2023年1月31日火曜日

これが鹿中央高の校風だっ

鹿児島MBCの毎日の帯番組「あの日のふるさと」の今日は「鹿児島中央高校寒中鍛錬(昭和52年)」とのタイトルだった。私は「昭和52年」の文字にオオッとなった。ちょうど高校2年が終わろうとする頃で、高1高2が参加する寒中鍛錬に私も参加していたはずだ。もしかして映っているのでは?!わずか1分50秒ほどの映像を食い入るように見たが、自分らしき人は映ってはいなかった。その代わり同級生は何人も指摘出来た。

準備運動に4秒もの間一人で映っていたのが前田君だ。
二人で組んで準備運動をしているのは小原君。
小原君はこの後ランニングする時も映っていた気がするが、お父さんが確かMBCの役員だったんじゃなかったな。ちょっとうがった見方だが、カメラマンもそのことを知っていたのか・・?

48のグループに分かれて訓練開始、とのテロップに映っていたのは知識君だ。
私が入ったグループは「甲東中出身」で体育館でバスケットをやっていた、と当時の日記に書いてあった。4日間毎朝そればかり。確かに汗は良くかいた。

寒中鍛錬は「強固な意志を養うことを目的に創立以来続く伝統行事」で真冬の約1週間早朝に行われ、毎週1回授業終了時に全校生徒が集まって体操や団体ランニングを行う「団体訓練」同様、いかにも鹿児島中央高らしい行事だ。寒中鍛錬が終了した翌日土曜日は男子10km、女子5kmのマラソン大会もあった。その年私は175位だったと日記にあった。中学の頃はバスケット部で鍛えられて持久走も学年10位以内には入ったものが、高校では帰宅部で「どんどん抜かされて」という体たらくだった。

最後は学校の周囲を隊列組んで3周走って終わりだ。この時のことをよく覚えていて、日頃の団体訓練では足並みがあまりそろわないのに寒中訓練では皆よくそろって走っていた。全員が疲れてくるとそうなるんだと知ったのだった。
その最後のランニングに映っていたのが加治佐省二君だ。↓左の男性。なぜ彼だけ氏名を書いたかというとすでに亡くなっているから。平成8年(1996年)の13期生の第2回同窓会直前に白血病で亡くなってみんなで黙祷したのだった。この時代まだ家庭用ビデオは全く普及していなかった。この頃の写真ではなく動画を見られるのは実に貴重だ。彼には息子と娘がいたそうだが今日のこの映像を見られたらなと思った。

カールにこれらの映像を見せたら少し意外な感想を語ってくれた。「14、5年前ぐらいのことだけど、チッチの同級生に沖縄から転校して来た男子がいて、そのお姉ちゃんが中央高校に転入したのね。そのお母さんから聞いた話、『娘は中央高に入ってびっくりした。とにかく当たり前のようになんでも強制されることが多くて嫌だ、自分に合わない』っていうのよ。まるで軍隊か自衛隊みたいで・・今のTV映像を見て、なるほどーと思ったわ」と。その娘さんの家庭は転勤族で幼少期は沖縄で育っていた。転校したところ、鹿児島の武骨&管理教育が性に合わなかった。で、大学は琉球大を希望し、また沖縄に帰って行ったという。

ほうほう。自分も高校に入って初めて中央高の校風を肌で感じ驚いたりしたが、こんなものかと思っていた。今、中央高のホームページで確認すると、団体訓練は残っているが寒中鍛錬のことは書かれておらず今はもうやっていないようだ。秋の桜島一周遠行約37kmは南薩路遠行約30kmになっていた。ただその娘さんは私より30年も後輩なわけだが中央高の雰囲気や校風はあまり変わっていなかったようだ。今からでも高校の受験先を考えている中学生はこの校風ってのを軽視せず自分に合ったところを選んで欲しいね。ちなみに私の息子たちは敢えて鹿中央は避け、私立の高校に行かせた。私の母校が悪いというわけではない。息子たちの相性と進路を考えてのことだったのだ。

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