2022年4月30日土曜日

「カイロス~運命を変える1分~」

ここ3週間ほど韓ドラを見ていなかった。「嘘の嘘(2020/チャンネルA)」「リセット~運命をさかのぼる1年~ (2020/MBC)」「神様がくれた14日間(2014/SBS)」と来た流れで、次は何を見ようかと思って、この中では「嘘の嘘」が面白かったので、主演のイ・ユリの代表作復讐劇の「福寿草」はどうかとちょこっと覗いてみた。しかし第1話を見てやはりよそうと思った。刑務所に入った主人公が脱獄し自分を陥れた義妹に刃向かうといったいきなりクライマックスシーンを見せた後、話は始まりに戻る。30分でだいたいのフォーマットが見えるんだ。このドラマ1話30分が100話以上もある。愛憎ドロドロ劇はいったん見始めたら止められないんだろうが・・・「福寿草」の「福寿」が韓国語で「復讐」と同じ発音になる・・というのが出てきて、それでタイトルが「福寿草」か。それが分かっただけでこのドラマは良しとしよう。

韓ドラ雑誌で知っていた「カイロス~運命を変える1分~(2020/MBC)」がUーNEXTでの配信が有料ではなかったと知り、これを見ることにした。このドラマ、私のよく見るサスペンス物なんだが、設定がちょっと変わっていてタイムスリップ類似になっている。似たようなので一番近いのがあの名作「シグナル(2016/tvN)」だ。いや、かなりそっくりと言っていい。主人公の男女二人は22時33分から34分までぴったり1分間の携帯電話でしか交信出来ない。しかも男から見て女はちょうど1ヶ月前を生きていて、女から見て男は1ヶ月後を生きているという設定だ。「シグナル」では交信機を通じて後輩刑事から見て先輩刑事は15年前を生きているという設定で二人は交信機を通じて事件を解決していく・・。

「カイロス」ではそんな長い空白ではサスペンスとスリルは生まれないとばかり、制作側は1ヶ月のタイム差を設定したのだろう。たった1ヶ月でもこの状況を主人公同士が理解し同調するにはかなりの壁がある。過去に生きる側はは未来からの電話だなんですと言われてもと信じられるはずがない。そこで男が女に未来から電話していると証明するためにやったのがロトくじの当たり番号だ。お金を友人にだまし取られたばかりの女主人公はそこで初めて聞く耳を持つ。その後、二人はそれぞれ身内の被害が起きたためそれを予防するために協力しあう。しかし、未来の男から指示で女が男(未来の男と同一人物)に「あなたの子どもが誘拐されるんだから私の言うことを聞いて」と言われても過去に生きている男は「こいつ頭がおかしいのか。それとも誘拐するのはお前か」と疑い、逆に抵抗するのは仕方ない。

最初の数話ではそんなややこしさと子どもが誘拐されるというシチュエーションが「またか・・」と見るのを一旦止めてしまったのだ。1月に見た「マザー」3月「嘘の嘘」4月「神様がくれた14日間」と女の子が出てきたら誘拐だもん。特に「神様が・・」ではあっちこっちと翻弄され辟易してしまった。あ、「シグナル」でも冒頭の事件は女子誘拐だったね。

しかしせっかくのゴールデンウィークの休み、少しだけ我慢して見ていたら「カイロス」案外面白い。過去を一部変えると未来では目に見える形で画面が変わり、留置所にいた人が外の世界に戻っていたり、死んだ人が生きていたりとどんどん変わる。悪役が続いていたシン・ソンロクが理詰めの最年少理事と子どもを必死で救おうとする父親を演じなかなか上手い。3話以降は次話に続くボタンを即クリックとなり、一気に10話近くまで見てしまったわ。

今回話題にした作品のマイ評価を紹介しておこう。10点満点で9点は実質最高得点、8点は結構夢中になって見た作品、7点は標準的、6点は完走したが見なくてもよい作品。

シグナル(2016/(tvN)・・・9
嘘の嘘(2020/チャンネルA)・・・8
リセット~運命をさかのぼる1年~ (2020/MBC)・・・7
神様がくれた14日間(2014/SBS)・・・6
マザー(2018/tvN)・・・9

カイロスは今のところ8点クラスだな。

2022年4月29日金曜日

新日本風土記・天草

昭和の日の朝、ゆったりとした気分でNHKBSを眺めていた。「ちむどんどん」「こころ旅」と来て「新日本風土記」をやっていた。これは再放送で「天草・歌と祈りと世界遺産の旅」が特集で途中は見ておらず、後半になって牛深のハイヤ祭りを踊る女子高校生や島原・天草の乱の遺跡や天草四郎の話題、隠れキリシタンの集落(崎津集落)など出てきて、8年前の今頃天草を二人の母親とドライブしたことを思い出したりしていた。→http://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2019/08/blog-post_22.html

興味深いエピソードだったのが、天草には「鈴木神社」なる神社とそれに関連する祠(ほこら)が34ヶ所も全島に散在しており、まつられているのは「鈴木様」で、れっきとした人間ということである。へー、それは知らなかった。一体誰?鈴木様は3人おり、天草・島原の乱には鉄砲隊長として参戦した三河藩の武士鈴木重成と僧侶の兄鈴木正三、重成の養子鈴木重辰(正三の実子)である。島民には乱を鎮圧した側なのに天草四郎よりその遺徳は偲ばれているらしい。

幕府の命により代官として赴任した重成は天草の島民を苦しめているのは年貢の負担が重いことで、石高4万2千石は本当はその半分2万1千石しかないからだと散々幕府に訴え続ける。そもそも島原・天草の乱はキリシタン迫害よりも苛酷な年貢搾取に喘ぐ農民の不満の方が大きかったのだ。しかし面子を重んじる幕府はなかなか認めようとせず、ついには重成は真情を綴った建白書を残し、江戸の自邸において切腹して果てたそうだ。幕府は普通なら鈴木家にお家断絶などの処置が取られるべきところ、逆に重辰を赴任させた。すでに天草の人たちは鈴木代官に心服し他では務まらないとの配慮からだったようである。重辰も石高半減を訴え続け、重成の七回忌についに幕府はそれを認めたのだった。

島原・天草の乱は住民3万7千人もの犠牲者を出し、天草では2万人から8千人に人口激減したため、幕府は荒廃した天草に九州四国の農漁民などに移住を進めた。その末裔は今でも住み続け、その中で佐伊津地区では伝統のサトウキビ作りを続けているのが紹介されていた。面白いと思ったのが、江戸時代末期に今の薩摩川内市から苗を導入し全島に広まったのだという。昭和半ばまでは全国屈指の生産量だったという。薩摩川内からというのに私はピクッとなった。薩摩川内の開業医しんどかどDrを思い出したのだ。以前日記ネタにもしたが、彼は現在月2、3回は週末天草に出向きクルーザーで「漁」をしている。なんかお互い様って感じ。番組では佐藤さんというさとうきび組合の人が紹介されていて「天草の佐藤(甘草の砂糖)さんか。ふふ・・」と一人ニヤついたのだった。ただ現在天草でサトウキビを作っているのは佐伊津地区だけだ。なぜそんなに廃れたのかというと昭和40年代に天草五橋が完成したからである。人や物など流通が良くなったのが皮肉な結果になった。

牛深ハイヤ節も面白い。高校に郷土芸能部があり、そこの女子生徒が出てきて上手に踊っていた。牛深は熊本一の漁獲量を誇る港町でそこで生まれた「牛深ハイヤ節」は北前船や大阪の商船とともに旅をして、「佐渡おけさ」や「阿波踊り」のルーツとなったという。ハイヤとは、船を運ぶ「南風(ハエ)」が転じた言葉で、ふと鹿児島の「ハンヤ節」もここがルーツかと思った。実際そう指摘もされているようで、ハイヤ節は日本の踊りの原点とさえ言えるナ。
NHKの比較的地味目な番組だけれど「新日本風土記」、こいつは侮れない。

2022年4月28日木曜日

成功した元AKBグループ出身者たち

4月28日なのに27日の話題だ。昨日に続いて1日遅れになっている(^_^;)

朝、医局に着くとすぐにカワゼンDrに声を掛けられた。「先生、今日の当直を代わっていただけませんか」ほう、すぐに予定表を確認し特に用事もないが、何で?なんでも角膜が傷ついて目を開けられない状態だそうで、29日の日当直と交代を希望とのことだ。それなら逆に有り難いくらいで即OKだ。

水曜は外来と救急担当だが、先週ほど忙しくはなかった。体調不良でインドネシアの20代の男性を診察した。まあ大したことはなく様子見でいいですよと告げた後、「インドネシアだったらJKT48がありますね」と話を振ってみた。「知ってます」と片言日本語で返事したので「確か仲川遙香っていますよね、日本人の・・」「ハルカ、ああ、知ってます」と笑顔になった。仲川遙香はインドネシアのJKT48に派遣という感じで10年くらい前に参加したが、日本にいた時より人気があってJKTは卒業したが今でもインドネシアで活動を続けている。↓は2019年に日本TVに出演したときのもの。収入もかなりあるようだ。




最近のAKBやその関連グループは完全に下火になっていてかつての勢いはない。彼女もあのまま日本にいたら選抜メンバーに入れないまま当然卒業したし、その後の活躍はかなり心許ないものだったはず。サッシーこと指原莉乃や朝ドラ女優になった川栄李奈などAKB出身では完全な勝ち組やね。あと忘れてはならないのが元HKT48の鹿児島出身の宮脇咲良だ。現在は韓国に拠点を移しBTS(防弾少年団)が所属する韓国の大手芸能事務所・HYBE傘下のガールズグループの一員として5月にデビューするという。相当期待されているそうだ。雰囲気も大きく変わり顔も変わったとの噂だ(ま、韓国だし)。ただ彼女も最初は韓国語は分からずかなり苦労したらしい。しかし相当努力したはず。先の仲川だった同様だろう。単にラッキーなだけで芸能界は生き残れない。うん、確かに魅力的になっている。応援しちょるぞ。


前回の当直はほとんど寝られなかったが、今回は2台救急車が来たもののどうにか睡眠は確保出来た。午前は内視鏡と連休に備えての病棟患者の指示出し、そして午後は久々のERCP検査だった。ま、午後は早帰り出来るはずだけど急な当直だったので検査を入れていた。どうにか手技はうまくいって夕方前には帰るつもりもあったが、入院患者に気管挿管をしなくてはならず結局17時半の定時帰院になった。明日から大型連休だから労働基準違反だって言われてもかまへんよ。変に規則どおりしたって苦しむのは患者さんなんだから。

2022年4月27日水曜日

Mリーグ最終戦

昨日の昼の休憩時、内視鏡室でたつやましたDrが「今日のMリーグ決勝最終戦のラインナップ予想です」と紙切れを私に見せた。そう、去年10月から戦ってきたプロの麻雀リーグ戦「Mリーグ」の決勝半荘2試合が26日夜行われたのだ。全8チームが各90試合行い、上位6チームがセミファイナルに出場し、ここで16試合行い2チーム脱落し、ファイナルに4チームが残る。優勝チームは賞金5千万、2位は2千万、3位は1千万、4位は何もなし、どこも優勝を目指す大一番だ。今シーズンはセガサミーフェニックス、渋谷ABEMAS、KADOKAWAサクラナイツ、KONAMI麻雀格闘倶楽部が残った。どこが優勝しても初優勝である。各チーム誰が対戦に参加するかは試合開始までは発表されない。そこでたつやましたDrは「こうなったら面白い」と予想をしたのだった。
この予想だと1戦目はすべて女性雀士だ。ただ、これは彼の願望だろう、きっとそうはならない。2戦目はさすがに最終戦だけあって各チームのエースの予想だ。なるほどと思ったが、ABEMASの白鳥か多井(大井は書き間違い)は絶対的エースの多井が出場するはずと私は指摘した。サクラナイツの内川も堀が出るはず。実際最終戦は近藤、多井、堀、滝沢の4人だった。第1戦が終わってたつやましたDrから19時半頃LINEに連絡が来た。「セガサミーとサクラナイツは勝ったら、優勝。ABEMASは、5万点以上トップで優勝の可能性があるみたいです」ほう。私もAbemaTVで観戦したいがその時はオマルさんと囲碁の対戦中だった。で、帰宅してすぐにネット観戦をした。

すでに南場に入っていてトップ目はすでに優勝の目が完全になくなっているKONAMI麻雀格闘倶楽部(打ち手滝沢)だった。となるとセガサミー近藤とサクラナイツ堀の一騎打ちか。しかし親のABEMAS多井も連荘して大きなトップを取ると大逆転優勝もあり得る。その多井、南場親でトイトイがらみのツモれば親ハネマンという手になっていた。そこに堀がリーチしていてドラも乗っていて上がれば満貫以上という展開。サクラナイツの控え室ではメンバーの岡田紗佳と内村幸太郎がハラハラしつつ祈るような思いでモニターを見つめていた。
すると堀が上がり牌をツモり、ドラも乗って子のハネマンツモ。その瞬間の二人がこれ↓。
結局だよ、次の牌が堀のものになるか多井のものかは全くもって運次第なのよ。麻雀って打ち手が出来るのは聴牌に持っていくだけで後は神様が決めると言ってもいい。118試合を打ち続けても一半荘、一局の勝負が明暗を分ける。オーラス、セガサミーの近藤は1000点上がれば優勝だったが出来なかった。ラス親の堀が連荘をして最後は自ら流局聴牌を取らず優勝をした。観戦していて対局者のチームメンバーの息づかいが聞こえるほどの緊張とスリルがあった。AbemaTVの視聴者数も300万くらいあったようで、見る麻雀も将棋など同じ市民権を得ている。

4期目の今シリーズは私も初めて全期間を可能な限り視聴して、改めて麻雀は面白いと思った。ずっと見ていると各雀士のキャラやエピソードなどオタク的な面白さもある。→https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/49764.html
単なるギャンブルではなく競技としても面白さを楽しむ習慣をMリーグは提供してくれている。来期も期待しちゃうゾ!

2022年4月26日火曜日

碁狂老人に娘面会希望す

この前退院し病院隣の老健へ転所になったオマルさんの娘さんが「どうしてもお礼が言いたくて」と面会希望していた。内視鏡検査中ではあったが、そもそもオマルさんに娘さんがいたというのは初耳で、それはこちらこそ会ってみたいと思い、すぐに面会となった。

痩せぎすのオマルさんとは打って変わってややふっくらとした丸みのある主婦という感じで、現在は埼玉に住んでいて父とも最近は会っていなかったそうだ。病状を説明するとメインの病状はある程度聞いていたが、そのほかの病気は「え、そうだったんですか」と初めて知ったとのこと。それに私が勤務外の時は囲碁の相手をしていると教えると驚いていた。聞けば50年ほど前に1回だけ鹿児島の代表で全国大会に行けたことがあったという。いわゆる県代表レベルの打ち手だったのか。なるほど今でも病室や老健の部屋で常に碁を打っていてそれが半世紀も変わっていないということに驚く。ただ、今は私に互先で勝ったり負けたりだからさすがに腕は落ちているわけだが、一局打つと1回や2回はハッとすると手を見せられ、かつて実力の片鱗が伺える。

で、娘さん、老健へ父への面会を申し込んだが、県外から来ているのでと断られたという。しかし彼女は2日前にはコロナ検査を受けて陰性を確認していた。今日埼玉に帰る予定になっていて、今回会えないともしかするともう一生会えないかもと肩を落としている。それはいけない。私は老健に電話をかけ、コロナは問題ないから今すぐにでも会わせてー、と頼んだ。

そんなワケで、帰りがけにわざわざ老健に寄ってオマルさんと碁を打った。「娘さんに会えましたか」と尋ねると「うんうん」と頷き、それよっか早く碁を打とうという態度だ。いやはや。互先黒番6目半コミ出しで私が黒番が当たり、久々に2連星の布石で対戦開始となった。

それからなんと2時間15分もかかって一局が終わった。整地して黒48目、白40目。コミを計算して黒番私の1目半勝ちとかなりの接戦だった。いやー、途中は私の楽勝と思っていたがオマルさんの追い込みにちょっと油断もあってかろうじての勝利だった。
90歳過ぎても碁を打つのが楽しみという碁狂老人。私も麻雀に劣らず囲碁は大好きだが、オマルさんの領域には達せられない・・と思ったわ。

2022年4月25日月曜日

たろぼうさん

NHKBSの火野正平「日本縦断こころ旅」の今週の行き先は滋賀県だ。月曜日は目的地にならなかった視聴者のこころの風景をいくつか取り上げていた。そんななかで「たろぼうさん(太郎坊さん)」というのがあった。これは正式には赤神山で、太郎坊山とも言うらしい。300m台の小さな山らしく「ふうん」と思って見ていたら、視聴者からの提供写真だと思うが、見事な紅葉に彩られたたろぼうさんと、桜に映えたたろぼうさんが出てきて「ほう」に変わった。これは見事な山だ。↓。

日本百名山では低い山は選ばれないのだが、地元に密着した山には低くても立派、面白い山がいっぱいある。鹿児島市の100mほどの城山も今じゃ車で5分だけど、子どもの頃毎日曜日に100回以上登った山で思い出が尽きない。逆に出身地の頴娃の大野岳(400m台)は幼い頃からずっと眺めて知ってはいたが、初めて登ったのはつい1年前で結構感動した。https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/search?q=大野岳

そうした思い出の場所に何らかの家族や恋人、友人らとの感慨深いエピソードがあれば「こころ旅」にも投稿出来るのだが。いかんせんなかなか思いつかない。「こころ旅」ではエピソードの手紙がなければなぜそこが「こころの風景?」と思うような一般人から見たら凡庸な風景がよく選ばれる。「たろぼうさん」のようなエピソードなしでも「ほう」と思うような風景は少ない気がする。

この間、こてる日記にも書いたように、かつての自宅跡地を私は探索したが、あれなんかも知らない人が見たらただの空き地だろう。人はそこに景色を見ているのではない、思い出を見ている。風景ではなく情景という言葉が日本語にあるのは奥ゆかしいことだと思った。

2022年4月24日日曜日

ぐーすか太郎

いや、さすがに眠かった。0時過ぎに虚血性大腸炎の救急、2時過ぎに昨日日記に書いた看取り、4時半に脳梗塞の連絡があって遠方からのため診察は6時ごろになり結局ほとんど寝られなかったのだ。

帰宅して、今日は田舎へ墓参りの予定だった。運転はカールに任せて私はノイズレスイヤホンを付けてマイフェイバリットソングを聴きつつ寝入ってぐーすか。デンコーにヒトミンチョ家などの墓参りはしたが、今回はどこの家にも寄らずとんぼ返りした。いや、昼食で知覧の吹上庵に立ち寄ったか。いつもは入口で客が並んでいたのに、コロナのせいか空いているわ〜。すぐに着けて、注文後もさっと蕎麦が出てきた。。美味しくいただき、帰りはまた助手席でぐーすか。

帰宅してもゆるソファでTV見つつぐーすか。夜はどうにかこてる日記は書けたけれどそれ以外は何もすることが出来ず、朝方までぐーすか。「すっと寝ているねー」とカールに言われたけれど、そのとおりなんだから何にも言えない。そういえば昔話に「ぐーすか太郎」ってなかったっけ?いや、あれは「ものぐさ太郎」だったわ〜。

2022年4月23日土曜日

お母さん、目を覚まして

今日は土曜外来と夕方までの日直の予定だったが、当直予定のファストリバDrの都合が悪いとの連絡が先日あり、そのまま当直まで私がすることになった。二次当直も当たっていて救急車も優先的にやって来るのである程度忙しいのは覚悟していた。

その予想はばっちり。

翌朝までに4台の救急車がやって来た。なかでも夕方に高齢者施設から心肺停止で運ばれた超高齢女性への対応は大変で、息子さんも「何としてでも助けて」とのことで救急隊員、当番看護師二人らとすぐに心肺蘇生を施し、気管挿管、人工呼吸のあと3回目の強心剤で心拍再開でき、どうにか入院させることが出来た。

息子さんは関東に住んでいたが、5年前に帰鹿し面倒を看てきたほどの大変な母親思いの人だった。しかし翌未明に危篤状態になった。駆けつけて来て「お母さん、温泉に行こうと言っていたでしょ」「神社にも行きたいって言っていたでしょ」「お父さんがこっち来るのはまだ早いって言っているよ」そう呼びかけ続けるのだった。私は病室から出てナースステーションでモニターを監視しつつ待機した。約40分、絶え間なく母に呼びかける声は続いていた。

いよいよ心拍がフラットになり、病室に入っても息子さんの掛け声は止むことはなかった。冷たくなった手をさすり「お母さん頑張って」と呼びかけていた。私は5分ほど待って「残念ですけど・・」と話しかけるがまだ諦め切れていない。さらに5分ほど経ってようやく死亡宣告することが出来た。息子さんがっくりとし「来年は100歳だったのに・・」と呟くのだった。

ナースステーションで死亡診断書を書いている時、廊下から息子さんに声を掛けられた。「先生、ありがとうございます」その口調が先ほどまでとは違っていて、あ、普通に戻ったなと思った。病棟から引き上げる時、息子さんは葬儀の準備らしきことを電話したりしてよく見かける遺族の様子になっていた。あの看取りの約1時間は愛母との別れに必要なひとときだったのだろう。

朝までゆっくり休みたい・・と思って床についたが、約1時間半後には脳梗塞かもしれないという遠方からの救急要請のために起こされたのだった。

2022年4月22日金曜日

新鮮さが命!

私は実はそれほど刺身が好きってわけじゃないなんだ。

NHKの番組「ウオカツ!」って番組が19時半からあり、冒頭「日本で一番カツオ節を食べている都道府県は?」との質問があり、それ見ていたカール、「沖縄!」と即答していた。沖縄料理では出汁にカツオ節と昆布を使うのが当たり前であり、特にカールはカツオ節を使うから知っていて当然だった。幼い頃カツオ節削り器でよく削っていて、うん、それは私たち世代には共通の思い出だ。

その後、宮古島の隣島伊良部島のカツオ漁を特集していた。伊良部島は沖縄のカツオ水揚げの大半を占めるという。それを見ていたカール、「伊良部のカツオって美味しいのよ〜」と。私は宮古には行ったことがないが、彼女は健診業務で宮古諸島に何回か行ったことがあり、長い時は1ヶ月近くも滞在していたという。↓は宮古島と結ぶ伊良部大橋。無料で渡れる国内最長の橋で3540mあり7年前に開通したそうだ。カールによると昔は小さな船に乗って渡っていたとのこと。

番組では黒潮に乗ったカツオを一本釣りし港に帰ってくる船を待ち構えたように受け取りすぐにさばく家族の様子が出ていた。カールも健診が終わったら民宿で新鮮なカツオ料理を食べていて「今まで食べた中で一番美味しかった」と述懐する。それまでカールは「カツオって臭みもあったりしてそこまで美味しいとは思っていなかった」そうで伊良部島で認識を新たにしたとか。
そっかー、私はカツオ料理でタタキとか煮物とかならあるが、それほど新鮮なものを食べたことがない気がする。↓水揚げから10分程度のこんな新鮮な刺身なら食べてみたーいっ。

2022年4月21日木曜日

マスク&沖縄そば

今日は内視鏡担当の日。内視鏡室に着いて最初にすることは感染予防のために検査着&防護服に着替えることだ。そこでいつものようにN95マスクを口に嵌めて鼻に当たる金属部分をしっかりフィットさせようとした時、気のせいかすでに幅を狭められているように感じた。うん?「もしかしてこれ使用済み(のマスク)?」と思わず口に出した。すると背後のウラコさん「そんな、新品ですよー」と言いかけ「あ、それ、東洋Drのじゃ・・」と言うではないか。

「ええーっ?!」

「えへへー」

まあ嘘に決まっている。東洋Drは先週金曜以降、勤務していない。ていうか、コロナに罹ってずっと休んでいる。しかしこら、瞬間「やっちまったーっ」てなったじゃないかー。

4月からのNHK朝ドラは現在は沖縄が舞台の「ちむどんどん」だ。南方の風景や暮らしぶりの他、毎回出てくるのが沖縄料理だ。豚からつくるラフテー、ソーキそば、ゴーヤーチャンプルー、ゆし豆腐、イカスミジューシー(ジューシーとは雑炊のこと:東京出身の和彦君は結局最後までこれには手を付けなかった)それにお菓子のサーターアンダギー、実はこれ、こてる家で食べられるものばかりだ。カールが沖縄出身だから当然ではあるが。

ドラマ第2週のタイトルは「別れの沖縄そば」で、今夜のこてる家の食事も沖縄ソーキそばだった。

出汁もカツオを使って麺はちぢれ麺で「照喜名(てるきな)」製のそばだ。カールはこのメーカーの麺以外のものは使わない。子どもたちも大好きでチッチなど自分のところに来て作って欲しいなんておねだりしている。製麺所の数は、沖縄本島だけでも実に50カ所以上あるそうだが、北部の名護や離れた宮古、八重山あたりだとまた麺も違うらしい。カールは那覇だからその代表「照喜名」製の麺にこだわりがあるのだろう。
うーむ、しっかり食べて満足。ドラマでは今後もどんどん沖縄料理が出てきそうだ。そのたびに「あ、これ食べたい」って言っていたらカールは根を上げちゃうかな。

2022年4月20日水曜日

キュンです!

今月になって水曜日が忙しい。もともと外来をするDrが少なかった(可愛いんだ理事長と村鉱Drが休み)上に地域枠で勤務していた内科のコジロDrが大学病院に帰ったし、それに今日は東洋Drがコロナで休んでいるためさらに忙しかった。それに午後からは救急当番も当たっていた。救急は全く来ない日もあればそうでない日も。今日は・・昼食すんだ後、続けざまに2件救急が入った。うー。

そんな中、内視鏡室のマスクばばあことウラコさんが私とすれ違いさまに「先生、キュンです」とポーズしてみせたのだ。あはは、これには癒やされたネ。「キュンです」とは数年前から流行っている言葉とポーズでつい最近、大谷翔平が2本目のホームランを打った際にメジャーリーグのアナウンサーが「オオタニ、スゴイ」の後に「ショウヘイ、キュンです!」と日本語でしゃべったのが大いに受けていた。なんか可笑しい。
このアナウンサー、日本のアナウンサーと交流があってそこで教えてもらったらしい。日本のアナウンサーは近藤祐司という人で他にも「マジか?」も伝授しているらしいから、それもいいタイミングで使えばきっと受けるぞ!

後、午前の外来で元青雲看護師のオイドリッチさんが友人の診察に付き添って来たのは嬉しかった。もう30歳を越えたはずなのに肌も綺麗でずっと若く見えた。友人もピロリ菌除菌が出来ているか心配していたが陰性化していて一安心。彼女から事前にこの日の友人受診は大丈夫かと打診があって、友人しか来院しないものだと思っていたのでちょっとしたサプライズ。「キュンです」ってやりたかったヨ。左↓がオイドリッチNs。

忙しい中にも「キュンです」とやってくれるとなんか嬉しいぞ、みんなもやってみてー♡。

2022年4月19日火曜日

もはや名作「どっきりGP・アイドル都市伝説」

今日は午後早帰りだったが、銀行に行く用事があったり、夜は税理士さんとの面談があったりでなかなか落ち着けなかった。先週、スピーチも終わり、オマルさんとの囲碁もなくなったし、本来の趣味のネット麻雀かボウリングをすべきタイミングなんだろうが、なぜか私のこれら二大趣味に熱が入らない。ボウリングなんて昨年10月初めからボールさえ触っていない。麻雀も一応リアルは約束や依頼があったからやったけど、主戦場である天鳳の対戦をしようという気になかなかなれないのだ。その代わりTVのビデオやYouTubeなどだらだら見て過ごしている。

この前の土曜日「どっきりGP(グランプリ)」は特に可笑しかった。冒頭の「秒でドッキリ」の双子の首なし少女にバッタリはCanCamモデルの「ほのか」が引っ掛かって大口開けて逃げる姿に笑った。↓の画像を見せれば説明不要でしょ。その下の腰を抜かした画像もただ可笑しい。


それと先月初放送されたばかりなのにすでにドッキリの名作といってもいい「アイドル都市伝説」をまたやってくれた(詳しくは2022年3月13日の「恐怖の一言「ここ、私の部屋なんだけど・・」」参照)。今度は雑誌モデルの女子たちを引っ掛けた。フォーマットが素晴らしいからこれも爆笑だったよ。ただちょっと面白いと思ったのは、かわいい系のモデルたちとギャル系のモデルたちとのリアクションの差がかなり大きかったこと。かわいい系はDVD冒頭の砂嵐ですらみんなビクビクしていたのにギャル系は肝が据わっているというかさほど動じていなかった。ギャル系には17歳で出産したって子(ていうか親)もいたからそのあたり違うものなんだろう。

でもやはり面白しいのはびくびく、キャーキャー驚くかわいい系のモデルたちだった。特に↓の子は目ん玉も大きく、口が大きく開くのもドッキリキャラとして素質あるねえ。

さらにゴミ箱を防護用として担ぎ上げた子も可笑しかった。昔学校で不審者相手に椅子など持てと指導されていたので目の前のゴミ箱を持ち上げたんだって。
クライマックスではテーブルの中から飛び出すウサギ男に全員がひっくり返る(笑)。司会の東野のちょっぴり意地悪な笑いもいい。
いやはや、フジTVのドッキリGPも名人芸だわ〜。なんかねえ・・今、私はお疲れ気味なのかなあ、ぴりぴりした勝負事をするよりこんなお気楽な番組を見たい気分なんだな。

2022年4月18日月曜日

対オマルさん、最後の対戦てかっ

朝礼が終わってすぐに入った情報が「東洋Drがコロナに感染したんだって」というものだった。昨日、別の病院で判定が出たんだとか。彼は先週金曜日は当院勤務だった。内視鏡担当だったので接触した可能性のある職員は全員PCRを調べたが誰も感染者は出なかった(私は接触しておらず)。ま、内視鏡室では私たちはN95マスクでずっと検査しているし、東洋Drは金曜午後から病院を離れているので潜伏期からいっても院内に拡がる可能性は低いな。喉が痛いくらいで割に元気だそうだ。最近のコロナの典型的パターンやね。

オマルさんが明日とうとう退院ということで仕事が終わって最後の囲碁対戦をした。手合いは互先で今回はオマルさんが黒番を持った。オマルさんは先番ではいつも2連星だ。私はせっかくだから最低一隅は星以外を打つ。その方が勉強にもなると思っているのでね。

オマルさんは石同士の戦いになると力が強い。しかしこれまで何十回も打ってきて明らかな欠点にも私は気がついている。それはとにかく石を捨てたがらないというところだ。格下の私から見ても「よくそんな石を捨てず逃げ出すなぁ」と思うことが多い。だからその癖を利用し、取るぞ取るぞと打ちつつ、実はその背後で地を稼ぐようにしたり、2つの石を両にらみで攻めていくと結局どっちか一方が取れて得することが多い。今日はその後者のパターンが上手くハマった。私が白番で黒のオマルさんはピンク丸の2つの黒石一団を助けようとしている↓。こうなる前に小さく捨てていれば良かったのにーと私なんか思うのだが・・。

ここでピンク矢印の白一間飛びが当然の一手だ。これが打てて左右どちらかの黒石が取れると思った。
左の黒石はどうにか逃げ出せたが、その間に右の黒石は白に囲まれトラレ↓。これでほぼ勝負は決まった。
この後はオマルさんの逆転を狙う手だけに注意して打ち進め14目(コミを入れて20目半)の大差で勝利した。わはは!だがこれでも8勝10敗とまだ負け越しているんだ。90歳過ぎているのに2時間もずっと考え続けられ、しかも勝ち越すなんてすごい。

実はオマルさん、今回の退院は自宅へではなくて病院隣接の老健「青雲荘」へ入所するんだ。それならまた時間がある時に対戦が出来る。オマルさんは今や私の良き碁敵(ごがたき)、まだまだお相手してもらいまっせ!

2022年4月17日日曜日

「天文館 まち歩き 意外な発見!」の驚き

昨日、MBCのローカル番組「どーんと鹿児島」の再放送をチラッと見ていたら、思わず画面に向かって前のめりになるシーンがあった。おそらく見ていた人100人いたら99人は興味を抱きようもない地味な画面だった。「天文館 まち歩き 意外な発見!」というタイトルの1シーンで昭和31年の天文館の一部の住宅地図が大写しになっていたのだ。(REGZAのタイムシフトマシンでそのシーンを再現してみる)

地図の左半分は樋之口町(てのくちちょう:右半分は山之口町)で私が昭和41年から昭和63年まで住んでいたまさにその場所だった。普通に見ている場合には画面の移りが早すぎてまったく分からなかったが、タイムシフトで静止画像にしたら一軒一軒の家主名がちゃんと確認出来た。私が指さしている↓黄色の区画が自宅のあった所だが、昭和31年時は小さな家が3軒奥に並んでいたのだと初めて知った。昭和41年当時は木造の割烹旅館になっていてそこを親が買ったのだった。
ピンクで囲った区画が私が訪問したり遊びに行ったりしたところで名前もそのままだった。向こう三軒の家主は変化ないが両隣と背後の家は福元レンガを除いて全く違っている。10年も経てばそれくらいの変遷はあって当然だろう。なによりこの頃は一部に小正商店(今の小正醸造;後に日置に移転した)など企業の区画もあるが圧倒的に民家が多い。天文館(厳密には樋之口町は天文館隣接区域)といえどもこの頃はごく普通の下町だったんだと分かるし、私の住んでいた時期もまだそうだった。それが昭和の終わり頃から平成に入ってバブルの時期を迎えると住民は家を売り櫛の歯が抜けた様になっていった。今では・・そのほとんどが駐車場になってしまい、当時のままの木造家屋は向こう正面の徳永さんちだけになっている(内村さんちはもうない)。いや、現在も徳永さんが住んでいるかどうかは分からない。

というのも、今日の昼、私たちは昔懐かしい樋之口町に行ってみたのである。あの新しい天文館のランドマーク、センテラス天文館に行った後、立ち寄ったのだった。私たちの住んでいた旧「みしま荘」跡地は完全な空き地になっていた。平成2年に売却し両親は田舎に引っ越し後はしばらくそこの経営者が継続していたようだが、平成10年(1998年)に取り壊された。その後プレハブのような平屋の怪しいゲーム喫茶になっていた。それも今はもうない。

↑「みしま荘」の敷地そのままだ。そして管理看板があって、見ればなんと近々「簡易旅館」の建設予定だという。↓。へー。
↓が昭和44年、解体前の旧「みしま荘」、シャッターの位置が今の管理看板のところ。
↓が昭和45年に新築した「みしま荘」、前経営者が付けた屋号をそのまま使用した。
周りを見渡すと、向こう正面「徳永」さんちの古家と、隣の区画角地の2階建てコンクリートビルだけが50年前と変わっていなかった。古家の裏庭には洗濯物が干してあって誰かが住んでいることは確実だ。
↓右の家が約50年前の「徳永」さんち、左端のお婆さんと家は「内村」さん。中央左があこネーサ母。中央右は親戚のオバサン。
昭和45年、新築開業前に親戚が集まっていた。↓の写真の大人男性は左からデンコー父、イチオジ、アキヤオジでみんな故人だ。子どもは左が従弟のタカヒロに右がヒラーキ弟。
写真も懐かしいが、古い住宅地図を前にし、知っている住民の名前を見るたびに様々な思い出がよみがえった。MBCの番組では隣町の「山之口温泉」が出ていた。私は近くの「染川湯」によく行っていたが、何回か「山之口温泉」にも行ったことがある。どちらも今はもうない。銭湯そのものが今や懐かしさという言葉と同義になってしまった。
地図を見ているとまだまだ様々な思い出が湧き上がる。「住宅案内図刊行会」っていうのか。昭和45年あたりの地図も見てみたいと思ったことだ。

2022年4月16日土曜日

脱腸から「やんばる」まで

土曜は外来だった。付いた看護師は仏顔Nsで名前のとおりとってもおっとりしたナースだ。しかし彼女も子育てのストレスでもあるのかちっちゃな円形脱毛があると嘆いていた。私が仏顔Nsとしたのは彼女、本当にそう見えるからだ。↓お目々を披露出来ないのが残念。

昼前になり、次の患者の問診記載を見ると「大腸が膨らんできた」と書かれてあった。何だこれ?直に訴えを聞き診察すると、典型的な高齢者の鼠径ヘルニア、いわゆる脱腸だった。これは・・「外科の先生に診てもらいましょう」と即転科診察を指示した。たぶん手術が必要なはず、後で確認するとやはり手術予定が組まれていた。

それはいいといして、「そういえばさー」と仏顔Nsに語りかけた。「私の弟がまだ幼いころ、鼠径ヘルニアになったことがあったのよ。ある時、弟がションベンするのを見てびっくりしたの。おちんちんの周りがすっごい大きくなってて・・」「へー、子どももヘルニアになるんですか」「鼠径ヘルニアって子どもと年寄りに多いの。弟は手術を受けて治ったけど右のキ〇タマの横に傷跡が残った」「それでさー、私はその時初めてダッチョーって言葉を覚えたのよ。それで弟を『ダッチョキン(タマ)』ってよくはやし立てていたんだ」「まあ・・」まあ、子どもって残酷なことを平気で言うからね。

そこからだ。子ども時代の連想から私は「うちのデンコー父がまた口が悪いところがあってね、今で言えば明らかな差別用語をよく言っていた」と語り始めた。足を引きずって歩いている人は見たら「チンバ」、明らかに認知の老人には「ドモ」、親戚のおじさんには「ダッパ(今でも意味不明)」そして後で意味が分かったが「カモンゴケンコ」というのがあった。これは親戚の従弟が実はもらい子だったのをそう呼んだのだ。いや、ひどいのはその本人に向かって「おい、カモンゴケンコ、返事せい」と呼びかけたりして、私はあまりいい意味で言っているのではないとは感じていた。知ったのは大学生くらいの頃だったかな。「蒲生の後家の子」という意味だったのだ。うわ、ひどい・・。

さらにこれは鹿児島の人しか言わないが「ジキジン」だ。沖縄出身の人を指す「琉球人」のことで鹿児島式発音でそうなる。戦前から戦後しばらくまで普通に鹿児島では使われていた(ようだ)。私は妻と結婚を認めてもらう時に初めて知った。デンコーが「デンシロー親父(私の祖父)が生きていたら『ジキジンなんかと(結婚なんて)』と絶対認めなかっただろう」と言われたのである。かつて薩摩が琉球国を支配下に置いていた歴史的事情は100年以上経っても残存していたのだ。ところが現代の沖縄から見たら鹿児島なんて日本の一部で東京なんかよりずっと田舎の県というイメージだ(現実そうだ)。当時、カールが「まだ一度も会ってもいないのになんで(結婚を)反対されるのか分からない」と言うのももっともだった。

カールは今でも絶対に周囲には言わないが、どちらか言えば私の家の方が下に見られてもおかしくない状況にあり、鹿児島に来て驚いたのは県民性の違いというより庶民の生活や庶民感情といったものだった。まあ沖縄は鹿児島よりも島のどの地域の出身かで差別意識というかそれらしきものがあるのでどっちもどっちなんだがネ。今、NHK朝ドラ「ちむどんどん」で山原(やんばる)が舞台になっているが、私が沖縄の病院にいた頃の内視鏡室のカミタミカNsが、ある時お顔を膨らまして「やんばるのどこが悪いって言うの!」と怒っていたのを目撃したことがある。彼女の出身はきっとやんばるだったのだろう。ドラマを見て分かるとおり相当など田舎だ。那覇の上等なレストランにビーチサンダルで入っていたけどよく入れさせてくれたものだ。

まあいい、ひょんなことから差別の話にまで広がってしまった。

2022年4月15日金曜日

しんどかど雀荘へ

今年3月5日に話題にしたさつま川内市のしんどかどDrの麻雀部屋に行ってみた。まあ、麻雀に誘われたってことだ。行ってみると、元、カルテ倉庫に使われていた家の2階に私が推薦した麻雀卓「スリムスコア28」が鎮座していた。ほう〜いいね〜。畳部屋だったのを板張りに直してもあるそうだ。そればかりではなく、椅子も結構上等で背もたれ付きのやつ、サイドテーブルもボトル&ゴミ箱付きで一番いいやつだった。↓点数表示機能は最高級卓とほぼ同等というのが嬉しい。

さらに天井を見上げると4つの電灯が・・。
あはー、これはずっと昔私が「麻雀部屋作る時に気を付けないといけなのは照明だ」とアドバイスしたことがあったからだろう。普通の部屋に設置しても明るさが足りず麻雀牌が見にくいことが往々にしてあるからだ。新しい麻雀卓は牌をかき混ぜる音も静かで25万ほどにしてはかなり上等で、見せたまえDrのところのアモスJPEXともどもお勧めの機種だ。

麻雀面子はいずれもしんどかど整形外科の3人で、しんどかどDrに猟奇Drとは何回も打ったことがあるが、世抜きDrとは初めてだった。彼とは同い年だが学年が違っていて同卓する機会はこれまでなかった。聞けばやはり同い年の腹出しDrとは打ったことがあるという。学生時代から打ち続け、自宅に全自動卓もあるというから侮れないな。

半荘1回目、私の親で始まった。いい手だったが聴牌するのがようやくという出だしだった。しかしこの聴牌が大きかった。その後連荘に連荘を重ねあっという間に6万点を越えてしまった。そのまま慎重に打っていれば誰かがドボンして次の半荘に移っていただろう。しかしやはり麻雀はすんなりとはいかない。猟奇Drにリーチにたじたじとなり最後には安全牌が全くなくなり窮余の末切り出した9萬がリーチ一盃口の高めだった。しかも9萬が裏ドラ。満貫放銃で少し混沌としてきた。この後は気合い入れて振らないような手組みをして打ち進めた。世抜きDrは多牌チョンボというアクシデントもあり一時ドボン寸前にまでなったがそこはベテランで盛り返し2位、私は3人をマイナスにするマルエートップで幸先いいスタートとなった。

2回目は世抜きDrがマルエートップ、私は2位。3回目は私が普通のトップでしんどかど理事長と猟奇院長はイマイチ調子が出なかった。「今日は配牌もツモもだめだぁ」と嘆く猟奇センセイ、4回目もそんな出だしだったが、麻雀はいずれツキの波が平等にやってくる。逆転でトップを取り一息ついた。次が最後の半荘、南場までみんな2万点台の接戦だった。しかしここで世抜きDrが5万近くまで抜けだし余裕のトップかと思われた。その後私が上がり、オーラスを迎えてトップと9千点ほどの差になった。トップ取るには満貫ツモか世抜きDrから3900点の直撃が必要という場面、首尾よくダブ南ドラ1の3900点を私は聴牌した。待ちは4、7万。そこにしんどかどDrから7万が出た。ロン!の声は出さず。ここで上がると2位で終了、勝ちは勝ちだがトータルでは世抜きDrがトップだ。グッと我慢しドラの6ピンを持ってきて満貫にするか直撃を待った。↓矢印が見逃した7万。

するとドラ6ピンを引き満貫に化け、終了も近い頃、世抜きDrから4万が出た。ローン!満貫直撃で文句なしのトップになった。ふうー、これでトータルでもトップだ。

すでに日付が変わり0時20分過ぎになっていた。雀荘ならすでにお開きになっている時間帯で、ゆっくり余裕で打てるのは時前の麻雀部屋ならではだ。「また誘うからな」としんどかどDrに言われ「OK」と返事して帰宅の途についた。川内まではちょっとだけ行き帰りに時間がかかるが月1くらいならいいだろう。またのお誘いお待ちしてまーす!