今日は「こどもの日」で休日だ。子どもも大きくなるとこの日だからといってお出かけしましょということもなくなり単なるGWを構成する日の一つにしか感じられなくなる。
今朝の南日本新聞に山梨大教授の中村和彦氏の「遊ぶ子は育つ」のタイトルでコラムがあった。「遊び」この場合は屋外でのそれを意味しているようで、遊びの衰退とそれに伴うライフスタイルの変化が結果として子どもの体と心にさまざまな問題を生み出しているという。文部科学小の体力テスト結果でもそれははっきりしていて「走る」「跳ねる」「投げる」といった基礎的な運動能力や筋力が1985年(昭和60年)前後をピークに著しく低下の傾向にあり、柔軟性、敏捷性といった体をコントロールする能力も低下してきているとのことだ。
これはついこの間チッチの運動会で私も思ったことだった。学校から渡されるプログラムには100m走や1500m走など歴代記録と達成者の名前がプリントされている。それを眺めて気付くのが多くの記録達成者が10期生以前でつまり20年くらい記録更新がほとんどなされていないという事実だ。今年が第28回だが20期生以降で新記録が出たのは昨年高1女子27期生の100mでの14秒1と24期生の女子800mだけである。男子短距離に至ってはすべて10期生以前で記録更新がないという状況だ。記録というものは破られるためにあるというくらいで時代が新しければ新しいほど高記録というのが当然と思っていたがこと日本の子どもにおいては全く当てはまらないということだ。
中村教授は語る。「転んだときに手をつくことが出来ず、頭や手首に怪我をしたり、ボールを捕ったりよけたりすることが出来ずに顔面の怪我や眼球損傷にまで至る子が増加している。・・・そして遊びの消失による影響は子どもの心にも及んでいる。物事に対する判断力や工夫する能力の低下が指摘され、人の気持ちを考えながら言動出来ない情緒の欠如、集団の中での自分の役割を捉えることが出来ない社会性の欠落も深刻な問題である。」そして「日本の子どもたちが健やかな体と豊かな心を育んでいくために、今こそ私たち大人が子どもの遊びの重要性について再認識しなければならないと思う」と結んでいた。
私は小学1年から5年生までは放課後や休日はほとんど毎日遊んでいた。宿題を済ませたら遊ぶ、それが当たり前だった。塾やお稽古事に行ったことは全くなかった。一番遊んだ場所は天文館公園で他松原神社、松原小学校、そして家の前の道路だ。遊び相手は同級生が多かったが上下級生も多く自然に人間関係のあり方を学んでいたように思う。
今は就学前から塾やお稽古、TVゲーム、ネットがあり屋外で遊ぶ機会が限られている。その影響が数字になってはっきり出ているわけだ。子ども教育でいくつかの著書のある親野智可等(おやのちから)先生も「お友だちが遊ぼうとチャイムを鳴らしました。お勉強があるのですがどうしたらいいですか」との質問に「貴重な機会です。いっしょに遊ばせて下さい」と答えていたのを思い出す。果たしてうちの子らはどうだったか。苦悶式や塾には行かせていた。水泳教室にも行っていたな。でも学校の近くということもあって夕方は友だちとよく遊んでいた。今さら子育ても出来ないが今後同じような相談があったら是非遊ぶことの大事さを強調しようと思った。
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