が見えてきた。おや、もしかして事故か?はたしてそうで、工事渋滞ではなく事故渋滞だった。

近づくにつれ、パトカーと救急車の他に消防車もいて、見れば2台の事故車があり、奥の1台はひっくり返って、運転手はまだ車内にいて今まさにストレッチャーに乗せる直前だったようだ。

「この先急カーブ」の看板がなんとも教訓めいている。私よりも後で通行した山守先生は「きっと右から左に入ろうとしたミニワゴン車にスピード出していたミニバン(アイシス)がぶつかり左側ガードレールにぶつかった。ミニワゴン車は横転し、運転手は閉じ込められたんでしょう」と事故の経緯を解説してくれたが、写真を見直して確かにそうだろうと思えた。運転手の一人は道路にしゃがみ込んでいたそうな。

この事故の後、いつもの渋滞がまたあったけれど、無理に先を急いではいけないーって慎重に運転して行きましたわ。、ハイ。