2014年9月30日火曜日

「舞妓はレディ」を見る

大腸内視鏡5件あったけれど内4件を昼休みなしで頑張ってどうにか早帰りが出来た。急いで帰宅するとカールも外出から帰って来ていていっしょに与次郎の東宝シネマに向かった。映画「舞妓はレディ」を見るためである。今年いっしょに映画を見るのは春の「アナと雪の女王」以来だ。私が見たいと思ったしどちらかが50才以上のカップルなら一人千円になるので今日の早帰りは良いタイミングだった。この映画「舞妓はレディ」は「Shall we ダンス?」のあの周防正行監督作品でミュージカル仕立てというのも面白いと思ったのだった。
この映画がどんな映画か紹介するのが面倒なので以下ネットから引用しておこう。↓。

「Shall we ダンス?」「それでもボクはやってない」の周防正行監督が、京都を舞台に舞妓になるために頑張る少女の成長物語を、数々のオリジナルソングが彩るミュージカル仕立てで描いた。舞妓がひとりしかいなくなってしまった京都の小さな花街・下八軒の老舗お茶屋・万寿楽(ばんすらく)に、どうしても舞妓になりたいという少女・春子が現れる。最初は断られた春子だが、そこに居合わせた語学学者の「センセ」こと京野が、鹿児島弁と津軽弁の混ざった春子に興味を示し、彼女が万寿楽にいられるよう取り計らう。かくして万寿楽の仕込み(見習い)になった春子だったが、花街の厳しいしきたりや稽古、慣れない言葉づかいに悪戦苦闘。そしてある日、突然声が出なくなってしまい……。2011年・第7回「東宝シンデレラ」審査員特別賞受賞の上白石萌音(かみしらいし もね)が、オーディションを経て春子役に抜てきされた。

この上白石萌音って娘は「東宝シンデレラ」で確か姉妹で選ばれたんじゃなかったかな。妹の上白石 萌歌(かみしらいし もか)がグランプリで鹿児島から姉妹で選出されるなんてエライもんだと思ったものだ。この舞妓役は眉が濃くいかにも鹿児島出身のお顔で最初はイモっぽいおねえちゃんでその言葉使いを京言葉に変えるというシチュエーションはまさにあの「マイフェアレディ」そのものでタイトルもここから取っている。ということは主人公同士が最後はくっつくのかという興味も出てくる。しかしどちらかと言えば場となった京都のお茶屋の背景、風習を味わう映画だった。歌もなかなか楽しく「♪まいこーはレディー」と口ずさめる。そして中盤、お寺で舞妓の研修を受けるバイト舞妓の二人が松井珠理奈と武藤十夢だったのには驚いた。だいたいAKB関連ネタはチェックしていたが珠理奈がこの映画にキャスティングされているとはうっかり漏らしていた。後で調べると今年6月ごろにちゃんと出ていた。名古屋弁で「でら、大変」なんてセリフもあってそこでようやく気付いたとは珠理奈推しとしては恥ずかしい。でもなんだか儲けた気分。竹中直人や渡辺えりなど「Shall we ダンス?」ネタを最後の踊りで披露するのも観客サービスで楽しい。まあ映画を楽しむという点でお勧めの作品だ。しかし町並みのセットも作らねばならないし京都ロケが中心とはいえ季節感を出すため期間も長くなるしこれだけのものものを作るとなるとお金もかかるだろう。ぜひヒットして欲しい。そこそこヒットしているとの噂だがこの平日、与次郎ヶ浜の館内には私等を含めたった4人しか観客がいなかった。おいおい大丈夫かい?ぜいたくな気分も味わえるという意見もあろうが私は大勢の息づかいや歓声の中で見たかったなー。

2014年9月29日月曜日

マッサン、タシケント、サブアラド

「あまちゃん」以来朝ドラを見る習慣がついている。今日からNHKの朝ドラ「マッサン」が始まった。主題歌の「麦の歌」が中島みゆきで明らかにスコットランド民謡風、まあ私好みではある。てっきり外人女性主人公の話かと思っていたら久々の男性(マッサン)主人公だった。前回の「花子とアン」同様実在の人物を元にしていてニッカウヰスキー創設者とその妻の話ということだ。エリー役のシャーロット・ケイト・フォックスは日本語が出来ないということだったが色白でいかにも外人さんの風貌で愛嬌があり演技も上手そうなので問題ないだろう。ま、どういう展開になるかぼちぼち見ていきまひょか。

タナカッツMRが来て「この間、社内でボウリング大会をしまして」と見せてくれたのがタシケントMRのスコアだった。1ゲーム目、ぬぁんと247!2ゲーム目3ゲーム目は180、160台だったが3ゲームアベ206で堂々の優勝だったとか。T-MAXで投げたって?ふーん、ハウスボールの他社員相手にえげつないことするね。(かといって、マイボウラーはハウスボールではまず投げたくないもの)最近はいっしょに投げる機会もなくなっていたがこれは近々またお手合わせしよう。明後日の練習はぜひいっしょに!

夜はサブアラドDrと鳳凰卓で初の対戦をした。彼は病院でしかネット麻雀出来ていなかったが自宅でのネット環境を修復させ今回出来るようになった。結果は私がトップでサブアラ3位。ラス目だった私に赤ドラ2個の手が入りリーチ。トップ目の対面が3面張で追っかけリーチしてきたが、私の58索待ちに打ち込むと裏ドラも3枚乗りハネ満直撃で均等化、その後またも対面から6400上がり私がトップに立った。この後ダマのタンピン三色をサブアラドDrから上がるなどして1位で終わった。まずは出鼻をくじいた格好か。終わって電話で牌譜を見ながら彼と感想戦。ツキだけではない打ち方のミスが私の対面にはあり勝負の分かれ目になったことがよく分かった。遠隔で牌譜を検討するなどよく考えれば10年20年前はあり得なかったシチュエーションだ。いつのまにやらすごい時代になったなあ。

2014年9月28日日曜日

「TEPPEN」ボウリング

昨日の夜のフジTV系列で芸能人が自らの趣味や特技を披露しその分野で「ナンバーワン」は誰かを決定する芸能界特技王決定戦「TEPPEN」をやっていた。飲み会だったので今日ビデオで見てみた。この番組で取り上げる競技はピアノ、書道、絵画などの文化系から100M走、アームレスリング、剣道、卓球などのスポーツ系、ほか剣玉、UFOキャッチャーなんて遊び系もある。今回はこれまで優勝したりかなりの実力者とみられる二人を直接対決させるという趣向でピアノ、剣道、UFOキャッチャー、ボウリングが選ばれていた。しかも生放送だという。ピアノではAKBの松井咲子が出ているので興味はあるが演奏を聴いてもどこがいいとかほとんど分からないので割愛。結果は僅差で松井はさゆりに敗れた。剣道ははんにゃの金田と原口あきまさの一騎打ち。2本先取でこれは迫力があった。金田の方が若干実力上に見えたが今回は原口に軍配が上がった。UFOキャッチャーは省略。

私が見たかったのは当然ボウリングだ。これは去年優勝した石原良純と村田雄浩が7フレーム勝負で対戦するもので、実力者と目される村田のリベンジなるかが注目だった。村田雄浩は私と同い年で子どもの頃のボウリングブームも覚えていて大人になったら本格的にやりたいと思った口だろう。彼は10年くらい前かな、日米選抜プロの大会であるジャパンカップの生中継の観客席にいたのを私は覚えている。アナウンサーは気付かずカメラマンは気付いていたようだった。ああ、こいつは相当好きだなと思った。私も大会がちょうど学会と重なった時があって東京ポートボウルで観戦したことがあった。前回のボウリング対決は見ていないがパーフェクトゲームも経験しているとだけあって相当上手いのは予想がついた。

対する石原良純はボウリングしてたの?というくらい私は知らず、今回初めてフォームを見た。それで最初の1フレームを見ただけで明らかに実力は村田が上だって分かった。前回優勝したとはいえ石原自身もあっちが力は上と認識しているようで生放送ということもありガチガチだった。時折ボールがあらぬ方向に転がり、ストライクを重ねる村田の前に前半で勝負あった。ただ硬さが取れればストライクも出すしもっといいスコアが出せただろう。村田は前回の負けが相当悔しかったのだろう。ボール構えてピンを見つめる顔つきがすごい。もう、人でも殺すのではないかというくらいの眼差しだった。フォームは腕で振り上げ強いフックを掛けるアメリカンスタイルで7フレ中すべて1、3ピンの間のポケットヒットしていた。これなら結果はストライクか残って10ピンのみだ。10ピンスペアもミスらず完璧だった。相当練習しないとこうはいかない。わずか7フレでもはっきり分かる。芸能人でここまで上手いのはあまりいないだろう。プロと比べればどうかはそれはもうやはりプロが上なんだが真剣勝負で結果を残せるのは長年芸能界で生きてきた底力もあってのことと思う。同い年の好漢村田雄浩を見て私なんかまだまだだと思った。

2014年9月27日土曜日

視鏡室メンバー肉だカラオケだボウリングだっ

8月にする予定だった青雲内視鏡室の夏の飲み会が1ヶ月半遅れで今夜あった。例によってブックリバーDrが幹事を務めてくれ、天文館は肉料理の「牛道」で一次会があった。熟成肉がウリの評判の店らしく土曜など予約なしでは座れないとのことだ。ムッちゃんNs始め常勤スタッフだけでなくグッちんDr、オマルDr、カレントDr、さらに内視鏡室とは直接関係はないけどブックリバーDrが誘ったナマテツ、カホDrにスリウェル君、医療器械の会いたかさんと総勢14名の参加者でにぎやかだった。お肉は牛のあちこちから取り熟成させたもので予想に違わず美味しかった。ムッちゃんも最初はぶつぶつ言っていたがお肉を見るなりコーフンしていいネを連発しお酒は焼酎をぐびっと飲んでいた。私もビールを少々。

一次会は18時から20時半までで二次会は飲み会大好きなナマテツDr行きつけのカラオケスナック「ドンファン」に向かった。ここで私の誕生日サプライズでケーキを準備してくれていた。みんなの心遣いに感謝しロウソクも消しましたヨ。さらにカラオケもトップバッターとのことで日頃歌い慣れてはいないけれどこんな時のためによく歌う橋幸夫の「雨の中の二人」を歌った。この歌、簡単でバックコーラスにみんなが参加しやすいのがいい。この後はみんな次々に持ち歌を披露した。グッちんDrは和田アキ子の「古い日記」を選んだが持ち歌というよりこの場の雰囲気を鑑みセレクトしたのだろう。「古い日記」ってどんな歌?と尋ねると「きっと知っています」との返答で、聞けば確かに!「♪あの頃はふたりとも・・・Ha!」のあの歌である。昭和歌謡もみんなよく歌っていた。カラオケではあの頃の歌が歌いやすいしノレるんだよな。後半ブックリバーDrがどうしてももう1曲歌ってとのことで今度は「若者たち」を選んだ。最近ドラマリメークされて森山直太朗が歌っている。女性陣に「上手ね」なんて言われたけどこれも実は歌いやすくそれなりに上手く聴きこえる。謙遜じゃなくそんなに上手くはないっすよ。

三次会はお開きの案もあったけれど、そもそも二次会をボウリングにしようということで私はT-MAXに車を置きマイボールも準備していた。遅くなったためムッちゃんNsらはタクシーで姶良へ帰ったがスリウェル君もボウリング案に賛成でシホねえNsが「こてる先生に勝てる気がする」という無謀な意見も出てボウリングになった。レンコンが荒れていないか心配だったが一応オイルも入っていて良かった。200アップは出来なかったけどフックボールで目に物見せてやった。シホねえ?勝てるはずないっつーの。3ゲーム目はダブルスを組ませた。スリウェル君はマイボールないためメロメロ。参加した中では会いたかさんが結構上手かった。ナマテツDrは飲み過ぎていて吐かないように休み休み投げ、ブックリバーDrはパワーはあるがボールを握るオープンボウラーによくある癖のせいで今一だった。気がつけば日付が変わって1時半過ぎ、さすがにここでお開きになった。いやー、みなさんおつかれー。ほとんどは家路についたがナマテツDrは4次会に向かったらしいという噂だった。私とそう変わらないお年なのに好っきやねー。とても真似は出来ましぇーん。

2014年9月26日金曜日

ガターをおそれるな

串木野でのトリオリーグ、今回はある気持ちで投げようと決めていた。それは安全策を取らずストライクが出やすいラインに向けてしっかり投げるということだ。今の串木野のレンコンはアウトサイドやや奥にフッキングポイントがありそこに向かって投げるとぐぐっと曲がりポケットに入りやすくなる。ただ、少し外に出し過ぎるとガターになったり、安全策でやや内を通すとポケットは突いてもボールの曲がりが弱くなり10ピンが残りやすくなる。実は前回なかなかストライクが取れず最終ゲームの10フレ、思い切ってフッキングポイント目がけて投げたらターキー、パンチアウト出来たのだった。ああこれだった、この次はこの轍は踏まないようにしようと思ったわけ。

で、いきなりストライク。やっぱこれだよ。でも3フレ目ミス。いいやひるまないよ。6フレからターキーも出たりして212とまずは好調な出だしだった。2ゲーム目は序盤ミスショットあり183、しかし3ゲーム目はノーミスの214と計609ピン久々の200アベを出した。チームも海広しDrが2ゲームから190台を連発しほぼ完勝、ポイントを重ねた。リスクをおそれずいい結果が出るラインを攻めた結果がこうだ。やっぱり安全策だけじゃ勝負事は勝てないものなんだ。

ところで今日は自分の誕生日だった。ボウリングがあるので自宅では何も準備していなかった。内視鏡室ではスタッフの似顔絵を描いた紙に「HAPPY BIRTHDAY これからもお仕事頑張って下さい お体を大切に」とのコメントがあった。似顔絵はみんなの特徴を捉えて可愛いかった。シホねえNsが描いたもので彼女は4年前も拾ったばかりのゲンちゃんをネタに「これからは愛猫家としてがんばってくださいにゃー」と描いてくれていた。あれから確かにその通りになっちまったよ。時の経つのは早いものだ・・。

2014年9月25日木曜日

寿司屋の三夫妻

今夜はカールを伴ってサブアラドDr夫妻及び好青年病院内科の馬郎Dr夫妻と天文館近くの「待つ寿司」で食事会だった。会のきっかけはもともとはサブアラドDrが5月に好青年病院で胆石手術をした際にお世話になったことからだったが、カールが「以前からサブアラドDrにいっしょに食事でもって言われているのに全然お誘いが来ない」と昨夜愚痴っていたため、その件を話すとたまたま今夜その会があったというわけ。女の勘ってよう働くものよのう。サブアラ妻や馬郎妻とも会うのは久しぶりで良いタイミングだった。

待つ寿司はその筋では有名な店らしく馬郎Drの行きつけでもあった。「外食するときの7、8割はここだよ」というだけあって、「お、この時期に赤ウニが食べられるとは思わなかった」とか「サンマの押し寿司が絶品だな」とか慣れた様子だった。寿司店ではあるが美味しい和食の中に寿司もある感じかな。小一時間経った頃、月下美人の花も咲き雰囲気も良かった。私も久しぶりに生ビールを飲み、メヒカリの唐揚げが美味しく、刺身もサンマの塩焼きも身がたっぷりで一般の店よりは一つ二つ上等な味と作りだった。岐阜産の日本酒が珍しく、カールやサブ妻など美味しいと飲んでいた。サブアラドDrもさほど強くないのによく飲んで後半お顔が少し青ざめ最後の松茸の土瓶蒸しのころには元に戻って「大丈夫大丈夫」とのことだった。

私はサブ妻さんと会うのは20年以上ぶりくらいだったがほとんど違和感がなかった。去年「今の妻に会っても分からないかも」とサブアラドDrに言われてたがそんなことはない。見た目もいろんな仕草や反応も昔と変わらない。見た目が一番変わったのは真白髪になった彼こそだろう。馬郎Drも奥さんもさほど変わらない。特に馬郎妻のお肌はきれいで聞けばやはり努力しているとのことだった。

最後、馬郎夫妻が飼っているラブラドールレトリバーの黒犬アリスちゃんのことが話題に。というより、10才を越える老犬で家にほっとけないため車の後部座席に乗せて来ているとのこと。馬郎妻は席を立って何度も様子をうかがっていた。子どもがいない夫婦にとってはまさに子どもといっていいだろう。帰りがけ、カールもアリスのお顔をなでなでしていた。動物は可愛い。私は以前は何も飼ったことがなく4年前にゲンちゃんが我が家やって来るまでペットは家族と同等だと分かっていなかった。最後に良いもの見せてもらったよ。

2014年9月24日水曜日

SASUKEが好きって

うちのチッチは私の影響で高校野球オタクではあるがTBS系スポーツバラエティー「SASUKE」のオタクでもある。年数回放送される番組は必ず視聴し登場する選手のことも詳しい。TV録画されていたSASUKEを消していいかと尋ねると「ビデオデッキに録画しているからいいよ」とのこと。そんなきっかけから出たのが「鹿大医学部の高見俊治って学生も出ているけどバスケをやっているらしい」と聞きびっくりした。さっそく鹿大医学部のバスケ部誌「CUT-IN」を見ればちゃんと出ていた。彼の紹介記事には「器械体操出身。・・記憶に新しいのは2012年末のSASUKEに出ていたことだが、気になったのはその時の写真で横に写っていた美女。どうやら元カノらしい。どうやら寄りを戻したらしい。そして、どうやらまた別れたらしい。しかし、まだ付き合っているという噂もある。・・・」と女関係は秘密主義で部員もよく分からないところがあるとか、どーでもいいだろそんなこと!

今回は第1ステージはクリアしたが第2ステージであえなく脱落した。彼の自己紹介には「好きな言葉:SASUKE 好きなSASUKE:スピンボールブリッジ 嫌いなSASUKE:ジャンプハング」とあり、最後に「自己PR:来年もSASUKE挑戦するので、応援よろしくお願いします!」とバスケ部だかSASUKE部だか分からないくらいだった。少なくともチッチよりはSASUKEオタクであるのは間違いなかったネ。

さて、天鳳はいよいよ私も昇段戦だった。2355ポイントで残り45点でトップなら昇段だ。しかしチャレンジ1回目は2位で2385ポイントと上がるも15点足らず。でも今度は2位(30点加算)でも昇段できる。気合い入れて臨んだが何と全く上がることが出来ずラス、いわゆる地蔵ラスでマイナス120点し135点足らずとなってしまった。一気に遠のいたが1位1回2位2回で上がれるのでそこから頑張った。2位、1位と来て2370ポイントとなり3回目の昇段戦を迎えた。そのオーラス、私は4万8千点近いトップ目で2位の「地獄のミサワ」氏も4万5千くらいあり3位4位は5千点以下と、私の2位以上はほぼ確定、ということは昇段だ。最後は地獄のミサワ氏が親マンをツモり終了。私は2位30ポイントを加えぴったり2400ポイント、めでたく七段昇段を果たした。

いやー、長かったなあ。昨年12月に降段してから浮き沈みあり1000ポイントを超えない低空飛行が続いていた。7月くらいから上昇傾向に転じやっとだ。10ヶ月近く410戦もかかるとは、前回は1ヶ月半58戦で七段へ抜けたのにびっくらだわ。あの時は何か勢いがあったんだろう。勢いがあるときは事が簡単に運ぶのに下り坂になると何かと苦労する。人生にもそういう時ってあるような気がー。さあこれから鳳凰卓で厳しい相手とまたやり合うのか。特上卓でそこそこの相手とやっているのが気楽だったがま、た気合い入れ直して打つっきゃないね!

2014年9月23日火曜日

ソルの最期に涙する

そうそう、昨日の麻雀で面白いことがあった。ある局面でダイボDrがダブルリーチを掛けた。打9ピン。しかしリーチ掛けた直後何か躊躇する仕草を見せた。思い直してそのままリーチ。さあ、掛けられた私たちは困った。どんな待ちか分かるはずもない。なかんずく親のサブアラドDrはこのリーチで降ろされさらに突っ張ってきた見せたまえDrの2千点に放銃してしまった。すぐに手を崩し自動卓の穴の中に牌を捨てるダイボDr。その様子を見て見せたまえDrがハタと気づいた。「ダイボ、お前、ノーテンだったのじゃないか?!」「ははは」と否定しない雀士ダイボ。実は一向聴の手だったのに9萬と9ピンを見間違って聴牌と勘違いしダブリー掛けたが牌を曲げた後気付いたのでチョンボ覚悟で続行したのだという。仲間内の麻雀だからすまんすまんで取り消してもよかったのだがねえ(私だったらそうするかも)。これで割を食ったのはサブアラドDrだ。こんなミスは年に1回あるかどうかでこの日の夜の彼は私の役満ツモの時も親番だったしとことんツキがなかった。七段昇段のお祝いはやはり手荒いものだったってことだ。

さて、いよいよ「太陽を抱く月」を見終わるときが来た。朝から一人でビデオを18話から最終20話まで見た。さすがにワルはやっつけられた。でないと視聴者は納得しないだろうて。

でも私はそんな大団円とはちがう小さなサブエピソードに思わず涙がぽろりと出てしまった。それは主人公ヨナの幼い頃からの使用人兼護衛役のソルが密かに思いを寄せていたヨナの兄ヨヌに暗殺の魔の手が襲いかかった時に敢然と剣で守ろうと戦うも多勢に無勢、結局切られて虫の息になる。そして王の守護剣士ウンが助けに来るまでの間、初めてヨヌの胸に抱かれ身代わりとなって助けたことに少し満足げな微笑みをし「今この瞬間、他のどんな女性より私は幸せです」と告白しついには息絶えてしまう。現実世界では王女と結婚したヨヌに触れることすらかなわぬ身で、命と引き替えに愛する人の胸の中で亡くなる。このシチュエーション昔からよくあるんだよ!分かっていてもぐっときてしまう。このソルを演じたはまだ20才前後だろうか。脇役で男装風なのにそれにしてはハッとするほど綺麗な瞳をした美人だ。演技力次第ではあるが将来主役を張れる素質があると思った。視聴者の目を引くというのはある意味才能なんだよな。えっ、このソル役の女優ユン・スンアって当時29才なの?!ひえー、ずっと若く見える。肌も綺麗で整形っぽくない二重もいい。本格的にデビューしたのが2009年と遅かったのか。少し惜しい。翌年にケーブルTVドラマでヒロインに抜擢されたらしいがもう少し若ければもっと活躍できただろうに。

ドラマ見て泣くなんて久しぶり。このドラマ、それでも私の採点では10点中8点だった。まあいい方だが9点、10点になるにはよほどその世界にどっぷり浸かれるか、そしてもう一度最初から見直したいかと思えるかなどが必要である。でも「太陽が抱く月」は普通にお勧めの韓ドラ時代劇である。

2014年9月22日月曜日

謀反起こしたは正反対なり

韓ドラ「太陽が抱く月」を見ていて一つ思ったこと。時代は違っても今に通じるものがあるってことだ。このドラマは架空設定とはいえ朝鮮王朝前期である。「明国がどうのこうの」というセリフから間違いない。で、物語りの中で「謀反を犯そうとした」として処刑するケースがあった場合、実は処刑する側が悪党で謀反画策もしていて処刑された側は謀反なんて犯していないのだ。とすれば、思い出されるのは昨年末北朝鮮でクーデターを企てていたとして処刑された張成沢(チャン・ソンテク)粛清の一件だ。当局(金正恩)はどうのこうの理由を並べ強い口調で張成沢を糾弾しているが怪しいもんだ。北朝鮮が社会主義国家でありながら3代目まで世襲しているのは500年続いた李氏朝鮮のDNAがかの国民に未だ息づいているからとしか思えない。北朝鮮は社会主義に名を借りた朝鮮王朝だと考えれば合点がいく(他の社会主義国で世襲のケースはないはず)。韓ドラの法則に従えば張成沢はクーデターなど考えてもいなかったし自分の勢力を維持しようとはしていたかもしれないが金正恩殿下(チョナー)に取って代わろうとは思わなかったはずだ。あはれナンバーツーよ。そして王朝形式の国家はいずれ破綻するというのも必ず迎える結末だ。北朝鮮の命運も尽きるのは確定、あとは時間の問題だ。

今夜は珍しく午後7時から麻雀になった。明日が祝日で遅くまで出来るし、明日夕方からサブアラドDrが当直だというので彼の提案でこうなった。闘牌開始一番、「私が七段でこてるは六段、みなさんよろしく」とサブアラドDrが見得をきった。ううむ、事実だから反論はしないよ、実戦で目にもの見せたるからな。

で、さっそく結果だ。なんと滅多にないくらいの私の大勝、大勝利に終わった。最初の8半荘でなんとトップ7回を取りそのうち3コロ6回、6半荘目には四暗刻単騎を7巡目にツモって、見せたまえ、ダイボDrにも呆れられた。9半荘目にやっとラスを引いたが大勢には全く影響なし。10回目半荘が終わる頃、見せたまえDrにいつもの出産前の緊急連絡が入りお開きとなった。サブアラドDrは「す、すまんが今日は持ち合わせがない。これだけ貸しということで」と滅多にない借りを作った。いいですよ、構いませんとも、お返しはいつでも結構です(⌒о⌒)日付も変わりかなり疲れていたがこんなにツクなんて何がよかったのか自分でも分からない。ネットではサブアラドDrにやや分が悪いのに・・。こんな日もあろう、今日は私が強かった、そういうことだ。

2014年9月21日日曜日

昇段争い決着

今日は1日おいての日曜当直だった。しかし滅多にない楽な当直で朝から医局ソファに寝て韓ドラ「太陽が抱く月」のビデオを見た。医局のビデオにはすべてを録画しているわけでないのでネット検索しMacBookProで見ることが出来た。私は可能な限り韓国語字幕付きで見る。実際の俳優女優の声を聞いていたいからだ。今日1日でかなり見た。佳境に入り巫女となったヨナの書いた字が昔と同じだとフォンが気付くシーンはいいねえ。記憶喪失物ではこの手のきっかけが話を盛り上げる。

あとこのドラマ、夜のシーンが多い。MOOKで知ったところによると零下何度か分からないがとにかく寒かったらしい。韓国の冬って北海道並みだからな。なのに普通の韓服を着て演じるため俳優たちの感想は「とにかく寒かった」でほぼ一致だ。主人公の兄の陽明君役の俳優など顔に吹き出物が出来てあとでデジタル修正しているらしい。これは以前、チェ・ジウが「天国の階段」であまりに寒さに顔が膨れてしまったのと同じ症状だろう。

最後までは見終わらなかったが夜になるまでちょくちょく見続けあと数話というところまで来た。我ながらよう見たわ。かつて1ヶ月に5、6作品見ていたころのよう。当直の時はネット麻雀はしないからビデオかネットサーフィンするくらいでこうした見たいビデオ作品があるとちょうどいい。

で、その天鳳だがサブアラドDrが休みを利用して鬼打ちをしていた。昨日からずっとやっている。調子良く、夕方近くの対戦を観戦していたがどうやら昇段戦のようだった。南場に入ってトップ争いで3位以下とは差が付いているので2はほぼ確保している。となればいよいよ七段昇段か。すると午後4時半ごろ携帯に電話がなった。ああ、やったな。出ると「お先に昇段しやした」だと。電話の向こうでニヤリとするお顔がはっきり見えたよ。ああ、そうか、それはおめでとうございます、でもすぐに私も昇段して追いつきまっせ。

そうそう、七段になると最上位卓の鳳凰卓で打てるのだけどこれまでは全くの無料だったが月500円の支払いが生じる。今までの卓でもただで打てるのだけど勝ってもポイントは少なくラスを引くとそのマイナスポイントが大きくなるので割りに合わない。彼はあまり乗り気ではないようだがせっかく上級者と打てるのだからここはぜひ鳳凰卓参戦を促したい。例えば雀荘で知らない人と打つことを思えばはっきし言って月500円は超お得な料金だ。ネットに詳しくない彼のためにも私が2ヶ月分くらい支払いをしてあげよう。そう、昇段祝いにね。彼に話すとOKしてくれた。ようし、待っていろよ、私も早く昇段しなくちゃ。

2014年9月20日土曜日

「太陽を抱く月」

当直明け、そのまま外来突入だった。特に忙しくも暇でもなく、午後そのまま帰宅した。実は明日も朝から当直なので家でごろり。最近気になっていた韓ドラ「太陽が抱く月」を第1話と2話、3話は飛ばして11話を見てみた。去年NHKBSでの放送を録画していたので何も途中からNHK総合で週1チマチマ見る必要はない。

この韓ドラ時代劇が少し新しいのは架空の時代設定ということとファンタジーの要素を取り入れていることで、それだけだと視聴者が付いていけない場合があるので相反するようにいかにありそうな政治謀略を背景にしている。呪術で人を病気にさせたりロミオとジュリエットまがいの後で生き返る致死的薬物を使用したりと現実にはあり得ない設定だが、これがあるからこそ主人公たちの別れと再会という劇的なパターンに持っていけている。

子役時代が全体の3分の1あり、特に主人公ヨナ役のキム・ユジョンがいい。大人役では若き王役でブレークした若手俳優トップのキム・スヒョンが上手い。下手すりゃ荒唐無稽になりそうなところをすんなりドラマに入っていけるのはやはり若手でも彼らの演技力があるからだろう。それとこのドラマ、人物造形がかなりわかりやすく見ていてある意味安心感がある。領議政役ユン・デヒョンは顔から行動まで権力の権化だし、内官役のヒョンソンは常に王に付きそいコミカル、ミナ(旼花)王女は幼いがかわいらしいと8年の時代が過ぎても性格や行動に変化はみられない。まさにそこが時代劇と現代劇の違いで、時代劇の王道を行っている作品といえる。

ヨナが死んだということになるも実は生きていて大人になっての再会があり、分かっていて私が好きな記憶喪失ものパターンの展開で、これはもう見るっきゃないな。ここ3年ほど最後まで見た韓ドラはなかったが、久しぶりにハマるぞー。

2014年9月19日金曜日

診断当たります

今日は朝から外来そして当直だった。診断が当たったというか指示して正解というのが多かった。

26才の若者が腹痛がするというので診察した段階で「あなたは右の尿管結石の疑い濃厚」で諸検査するとずばりで、若者は青天の霹靂に当たったような顔をしていた(全く余談だがこの患者さん、「アタリ」って呼ぶ姓だったヨ)。

ある60代男性はむかむかするというので胃カメラを勧めるとそれを嫌がり他の検査で分かる範囲でいいいんだと横柄な態度だった。かちんと来た。しかしここから15分くらいねばったかな。あなたの症状を診断するにはいかに胃カメラが必要かをこんこんと説明、説得した。まあ意地になっていたかもしれない。根負けして「胃カメラ受けます」って従ってくれた。で、結果は立派な十二指腸潰瘍。ほうらと言いたかったが忙しくて内視鏡室担当のDrに処方まで任せて、どんなお顔をしたかは分からなかった。

上腹部の膨満訴えの80代女性、腹部CTを撮ると肝臓に巨大な嚢胞があった。ふつう肝嚢胞は症状も出ず治療はせず経過観察となる。しかしこの方は直径15cmもの大きな嚢胞で症状の主因とみて間違いない。破裂の怖れもありとなればなんらか治療をすべきと思い近くの病院に紹介状を書いた。10年くらい前か肝嚢胞の外科治療をしているとの発表を聞いたことがあったからだ。高齢なのにずっと気にしていた症状が解決できるかもと喜んで帰っていかれた。

昼前に来た右下腹部痛の中年男性患者は去年同じ症状で大腸憩室炎と思われ腹部CTでほぼ確定し入院させた。ふぅ。いろんな病気でよくやってくるわ。この調子なら当直の夜はどうなることかと思ったら最初軽い交通事故が来た以外は全く呼ばれることはなかった。へー、こんなこともあるんだ。

天鳳はサブアラドDrと今七段昇段を争っている。お互い六段で昇段ポイントの2400までどちらもあと少しというところまで来ている。この間彼の昇段を阻止したので私の方が先んじられるかも。残り180ポイントはトップ2回と2位1回が必要だ。果たしてどうなるかなー。

2014年9月18日木曜日

バンドで悪かったな

最近、革靴を茶色に新調した。実は2年前にすでに買っていたのだがその前に買った黒靴のままにしていた。普通靴が黒ならバンドも黒にするのが常道とされる。面倒くさがり屋の私はバンドも茶にしなくてはいけないのが億劫でそのままにしていた。で、カールに頼んで茶色バンドを買ってもらい履き替えて出勤したのだった。買うときにEEEEの幅広にこだわったのが良く黒靴よりずっと履き心地が良い。こんなことならその時に履き替えておけばねー。で、目ざといニッシNsに「あら、素敵な靴ですね、お似合いですよ」と見つかってしまった。いやはやそれほどでもーと少し照れ、こう言ってしまった。「何年か前に買っていたんだけどね、バンドが茶じゃなかったんで履かずに黒のままだったんだよー」するとニッシNs、「バンド?ベルトじゃなくて?」と言い放い、くくっと笑ったのだ。

あ・・しまった。思わず言ってしまったよ。古くさい物言いでおっさん度がばれてしまう。でもついつい言ってしまうんよ。未だにズボンをパンツというのに抵抗がある。スーツは背広でスニーカーは運動靴だろ?さすがにズック靴とはもう言わないけどさ。他にもベビーパウダーはてんかふん、ハンガーはえもん掛けが当たり前だったんだ。そして最後に言っておくがなー、部屋の電気の豆電球はなー、ホントは「ニショッコー(二燭光)」って言うんだぜ、覚えとけ!

2014年9月17日水曜日

じゃんけん大会の結果から

あれ?今日はAKBのじゃんけん大会だった。世間ではさほどの関心はもたれていないがファンの一人としては気になる。去年は私の一押しの松井珠理奈が優勝して感激したものだった。今年はTV生中継がなくなりフジ系で深夜録画放送と聞いていた。まあAKBも少しずつ人気退潮傾向というのはこうしたことからもうかがえるわな。ま、それはいいとして録画予約をしようとしたら鹿児島は放送がなかった。で、ネット社会の今は普通にネットをしているとNMBのみるきーこと渡辺美優紀が優勝したと知れてしまいわざわざ録画を見ようという気が薄れた。珠理奈はいいところまで行ったが途中で負け、決勝は小嶋陽菜対渡辺美優紀という超選抜の人気者同士の対決になった。それでまたぞろ「あれはヤラセだ」と決めつける輩がネットでは幅を利かせ始めていた。男性問題で若干人気が落ち気味だった大阪のエースの一人みるきーを勝たせまた人気アップさせようという魂胆だとね。確かに4年連続、総選挙でいえば上位の選抜組が優勝(篠田麻里子、島崎遙香、松井珠理奈、渡辺美優紀)しており、運営の思惑がそこにあるのではないかと思いたくなるが、仮にそう仕組もうとすればあれだけの大人数に不自然にならないようにし勝者となるべき今回はみるきーに勝たせるよう言い含めなくてはならない。じゃんけん勝負は一瞬だ。あいこでやり直しもある。お互いの呼吸が合うよう自然に決着させる、よく考えればこれは至難の業だ。そもそもガチであることが総選挙に限らずAKBのイベントの基本だ。思うに選抜組は大舞台に場慣れしていてじゃんけん勝負でも何かとアドバンテージがあるのかもしれない。ゆがんだ精神の持ち主の発信は素直に信じない、ネットにこうした輩があちこちうごめいているから気をつけよう。

2014年9月16日火曜日

きっと性同一障害

今日は急遽外来をすることになった。それはいいとして、20才代後半の風邪の女性患者が入って来た時、少し息を呑んだ。パッと見た目男性だったからである。短髪で着ているものもあっさりとしている。診察は普通に終わり、部屋を出たあと、付いていた光鳥Nsに「今の人、性同一障害じゃないかな」と相づちを求めた。彼女も「きっとそうですね」と肯いた。以前、そのことで悩んでいた若い女性が「頭部CTで異常がないか診てくれ」と頼んできたことがあり、その彼女(男?)にそっくりな容貌だった。今日の人は特に悩んでいる様子もなく全く普通の態度だったが内実はどうだろう。まさか、そうじゃないかって尋ねる訳にもいかないが・・。

光鳥Nsは「自分の息子さんがオカマだったらどう思います?」と私に尋ね、返事しないでいると「私だったら平気です。だってタイにはオカマちゃんがいっぱいいてみんな明るく元気だったですからー」とのたまう。彼女は家族でタイに住んでいたことがあり非常にオカマが多いところだとは聞いている。この前の台湾旅行でも彼女のお母さんがホテルにいたタイ人観光客の中から「あ、あの人、オカマだ」と指摘していたくらいだからね。光鳥母はタイ語も多少聞き分けられオカマにもシンパシーを感じているようだった。

私が体は女性で中身が男だったらどうしよう。性同一障害を理解するにはそう考えてみるとよい。やはり世間に従うわけにはいかないだろうな。だって「あなたは女性だからこれからは男性を好きになりなさい」と強要されてもできなでしょ。うちの子らは大丈夫か?まあたまにパソコンでネット使ってエロサイトを見ているようだから同一障害者じゃないだろう。世間と違う悩みを抱えていないだけよしとしようか。

2014年9月15日月曜日

蒲生で一夜

朝は早目に起き最上階のモーニングバイキングに向かった。エレベーターを降りるとすでに行列が出来ていてびっくり。でもこれは午前7時開店でちょうど数分前だったから。楽にいい席に座れ、窓から東京タワー全景がきれいに見え私はすかさずデジカメで撮影した。なかなかこの高さでタワーを見る機会はない。これだけでもここに来て良かった。食事後昼搭乗予定の飛行機を早め12時には鹿児島空港に降り立っていて、何と今回の東京行きは空港とホテルだけしか行かないという極めて地味な旅だった。今さら遠い土地に来たからってああしようこうしようもない。年を取ると面倒臭くなってくるわ。

昼もくつろぎ、夕方、蒲生の「ホントなのこの丘」に向かった。実はチッチの誕生日祝いをしようとカールが企画したのだ。サーヤも呼んで一泊二日食事と温泉を楽しもうって。明日は仕事なんだけどと言うと「姶良はすぐだし車2台で行けばチッチとサーヤは私が送って行ける」とのことだ。ここは檜を使い道の駅風の店も併設した新しい感覚の宿だった。温泉は弱アルカリ泉でなかなかいいお湯だった。日曜夜なので泊まり客はあまりおらずほとんど貸し切り湯で、チッチと二人だべりながら何を話したのかな。もう忘れたが子どもにはきっといい思い出になることだろう。

料理は洋風で私の他はおじさん叔母さんの二人組だけだった。そのおじさんがよくおしゃべりしていて最後は平安末期の源氏と平家の話題になっていた。何でも平清盛が源氏の妻だった絶世の美女をめとってその子の義経を殺さなかったばっかしにその後逆に源氏に滅ぼされる結果になった。「その静御前がだなー」と語ってこちらにもよく聞こえてきたが「静御前」は違うんじゃない?カールもそう思っていたらしくでも正しい名前が出てこない。食事を食べ終わるころはそのことが気になってネー。部屋に帰ってこのことが話題になり「自慢たらしくあのオヤジしゃべっていたけど静御前はちがうよなー。巴御前だったっけー」いつもならネットで即検索するがこの宿はWiFiが設定されていなかった。何がってこれが一番残念なことだった。でもチッチがスマホで検索して正解が分かった。「常磐御前」、ああそうだった。褒美ではないけれどカールがケーキを買ってきていてそれをみんなで少しだけ食べ布団で一休憩した。

ところがこのあと私はぐーすかやってしまう。灯りも付いたままで少々寝にくい。こんな時、私は大いびきをかくことが多い(らしい)。サーヤもびっくりだったろう。カールは鼻をつまみたかったらしいが少し離れていたのと疲れもありそのまま休んでしまった。外からは虫の声、入り口からはいびきの大合唱と大変な一夜だったそうだ。隣にいたチッチも同じく。いやー、ご迷惑掛けましたです。しかしいびきっていつも不思議だ。私には全然聞こえないんだよねー。

2014年9月14日日曜日

講演会へゴー

当直終わって帰宅して仮眠して昼過ぎには空港に向かった。ベロリンガー・インキンタイム社主催の糖尿病の講演会に参加するためだ。7月にタナカッツMRに出席を頼まれたのだがただで東京に1泊出来るとはいえ貴重な休みを費やすわけだからすぐには返事をしなかった。しっかし彼もねばるのよ。あれって会社が相当けしかけているに違いない。日頃ボウリングをいっしょに投げていることもあるし、糖尿病も内服処方する機会が多いしで、消化器関係でなくても聴いて得るものがあるだろうで、OKした。

で、余裕をもって空港に着いたつもりが周辺駐車場がほぼ満車状態で入れず困った。連休でみんな利用しているのだろう。結局空港内の駐車場に駐めることにした。1日800円で民間より2、300円高いが1日だけならまあいいか。駐車場代にけちけちするお人が飛行機は何とプレミアムクラス(ベロリンガー持ち)で窓の外からは房総半島や九十九里浜がきれいに見えなかなか快適だった。ただ機材遅れで離発着が遅れ講演会場のプリンスパークタワー東京に着いた時には一講演終わったころだった。フロア質問中で糖尿病の運動療法についてある先生から舌鋒鋭い質問が飛び講演者ももてあまし気味で座長がどうにかまとめると「なら、そういうことにしときますか」と矛を収めた。なかなかエライ質問者でしたな。

この後はDPP4阻害薬や最近発売されたSGLT2阻害薬についての利点と問題点などいろいろためになった。終わって懇親会も隣の広い会場であった。今夜の夕食はここで済ますつもりだ。どんだけ節約しているのよ。でも今回は特に予定もないしタイミングよく同窓会やAKBのコンサートでもあればばっちしだったのだが予定もなくこの年であちこち動くのも面倒だ。それに立食とはいえ出ていた料理は寿司から和食、中華、アルコール、デザートなど普通の店以上にいい味で私には十分だった。ちょうどそのころ好来百合社のサトリョーMRも来ていて、そうか今回のイベントは2社合同だったな。二人ともボウリングでちょくちょく会っている。まあその縁もあって断りにくかったということだ。日頃のつきあいも大事だねMR稼業も。

終わって19階の部屋に入り窓の外を眺めると遠くには六本木ヒルズ、近くには高速道路とビル群と都会らしいいい夜景だった。デジカメレンズを窓に押しつけフラッシュなしで撮影した。このあと天鳳をやりまくり・・と目論んだが実際は一半荘しただけ。やはり疲れがあり精神集中が続かなかった。

代わってNHKの韓ドラ「太陽が抱く月」第10話を見た。去年BSで放送され実は全20話を自宅ビデオに録画しているのだが見ておらず総合で放送されるようになってたまに眺めるように見ている。特に第3話の子役時代、仮面で民族舞踊を踊るシーンにフォン王子が紛れ込みヨヌを連れ出すシーンはファンタジックな中に緊張感があり思わず引き込まれ、私がこのドラマに関心を持つきっかけとなった。韓ドラMOOKでおおまかなストーリーは知っているとはいえ飛び飛びでしか見ていないので久しぶりに全部見てやろうかと思う。そんなことを思っていたらぐーすか寝入っていたのだった。

2014年9月13日土曜日

専門外なれど・・

今日の土曜は午前勤務のあと当直に突入だった。なぜか脳外科がらみの救急が多く、特に50才代で私と同年代の男性、彼は脊髄腔に動静脈奇形からの出血を起こした思われ、シマッチ院長に連絡取ると「うちでは対処出来ない」とのことで居間きれい病院に転送になった。20年ほど前に同様の出血を起こし麻痺が残り居間きれい病院で治療後青雲会病院で毎日のようにリハビリに励んでいる人だった。何度も不幸がやって来てと嘆く余裕すら今はない。とにかく無事であってほしいと願うばかりだ。この他脳梗塞の80才代男性、てんかん発作の中年女性が運ばれたりとその度にシマッチ院長に連絡して入院させたり外来で診たりと脳外科の手先となっていた。青雲会も脳外科常勤が一人故にすべてをここだけで完結は出来ない。かつて脳外疾患なんて一人ではほとんど診たことなかった私が今や脳外研修医並みに働いている。まあ医者の端くれで地域医療を担うからには専門外といえどもこのくらいはやらねばならない。専門外だから診られませんは通用しないのである。

2014年9月12日金曜日

昇段阻止

サブアラドDrから電話がかかってきた。「私の昇段戦をいっしょに打たないか」と。彼は天鳳でこのところ絶好調、一時は四段に落ち「自分の実力はこのあたりかな」と弱気な発言もしていたのに、一気に五段を過ぎ六段も順調にポイントを積み重ね現在2325ポイント、ということは次ぎに1位を取ればそのポイント75が加わり2400ポイントで七段昇段となるところまで来ていた。ずっと上だった私は同じ六段で1680ポイントとすでに追い抜かれている。そこでサブアラド六段は記念すべき昇段戦を私と戦い花を添えようって魂胆のようだ。うぬぬ・・受けて立とうじゃないの。その前に必ずしもいっしょに対戦できるかはやや微妙で、互いに電話で連絡取り合って対戦申し込みをせーのドン!でいっしょにクリックしなくてはならない。3回に1回は失敗し同卓できないことがある。さてはうまくいくかどうか。せーのでクリックしたらサブアラド、デルバラドいっしょに表示された。「出たな」「はい」くくくっといよいよ闘牌開始となった。

天鳳特上卓(四段~六段が中心の場)では1位75、2位30、3位0、4位-120とすべてのマイナスをラスが被るシステムでいかにラスを引かないかが大事だ。天鳳界では「3位は勝ち」の名言もある。そのためオーラスで3位なのに下家のトップ目にわざと鳴かせたり安いとみればわざと放銃することすらある。ラス目が上がって自分がラスになるよりよほどいい。トップ目のわざ放銃(差し込み)なんてしょっちゅうだ。

この昇段戦も自分がトップになればそれにこしたことはないがなによりラスにならずに打つ、これが大事だった。東1局、サブアラド六段はクズ手でそれでも形式聴牌を目指そうと7ピン槓の対面に枯れている8ピンを切ったところこれがドスン、6400の放銃となった。後で見直すとちぐはぐな打牌をしていた。対して私は無理をせずドラドラ間チャン待ちの手もいつもはリーチを掛けるが先行リーチ者がいたのでいつでもオリられるようダマにしていたらツモ上がって2位浮上した。南3局になりラスのサブアラド六段は少しでも上がろうと喰いタンに走った。私は一盃口ドラ1で聴牌。ここでもリーチは掛けない。下家のサブアラ六段に欲しい牌は切らず上がらせないことがより大事だからだ。すると3位のリーチが掛かり完全に手詰まりとなったサブアラ六段は当たり牌の7万を切るとこれが親マン12000点。持ち点はわずか1600点となりこれでラスは確定的になった。オーラス3位になった私は2位と5800点差。2千点の手を聴牌したがトップ目からのアタリ牌を見逃した。上がって3位のままではつまらない。これもサブ六段がダンビリでラスに落ちる心配がないからできる余裕だ。そのうち赤ドラと入れ替わり3900の手になった。その間トップ目からのアタリをまた見逃した。対面の2位から出るかリーチ棒を誰かが出してくれたら・・。しかしとうとうツモってしまい1000、2000の4000点を上がった。3位のままで2位とは800点差。まあ仕方ないだろう。サブアラド昇段を阻止しマイナス120ポイントさせしばらく昇段は出来なくさせた。ほっほっほ。甘く見ちゃいかんよ。私もすぐに追いつくからね。

2014年9月11日木曜日

POEM講演

県医師会館での講演を聴きに行った。第二内科主催の研究会で実は私のところには会の誘いが来なかった。グッちんDrが「アカラシアのPOEM治療の講演ですよ」と教えてくれなければ聞き逃すところで担当のスリウェルMRは私とは関係ないと思ってたようで連絡してなかった。POEM治療は昨年アカラシア治療で患者を福岡まで紹介し劇的に改善させた経験もあり聴きたい分野で行くのは当然だったのだ。

講師は長崎大の南ひとみ先生で御尊顔はネットで知っていた。まだ30才代だがアカラシアに限らず食道分野では幅広く活躍している。POEM=経口内視鏡的筋層切開術(Per-Oral Endoscopic Myotomy:POEM)は去年までの私が全く知らなかったように初めて見聴きするという出席された先生方も多かったかもしれない。それを開発のいきさつから実際まで紹介しわかりやすく非常にまとまった講演だった。開発者の井上晴洋教授とともに第一号患者の手術にも参加したとは本人も言っていたがうらやましい限りだ。講演終わって井戸第二内科教授がフロアから何か質問は?と求められ、すぐに第二内科教室員や出水に出張中の山立可Drが質問していた。ふむふむと聞き入っていると井戸教授がほかに質問は?と言い、この辺で終わり・・の雰囲気だったが、すくっと手を上げたのはこの私だった。日頃は滅多に質問などしないのだが関心ある分野だけにやっちまったよ。聞きたかったのは非常に有効な治療法と思うが3、4施設のみで行われているだけで今後の普及をどう考えているかといった内容だった。アカラシアという病気が少ない上に外科の心得も必要で現状は多くの施設でというより集約された施設でやっていくのではないかとのお答えだった。鹿児島でもやっていく可能性もあるようなことを大学の先生も言っていたが、大阪あたりでは出来ない治療法でわざわざやって来る患者もいるというから長崎と福岡で治療出来る九州はまだ恵まれているかもしれない。

ともかくもこうした講演が長崎に行ったり学会参加しなくても聴けるのは有り難いことだ。しっかし、日頃ボウリングでしょっちゅう顔を合わしているのに肝心の私に連絡し忘れるなんてしっかりしてくれよ、スリウェル君。

2014年9月10日水曜日

どっちが極悪人か変人か

ブックリバーDrが「こんな人がいましてねえ」と名刺を見せてくれた。80才代の男性で奥さんが入院しその説明を受けた際に名刺を差し出されたそうだ。それには元福岡県の教育界の大物だと強調するかのようにかつて校長であったことと有名進学校名が添えられていた。ま、自分を軽く見られたくないタイプの人なんだろうぐらいに思った。そこで物は試しにとネットでその名前を検索してみた。するとだ、一番最初に登場したのが「僕の高校○○宣言」を読んでみたという文章だった。書いたのは○山○一という人物でそこには「・・何より後極悪人のY校長こと○×。こいつは、僕を弾圧した年を最後に定年退職し、その後北九州の私立○○学園高校に天下り(?)した。今もそこで校長を続けているかまでは分からない。こいつだけは、再会することがあればぶん殴ってやろうと思っている。老人虐待と云われようが、絶対殴る。以下略」とあった。驚いた。かつての校長をマムシのようにしつこく恨んでいる。そんなにY校長はひどい奴だったのだろうか。そもそもこの文を書いた○山○一なる人物はどんな奴なんだ。こんなことを書くなんて常識はずれなのはもしかしてこっちの方ではなかろうか。で、調べてみてあれ?と思った。どうも聞いたことがある名前だったし、Wikipediaに出てくる経歴に見覚えがあった。で、こてる日記でこの名前を検索してみるとなんと2008/04/13の日記タイトルにもなっているじゃないか。以下当時の日記を抜粋してみよう。

「・・鹿児島市議選があった。私は今日が選挙とも知らず終了間際にカールに急かされたが誰に入れてよいやら見当もつかないので珍しく棄権した。特に興味もなかったが候補に「○山○一」なる人物がいて気になった。この人、昨年都知事選に出て政見放送にて政府転覆を軸とした自説を語り最後には中指を突き立ててみせたという。「(もし当選したら)私もビビる」、「投票日の翌日には九州に帰る」など何が言いたいのか分からない訴えで予想通り落選し、借金した300万の供託金は没収された。3年前に霧島市議選、去年は熊本市議選ときて今年はなぜか鹿児島市議選に立候補したわけだ。2006年に原付を運転中、制限速度違反および一方通行違反を行った件で幾度かの要請に応じなかったせいで去年鹿児島で逮捕もされてるというお方だ。どうもよく分からない。

ネットで調べると鹿児島は隼人町生まれで5才から福岡に住み高校は私立中村学園三陽高校から鹿児島の加治木高校さらにまた福岡の○ヶ○高校と転々とし最後は自主退学している。名門校に転校できるところをみると頭は良さそうだが、そのころから管理教育への反発心旺盛で学校にはなじめなかったようだ。

その思想や行動の履歴など私は読む気も起こらなかった。ただ変なヤツ、変わり者なだけである。市議選の結果は予想通り最下位落選だった。しかし540票取りかろうじて供託金没収は免れたようだ。ご苦労サン。」

いやー、驚いたねえ。同じ人物を同じようにネットで調べ話題にしたのだ。興味は持ったがまるで評価していない。そうそう、日記には誤りがあった。最後の540票供託金まぬがれ云々は私の事実誤認でしっかり没収されていた。この後は供託金没収に懲りたか選挙に出ることはなかったものの、2014年東京都知事選挙が始まると毎日一般参加者を募り舛添要一や田母神俊雄に対してほめ殺しの体験学習会を開いたりしたという。

公平に判断し元Y校長が極悪人というのはまず違いで、自分を縛り付ける制度や教育を間違いだと決めつけ社会になじめない独りよがりの人物が評価しただけのことだった。この人物、○山○一賞なる賞も作っていて毎年一人を表彰しているとか。「主に反体制的な右翼運動、左翼運動、前衛芸術運動などの諸分野から、「いま最も注目すべき活動家(もしくはグループ)」を、○山○一が独断で選んで一方的に授与する賞」であるとのことでそんなん選ばれたくもないわ。よほど自分が偉いと錯覚しているものとみた。いつの世も変人っているんだよなー。

2014年9月9日火曜日

マイボウラーやまひろDr

テニス全米ープンの錦織は残念だった。ここで優勝するのと準で終わるのとでは雲泥の差で今後錦織がメジャー大会で優勝出来る保証は何もない。コーチのマイケル・チャンが今回よく取り上げられているが、彼は最初の決勝全仏オープンで粘り勝ちし、新婚旅行直前のホテルで相手のエドバーグを応援していた私はその拾いまくるプレースタイルに驚嘆したものだった。その後数回メジャー決勝に出るも優勝はそのたった1回だけ。しかしそれでも全仏チャンピオンという名誉はずっとついて回る。全米オープンはあのビョルン・ボルグは4回決勝に出て4度も敗れていてそれくらい難しく貴重なチャンスだったのだ。今回決勝にまで来られたのも多少の巡り合わせもあっただろう、だからワンチャンスを決めて欲しかった。日本人が決勝に出ただけでもすごいことだったのでけなすわけではないのだが・・うーむ、残念。

夜いつもMR連中とT-MAXでボウリング練習をした。驚いたのは隣のレーンで一人投げていたのが大学や第二内科でも同期の山師だ分かる内科のやまひろDrだったこと。へー、マイボウラーとは知らなかった。奥さんがボウリング教室でやっていてマイボールを手にする機会がありこっそり(?)やっていたのだという。マイボールを見せてもらうとボウリング場キャンペーンでよく使われるボールだった。あまり曲がるタイプではないのでコントロール重視で投げる分にはいいがストライクを連発しハイスコアを目指すには難しいボールだ。フォームもそこそこ手慣れた感じでチャンスがあればいっしょに練習をしてみないかな。ボールをリリースするときに手首が動くのでまだ強いフックを投げられないようだがちょいと癖を直しボールもより曲がるタイプを使えばすぐにアベレージは上がる。同世代がボウリングをやっているとうれしいもんだ。

今日は相変わらずの超ドライコンディションでターキーは出なかった。こういったレーンではボールの安定軌道は望めない。どうにかしてくれい。

2014年9月8日月曜日

いつかやろうは・・

所属長会議が終わり病棟の残務を終えて駐車場に出ると東の空に十五夜の満月が出ていた。今日は陰暦の8月15日で仲秋の名月ってやつだ。せっかくだからとマイデジカメで写真を撮った。しかしオートモードでは肉眼の印象とどうも一致しない。ただの白く発光する天体にしか見えないのだ。表面のうさぎさん模様やさらに詳しいクレーター模様などまったく無理。最後に一枚だけ表面模様が写ったのが撮れたけれどそれは偶然でもう1回やってと言われてもきっと出来ない。カメラ好きと思われているがコンデジでのスナップ写真ばかりでデジタル一眼は扱ったことがない私ゆえ知識も技術もないのだ。いつかは扱ってみたいとの気持ちはあるがいつかやろうは結局しないになりやすくこのままでは一生手を出さないかも・・ナ。

2014年9月7日日曜日

チッチ合唱

午後、カールとS學館文化祭に出かけた。チッチ最後の文化祭で午後2時から高3生の合唱がある。2年前のセージの時といっしょだ。家族席に着くと「やあやあ」と奥マラDr夫妻に声を掛けられた。学年は違うが知っているDrに会うのもいつものことだ。2年前はアカマリDrだった。歌った曲は3曲でいずれも教科書などからではなくポップス系からの選曲で「Don’t stop me now」「Progress」「希望という名の光」だった。といわれてもすぐにはピンと来ず、聴いてDon’t-はクイーンの曲でProgressはNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の主題歌だった。希望-は聴いたことなかったが山下達郎の曲らしい。身振り手振りの元気なコーラスだった上に、ただでさえ暑い気候の人も多い体育館はなおさらで団扇か扇子は必須アイテムだった。私は汗かきながらデジカメ動画を撮った。あとでチッチが必ずチェックするからね。興味ないような態度でいて彼は体育祭同様この手のイベントに頑張るタイプだから。

終わってすぐに体育館を出た。何でもどこかの教室でお化け屋敷をやっているとのことだったが多少の怖いもの見たさは我慢して早々帰宅した。ああ、暑かった。クーラー効かしてネット麻雀でもしましょ。最近はこれが一番の楽しみだわな。結果も1位2位2位1位と珍しく調子良かった。ようやく調子を取り戻しつつある。8月は好調だったのに9月に入ってから急にビリが多くなってポイントを下げてしまった。今月中には七段再昇段をして鳳凰卓復帰を目指しているのでぼやぼやしておられないからなー。

2014年9月6日土曜日

リアル麻雀継続も大変

午前の仕事が終わって帰宅ししばらく休憩後15時半から雀荘「最高」に出かけた。中途半端な時間に開始となったわけは久々にジャズ魔が参加したからである。彼は歯医者を開業していて土曜午後はどうしても遅れるとのことだった。そもそもは開けたいゾMR参加の予定だったが高校生の息子の運動会があるからと断りを入れてきた。それはしようがないねだったのに雀荘に着くとなんとその開けたいゾ君がいるではないか。いや本当は打ちたかったらしいのだが奥さんに遠慮して断ったもののこの時間からなら打てたようなのだ。でも今さらなので帰宅前に寄ってみたとのこと。いやはや、大の大人が4人そろい時間を作って何時間も闘牌に興じるって大変なことなんだなぁー。

さて実戦は久々のジャズ魔が満貫ツモでスタート。その後も得点を重ねるなどブランクを感じさせなかったが南場に入りサブアラドDrが親で連荘を重ね見せたまえDrをドボンにさせ3コロの大トップで1戦目を終えた。ジャズ魔はいつの間にか3位。彼はこの後も大きなマイナスはないものの2位が多く一度もトップを取れなかった。元鹿児島県麻雀選手権者だから実力はあるが私やサブアラドDrが天鳳で鍛えられスピード優先の麻雀をするためどうしても競り負けるようだった。私が2、3戦目トップでリードするとスロースターターの見せたまえDrも後半連続トップして負けを取り戻しつつあった22時半ごろ、恒例の見せたまえDrへの携帯コールが鳴った。産婦人科開業しているとしょっちゅうあるんだ。たいていは電話指示だけで済むがこの時は彼の顔色が変わって予想外の事態が推し量られた。何でも出産直前の胎児の心拍が80前後だって?大人なら普通の心拍数だが胎児ならこれは放っておけない。死産の可能性すらある。「悪いがここまでだ」とちょい負け分を払い置き、いそいそと場を後にした。まあ、こればっかしは仕方ない。

さて残された私たちはどうしよう。開けたいゾ、ダイボDrなど打ち手はいるにはいるが時間が良くない。20時ぐらいならまだしも22時半じゃいかにも中途半端。3人で打つサンマは我々は好みじゃないしお開きにしましょとなった。清算すれば私がちょい勝ちで3人ともちょい沈み。珍しく雀荘の勝ちだった。「最高」では12時間5千円打ち切りというバーゲンセール並みの場代を利用しているので滅多にこうはならない。ま、私はこれでリアル麻雀連勝これでいいとしよう。ではまたの機会に!

2014年9月5日金曜日

あしたのジョーをチッチと語る

今日は大腸内視鏡は4人ERCPは1人だったが胃カメラが32人もいた。おっと私は検査担当ではなくほとんどブックリバー、オマル両Drがやってくれたのだった。ただこんな日は外来担当の私も忙しい。疲れて帰宅するとTVではボクシングをTBS系でやっていた。TBSは昔からボクシング中継に熱心だね。ミドル級の村田も優勢だがKO勝ちは出来なかったようだ。(途中から付けたり消したりで最後まで見ず)チッチが帰ってきてボクシング中継を見るなり「あしたのジョー」の話題を振ってきた。彼は繰り返しジョーを読んでいるのでいくらでもエピソードを語ることが出来る。部屋にはいつでも読めるようにコミックス全巻を床に並べているほどだ。(最近、最終巻の20巻だけがないと探している。どこかにあるはずだが・・)「学校でもジョーのことをしゃべりたいのだけどみんな読んだことなくてよく知らないんだよ」とか「力石徹って死んだんでしょとか最後は真っ白になったくらい知っていればいいほう」と嘆いていた。おお、それはいかんナ。「あしたのジョー」は日本の漫画界の最高傑作といっていいほどの名作だ。面白さ、話題性だけでなくその時代(昭和40年代)を語る上で取り上げられる作品であり何よりだ、平成の子らであるチッチやテル、セージみんなが読みふけってしかも一度ならず二度以上読み一度読み出すと面白くて次を読まずにはいられなくなる点などまさに不朽の作品なんだ。原作の梶原一騎全盛期でちばてつやの画力、構成力が相まって今では20巻はさほど長くはない尺だが読了後に大長編を読み終えたようなある種の脱力感と余韻が残るのもすごい。

チッチはまず少年院時代の青山君を話題にした。こんにゃく戦法は言われると思い出す人も多いだろう。カーロス・リベラやウルフ金串などのライバル名も出てきてそうだそうだと二人でいくらでもエピソードが出てくる。思えば最後の試合になるホセ・メンドーサとの試合は彼らもリングサイドに登場するし両手ぶら下がりやクロスカウンターなどそれまでのジョーに出てくる戦法が織り交ぜられドラマで言えば総集編最終回を意識したものだった。ほかまだ細かい話題は出たがあまりにもジョーオタクっぽい内容なので省く。チッチも語って少しは溜まっていたものが吐き出せたのじゃないか。それよりこんな傑作を漫画だとかボクシングが出てくるとかで食わず嫌いしている平成の子らに読ませたいものだ。ただ与えられていないだけで私が子どもにしたようにセット20巻を学校にでもおけばみんなハマること請け合いなんだがー。

2014年9月4日木曜日

ふぐり

青雲会病院では基本、共通語でしゃべるように指導されているがご高齢の患者さんにたまに鹿児島弁で応じることがある。今日は「ちんちん」という表現を使った。鹿児島弁で「だんだん」の意味である。「ちんちん良うなっていっもそ=だんだん良くなっていくでしょう」決して変な言葉ではない。しかしそばについていた某看護師は鹿児島出身ではないらしく「えー、初めて聞きました」と少し驚いていた。「そーか、でもね、10年近く前TVのバラエティー番組でもこれって取り上げられてゲストの芸能人がみんなびっくりしたんだよ。ちょっとは有名な言葉なんだがー」と2005年のタモリの「ジャポニカロゴス」で紹介された鹿児島弁「チンチンボッボサルッモソ」を教えた。これはちょうどその時期にこてる日記でそのままネタにした(2005/09/21)。「ボッボ」は「ぼつぼつ、ゆっくり」、「サルッモソ(サルモッソではない)」は「うろつき歩きます」で「だんだんゆっくり歩いて回りましょう」くらいの意味だ。「さるく」は長崎で後に「長崎さるく博」として地方博覧会のテーマにもなった言葉で鹿児島に限らず九州地方ではよく使われる。

そんな方言話をしていると「面白いですね。私は「ふぐり」という言葉は徳之島の方言だと思ってたのですが云々」と語り出したので、「ちょっと待て。ふぐりは方言じゃないぞ。立派な日本の一般用語だろう」と意見した。いわゆるキ○タマが入っている袋をふぐりと言うのは徳之島に限ったことではないはず。ちょうどタッピーNsも診察室に入って来たのでネットでいっしょに検索することにした。こういう時は辞書かフリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)だ。辞書にも「ふぐり=陰嚢」ときちんと出ている。で、そのあとWikipediaで検索してみた。そこにも同じように陰嚢として説明があった。が!二人して思わずのけぞった。なぜなら目に飛び込んできたのは実写真があったからで、確かにふぐりもあった。でもふぐりではない立派なモノがものすごく目立って写っていてふぐりが目に入らないくらい。おいおい、絶対みんなびっくりするよ。ふーぅ、ため息が出た。

(Wikipediaで「陰嚢」を調べるときは決して女性がいるところで開かないで下さい。セクハラととられかねませんから)

2014年9月3日水曜日

スリウェル君の締めくくり方

早帰りして休んでから夜ボウリングに出かけた。T-MAXは相変わらずオイルが少なくボールコントロールに苦労するコンディションだった。それでも私は何度もダブル出してターキーチャレンジを迎えた。しかしいざターキーとなるとミス投球をしてほとんどが食い込み過ぎてしまっていた。5度目でようやくターキー取ってほっとしたぜ。

そんな中スリウェル君はストライクは出せないけどスペアを重ね何と9フレまでオールスペアで来た。私はボウリング人生で3度か4度くらいしかオールスペアゲームは達成していない。わざと狙えばもっと出来るかもしれないがスペア取れるくらいコントロールいいなら11回のストライクチャンスのうち1回くらいはストライクが来るわけで意外に難しいのだ。まだキャリアの浅いスリウェル君はもちろん初めてのことだ。しかし10フレ1投目ストライクを出しやがった。「おいおい、滅多にないオールスペアゲームだったのに空気読んでないなー」と茶化した。しかしその後が立派。ストライクを連続で出し最後はターキーパンチアウトで締めたのだった。「おー、それならオッケー、グッジョブ、見た目もきれいだ」と手のひら返してみんなで誉めた。

最後は恒例のダブルスで私とサトリョーMR、スリウェル&タナカッツMRで対戦した。初心者のサトリョー君なので私たちが10ピンハンディもらった。ゲームは一進一退で8フレ終了時点で123の同点ということは私たちが10ピンリードしていたのだが9フレミスって相手はストライクで若干分が悪いまま10フレに入った。サトリョー君は8ピンカウント。相手のタナカッツ君は9ピン。私はスペアを取らないとまず勝ち目はない。だがなんとこれをイージーミス。ここに来て上級者たる私がこんな投球をするとは・・。ラストはスリウェル君がスペアを取ればハンディあっても私たちの負けの場面。残りピンは4番ピンで大して難しくない。余裕で取りに行ったスリウェル君だったが・・。ドライレーンでたまにあるミス、ボールがどんどん左に切れピンにかすりもせずミスってしまった。終わってみれば私たちが141ピン、スリ、タナ組が151ピンで、ハンディ入れて同ピン!いやはや。スリウェル君頭抱えてひざまずいていたけど見事な結末、いい演出でしたっ。

2014年9月2日火曜日

予言者「松原照子」

私の昔からの雀友ジャズ魔が最近ようやく天鳳を始めたという。雀ネームはローマ字でjazzmaにしたとのこと。彼はパソコンに弱く以前はセッティングがうまくいかんとかで手を付けていなかった。幸か不幸か例のWindowsXPがサポートしないというので新しいパソコンを購入したのがきっかけでやる気になったようだ。ただセッティングはお盆で帰ってきた息子にしてもらったらしい。10級から始まって上級者目指しこれから長い道のりだが最初は楽勝でサクサク進む・・はずだが意外に苦戦しているとか。ラスが多いんだそうだ。特に東風戦ではほとんどビリ。あはーと思った。彼は鳴きちらして早上がりを目指すタイプではない。純然たる順位戦の天鳳東風戦では最初のうちから少しでも点棒を稼いでおかないとじり貧のラスになる。まだ慣れていないんだな。彼には普通の東南戦が合っていると思う。元鹿児島県麻雀選手権者たるもの、五段六段くらいまでは上がってもらわなくては。待っているゾー!

ネットで「松原照子」なる予言者が話題になっていると知った。何でも3・11の東日本大震災の予言を的中させたとか。あるサイトの松原照子を紹介する内容には以下のように書かれてある。

「太平洋側は動く気配がムンムンしています。『陸前高田』と云う地名が声にならない会話を自分にしています」「岩手・秋田・山形・宮城・福島・茨城」──。2011年3月11日の約1カ月前の2月16日、こんな予言が松原のブログに掲載され、さらに松原は千葉、神奈川、東京、埼玉、群馬の県名を次々と挙げていく。その範囲の広さは、予言した松原自身が困惑し「私がおかしいのか」とさえ記すほどだった。そして、約1カ月後の3月11日に、松原のほぼ予言どおり、未曾有の大震災が東日本の広い範囲を襲った・・」

この予言的中は瞬く間にネットを通じて広がり、松原のブログ「幸福への近道」は一時サーバーがパンクしてしまうほどの反響を呼んだ。同時に前述の松原が27年前に刊行した前述の予言の書『宇宙からの大予言』が話題となり、ネットオークションや古本サイトでは希少本として高値がつけられていったのだ。以降、現在でも値段は下がってはいるが、品薄・品切れ状態は続いており、入手は相当に困難だといわれる"幻の書"となっている」

結論から言おう。一見当たっているようだが、いずれも時期があいまいでいかにもありそうなことを予言しているだけである。このサイトでは他にも一例挙げている。以下抜粋。

・・3年前に松原はこうも予言している。「近年中に又、我国の先生がノーベル賞をとる事でしょう。この発明は手術を大きく変える事でしょう。見えた事が書きにくいのですが『体内で再生』こんなイメージがしました」と予言し、これは翌年12年に京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授がノーベル医学・生理学賞が受賞を予言したと言われるものだが、現在では19人もの日本人がノーベル賞を受賞しており、近年では00、01 、02、08、10、12年と数年に一度は受賞している。「近年」といった曖昧な記述では、的中するのはいわば当然。また「体内の再生」がiPS細胞を予言したというが、この時、すでに山中教授やiPS細胞の存在も知られており、少し調べれば分かることだ。

冷静な見解である。しかし先月書いた私の叔母さんの話ではないが世の中にはこの話を聞いて「わー、すごい。超能力者だ」と感じ、この人のことを信じて行動する輩が意外といるのだ。ノストラダムスの予言でもそうだった。馬鹿な人は1999年に人類は滅亡すると本当に思っていたそうで信じがたいのそっちの方だ。結局ネット界、みんなが言い合う場の2ちゃんねるでは「科学知識と虚言癖を持つ女性」ということで決着しているらしい。ま、論じなくてもこの手の予言者はほぼ100%そうだから議論するのも時間の無駄だと思う。最近NHKが超常現象をまじめに取り上げて番組を作っているようだが私は見ない。見る気が起きない。実になることは結局ほとんどないと私の中では決着が付いている。残りの人生は半分もなくなったこの年でそんな無駄なことに費やす時間がもったいない。今回は自分と名前が似ていたため「松原照子」のことを書く気になった。でなければ鼻から受け付けない話題ですらあったのだ。

2014年9月1日月曜日

アダ名はルドルフ

AKBの新曲「心のプラカード」が恒例の100万枚越えを果たしたとのことだ。これで18作連続になる。ただ今回は初動達成(1週間以内)ぎりぎりだった。ピーク時は即日達成なんてこともあったのだがー。AKB人気にもそろそろ陰りが見え始めたのかもしれない。でもファンは気にすることはない。いつかは記録は途切れるだろうしすでにAKBのシステムは確立されていて多少の人気低下はあっても生き残るだろうから。

某病院に患者連絡の件で電話をした。あいにく依頼担当のDrがすぐには出られないと電話受付の女性が言ってきた。それは仕方ないのでまたかけ直しましょうとなった。その際、その係の人が名前を名乗ったのだが、それが比較的珍しい姓で私は思わず尋ねた。「もしかしてアダ名がルドルフとかじゃなかったですか?」向こうは笑って「ええ、まあ」とのことだった。ふふふ、その名から連想できるのはあの名競走馬に違いなく私でなくても周囲もそうだったか。ふと、ムッちゃんNsが「何をにやけているですかー」といぶかしんだ。いや、べつに大したことじゃないんでー(^^;