2014年5月31日土曜日

九山優勝祝賀会

鹿大医学部バスケ部の九州山口医科学生体育大会(通称九山)の優勝祝賀会がクレストンホテルであり出席した。例の河野教授からの連絡のあった会だ。で、その受付に河野教授が座っていてこれには面食らった。まあそれくらいバスケ部にとって九山の優勝は悲願といってもよかった。部創設以来半世紀近く経っての初優勝で特にここ最近は準優勝が幾度もありながらはねのけられてきた。夏の西日本医科学生体育大会でも準優勝が最高で不思議なことに全日本医科学生大会(20年程前)では優勝の経験がある。これは全医体が西医体と東医体のベスト4が集まってのエキシビションマッチに近い大会ゆえ(まれに参加しない学校もある)名前の割りにはやや格が落ちるのだった。

挨拶では顧問の出雲教授が喜びを語り、創設者の一人であるビッグマウント先生が思い出と感謝を述べられ、納先生も「私の顧問時代は全医体では優勝したのに・・」とこれまで勝てなかった故の今回の喜びを語ってくれた。結局会が終わるまでに出席した先輩Drはみんな挨拶をし、私も昭和57年の九山準優勝の祝賀会で初代顧問井形教授から準の字を指さされ「これが(無くなれば)ねー」と言われたエピソードを語った。特に上野真一臨床腫瘍学教授(私の一つ上の学年だった)は現在の部員とも直接関わっていてマネージャーとして裏方に徹し優勝に大きく貢献した部員を称え素晴らしい挨拶だった。会には鹿大の出身ではない松ピカ先生(長崎大出身)も来ていた。松ピカ先生は内視鏡グループの私の直接の上司でもある。今のお姿からは想像しにくいが九山優勝経験者で「鹿大が初優勝とは」と驚いていた。私が現役当時は伝統的に強かった長大のような部にしたいと思っていた。それが今は10年ほど前からこうしたOB、現役交流の場がありカンパも組織的に集まるようになって「強い鹿大」と認識されるようになっている。感無量だ。当然西医体も優勝候補だしみんなも「次は是非」と夏に期待する声が上がっていた。

でもとりあえずは今回の優勝を祝おう。次ぎがまた半世紀後だってこともあり得るんだから。

2014年5月30日金曜日

アロハー!麻雀

1週間ぶりにアロハを着て出勤した。今回は白衣を着ずに直接ネームをつけて診察をした。しかも午前は救急係でそのアロハのまま患者対応をした。どう思われたかねえ。そして救急外来にいた私を可愛いんだ理事長が見かけて「おお、こてる先生もアロハかっ」と喜んで握手を求められた。そしてアロハDr二人のデジカメ写真を撮ることになり「こてる先生、手はこうやってアロハーってするんだ」とアロハの合図も教えてもらった。

カールが20年ほど前に沖縄で買ってくれたこのアロハシャツはやけに評判がいい。明るい水色でしかも私によく似合っているとみんなが言ってくれる。こんなに誉めてもらえるならさらにアロハを買って着てこようかとも思うが、カールによれば明るくてプリント柄もださくないのはなかなか見つからないと言う。ネットで探すのも材質がよく分からないのでまだ手を出せないとか。

夕方5時半近く、川内のしんどかどDrから電話があった。何事かと思いきや「今晩、麻雀できないか」だと。うわ、また突然。面子が一人足りないとかで、これがまたしんどかどDrはツイている、答えは即OK、私がぴったし今夜だけは何の用も入れてなかったのだ。本来は病院当直だったのがヒラメグDrが代わりにしてくれることになっていて、おまけにトリオリーグもないしでそそくさと病棟仕事を済まし6時に病院を出た。姶良からだと高速は使わず蒲生から一般道が早いはず。何と53分で3月にも利用した雀荘「利一」に着いた。今回のメンバーは初対面の安打ガーデンさんという薬局の人とあとは前回と同じ猟奇Dr、しんどかどDrである。

猟奇Drは最初からビールをぐびぐびしながら打っていた。明日手術とかで帰宅せず病院に泊まる予定だったようでそれなら運転を気にせず飲めるということか。しかしそのせいだったか前回より放銃が多くさらに後でベテランには珍しいチョンボまで飛び出し大負けをくらってしまった。そのチョンボは手の中に三暗刻が出来上がっているも当たれないドラの二萬でロンをかけてしまった。二二九九九23444999の形で完先ルールなので1、4待ちもロン上がりは出来ない。一手変わりで四暗刻にもなる手だった。ドラの二萬が欲しい欲しいと思っていたところにしんどかどDrがぼそっと切ったものだから思わず牌を倒してしまったそうだ。

私は前半三コロトップを2回取りトータルでも勝った。珍しく混老頭も上がれた。滅多に狙わないし年に1回上がれるかどうかの役だ。猟奇Drが危ないと思いつつも勝負で切ってくれた白でロン!ありがとうございやした。後半はしんどかどDrが調子良く2回トップだった。今回はドボンが少なく4半荘で終了。私も明日も仕事なのでいい頃合いに終わりわざわざ川内まで出かけた甲斐があった。何でもありとは違う完先ルールだが今のところ川内とは相性がいい。またのお誘い待ってまーす。

2014年5月29日木曜日

狙われたノバ社員

実は1週間前に胆石の手術をしたというのはサブアラドDrのことだった。退院後数日休みを取って昨日の28日に仕事復帰したそうだ。えらくきつかったらしい。過ごしやす病院の外来患者も多かったというのもあるがやはり病み上がりには応えたようだ。今日は昨日ほどきつくはないという。ネット麻雀も一半荘だけはしてトップを取ったとか。でもボウリングは体力が戻ってからにしたいと。いやいや無理しなくていいっす。こんど雀荘で快気祝いの麻雀をしてあげますからと言うと「ハネ満1発くらいは頼んだぞ」とのことだった。承知しやした、精一杯祝って上げますって。

最近マスコミ等で叩かれまくりのノサバルデス社のおおしたそうMRが来て「MacBookAirを買おうと思ったのですが結局安いLenovoにしました」とぼやいていた。何でもやられちゃったんだって高速道路の覆面パトに。溝辺から鹿児島方面に向かって営業車を走らせていると背後から白のクラウンが追走しているのに気付き、覆面のナンバーも控えている彼は煽られてたまるかいと制限速度を守っていたそうな。しかしパーキングエリアに覆面が入っていったのであきらめたなとほっとした。しかし念のため加治木方面に降りる坂でもすぐにはスピードは出さなかった。加治木インター近くになり大きくカーブするところに来てもう安心とようやくスピードアップを決めアクセルを踏んだ。早めに着きたい約束があったからだ。下りということもあって100km/hはおろか遥かにオーバーしたスピードでコーナーを攻めていった。すると・・いなくなっていたはずのあいつが現れたのだ。さっきの白クラウン!停車を求められ唖然とするおおしたそう君。「だいぶスピード出ていたな、、ほら」と提示されたのが33kmオーバーの113km/hスピード表示で、実はそんなもんじゃない速度オーバーの自覚のあった彼は113kmなら35km未満になり反則金もそれ以上より少なくて済むと受け入れた(受け入れさせられた?)。彼の実感だと免停どころかマイナス12点くらいはやられてもというくらいだったそーな。2万5千円が飛んで行ってがっくり。そんなことでMacをあきらめるとは情けないしもったいないなー。おっとそんなことより私も気をつけねば、覆面白クラウン。

2014年5月28日水曜日

人面腸

大腸内視鏡検査をしていると最近よく目に付くのが大腸憩室だ。高齢者になると1個のみ見つかる人から10個、20個はたまた50個以上見つかるまで4、5人に1人は見つかる。たまに憩室内が化膿する憩室炎や出血を来す場合があるが通常は特に治療することはなく経過観察でよい。

今日検査した人は70才半ばの男性で下血がありS状結腸と上行結腸に憩室多発していた。上行結腸にも血液付着目立ったのでここの憩室が出血原因とは推測出来たが、なにせ緊急の検査で浣腸のみで見たため糞便も多く出血源は分からずじまいだった。

そのままS状結腸まで抜いてきてふとそこの憩室2個を静止画に撮ると何だか人の顔に腸管が見えた。便が嵌まった憩室二つが両目に見え管腔が笑った口そっくりだ。粛々と検査をしている最中なので「わあ、人の顔みたい」と言うスタッフは誰もいない。私も黙して語らず、しかしどうしてもそう見えるのでちょいといたずらしてみた。少し空気を吸引し中心部にお鼻を作ってみたのだ。豚鼻っぽくなり先ほどの方が可愛かったかな。で、後でみんなに指摘してあげようと思いつつ検査を終えた。

でも終わるやいなや服緑Nsが「さっきの、人の顔みたいでしたね」と言い、ムッちゃんNsも「あはは、私もそう思っていた」と、何だみんなそう思っていたのか。思うことは同じなんだ。でも私がわざと鼻を作ったとは思っていなかったようで「相変わらずのこてる先生」だと少しあきれていた。そんなわけで本日話題の「人面腸」を写真で確認してみてちょ。
つづけてエア吸引で私が作ってみせた「鼻付き人面腸」です(⌒о⌒)

2014年5月27日火曜日

同好の士

人間ドックの問診欄に日頃している運動を記載するところがある。その人は30才代半ばの男性。ボウリングをすると書かれてあって職場が国分スターレーンの近くでもあるしきっとマイボウラーだろうと尋ねてみた。案の定で「ボールの銘柄は何ですか」と聞くと少し戸惑っていた。言ってみたところで分かるはずがないと思ったのだろうが「大丈夫です。たいていのボールは私、知ってますよ」と促され「DV8がメインです」と答えてくれた。「ああ、DV8ねー。カラーリングが派手ですよねー」と即反応した。DV8は私がメインで使っているブランズウィック系と同じグループのボールで近頃よく見かける。聞けば6個もマイボールを持っているとかで国分スターレーン主催のボウリング大会にも出ているそうだ。私が国分でもたまに投げると言うと「この前の試合にも出てませんでしたか」と逆に聞かれたりした。出てはいないが今度国分で会ったらいっしょに投げたいっすね。見た目、ベネズエラ出身の名ボウラーアムレト・モナチェリに似ているので教えてあげたら、ちんぷんかんぷんの表情で全く知らないようだった(当たり前か)。仕事上でも同好の士を見つけるとついつい話しも長くなっており、ムッちゃんNsが背後で早くしろポーズを取っていたのでそれでお終いにした。

夕方、今度はMRさんたちがどっさり医局前の廊下に並んでいた。その中に倍売る薬品の開けたいゾMRがいた。今度は麻雀ネタだ。前回来た時に最近の麻雀戦術の進歩について私が話し「福地誠さんの一連の本がよくまとまっていい」と教えたらその中の「麻雀の正解」という本を買って読んでみたという。で、結構衝撃を受け「途中まで読んで先へ進んでいません」という。どういうことかと聞くと「今までの自分の打ち方が否定され過ぎてどうしても抵抗がある」のだと。ああ、それは分かるナァ。「間チャンドラ1の手は即リーチ」とか昭和時代の麻雀戦術書には全く出てこなかった。慣れ親しんだ打ち筋を大幅に変えるのは難しいものだ。しかし私はそうしたのである。で、結果明らかに勝率が上がった。福地本のあるとおりに打てば仲間内の麻雀ぐらいなら勝ち組に回れる、これは麻雀本をかつて読み尽くした私の感触で、だからこそいつものメンバーにはあまり教えていない。負けが込んでここ1年以上も打たなくなった里馬君には1冊プレゼントしたがその後どうなったかな。開けたいゾMRには教えたが昭和麻雀にこだわりを捨てきれないならそれもでいい。しばらくは私に分があるだろう。ふふ。

2014年5月26日月曜日

大腸癌が多すぎる

深夜はさほど忙しくなかったにも関わらずやっぱり当直明けは疲れる。月曜がまた以前のように検査担当になったので朝から内視鏡だ。このところ大腸癌がそれも進行癌がよく見つかる。4月から毎週1名ずつって感じだ。共通するのは検診や内視鏡をそれまで受けたことがない人たちだということ。大腸癌って重病であるのは間違いないが症状は風邪の方がずっときついのだ。風邪では受診するのに大腸癌で受診する人はほとんどいない。ほぼ100%助かる早期大腸癌で一番多い訴えは圧倒的に無症状だからである。検診の便潜血陽性指摘でしぶしぶ大腸内視鏡を受けてポリープ様癌や小さな大腸癌が見つかるラッキーな人の多いこと。多少進行していても手術で助かるケースもよくある。しかしこのところ見つかる人たちは症状があっても「痛くなかったから」「病院が恐い、嫌だ」などの言い訳でかなり進行し腸閉塞寸前だったり転移や腹腔内に浸潤もしてしまっている。自分は(癌には)ならない、どうもないからと言わず、せめて検診(検便)でも受けてくれればと思う。

2014年5月25日日曜日

のこぎり野郎の残したもの

朝から日曜当直。先週は夕方から、来週も朝からと日曜当直が続く。そろそろ外は暑さが出始めて夕方ははや熱中症気味の患者も来た。またムカデもうごめき始め、ある中年女性は太ももに入り込まれ発赤と痛痒みを訴え受診した。思わず私は「すけべなムカデですねぇ」とつぶやいた。もう夏である。

夜、とんでもないニュースが飛び込んできた。AKBの握手会にノコギリ男が現れメンバーの川栄李奈と入山杏奈が切りつけられたとか。命に別状がないとのことでそれは不幸中の幸いだ。昔から人気のある芸能人にはこうした理不尽な襲撃事件が起きている。美空ひばりの塩酸しかり、吉永小百合のピストルしかり、松田聖子の殴打しかり。そのほとんどが犯人の精神面に問題があることが分かっており理屈で理解出来る相手ではない。したがって握手会など直接ふれ合う場では性善説ではなく性悪説でファンに対応せねばなるまい。AKBがのし上がって来た大きな要因の一つ握手会は止めることは出来ないのだから。今後は運営もしっかりやってくれるだろう、ともかくも命に関わるほどのことでなくて本当に良かった。

2014年5月24日土曜日

ズキちゃん水泳

与次郎ヶ浜のフレスポにあるユニクロでカールと買い物していると二内科後輩のズキちゃんDrとばったり出会った。何年も会わなかったのに先月の教授就任祝賀会で会って以来続けざまだ。下着売り場で私は最近お気に入りのエアリズムボクサーブリーフの赤色を手に取っていた。「このタイプが好きでねえ」と言うと、ズキちゃんは「私はトランクスタイプでないとどうも・・」とこだわりがあるようで、逆に私はトランクスは一度履いたことはあるも違和感ありまくりでずっとブリーフ一筋だ。このあたりどちらがいいとかではなく好みの違いとしか言いようがない。

ズキちゃんは昔私の影響でマイボールを作って少しだけボウリングをしたことがあったがウインドサーフィンやったりしたのち、最近はジョギングと水泳、特に水泳は「ASKAじゃないけど中毒みたいになっています」とやばい例えでハマっていることを教えてくれた。鴨池の市営プール(1回300円でお得!)で毎日のように2kmをクロール、平泳ぎ、背泳、バタフライと500mずつバランスよく泳いでいるんだそうだ。医学部の水泳部員もいていっしょに泳ぐこともあるとか。若い連中に引けを取らないのもすごい。思えば私もボウリングの前は1年水泳をスポーツクラブでやっていた。歯学部出身の友人が水泳で痩せたと言うのを聞いてのことだった。しかし痩せなかった。よく食べていたしー。そのうちボウリングが面白くなって1ヶ月に1回くらいしか行かず即退会した。それ以来ほとんど泳いでいない。ズキちゃんは「なかなか飽きないですよ」とのことで健康のためににも楽しみの上でも文句の付けようがない。コストパフォーマンスも月会費8千円ほど払って水泳しかしてなかった私よりずっといい。コスパでいえばボウリングよりも優れている。みんなにもお勧めだ。ま、私はボウリングの方が楽しいからしないけれど。

2014年5月23日金曜日

佐々木希の才能

AKBの選挙の速報が昨日あった。まあAKB選挙なんてヲタ以外はどうでもいいことで一般人には暇つぶしの話題になるくらいだろう。今年は大島優子も卒業で不参加だし、2、3年程前は前田敦子、篠田麻里子、板野友美など初期メンバーもいて上位争いが注目を浴びたが今年はややその熱気が薄れている気がする。どちらかと言えば異端の指原莉乃が1位で王道タイプの渡辺麻友が2位、それが今年も速報ではその通りの結果でしかも指原37582票、渡辺25283票と結構な差が付き、ややしらけ気味かな。私の推しメンの松井珠理奈は3位で23012票だ。どうやらこの結果を見る限り指原2連覇濃厚だ。彼女は一人でたくさん投票するヲタが多いというよりはライト層が数多く投票しているとみる。3月で終わった笑っていいともにレギュラー出演し他にもTVに出まくって一般ピープルになじみが深い。AKBが人気といっても一般人の多くは数名くらいしか顔と名前が一致しないものでTVに多く出ているメンバーほど親しみが湧き自然と投票指名したくなるというものだ。(ただし彼女にはアンチもまた多い。アンチは指原をゲロカスと呼び捨てる。さらに彼女のファンをゲロヲタとさげすむほどだ。これはトップに立つ者の宿命か。)私は当然松井珠理奈に投票だ。AKBファンといってもCDは毎年この時期珠理奈推しとしての証しのために1枚買うだけでまだ購入していない。3位発進とはいい位置だ。今年1位は無理でも来年はこそはセンターに立って欲しい。

夜は串木野トリオリーグ。これがとんでもない結果になり愕然と通り越して呆気にとられた。スコアを記すれば分かるだろう。119、114、114。何だ、これ?冗談で投げたのではなくて正式のリーグ戦での成績だ。オイルが両端にまで塗られていて少し外に出してしまうとガターしたりしっかり狙うと食い込み過ぎてスプリットに見舞われる。スペアも取れず特に左のレーンでは3ゲームでたった1回達成したのみ(ストライクも1回のみ)、これでは初心者並のスコアになるわけだ。T-MAXでは良くてもこれでは全然だめでどこかを見直さないといけない。しかしここ20年でこんなに悪いボウリングしたことはないというくらいのひどさだった。がっくり。

帰宅して1ヶ月程前のバラエティ番組のビデオを遠くに流し見していたら若手女性タレントのアップが出て彼女があまりに美人で目が釘付けになった。アップに耐えうるお顔とはこれだろう。彼女の名は佐々木希(ささきのぞみ)。知ってはいたがグラビアアイドル的な人気はあるものの歌手、役者としてはパッとしない、そんな風な認識だった。だが彼女が芸能界で生きていけるのはこの圧倒的なビジュアルがあるからと合点した。

お笑い芸人の名前を何人言えるかというコーナーで、続いて出てきたのが若手女優の桐谷美玲。彼女は佐々木希よりも女優としてずっと評価され活躍もしている。しかし続いて見てしまうと明らかに見た目では落ちる。TVで見ていたいと思うのは佐々木希の方だ。見た目の美しさというのも才能なんだと思った。ただ結局生き残るはどちらと言えば桐谷美玲だろう。10年、20年経てば見た目は落ちるに決まっているから。残酷。

2014年5月22日木曜日

「もう、した」

1年ぶりにアロハシャツで出勤した。事務職員全員と可愛いんだ理事長、ラブカメ&鶴店大和Drなど重鎮はアロハのままで仕事をしているので私も着てみたわけだ。私の場合は白衣の下に着たがそれでも結構目立つようであれこれ職員に「いいですね」とか「派手ですね」といわれ注目されていた。まずまず好評なので何度か着ていこう。

午後は早帰りで帰宅すると庭の枇杷が一部食べ頃になっていてキッチンバサミで数本収穫し食べてみた。若干酸っぱさが残りもうちょっと寝かせれば甘みが増すのではないか。しかし十分食用になる、ここしばらくのおやつは枇杷の実だな。

夜、某Drから電話があった。実は今入院しているんだというのでびっくりした。でも先週末に胆石発作が起き一旦収まったのを聞いていたのでやっぱりという気持ちもあり「それでいつ手術するの?」と尋ねたら「もう、した」だと。今度こそ驚きだ。4日前の夜また腹痛が出て今度はなかなか収まらず夜明けに好青年病院に入院し諸検査を受け腹腔鏡手術が可能でならば早いほうがいいだろうと夕方手術を受けたんだそうだ。すぐに食事も開始できたがまだ採血データが正常化しておらず改善傾向ならば明後日退院だとか、いや、素早い。20年以上前の開腹胆摘手術だとまだ2週間近くは入院していた記憶がある。医療も進歩する。昔、三内科いい方教授に聞いた「30年も経てばあなた方の教科書の内容はがらりと変わるものだよ」の言葉がずしりとひびく。

それにしても我々世代のこの手の話題はこのところしょっちゅう耳にする。50才代、急な病気にご注意や。

2014年5月21日水曜日

何をこそこそ、あなたたち

青雲会病院の某女性職員が私にこそっと話しかけてきた。「昨日、食事に行きました♡」ほほう、そりゃ良かったネーと私。ところがその様子をたまたま見かけたチーフスタッフが「あらま、あなたたち何をこそこそやってるの」と怪しむ発言。あいちゃまずいな。「いいえ、何でもないんです、ホントに」とかわしたがありのままを話すわけにもいかずお茶を濁してその場を去った。

実は某女性職員には気になる男性がいてひょんなことで私が連絡役をすることになりその結果デートすることが出来たということだった。最近は女性も積極的になってきているし若いっていいネ!

夜はT-MAXでボウリング練習だった。サトリョー君も初めてのT-MAXでしかも5ゲームだったせいで後半はボールを降ろすタイミングが分からなくなり何度もアプローチを行ったり来たりしていた。まだボールを握って降ろしている。だから疲れるし筋力が持たない。正しくは親指は軽く添えるのがいい。そのためにもホールへのテープ処置で適正なサイズにする必要がある。筋肉痛で明日は彼はボールペン握るのも少し手が震えるかも。

レンコンは相変わらずサイドに出せば大きく戻って来るイージーパターンで3回は200アップした。絶好調?いやいや2日後にとんでもないことになるとはこの時思いも寄らなかった・・。

2014年5月20日火曜日

河野先輩からの電話

午前、内視鏡室での仕事中、事務から「鹿大の小児科のカワノ先生から電話が入っています」と連絡を受け、はて、小児で大学に紹介した患者がいたかなぁと思いつつ電話に出た。「ああ、こてる先生、カワノですー」と特にかしこまっていない口調だったので、あれ?同期にカワノってDrがいたかな、はたまたどこかの病院でいっしょだったDrかなと瞬間いろんな思いが駆け巡った。しかし電話の主がまさか小児科の河野嘉文教授とは!すぐに用件は察知した。医学部バスケ部が4月にあった九州山口医科学生体育大会で優勝しその祝勝会が5月31日にありすでにメールで連絡は来ていたのだ。行くつもりだったけれど何かと土曜は用事が入ることもあり躊躇していたのだった。「祝勝会は是非来てくれるかなー」に「はい、もちろんです。その日は開けていましたっ」と即答した。いやはや教授自ら連絡してくるとは思わなかった。河野先輩といっしょに練習したことのある学年は私の代が一番最後で、教授になられたのは私が大学を辞めた後だから偉くなった今より学生時代の印象が強い。プレーヤーとしてよりも主務としてまとめ役だった。電話をかけてくる様子はまさにあの頃を彷彿とさせるものがある。バスケ部創設45、6年経っての初優勝だ。そこは祝わずにいられるかっ!ですよね、河野先輩。

2014年5月19日月曜日

だって眉毛が

日曜夕方からの当直で当直室のベッドに寝たのはすでに未明だった。寝ながらTVを付けたらヤンキース対パイレーツで黒田博樹が投げていた。マーくんと違ってやや不安定な立ち上がりだったが幸い味方が4点取ってくれどうにかしのぐ展開だった。で、見ていてあれ?と思ったのが打者によっては極端な内野守備をどちらのチームもよく採用していることだった。昔で言えば王シフト、左打者に対しあんたの打球は右方向にしか来ないんでしょとばかりにサードがセカンド付近に来て守っている。これが王貞治のように特定の選手だけではないというのに少し驚いたのだ。

どうも昨年あたりから大リーグではこの「シフト守備」が流行しているらしい。野球のデータを専門扱う会社もあってきちんとデータが出ていてこの守備をした方が相手打球がグラウンドに飛んだときにヒットになる確率(インプレー打率というらしい)が下がるという。ちょうど私の疑問に答えるように本日の「Number」の記事に出ていた。さすがは本場で今後日本でもこの手の守備が頻繁に見られるようになることだろう。http://number.bunshun.jp/articles/-/820836

パソコン遠隔操作事件の犯人が一旦保釈されていた例の男だったと判明した。帰宅していてカールやチッチがいてそのニュースを聞き、私は思わず「だと思っていたよ」と言い、何を根拠にと言いたげで口をあんぐりさせるチッチに対し「だって眉毛がー」と言い放った。片山被告って言うんだっけ、初めて彼を見たときその特徴的な眉毛にいかにもと思った。決して見た目で決めつけてはいけないけれど、パソコンやネットを前に異常な執念であのような事件をやってのける人は風貌に気を遣わなくなることが多いと思われ、逆にサラリーマンであの眉毛だったら剃るか整えるかはしたと思う。彼が保釈され冤罪だったのではという雰囲気が醸し出され私の直感も当てにならないなと思っていたがやっぱりそうか!だった。

犯罪者だし罪のない人の人生を狂わせたことの罰は当然受けるべきだがこれくらい強烈な風貌だと意外と出所後芸能界にお呼びがかかるかも。その時は眉毛がらみの芸名にすべきやね。今現在、この日から2週間しか経っていないが「片山被告」という名前すら忘れかかっていた。でもあの眉毛だけは忘れられん。それぐらいのインパクトだった。

2014年5月18日日曜日

まずは相談

(現在日曜当直中)

これはある救急要請の一例だ。個人情報のこともあるので日時、具体名はぼかす。深夜3時前くらいに要請があった。幼児が夜間目覚めて足が痛いと泣き出し、おろおろした親が救急車を呼んだ。幼児は夜の7時頃家の玄関でドアに足を挟み痛がったがその後は落ち着いていたので様子をみて寝かせていたのだった。これには受ける病院側も少し困った。外傷があって出血しているわけではないし仮に来てもらい骨折が疑われたとしても深夜レントゲン技師を呼んで撮影するほどの緊急性はないはずだ。(自分の足の骨折を見逃すくらいの医者が正しく診断出来るのかという問題もある)湿布か何かで痛みを抑える処置をするくらいだろう。結局は搬送するには至らなかったが、どうやら何か重大なことでも起きているのではないかという親の不安が救急要請に走らせたようだ。周囲に年配の経験を積んだ人や気楽に相談出来る人がいれば別に呼ぶこともなかっただろう。核家族がほとんどとなった今の時代故のケースだ。この場合いきなり救急車でなく病院に電話してくれても良かった。いきなり救急の前にまずは相談してみて。

2014年5月17日土曜日

君はマック赤坂を見たか

今日は「こてる日記の日」だ。開始から丸14年経過した。拍手、ぱちぱちぱちぱち。

午前は外来業務があり、チッチのサッカーの試合が今日で最後になるとのことで代わりのDrを探したがあいにく誰もいなくて観戦はカールに任せた。勝てば午後から見に行けたが電話連絡で0-4で1回戦敗退だったと聞きがっくり。去年は1回戦を勝ちチーもシュートを1点決めて良かったんだがねー。

外来の患者で「xx健」という名前の人がいてそこから連想して付いていた平健Nsだったかな、彼に「東郷健って知っている?」と聞いたら案の定「知りません」だった。「その人はゲイでね、何度か選挙に出ては政見放送でゲイを始めとする社会的弱者への政治の取り組みをアピールしていたんだよ」と教えた。で、ちょっとした合間にYouTubeに出ている政見放送の様子を見せたりした。当時ブラウン管の向こうで「私はゲイでありますが・・云々」と語るなんて(今でも)まずないことでびっくり仰天したことを思い出す。

この政見放送ってこのような泡沫候補と言われようが何かを訴えたいある種の人々にとっては貴重なアイテムらしく供託金の300万円くらいを没収されても出続けるケースもある。東郷健を調べているとその手の代表格のような人「マック赤坂」という変人(?)のYouTubeに必ず出くわす。今回彼の政見放送をみて笑った笑った。スマイルが大事と訴えたいのか放送でのパフォーマンスはまさに抱腹絶倒で一例が今年の東京都知事選のNHK放送だ。

https://www.youtube.com/watch?v=rSdRsdGZZKA

出だし始まったはずなのに本人が見当たらずあれどうしたと思うが数秒間我慢していると現れ、そのお姿を見てこれが政見放送と思う人はまずおらず、何かの間違いか凝視しているうちに大笑いすること必定である。是非見て欲しい。最後のナレーションの「東京都知事候補者スマイル党マック赤坂さんの放送でした」と無味乾燥な紹介ナレーションとの落差もおかしい。そこまで計算してのパフォーマンスかも。これだけインパクト与えられるのなら何百万円も惜しくはないんでしょうねえ。いや、参りやした。

2014年5月16日金曜日

S娘の場合

外来のタッピーNsが「先生、Sって娘を知っているでしょ」と話しかけてきた。「ああ、確か何度か救急車で運ばれてメンタル面で問題のある・・」「そうそう、あの娘が20才近く離れた男と結婚したのは知っているわよね。妊娠もして赤ちゃん生んだのはいいけど結局育てられなくて施設に預けたんだって」と目を見開き「全くよねぇ」とため息をついた。実はそのS娘も親に預けられ施設で育った子なのだ。これはまさに負の連鎖ではないか。生まれた子が同じようなパーソナリティ障害にならないことを願う。これを思えば諸事情で子を育てられない場合、養護施設ではなく積極的に里親に預けられるようなシステムがもっと広まってもいいのではないか。諸外国に比べ日本はそのあたりが遅れているそうだ。子どもは成長過程で親と密に接触することで精神や性格の安定が得られる。S娘も本来はメンタルで苦しまなかったのではと思うと、自分は十分に親子関係を築けすくすくと育ててもらったことに今更ながら感謝するのである。

2014年5月15日木曜日

「どう思います?こんな電話」

昨日のこと。昭和歌謡気分が医局にいても残っており、昨日4月から医局に来た医療クラークの福百合さんに私のフェイバリットソングの「千昌夫の星影のワルツを知っているか」と尋ねたら案の定知らないとのことで「お父さんお母さんに聞いてみて、絶対知っているよ」と言っておいたところ、彼女が尋ねたらしく「先生、お母さんが知っていました」と来てこう言い放った。「お母さんも好きな曲だって言っていましたよ『星くずのワルツ』・・」

は?・・違うって!!

それとは全然違う話題。たまに外来に病気相談らしき電話がかかってくることがある。ずっしり副師長が国分の30才代くらいの女性から受け取った電話の内容と紹介しよう。彼女は私に「先生、どう思います?こんな電話」と言ってきた。

「すみません、私、身長150cmでぇー100kgあるんですねぇ。入院してダイエットできないのかなぁと思いましてぇー」これだけでも十分変わった電話だが「はぁ」と返答に困った看護師にさらにこう来たそうだ。「でもぉ、私お金ないんですぅー、どうしたらいいでしょう」ぐぬ、100kg太るほど食う金はあるようだがなー。これにずっしりNsは私みたく皮肉ることなく「まずはいらして先生に相談して、お金のことは事務とも相談して」と丁寧に対応したそうだ。何も言えねえ、私は何も言えねえーぞ。

2014年5月14日水曜日

夜霧よ今朝はありがとう

ヒラメグDrが短期集中で勤務してくれているおかげで私は午前の内視鏡をせずに済み朝から病棟周りをゆっくりと出来た。日頃はさくさくと済ます6Fの回復期病棟も一人一人じっくりと会話し、中でも高齢男性のもちひろさんとはお互い昭和歌謡好きで個室ということもあってMacBookProを持ち込みiTunesを開き、もちひろさんの好きな石原裕次郎をかけいっしょに歌ったりしていた。いくつか代表曲をかけたあと私は自分が好きな「夜霧よ今夜もありがとう」をかけて朗々と患者さんそっちのけで歌いだした。いやー、昭和の名曲だよこれは。歌詞は世間にはまだ互いのことを隠しながら密かに逢う男女をせつなく描き、裕次郎のソフトな声で包み込むように歌い上げる。さらにバックのサックスが裕次郎以上に歌うんだ。間奏で情感たっぷりに、まるで歌手のごとくで奏者の松本英彦の面目躍如たるものがある。

その絶好調の最中に職場研修に来ていた女子中学生二人が入って来たのが分かった。驚きつつも近くに来た一人の肩をを抱き寄せ「♪今夜も~ありが~と~お~」パチリと写真も撮った。二人ともびっくりしたみたいだけど笑ってもいた。ハハ、病院ってこんなこともするのよと思ってもらって良かったかどうか。

その後別の患者のところに行くとまた別の二人がいて彼女らも写真を撮ってあげた。で、そのうち一人はどこかで見たことがあると思ってネームを見ると内視鏡室助手の村香さんの娘だった。実はさっき知らずに肩を抱いた生徒も外来Nsの西友さんの娘だったとこれは後で知った。職員の娘が見学に来るのはまあありうるわ。いやはや、お恥ずかしいところを・・。

「あのね、歌を歌っている変なセンセイがいた」と西友娘は母親に語ったらしい。そしたら「うーん、それはきっとこてる先生だよ」と答えたそうだから見透かされているねー。いやー、でも滅多にない楽しい午前のお仕事でした。

2014年5月13日火曜日

ヨザク?!

昨日5月12日は忙しかったのだが昼休みの一時だけTVを見るヒマがあった。ちょうどサッカー日本代表の発表があるときでナマテツDrとじっとザッケローニ監督の口元を見つめていた。本田を「オンダ」と発音するのはHがサイレントになるロマンス語系の言語の特徴でご愛嬌だなと聞いていた。私が気にするのは大久保嘉人がサプライズ選出されるのかとかではなくて大迫勇也が前評判どおりちゃんと選出されるかどうかの一点だった。その大久保も「オクボ」と発表され報道陣から「うぉー」と驚きの声も上がった。FWが出てきて予想通りの人選ということでいよいよ大迫がと思ったら「・・ヨザク」とか何とか言ってこれでおしまいってなった。あれ?ナマテツDrともども「大迫、言われませんでしたよね」と?印が頭の中で舞った。もしや落選か、あんなに選ばれると言われていたのにと呆然となりかけた。少しざわつく会場でザックが少し慌てたように「オザコッ!」と言ったのでああこれは大迫のことだなと思った。日本人スタッフが改めて「大迫です」と念を押してくれようやくほっとした。ふーーぅ。親でもない私がこう思うのだから大迫の両親や関係者は一瞬血の気が引いたのではないか。高校選手権以来5年あまり大迫を応援してきてW杯参加はようやく一区切りというところだ。ともかく良かった。後は是非とも1点でも取って存在をアピールして欲しい。

2014年5月12日月曜日

左基節骨骨折

4月下旬に自宅居間の角で左足をぶつけて以来レントゲンでも骨折もないのになかなか痛みが引かないのは変だと思い、整形外科のケンケンDrに画像を見てもらったところ、「あ、折れてますよ」とサクッと言われた。「ほら、ここですね、左基節骨骨折です」と左小指の付け根の小さなヒビを指さされ、見れば素人でもそれと分かる骨折だった。ぎゃっ!全く素人以下だわい。

テーピングして固定することでくっつきやすくなるらしくシホねえNsや今日からまた2週間勤務となったヒラメグDrにテープを巻いてもらった。違和感が残るが仕方あるまい。じっとしていれば痛くはないので生活には支障はないがボウリングはしばらく休まないといけないか。いやー、骨折なんて生まれて初めて、やっぱり年を取ったのかなぁ。

2014年5月11日日曜日

天草南下

ホテルの部屋はネットが使えず朝の出発時にロビーでネットがようやく出来、天草についていろいろ調べてみた。ウィキペディア(Wikipedia)を読むといっぱしの天草通になれる。例えば、かつて天草諸島と肥後国天草郡は一致していたが、薩摩の島津忠兼が天草に侵攻し、肥後の相良氏に追われていた長島の長島氏を庇護下においたことにより1581年、長島・獅子島などが薩摩国出水郡に編入され、このときの国境が現在の県境ともなっていること、1966年(昭和49年)完成した天草五橋は当初は償還期間39年を見込んだ有料道路であったが、開通により天草への観光客が急増し、モータリゼーションの進展なども含めた交通量の増大によりわずか9年で償還を完了して無料化されたこと、天草下島に苓北(れいほく)町という町があるが、この「苓」の意味はだじゃれからきていて、天草と同じ読みから漢方薬にも使われる「甘草(カンゾウ)」、そして甘草の漢名「苓」から採って天草を「苓州」とも呼びその北に位置する町で苓北と称したことなどいずれも面白いって思った。

2号橋、3号橋、4号橋はほぼ連続していて4号橋を過ぎたところで左折し天草パールマリア館の駐車場に行き天草四郎の銅像と橋をバックに写真を撮り、さらに有名な5号橋を過ぎここも背景に写真、天草天空の船のある丘からまた写真を撮りまくった。このあたりは風景がいいね。

このあと200円で通れる松島有料道路を走って天草上島を南下し下島へ渡る橋を通ると天草工業高があって運動会の真っ最中だった。最近は春運動会も多くなってきている。そのまま真っ直ぐ行けば下島南端の牛深まで行けるが今回は観光目的だし右にハンドルを切り西海岸に向かった。今は天草市の旧本渡市は意外に町だった。ここが島とは思われないくらい。カール曰く「枕崎よりはずっと町じゃない?」と。ずーっと走らせると島原が見えて来た。地図によればこのあたりからフェリーが出て30分ほどで渡れるそうだ。そうか、40年前の修学旅行ではここからフェリーに乗って島原雲仙観光に向かったんだ。フェリーの中で今は関東の某市長となったFS君といっしょにいるところをACさんが写真を撮ってくれ(白黒写真だった)たのを思い出す。そのころから私の風貌はおっさんくさくなっていて隣のFS君とはえらい差だと実感した。年上風に見られなくなったのは30才を過ぎてからで最近では若く見られるほどだ。

このころプリウスの燃費計を見ると22.6km/lでここ数年では一番燃費が伸びていた。車検での調整が効いている。場所は例の苓北町に来ていて観光案内所に車を止めトイレ、お土産店に入った。店には大きなパネル写真があってなんと「苓北町のパワースポット、おっぱい岩」と称する海岸岩が飾られていた。へー。どこにあるかとマップで調べるとちょいと通り過ぎていた。そこでぜひ見てみたいとバックすることにした。「おっぱい好きなんだからー」とカールに言われてもかつておっぱい星人を自認していたからにはまあ当然だ。それに乳の出が良くなるとか乳房が大きくなるとかの御利益もあるらしい。で、一人海岸に降りてそれらしき所を探したのだが見つからない。場所を間違っていたか満潮では見えなくなったかで結局あきらめた。ううむ残念。

この後は天草灘を右手に崖や田舎道を走り途中妙見浦で写真を撮りさらに南下した。確かこのあたりに大江天主堂があるはずだがと走らせるとまたもや少し通り過ぎてしまった。戻って小高い丘に上がると白い天主堂はあり中に入ると落ち着いてとてもきれいな所だった。この時ちょうど12時半で日曜朝はミサが開かれるため11時半からの開館だったらしくいいタイミングだった。

この後から湾奥に入り景色が少し変わった。波は静かで干潟もあった。羊角湾の少し離れた小島に海上コテージがあったのにはびっくりした。あれ、電気はどうしているんだろ。(後日調べたところ「河浦海上コテージ」で宿泊、休憩も出来エアコン完備というから電気はつながっているようだ。http://blogs.yahoo.co.jp/bigfish3627/2741417.html

牛深に着きフェリーに乗り込んだ。これに乗るのは昭和60年同期のバスケ部員ら5人でレンタカー卒業旅行したとき以来だ。別府、長崎と周り帰りは島原とここのフェリーを使って帰鹿したのだった。天草も20年に1回くらいしか来ないところということでもしかするともうこれっきりになるかも。港にかかる立派な橋を眺めながらそう思うことだった。

この後は長島道の駅で遅めの昼食を摂り。出水に少し寄って紫尾峠でカールを運転を代わりその後は爆睡、カール運転で姶良インターから高速利用後は錫山バイパスから田舎まで直行しあこネーサ母を送り届けた。いやあ、観光と親孝行もでき、いい休日だったよ。

2014年5月10日土曜日

天草へ

午前中は仕事で終わって急いで帰宅した。田舎からあこネーサ母が来ておりこれからギボヒサコ、カールと4人で車で一泊旅行に出かけるのだ。元はといえばカールが「母の日に4人で一泊旅行に行かない?」と提案し、それを受けて私がハウステンボスはどうだと候補を挙げるも(ハウステンボスはまだ行ったことなし)、「広い園内を歩かせることになるから高齢の二人には大変」というので県内の観光地も考えたがありきたりなので熊本あたりはどうかと検索し天草の宿をネットで見つけそこに決まったのだった。

高速で八代を過ぎ宮原SAで一旦休憩しお土産を早くも買い運転をカールと交代した。松橋(まつばせ)インターで降りここから三角半島沿いに天草を目指した。このあたりを通るのは中学3年の修学旅行以来だ。八代海って内海だけあって波静かやねえ。陸はやたらビニールハウスが多かったが何を作っているのかしらん。GWではないので車も多くなくスムーズに進み三角半島西端に来たかと思ったらすぐに天草五橋の1号橋天門橋だった。500M長の連続トラス形式のシルバー色の橋で、眼下に見下ろせる小さな島が「わあ松島みたい」とカールが言うように国立公園天草に来たと思わせてくれる。しかしこの後は天草で3番目に大きい大矢野島内陸を通り沿道には全国共通のチェーン店などがありごく普通だが途中天草四郎メモリアルホールなどがあり徐々に観光地らしくなってくる。実は泊まるホテルはこの島の南端2号橋手前の「亀屋ホテル華椿」というところでナビにしたがって行っていたらはっきり場所を特定出来ず通り過ぎかかってしまった。出発して3時間弱、まあまあの時間で日没までに到着でき良かった。

案内された部屋は天草灘と小島が眺められ早速記念写真を従業員に撮ってもらった。小島の形がなだらかな円錐形のミニ富士山のようでここの風景が気に入り選んだようなものだ。小島は高杢島といい干潮時には隣の島と砂州で陸続きになることもあるとか。

この後階上の温泉に入った。露天風呂からもさっきの風景がよく見えたが写真が撮れずそこは残念だった。泉質は場所がら塩気がありそのまま体を拭けばぽかぽかすると書かれてあったもののべとべと感が残るが嫌で結局普通風呂で洗い落とした。その後、風呂上がりから約30分、私は展望所からずっと夕日と天草の風景を写真に撮っていた。もう少し夕焼けが鮮やかだったら良かったが文句は言うまい。良い景色だった。
(↓天草灘に沈む夕日を背景に左側に見えるの小島が高杢島)

夕食は海鮮料理中心でタイやエビやアワビなど天草らしい食材が並び美味しかった。生きているアワビの直焼きってやっぱり美味しいんだね。少しビールも飲み部屋に戻ってからは日記を書こうと頑張ったのだが睡魔がやって来るにはあまりにも条件がそろいすぎ、ばったり・・となった。

2014年5月9日金曜日

あの人の消息

GWに沖縄の海でスクーバダイビングを楽しんできたと思われていた私の知っているあるDr、何と初日に溺れて意識不明になり助けられ海上保安庁や救急車のお世話になりしばらく入院していたそうだ。マスクの何かの操作の際に水を飲み込んでしまい溺れたそうだ。大事には至らなかったものの命に関わるところだった。ほら、年寄りの冷や水って危ないっていうじゃない。

以前青雲会病院にいた某女性事務職員、そのお父さんと会う機会があって「そういえば娘さん、まだあそこのクリニックにいるんですか」と尋ねたら「いや、鹿児島市内のウィグクリニックに今はいます」という返事だった。そうねえ、もう45才くらいになっているはずだが、未だ結婚歴はなしというのは予想どおりだった。彼女はそうでなくちゃ。私が思うに、かの酒井順子女史が言うところの「負け犬キャラ(30歳代以上・未婚・子なしの3条件が揃った女性のこと)」の典型だったしな。

明日外来勤務予定だったヒラメグDrからメールが入った。「神戸の祖母(90才超)が今朝亡くなって明日が葬式なんです・・」あいちゃー、それは仕方ない。明日の勤務は当然なしだ。グッちんDrも事情で今月は無理だし、ということは内科系は私一人となる。ううむ、ならばやるっきゃないぜ。

2014年5月8日木曜日

99.99999%

オーディオケーブルで音質に差が出るとは聞くがどのくらいのものかはとんと知らない。そもそもうちにはオーディオセットがもうない。学生時代オーディオにあこがれて金貯めて好みの機器をそろえ悦に入っていたものだったが、結婚後はミニコンポ、それも壊れてBOSEのWave music systemという小型オーディオのみになり、それすらほとんど使わずパソコンやiPodのデジタル音をイヤホンや車内で聞くくらいに堕落してしまっている。あれは一時のはしかみたいなものだったのか。故長岡鉄男氏のコラムでは「オーディオファン」と「音楽ファン」は違っていて大多数は「音楽」ファンで高級オーディオにハマっていく「オーディオ」ファンはあまりいないと書かれてあった。私など典型だろう。

そんな私が、ある人から高品質のオーディオケーブルをもらったというか預かったというかACROLINK社の7N-D5000という代物を手に入れたのである。オーディオケーブルには銅が使われているが一般には純度99.999%程度のものらしい。それが99.9999%と9が6つ続くと性能が良くなり世界でも「日鉱マテリアルズ社」と「三菱マテリアル社」の日本の二社に限定されるほど生産が難しいものになるという。7N-D5000はそれよりも高性能の99.99999%の7つも9が付く製品でそれをACROLINK社は前二社と提携し提供してしているほぼ唯一のメーカーということだ。そのある人によると「信じられないかもしれませんがケーブルを換えて聴くとほんとに違うんですよ」という。確かに手に取ってみるとずっしりと重くたかがケーブルとは思えないほどのしっかり感がある。だがいかんせんこれを使う高級なアンプやCDプレーヤーが手元にない。こっそりどのくらいの値段なのかネットで調べてみると、ぬぁんと定価は15万円ほどもする。中古でも6-8万で出ているではないか。おそろしい。こういったものにしのぎを削る世界があるということだ。

ま、マイボールの微妙な違いにああだこうだと言っているボウリングオタクも世間からは同じような目で見られているのかもネ!

2014年5月7日水曜日

忙中写有

予想通りというか連休明けで忙しかったわ、ほんま。

外来、病棟、検査と盛りだくさんで書類関係もいっぱいだった。午後8時までかかっても全てを終わらすことはできなかった。

そんな中、1年近く入院していたシモタよさんが明日退院とのことで奥さん共々写真を撮りそれをA4の超光沢紙にプリントしさらにラミネートした。あいにく今日は奥さんは帰宅したが病棟に預けたら看護師たちが「うわー、いい写真!」と言ってくれた。実は写真撮るときに奥さんに夫に寄りそうように指示し、患者の夫にも口を少しでも閉じさせるなど何度もポーズを取らせていた。スナップ写真といえどもこういう演出をしないといいのは撮れないのだ。シモタよさんは私が診ていた患者でも一番長期に渡っていたし、子息が偶然私の高校の同窓生だったという縁もあって何か記念に残るものを上げたかった。奥さんもきっと満足してくれるだろう。

忙しい中にも写あり、って話でした。

2014年5月6日火曜日

家族親孝行すると

ちょうどチッチの部活が休みでギボヒサコもいたのでみんなで阿久根の「着生(ちゃくせい)らんの里」に出かけた。去年も今頃カールと出かけウニ丼食べて帰ってきたのを日記ネタにしていた。どちらかと言えば山里のようなところで木々と着生らんに囲まれウニを食べるというのが意外性があって良かった。それに同じウニ丼フェアをやっている阿久根他部所より少し値段が安いのもいいとはカールの言い分で「でも消費税のせいで去年よりは値段が上がっている」だと。よう覚えているいるわ。

着くのが午前11時頃だったので朝ご飯は抜いていた。これが良かった。だって刺身やめかぶ、三角ミナが去年より美味しく感じたもん。ウニの輪切りもチッチが喜んで食べみんな満足だった。で、これはみんな私のおごり。感謝されたのはいうまでもない。昨日の南日本新聞にここが紹介されていたのでもしや混雑するのではと早めに来たがGWで待たずに行動できるのは良かった。案外知られていないのもいいもんだ。

帰宅したのは午後2時前で、そこから雀荘「最高」に直行した。いつものメンバーとの闘牌が待っていたのだ。家族孝行するといいことがあるもので自腹切った以上に勝っておつりが来たのだった。ハハ。

2014年5月5日月曜日

遊ぶ子

今日は「こどもの日」で休日だ。子どもも大きくなるとこの日だからといってお出かけしましょということもなくなり単なるGWを構成する日の一つにしか感じられなくなる。

今朝の南日本新聞に山梨大教授の中村和彦氏の「遊ぶ子は育つ」のタイトルでコラムがあった。「遊び」この場合は屋外でのそれを意味しているようで、遊びの衰退とそれに伴うライフスタイルの変化が結果として子どもの体と心にさまざまな問題を生み出しているという。文部科学小の体力テスト結果でもそれははっきりしていて「走る」「跳ねる」「投げる」といった基礎的な運動能力や筋力が1985年(昭和60年)前後をピークに著しく低下の傾向にあり、柔軟性、敏捷性といった体をコントロールする能力も低下してきているとのことだ。

これはついこの間チッチの運動会で私も思ったことだった。学校から渡されるプログラムには100m走や1500m走など歴代記録と達成者の名前がプリントされている。それを眺めて気付くのが多くの記録達成者が10期生以前でつまり20年くらい記録更新がほとんどなされていないという事実だ。今年が第28回だが20期生以降で新記録が出たのは昨年高1女子27期生の100mでの14秒1と24期生の女子800mだけである。男子短距離に至ってはすべて10期生以前で記録更新がないという状況だ。記録というものは破られるためにあるというくらいで時代が新しければ新しいほど高記録というのが当然と思っていたがこと日本の子どもにおいては全く当てはまらないということだ。

中村教授は語る。「転んだときに手をつくことが出来ず、頭や手首に怪我をしたり、ボールを捕ったりよけたりすることが出来ずに顔面の怪我や眼球損傷にまで至る子が増加している。・・・そして遊びの消失による影響は子どもの心にも及んでいる。物事に対する判断力や工夫する能力の低下が指摘され、人の気持ちを考えながら言動出来ない情緒の欠如、集団の中での自分の役割を捉えることが出来ない社会性の欠落も深刻な問題である。」そして「日本の子どもたちが健やかな体と豊かな心を育んでいくために、今こそ私たち大人が子どもの遊びの重要性について再認識しなければならないと思う」と結んでいた。

私は小学1年から5年生までは放課後や休日はほとんど毎日遊んでいた。宿題を済ませたら遊ぶ、それが当たり前だった。塾やお稽古事に行ったことは全くなかった。一番遊んだ場所は天文館公園で他松原神社、松原小学校、そして家の前の道路だ。遊び相手は同級生が多かったが上下級生も多く自然に人間関係のあり方を学んでいたように思う。

今は就学前から塾やお稽古、TVゲーム、ネットがあり屋外で遊ぶ機会が限られている。その影響が数字になってはっきり出ているわけだ。子ども教育でいくつかの著書のある親野智可等(おやのちから)先生も「お友だちが遊ぼうとチャイムを鳴らしました。お勉強があるのですがどうしたらいいですか」との質問に「貴重な機会です。いっしょに遊ばせて下さい」と答えていたのを思い出す。果たしてうちの子らはどうだったか。苦悶式や塾には行かせていた。水泳教室にも行っていたな。でも学校の近くということもあって夕方は友だちとよく遊んでいた。今さら子育ても出来ないが今後同じような相談があったら是非遊ぶことの大事さを強調しようと思った。

2014年5月4日日曜日

踊らず踊らされず

連休の合間で特に何もしない日だった。朝は昨日2回目の車検で預けておいたプリウスをトヨタに取りに行った。いろいろ調整してもらってかなり調子良くなった。タイヤは交換した方がいいですよと言われたがすでに2回交換しており予定では今年末くらいと思っている。それに2年以内にプリウスってモデルチェンジあるんでしょとセールスの人に水を向けると「そうですねえ」との返事だったのでこれはあると感じた。(なければ「分からない」と答える)モデルチェンジがあれば買い換えてもいいかな。ならばタイヤ交換はもう少しねばろうか。

昼間はちんたら過ごし夕方はサッカー部練習試合で大隅にバス遠征しているチッチを迎えにS學館校庭まで行った。18時ぐらいと聞いていたがこれが一向に帰ってこない。エンジン切ってシート倒して待っていたらそのうち寝てしまった。3、40分ほどしてバスが来た。しかし降りてきたのは女生徒ばかり。バスケ部のようだった。特に用事もないし眠いしでまた寝た。元々遅れた上に渋滞に巻き込まれたとかで結局バスが着いたのが20時前。何と2時間も待っていたことになる。忙しい時分なら怒りまくっていたかもしれないが、チッチに「こういう時はメールか何かで連絡しておくべきだよ」と諭すにとどめた。心優しい父親なのだ。

一昨日話題にした人間ドック学会の正常値問題はどうにも分かりにくい。基本は新たに出た正常値(?)をまともに信用してはならずこれまで通りの値を守のがいいと言いたかったのだが、現役医師たちも迷惑なことが多いとほとんどが批判的であるようだ。困惑した外来患者にどう説明するかでネットの「Doctors Community」にわかりやすいのがあったので以下に紹介しておこう。

・・私は患者さんにこう説明しています。

『発表した人間ドック学会のホームページを見てみたら、 2年間で人間ドックを受けた15万人のうち、 タバコを吸わない、酒も飲まない、太っていない、薬も飲んでいない、 今まで病気になったこともない、 そういった健康な人、1-1.5万人を集めたら、そういった数字になった。 それを、今から5-10年追跡調査して、脳梗塞や心筋梗塞を起こすか、調べる「中間報告」だそうです。 私も新聞読んで、変更になったのかと思って、ビックリしたけど、あくまで今から調べる「中間報告」みたいです。今後のことはまだわからないです。 でも、質問してくれたからいいけど、この報道で勝手に薬をやめて、心筋梗塞とか脳梗塞になったら、誰が責任をとるんでしょうね~。』

これで1~2分、患者さんも納得して帰っていきますよ。」

別の医師は以下のようにも述べている。

「人間ドック学会は健康人から基準値を出し、従来の基準値は病人から出している。その間には差が出て当然。どちらも価値があるが、医療費削減、薬害減少、生活習慣の自己管理ができない日本人などの理由からその基準値の差は従来の方に傾けて現場対応することが現実的だろう。患者さんには今までの基準は薬屋のお金で作られた基準だけでなく、多くの動脈硬化性疾患の犠牲者で成り立っている側面も強調してもいいだろう。」

文体がえらく違うがいずれも従来の基準を守るべしという点に代わりはない。踊らない姿勢って大事ですよ。

2014年5月3日土曜日

入れ歯存在証明

昨夜は当直。夜間救急で来た御婦人は午前私が診察していて原因不明の腹痛、急性腸炎疑いで処方のみ出して一旦帰宅させていた人だった。(実は4月に同様症状あり他科でいろいろ検査済みだった故追加検査をしていなかった)改めて診察すると今度は腹部が硬く痛みも強くなっていた。急遽CTを撮るとなにやら変なものが下腹部に写っている。反射が強く金属様だ。放射線科読影を緊急で依頼すると歯科補填物らしきものがあり小腸が傷んでいて穿孔の怖れもあるとのこと。入れ歯を飲み込んだことはないかと尋ねるとやはり「ある」という。しかし5年前かそれ以上前か覚えていないとのことだ。2年以上前にも当院で別の目的で撮ったレントゲンにもそれは写っていた。形は同じだ。ただし部位が大きく違う。これは手術になりそうと今朝、外科の信号Drに診てもらい、案の定そうなったようだ。入れ歯といっても先が尖った金属枝がありいつでも腸管を傷めそうだったのに、なぜに今頃になって引っかかり症状を来したのは分からない。さらにおかしいのは以前のレントゲンでは明かに異物が写っているのに診察Drら(2、3人が関わっている)が指摘していなかったことだ。あまりにも異質だったせいかもしれない。私でもアーチファクトと見なした可能性がある。その時は症状は出ておらず仮に入れ歯と分かっても様子観察するしかなかっただろう。盲腸を越えることが出来ず小腸をさまよっていた入れ歯がひょんなことから症状を引き起こしたために気付くことが出来た。ちっぽけな意思のない無機物でもある意味存在を認めさせたかったのだろうか。

今日はデンコー父が亡くなって丸7年だった。早いものだ。あの日もよく晴れていた。デンコーは朝から容態が悪化し呼吸困難もあり徐々に意識も薄れていった。そして夕方6時頃ついに息を引き取った。本当はGWで沖縄旅行を計画していてまだ数日は持つだろうとカールと子どもたちは予定どおりに行かせ私だけ残っていた。で、亡くなった直後すぐに沖縄のカールに電話を入れたのだった。「えーっ」と絶句するカール。翌日は連休の中日でどうにか飛行機も取れ通夜、葬式には間に合った。

こてる日記では実は通夜や葬式の様子を書いていない。忙しさと疲労で5月4日から6日まではタイトルだけで中身はなくいつか書こうとそのままになっていた。ちなみに4日が「通夜」5日が「葬式」6日が「遺族」である。

そうだ3月下旬の台湾最終日もタイトルのみでまだ書いていない。つい億劫になって放置してしまいがちだが放置プレイは良くないと昨日書いたばかり、これは必ず書こう(きっと)。

2014年5月2日金曜日

禁!放置プレイ

4月に人間ドック学会が「血圧や肥満度などについて健康診断や人間ドックで『異常なし』とする値を緩めると発表した」との報道がなされ、これに反応した週刊誌などが「それみたことか」とこれまでの基準が厳しすぎて血圧やコレステロールは高くてもホントはいいんだなどど派手な記事を出してきている。まったく迷惑なことだ。これは新聞が勘違いしたもので、学会が発表したのは健康診断データの大規模調査をもとに作成した「検査値の基準範囲」であって、健康診断や人間ドックで用いられる「判定基準」あるいは「疾患判別値」とは別物なのである。学会が新基準を6月に正式に決め、来年4月から運用すると報じた部分も事実ではなかった。ちょっと分かりにくいがこれまでの健康基準が大きく変わることではないと覚えていて間違いはない。

「たかじんのそこまで言っていいんかい」でもやり玉に挙げられかけたが、パネリストの心筋梗塞経験者の津川雅彦がコレステロールが正常内でも病気になったと発言しコレステロールは低いに越したことはないと一蹴していた。だいたい循環器や心臓の学会でこれまで厳密に検討されてきて悪玉コレステロールが増えるのは悪いとなっているのに、週刊誌は一部の例外を根拠に古い権威を信じちゃいけないと煽る悪癖がある。あれは病院と薬品会社が儲けるために仕組まれているとかね。それに心の不安定な人などが信じてしまい治療抵抗性になってしまうケースが懸念される。だいたい医者ってよく効いて患者が病気にならないような薬をやっぱり使いたがるものなのよ。


高血圧放置、糖尿病放置、高コレステロール放置、肥満放置、喫煙放置、これだけ放置していたら間違いなく中高年になって命に関わる病気になるとほぼ断言できる。放置プレイは特殊性向の人たちだけが喜ぶもの、一般ピープルは素直なプレイに徹した方が絶対にいい。

2014年5月1日木曜日

枇杷の実

朝、庭を見ると枇杷の木にオレンジの袋がいくつも被せられていた。この枇杷、チッチが小学4年生のころに1個だけ種を植えてみたところ成長してこのところずいぶん大きくなってきていた。(チッチ曰く「テル兄がこれって木が生えてくるのかな」とふと疑問を呈したのでやってみたのだそうだ)しかし実を付けることもなかったので去年あたりにカールが「切って捨てようか」と言っていた。それで適当に剪定していたら今年になり花が咲き始め実もつき始めたのだった。ちょうど8年目なのでその時期だったのではとチッチは言う。それはともかく馬鹿にしていたのが現金なもので赤い実が成るように袋掛けをしたというわけだ。これは果実に風傷が着かないのできれいな実になるのと袋で果実が温められるので早く熟し、また病虫害の予防のために行うものらしい。

桜島をこの時期ドライブすると白い花が咲いたように見えるが実は枇杷の袋掛けの姿だったなんてよく目にする光景だ。他人事と思っていたのにまさか自分の庭で見かけることになろうとは。

カールが調べたところ枇杷の実は余分な実を落とし2個選んで包むのがいいらしい。それ以上付けたままだと1個は必ず小さいのが出来るし他の実も大きくはならないとか。でも彼女はそうはしなかった。「せっかくここまで育ったのにかわいそう」だからとのこと。まあ商売じゃないからそれもありだな。

うちの庭には山椒があってこれは植えたわけではなくブロック塀の間に生えていてどうも鳥が運んで来たらしい。もらったタケノコに添えたりして良い風味が出て役だっている。家の庭は季節の変化を感じたり実用もあっていいもんだ。都合で小さくせざるを得なかったが大きすぎると見せたまえDrが言うように「毎週草取りが大変だぁ」となるしこれで良かったかなと思う。さあて熟した枇杷の実を食べられるのはいつかな。楽しみだ。