「消化器内視鏡」を専門とするDr.こてるです。
趣味のボウリング、麻雀や病院での出来事、家族の内輪ネタから時事問題まで
日々の徒然を「こてる日記」として、毎日アップしています。
2000年5月から開始し2015年5月分からブログに移転しました。
2025年3月6日木曜日
ネコの夢をみた理由
2025年3月5日水曜日
「私、今、ドラマを見て泣きたいの」
夕方、4階病棟で仕事を終えようとしていると、近くに島棚王NsとマリンNsがいたので、「おう、今日はいっしょに夕食なんてどう?」と声を掛けた。すると、マリンNsが「今日は遅出なんで・・(帰りが19時になるので)」と躊躇していた。彼女らとは3年くらい前にいっしょに食事に行ったことがあり久しぶりなんで、島棚王さんが「先生、19時まで待ってくれたら大丈夫ですよ」と乗ってきた。それくらいなら待てるわと急遽まとまった。で、それまでの時間はちょうどこてる日記を書く時間にぴったしでうまい具合に書き上げ、19時過ぎ私の車で姶良のとんかつ屋「万作」に行った。まあ、ここなら間違いはない。
私は極上黒豚とろロースかつ膳(一番高い)にし、彼女らは海老フライが入ったかつ膳にした。そして恒例のゴマすりを開始だ。これ、いつも思うが「人に胡麻を擦る」という動作の語源がよく分かるよねぇ。↓白がマリンNs、黒が島棚王Ns。
ただ値段は以前より1、2割上がっていてこれは仕方ないな。そもそもこの30年ずっとインフレが抑制されていたのが不思議なくらいだった。もっともそれにともなって給料も上がらないと話にならないが・・。食べつつ、去年まで青雲会病院にいたヤマミューさんがこの前結婚式を挙げた際に、出席者に元や現青雲会看護師がたくさんいて、その集合写真から青空美NsやエイアイNsの現況、彼女らがこてる日記に登場した際の話題など延々続いた。島棚王Nsは「私のこてる日記登場名の山鳥Nsってのはあんまし気に入ってない。5階病棟のミヤビーエムNsってのは受けた、最高」っていうから今回から島棚王に変えたわ。気に入ってもらえずとも受けるのは間違いないハズ。その他、まあ若いなりの話題がちらほら出た中で、島棚王さんが「私、今泣けるドラマが見たい。そんな気分」というのでその後は韓ドラの話題で盛り上がった。もっとも私がNetflixをただで見られるのはマリンNsのおかげだし(マリンちゃんは私からUーNEXTをもらっている)韓ドラネタは鉄板だったんだ。2025年3月4日火曜日
ここに集いし同期4人
夕方、1ヶ月ほど前に日記ネタにした(2025/2/3)マッコーDrが面談に来院した。彼は4月から週1の非常勤で勤務する予定である。その時の日記で常勤を外れるからと書いたがそれは私の勘違いだった。今勤務している鹿児島市内の病院は週4日常勤は変わらず、別の病院の非常勤が外れるからということだった。なるほどそれなら納得がいく。彼には上部下部の内視鏡と人間ドックでの診察などを主にやってもらう予定だ。私もより3歳年上で髪は染めているようで眼鏡も掛けていたが、実年齢より若く見え相変わらずのイケメン、いやイケオジか( ・_・;)。
医局ではちょうどダヒロDrもいて久しぶりに会い、「去年ゴルフをした時に『青雲会に来ませんか』と言ってましたよねー」と語るもマッコーDrは覚えていなかったようだ。いや、今回もたまたま金曜日の内視鏡担当Dr枠が2月から急に空いたためマッコーDrの希望と合致し決まったわけで1年前なんかこっちに来る気などさらさらなかったはず、青雲会なんて気にもかけていなかったってことだ。かくいう私も青雲会病院(当時は青雲病院)のことを知ったのは入職する1年ほど前で、姶良を車で通りかかった時に偶然見かけて、カールに「へー、青雲病院ってあるんだ」と語ったくらいで、その時にまさか1年後に就職するなんてこれっぽちも思っていなかった。2000年にここに来て、その後丸25年もずっと勤務し続けるなんて思っていなかった。
マッコーDrとは大学入学から数えて丸47年、5月から常勤が決まったオンザビーチDr(2025/2/20日記で紹介)も同期入学の縁だ。10年以上前から非常勤のアミヤンDr合わせて同期入学が4人もそろったか。おおよそ半世紀前にはまだ青臭い学生だった4人が青雲会でそろう。なにがしかの縁だろう、大事にしなくては。
2025年3月3日月曜日
茶の里Nsの子どもらが今ハマっているものとは
2025年3月2日日曜日
湯島天神の奇跡
今回の千葉行きは気候が暖かく晴れていてよかった。明日から関東地方は寒くなり雪もチラつくそうだからツイている。今日の夕方に私は帰り、カールは残ってセージファミリーやマーヤ母らと明後日以降に小旅行の予定だ。
それで今日は「湯島天神(湯島天満宮)に行かない?ちょうど梅が見頃みたいよ」とカールがいうのでOKしていた。彼女は学生時代に埼玉や東京で生活していて、試験の前にはよくお参りしていたいう。久しぶりに行ってみたいとのことだ。だが朝食が終わってすこし余った時間を私は天鳳を一半荘やってしまったのだ。最近すこぶる調子がよくてヒマがあればちょくちょく打ち、たいてい1位2位でポイントも急回復してきている。だがこの半荘、意外に時間がかかった。カールは「もう早く行こうよ。なんで出かける前に麻雀なんかするのぉー」とぷりぷり。途中で止めてもいいが、私はトップ争いをしておりそれはもったいない。カールのなじりと周囲の冷たい視線を浴びながらも「もうこの局で終わるから」とラス前、オーラスを打ちづけた。で、クイタンのみで聴牌し対面が当たり牌の2ピンを出したので、これでようやく終わり、トップだぁと思った瞬間、ラス目の親も上がり宣言をした。なんとダブロンで親の連荘となりまだ終わりにはならなかった。この後もしぶといラス親は連荘を続け、業を煮やした私は親以外なら誰でも上がってOKという打ち方をし、トップ争いをしている下家に放銃し、結局2位で終わった。
ようやく出発できることになったが、予定より1時間ほども遅れてしまい、ご機嫌ななめのカールをなだめつつJRで御茶ノ水駅を目指した。そこから乗り換えて湯島駅に着くと、湯島天満宮は歩いてすぐだった。実はその名前は知っていてもどこにあるのかは初めて知った。上野の近くで不忍池も近くに見えた。その池も名前は知っていたが私は行ったことがなかった。天満宮は私の思っていたものよりずっとこぢんまりとしていた。太宰府天満宮くらいの大きさかと。曜日も天気もよくて参拝客がいっぱいいた。そして梅もちょうど見頃で近づくとほんのり梅の香が漂っていた。
露店もあり野点(のだて)もやっていてさらに結婚式も宮内でやられていた。梅の木も様々な種類が植えられ華やかさ満点だった。露店で日頃は何も買わないカールが珍しく「かりんとう」を買っていた。「セージが好きだから」だって。買うとくじ引きがあってカールの一人前のおばさんは当たって「うわー御利益があったわぁ」と喜んでいたが、カールは残念はずれだった。だがー。この後、奇跡が起こる。こんな奇跡、全く想像も予想もしていなかった。しかもこの湯島天神内でそれは起きたのだ。カールが「帰りは別の出口から出ようか」と3つある坂のうち、来たときは別の方向へ向かった。もう少しで階段に近づくというその時、カールが「あ、あの人、プードルのオバさんじゃない?」と言ったのだ。「え!?」とそっちを向くと確かに一昨日京浜急行で見かけたプードルオバさんだった。中年過ぎで髪は茶髪、すこし肌色はややくすみ、胸にプードルを抱えている。すぐに戻り、カールの写真を撮るふりをしてそのオバさんとプードルを写真に収めた。カールも撮られるふりをして協力してくれたよ。一昨日のあの時、すっごく写真を撮りたかった一般の人にこの広い東京でまた出会えた奇跡、そして写真を撮ることが出来た奇跡。いやー本当に驚いた。あの時、カールに「ぜひ見てみて」と言わなければ彼女も今日は気づかなかっただろうし、何より天神様へのお参りと梅を見ようと思わなければ再び会えることもなかった。そう、私が麻雀をしてここに来るタイミングが遅くならなければ、ばったりもなかっただろう。
この後、近くで昼食し、不忍池、寛永寺を見て、上野からアメ横商店街をぶらぶら歩き(アメ横も私は初めてだった)、そこでカールと別れ、私は羽田空港へ、カールはまた船橋へ戻った。いわば上野地域の散策をしたわけだが、ずっと後になっても思い出すのは、プードルオバさんとの奇跡的な邂逅(かいこう)、これが一番だろう。これが今日のネタになるのも当然であった。