2014年5月31日土曜日

九山優勝祝賀会

鹿大医学部バスケ部の九州山口医科学生体育大会(通称九山)の優勝祝賀会がクレストンホテルであり出席した。例の河野教授からの連絡のあった会だ。で、その受付に河野教授が座っていてこれには面食らった。まあそれくらいバスケ部にとって九山の優勝は悲願といってもよかった。部創設以来半世紀近く経っての初優勝で特にここ最近は準優勝が幾度もありながらはねのけられてきた。夏の西日本医科学生体育大会でも準優勝が最高で不思議なことに全日本医科学生大会(20年程前)では優勝の経験がある。これは全医体が西医体と東医体のベスト4が集まってのエキシビションマッチに近い大会ゆえ(まれに参加しない学校もある)名前の割りにはやや格が落ちるのだった。

挨拶では顧問の出雲教授が喜びを語り、創設者の一人であるビッグマウント先生が思い出と感謝を述べられ、納先生も「私の顧問時代は全医体では優勝したのに・・」とこれまで勝てなかった故の今回の喜びを語ってくれた。結局会が終わるまでに出席した先輩Drはみんな挨拶をし、私も昭和57年の九山準優勝の祝賀会で初代顧問井形教授から準の字を指さされ「これが(無くなれば)ねー」と言われたエピソードを語った。特に上野真一臨床腫瘍学教授(私の一つ上の学年だった)は現在の部員とも直接関わっていてマネージャーとして裏方に徹し優勝に大きく貢献した部員を称え素晴らしい挨拶だった。会には鹿大の出身ではない松ピカ先生(長崎大出身)も来ていた。松ピカ先生は内視鏡グループの私の直接の上司でもある。今のお姿からは想像しにくいが九山優勝経験者で「鹿大が初優勝とは」と驚いていた。私が現役当時は伝統的に強かった長大のような部にしたいと思っていた。それが今は10年ほど前からこうしたOB、現役交流の場がありカンパも組織的に集まるようになって「強い鹿大」と認識されるようになっている。感無量だ。当然西医体も優勝候補だしみんなも「次は是非」と夏に期待する声が上がっていた。

でもとりあえずは今回の優勝を祝おう。次ぎがまた半世紀後だってこともあり得るんだから。

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