2024年7月31日水曜日

勝負に生きる

こうも毎日オリンピック報道があれば日記ネタもそれになってしまうわな。

男子柔道は村尾三四郎が格好よかった。技の切れはもちろんだが特にその表情。勝っても緊張感が途切れず、じっと先を見すえているような顔つきを崩さなかった。当然勝ち進み決勝にまで進んだが・・。先に技ありを取って有利になったと思えたが技ありを取り返され、掛けた内股は完全には決まらず、逆に掛けられた技も不完全かと思われたが微妙に技ありを取られ合わせて一本負けした。でも、力はほぼ五分、優勝してもおかしくなかったゾ。

男子体操個人総合は岡慎之助選手が優勝したねー。橋本大輝がエースだと思っていたがすぐに次のホープが育っているところは日本体操界もえらいもんだ。ただ6位に終わった橋本のインタビューは良かった。最初は「悔しい」と本音を覗かせたが「もう、新しい歴史を見れて(見られて)僕は幸せです」「けがをしてから、ここまで戻って演技することができた。悔しいんですけど、きょう演技することができて、堂々とやりきれたという気持ちでいっぱいです」と心境を語った。まだ22歳で捲土重来を期待しよう。
この前、大谷のことを書いたら、彼もチームも結構な不調に陥っていた。故障者続出の中、同地区ライバルのサンディエゴ・パドレスに初回に5点を取ってこれは勝つだろうと思っていたら、徐々に差を詰められ、9回裏にホームラン2本で同点、延長でサヨナラ負け・・いやはや勝負に生きる選手らは大変だぁ〜。

2024年7月30日火曜日

男子バスケ、フランスに負けた理由

バスケ日本男子は対フランス戦、惜しかったねぇ。ドイツ戦と違い勝てた試合だったがー。延長に入ったら分が悪かった。対して男子サッカーの予選3戦目、対イスラエルは控え主体のメンバーでもいい勝負をし結局後半に1点を入れ勝ってしまった。サッカーはバスケに比べ、プロ化は20年以上早くワールドカップなど世界大会の経験も多い。その差だろうな。バスケは審判の誤審がなければ勝っていたーと、確かにそうかもしれないが、実力があればそんなことがなくても余裕を持って勝っていたはずよ。

サッカーもバスケもプロ化に際しては川淵三郎氏の力が大きかった。特にバスケは2つのリーグが対立し、国際バスケ連盟から統合出来なければ国際大会への出場はまかり成らんと言われていたのを見事にまとめ上げた。今、オリンピックに男女ともに予選から勝ち上がって本大会に出場出来ているだけでも進歩だ。川淵さんえらい!そのえらい人のお言葉として、難しいといわれたサッカーのプロ化を目指すある会議で「時期尚早」「前例がない」というネガティブな意見に、氏は「時期尚早と言う人間は100年たっても時期尚早と言う。前例がないと言う人間は200年たっても前例がないと言う」「できないことにチャレンジして、できるようにする。それを仕事という」この発言がネガティブな空気を一掃し、川淵氏の強力なリーダーシップの下、Jリーグの立ち上げに前向きに進んでいったという。スポーツジャーナリストの二宮清純氏は「歴史にイフは禁句だが、あの名演説がなかったら、Jリーグは生まれなかったし、日本代表もこんなに強くならなかったかもしれない」と川淵氏のリーダーシップを称賛した。

バスケや柔道で確かに誤審云々を問題化したくなる気持ちは分かるが、柔道の『待て』後の締め継続問題も、見ていた私はそのような状態に持って行かれた日本選手の方がやや弱いと思った。その後頑張って銅メダルを取ったのはえらかったがねー。

そして審判ももっとビデオ判定を取り入れたらいいと思う。メジャーリーグも1試合に1回チャレンジといって抗議の判定を受け入れている。それで審判のミスだったりミスでなかったりがはっきりしすっきりとする。オリンピックは4年に1回で負けて終わりの試合が多いからなおさらもっと導入すべきだろう。そうすれば、あの「待て」を言った審判はすぐに試合を止めるべきだったと分かるはず。そもそも「待て」後の5、6秒後に一本を取るなんておかしいやろ。おっとかくいう私も文句をまた言いたくなったぜぇ。

2024年7月29日月曜日

僕らは漫画で強くなった「男子体操団体」

また寝落ちして未明に覚醒、そしてタイムシフトでパリオリンピックの各種目を観戦した。今夜の注目は男子体操団体戦か・・と見ていた。しかし、中国が強い。日本はあん馬で橋本大輝が落下したりして点数は伸びない。最終種目の鉄棒の前に日本は3点差以上の2位でほぼ絶望的な点差だった。前回東京オリンピックではロシアが4人合計262.500、日本が262.397でその差なんと0.103で銀メダルに終わったのだ。3点という点差が相当な大差だと分かる。

しかし日本選手たちの表情はまだ終わっていないという感じだった。橋本の落下後も「大丈夫、大丈夫」と言い合い、全くあきらめていなかった。「あきらめたらそこで試合終了ですよ」の漫画SLUMDUNKの名台詞は今や日本スポーツ界での至言でもある。あと、カールがいつも子どもたちに言っていたのが「かけっこでも最後まで一生懸命走りなさい。前の選手がこけることだってあるかもしれないんだから」で、実はこれらのセリフがまさに現実になった。日本の漫画の影響力はスポーツ界にもかなり及んでいるのだ。

鉄棒で日本選手が高得点を出すとこれが中国選手へのプレッシャーになったのか、着地に乱れのあった選手に続いて、次の選手が離れ技で落下し、そこで動揺したのか2回目は鉄棒をほとんどつかみきれない落下をしてしまった。この演技だけで11点台と3点以上の失点をしたんじゃないか。日本はその後の橋本が無難にまとめ、中国の最終演技者に相当な高得点が必要な状況に追い込みプレッシャーを与えた。結果は日本の逆転優勝。中国のミスに救われたとはいえ日本は最後まであきらめていなかったからこその勝利だった。

なお、ミスした中国選手は開幕直前に怪我した選手のために代役として急遽パリに呼ばれたのだが会場での事前練習もできなかったという。ぶっつけ本番だったのだ。それでも無責任な中国ファンは怒りの矛先をSNSでこの選手に向けているようだ。「なぜ代表に蘇のような選手がいるのか。非常に不快だ」などはまだ分かるが「蘇が引退を表明するのを望むし、私にはそれを止める理由がない」「私はあなたを死ぬほど憎んでいる」などは、はあ?だ。こんなファンに支えられている(?)中国選手たちは可哀想やな。日本体操選手らは最終演技が終わっても中国最終演技の前ということで「しーっ」と指を口に当て静かにして最終演技を見守りましょうよと周囲のざわめきを制した。決して相手のミスを喜ぶようなことはしていない。立派だったと思う。負けて恨まず勝っておごらず、今後も日本選手はこの精神を守っていきたいな。

2024年7月28日日曜日

全盛期の大谷

朝、いつものようにメジャーリーグのドジャースの試合を見ていた。相手はア・リーグの雄ヒューストン・アストロズだ。そこで大谷が第2打席で凄まじいホームランをライトスタンドにかっ飛ばした。ライトスタンド2階席を越えて飛んでいって、打った大谷も確信して動かず打球方向を見つめていた。
私は「150mくらい飛んだんじゃないか」と言い、大谷自身も「打った感覚は今までの中でもトップじゃないかなというくらい、飛距離というか、打感もそうだし、角度も全部が良かった」と自画自賛するくらいの打球だった。しかし飛距離は135mと最長というほどではなかった。でも打球速度は自己最速タイの118.7マイル(約191キロ)を記録したそうだから、毎試合観戦している私が「凄まじい」と思っただけのことはあった。

でも凄かったのはそうしたデータではない。観客のざわめきと歓声がなかなか止まないんだ。次打席が始まっても観客の「今のはすごかったな」「どこまで飛んだんだ」「大谷すごい」などと英会話が飛びかっていたんだよ。直に見た観客は今さっきのホームランがただのホームランではないって実感として分かっていたんだ。球場は敵地アストロズのミニッツメイド・パークだったのだけど観客もこんなホームランを見たらそれだけでも見に来た甲斐があったというものだ。

ただ、試合は5点をドジャースがリードしたのに救援陣が打ち込まれ6対7で逆転負けを喰らってしまった。うーん、今のドジャースは怪我人が多くそこそこ強いんだけどこのように追いつかれて負ける試合も最近はある。だが今の時期だからまだいいかも。勝負は10月のポストシーズンだ。その時に怪我をしているベッツや山本由伸らが復帰してくれればいい。そう期待したくなる雰囲気がドジャースにはある。これが昨年までのエンゼルスにはなかった。大谷はダブルヘッダーで1試合目に完封して2試合目に臨みホームランを2本打つという獅子奮迅ぶりを見せたが、そのあたりが本人のピークで結局9月には故障してしまった。

スケボーでまた女子中学生が金メダルを柔道男子阿部一二三が文句なしの金メダルを取るなどパリオリンピックも盛り上がってはいるけれど、私は大谷やドジャースの試合が一番に気になるほどメジャーリーグ中心の生活パターンになっている。だからネットの「SPOTV NOW」への月額2千円支払いがそれほど苦にならないのだ。今、全盛期を迎えている大谷翔平を見過ごしてはならないゾー。

2024年7月27日土曜日

その名も「熱中対策水」

今週も土曜午前は外来勤務だった。暑い。外に出ると暑さと湿気が凄まじい。定期受診以外の患者さんはコロナ疑いか熱中症疑いがほとんどだ。熱中症疑い患者で高齢男性が手に持っていたのが↓のドリンクだ。なんと「熱中対策水」とそのまんまのネーミングだった。

どこの飲料メーカーかと調べると「赤穂化成」といって兵庫の赤穂市の会社だった。もともとは赤穂の塩を売る会社で2008年から「熱中対策水」を売っているそうだ。いや知らんかった。でもあまりにも分かりやすいネーミングでインパクト抜群だ。この時期にはよく売れるのではー。

帰り際に医局の冷蔵庫を覗くと、お中元品のスポーツドリンクがあった。銘柄は「ジューシースポーツウォーター」とある。ぱっと見アクエリアスっぽいデザインで「熱中」よりはずっとスタイリッシュだ。でも「熱中」に比べこの製品名は1回見たり聞いたりしただけでは覚えられない。メーカーは「熊本果実連」だった。今はこのデザインではなく4月から下の画像デザインに変更されたようだ。

ふうむ、確かにすっきりとしてさらに洗練されている。ただやはりインパクトは「熱中」にはかなわない。「でも『熱中』は夏しか売れないだろうな」と私が言うと、カールは「でも店でどっちを買うかと言えば、私は『熱中』の方だわ」ときっぱりだった。

ださくてもインパクトとわかりやすさ、中小企業が大手に勝つにはこれなのかも。

2024年7月26日金曜日

やはり驚くよねぇ

例によって未明に目覚めると、TVではパリオリンピックの開会式をやっていた。なんとセーヌ川の橋の上や河岸でパフォーマンスがあり、各国の選手団は船に乗って紹介されていた。雨も降っていて選手の服も濡れている。そうだと知らされていなければおよそオリンピックの開会式とは思えない。後でビデオ映像を見ると、橋から打ち上がったフランス国旗の煙(花火)は良かったねぇ。橋上でのファッションショーや映画、舞台を模した演出など競技場にとどまらず、パリの街全体でオリンピックを演出しようという意図がはっきりと見え、斬新ですごいと思った。

驚いたのは宮殿の窓に赤い服の女性がギロチンで切り落とされた自らの首を持って登場し歌を歌うというパフォーマンスだ。さらに建物の窓からは血飛沫を思わせる赤いテープや赤い煙が噴き出す演出もあり、開会式を生中継したNHKの解説によると、女性がパフォーマンスを行った建物はフランス革命で王妃マリー・アントワネットが幽閉されたコンシェルジュリーだという。

日本では絶対にありえない演出やパフォーマンスで、いや他の国でもまずありないことだろう。王室のあるイギリスでは2012年のオリンピック開会式で、007の映画のシーンの一部に当時のエリザベス女王を登場させ、その映像の後に空中からダイビングして降りてくるというパフォーマンスで湧かせたものだ。この違いを見てフランス(フランス人)の民衆自らが王政を打倒し民主主義を確立、近代共和制を世界に先駆けて成立させたことの自負というか誇りを感じた。しかしそれにしても日本人にはおよそ思いもつかない発想でのオリンピックという場でのこのパフォーマンス、驚きのほうが大きい。

女子サッカーのなでしこジャパンは前半にフリーキックで1点先制したが、相手のスペインは強かったなぁ。昨年のワールドカップでも負けたが2点取られ逆転負けを喰らった。点数以上に差があると思った。なでしこは金ではなくメダル狙いで行くしかないかもね。

2024年7月25日木曜日

セルジオさんが褒めるくらいだから

最近の私は夜21時くらいにはTV見ながら寝てしまって未明に覚醒するパターンがほぼ毎日だ。で、今日もそれで目が覚めるとパリオリンピックの男子サッカーが始まっていた。日本対パラグアイだ。前半で1ー0で日本がリードしているじゃない。ま、オリンピックのサッカーは年齢制限があるから南米のチームといえども日本が勝つことも十分にありうる。ネットでチェックすると直前のアルゼンチン対モロッコはなんと1ー2でモロッコが勝利していた。ワールドカップではまずありえない結果だ。

日本の先制点は流れの中で三戸舜介がゴールを決めていた。なかなかいい動きだった。で、その後パラグアイは一発レッドカードを喰らって10人になっているという。負けているのに一人少ないではこれは俄然日本有利やね。後半になって綺麗なセンタリングに頭で合わせてまたもやゴールを決めたのは三戸舜介だった。これで2ー0。ほぼ勝利は決まりとYouTubeなど見ながらTVを眺めていたらどんどん点を決めよった。結局5ー0での大勝利。数的有利があったにしても日本選手の動きにはキレがあった。やるね日本サッカー。↓上は先制、下は2点目で決めたのはいずれも三戸舜介。

明けて日刊スポーツのセルジオ越後の「ちゃんとサッカーしなさい」を読むと実に珍しく「他競技の日本代表選手たちにもいい影響を与える5ー0の快勝」と褒めていたのよ。日本が勝っても何かとくさしたりするのがセルジオさんの持ち味なのにー。この前の対フランスとの前哨戦1ー1の結果も「メダルを取るためのサッカーではないね。1次リーグ突破用の戦いだね。守って守ってなんとか引き分けで、勝ち点1を取る。これでは、トーナメントで勝ち進むことはできない。」と手厳しかった。

しかし今回は「実力もツキもあったね。前半はMF三戸、MF斉藤、MF平河が良かった。俊敏な動きで相手を翻弄(ほんろう)したし、いい形で先制できた。早い時間帯に相手が10人になり、楽な展開にもなった。ワールドカップ(W杯)ロシア大会のコロンビア戦を思い出したね。」と語っている。そしてパラグアイがなぜ負けたのかの指摘はさすがと思った。
パラグアイは南米チームらしくなかった。欧州スタイルのサッカーだったね。ドリブルで崩したり、もっと積極的にサイドから来られたら、日本は苦戦したはずなのに、前線にボールを放り込んできた。この展開なら、日本は簡単には崩れない。」ふむふむ、なるほど。

中2日で次のマリ戦。3月の親善試合で1-3でやられた相手だ。当時、マリはしつこくサイドを狙ってきた。中央ではドリブルで日本の中盤と守備ラインを苦しめた。日本が苦手とするタイプ。データ管理や分析力にたけている日本が、どう対処するか、楽しみだね。それにしても5点差勝利は大きい。1次リーグ全体に影響する点差だ。得失点差などを考えると今後、局面や時間帯によっては、戦い方を選択できる利点がある。選手交代にも余裕が持てるだろう。選手の動きを見ると、大会前のコンディション調整がうまくいったのだろうな。出場した全選手が、ほぼベストの動きだった。18人で中2日の試合をこなすハード日程の今大会で、体調管理は試合結果に直結する。負傷交代した平河が心配だけれど、みんないいコンディションで大会を戦い抜いてほしいね。

ううむ、辛口で鳴るセルジオさんも褒めざるを得ない結果と内容だったということだ。最近の日本男子サッカーのオリンピック成績はいいところまで行くが結局4位というのが多かった。でもセルジオさんが褒めるくらいだから今大会パリオリンピックの男子サッカーは期待出来そう。応援しよーっ。

2024年7月24日水曜日

緊張、KZ先生からの連絡

朝、電子カルテを起動すると、メールが1通入っていた。医事科のユタ狩りさんからで以下の画像のような内容だった。
ゲゲッ。KZ先生からの患者紹介だよこれは。いやぁこれはちょっと珍しい。先生が国分で開業されてから30年くらいか。私が同じ姶良郡の西の病院に勤務して24年、これまでほとんど患者さんのやりとりはなかった。同じ郡内でも東と西だし、向こうは国分市内の病院や霧島市立医師会医療センターなど大きな病院もあるので姶良市までは患者を送ってくるケースは少ないのだ。その紹介患者はずっと以前にこちらで診療したことがありIDは残っていたが、どんな病気でどんな経過をたどっているのか全く記録に残っていなかった。

KZ先生は私が大学病院時代の上司だった。しかも私はよく先生に叱られちょっと苦手なタイプで、あの細い目でよく「こてる君、ちゃんと仕事をせんか」と言われ「は、はい」と萎縮したものだった。昨日はたまたま午後が早帰りしていた。ほんとよかった、ラッキーだったぜよ。KZ先生から「こてる君、この患者よろしくな」と言われたら「いいえ」なんて言えやしない。現在、こちらもベッド空きがあまりなくて苦しい事情なのに「どうにかしますっ」って言ってしまって自分の首を絞める羽目になったことだろう。今日KZ先生からの電話があるんじゃないかとずーっと気に掛けていた。しかし午後になっても何の音沙汰もない。夕方近くになってやっと「これはきっと連絡は来ない」と思った。ふう・・。

今は同じ地域医療を担う者同士なんだけど、昔の師弟関係ってのはいつまでも引きずるものなんだよなぁ(‾□‾;)。

2024年7月23日火曜日

変形性膝関節症

今日の医局会でのレクチャーは整形外科のケンケンDr担当だった。昭和アナログ世代のケンケンDrのレクチャーはスライドではなく紙にコピーしたものを使ってである。今回のテーマは「変形性膝関節症(OA)」だった。これまたよく聞くしよく見る病気だ。



今回のレクチャーは非常に分かりやすかったなぁ。まず特に50歳以上の肥満女性に多いってのを私は知らなかった。単に高齢者の病気だろうくらいに思っていた。関節軟骨の退行性変化を基盤に発症し軟骨摩枆片が浴膜に取り込まれ滑膜炎を起こしてから云々と、そこは難しかったが、徐々に進行すると手術以外では治せなくなるというのは臨床でよく目にする。膝の関節と関節の隙間が狭くなって末期になると見るからに骨が窮屈そうだ。
で、手術を受けた場合、その後の生活や運動はどの程度まで回復するかという質問がラブカメDrからあった。特に「ゴルフは出来るんですか」には「ゴルフは大丈夫ですね。ラグビーとか接触が強いスポーツは無理ですけど」とケンケンDrが答えたので、ついでと「ボウリングは?」と私も質問した。ケンケンDrは「10kg以下の負荷であれば・・」と言うので「なら大丈夫だ。ボウリングボールはせいぜい7kg以下ですから」と私は満足げに返事をした。私の使う15ポンドボールは約6.8kgだから余裕だ。

このレクチャーがあって後日、ある60代男性がこの病気で鹿児島市内の整形外科病院で手術を受けるので内科的に麻酔や手術に問題ないかという趣旨の情報提供書を持って来た。レントゲン写真付きだ。「ほう」と目をやる。

門外漢の私は写真からはせいぜい中期かと思いきや末期の変形性膝関節症だと書かれてあった。へーえ。しかも中年の太った女性ではなく男性だ。しかも私より年下とは。座学と実臨床とは一致するものもあればバリエーションの違いもある。医者は日々勉強ですわ〜。

2024年7月22日月曜日

院内勉強会のスピーチってか

今月に入って私はあんなにやっていたネット麻雀をピタリとしなくなった。なぜか?それは今日の朝礼スピーチのせいだ。これのプレッシャーがひどくて「ネット麻雀?そんなヒマはないやろ。そんなことするくらいならスピーチスライド作れよ」と。

ただ、これまでも何十回と朝礼スピーチはこなしてきたのになんで今回だけそこまでプレッシャーを感じたのか。これが院内勉強会の一環として頼まれたスピーチだったからだ。今までならスピーチのテーマは自分で決めて自由に作ることが出来た。しかし今回は職員への教育という建前があり、朝礼に参加した職員も出来なかった職員(録画されたスピーチを後で見る)も後でレポートで講義の所感を提出せねばならないのだ。そのなんとなく気難しい感じのせいで、頭の中ではこんなことしゃべろう、いやしゃべらねばなどと考えるばかりで、一向にスライド作りを始められなかった。

結局、切羽詰まってから作り始め、一昨日までに1/3ほど、残りは昨夜どうにか作り終えた。テーマは「医療安全」である。これまた調べれば調べるほど取り上げるべき範囲が広く、とても15分以内には収まりそうもない。で、テーマをすごく絞って話すことにした。厚労省が20年ほど前に医療安全の10の標語というのを作っていて、そのうちの1つ、5番目のものを選んだ。それが↓だ。

これを元にトピックスやここの病院での取り組みなどを紹介し10分ほどにまとめた。ふう。どうにか形になったわ。
で、どうもこのままでは私らしいスピーチにならないって思って、夜明け前に先週の放射線科職員とのボウリングの動画もスライドの最後に入れ込んだ。それって院内勉強会とどう関係があるの?ふふ、今日のテーマ、職場の部門の壁を乗り越えてコミュニケーションを図る、そのためにもボウリングは有用ってこと。こじつけだかなんだか言われようがこれでいいのだ、ハッハー。で、やはりというか案の定というか、最後のボウリングのところが一番受けたのだった。だろ。

2024年7月21日日曜日

新一万円札

 スチョル先生のところで新一万円札を初めて見た。渋沢栄一が今度のお札の顔だ。↓3枚の番号が順になっている。

パッと目につくのはこれまで漢数字の「壱万円」が大きく刷られていたのに洋数字を前面に押し出したことだろう。↓を見れば分かる。確かにこっちの方が分かりやすくすっきりする。そしてお札の大きさは全く同じだ。
そして今回の目玉といえるのがお顔が印刷されたホログラムだ。それを見る角度によって顔の向きが変わるんだ。
うーん、これは確かに偽造は難しそう。まだ五千円の津田梅子や千円の北里柴三郎は見ていないが同じくホログラムが使われているという。

今回の新札で津田塾大や北里大の関係者は喜んでいることだろう。津田梅子といえば小学時代の国語の教科書に出てきたので知っている。父親は生まれてきた子がまた男でなかったのを残念がったという。そして官費女子留学生としてまだ満6歳という幼さで他の武家の娘ら5人らとともにアメリカに渡ったのだった。「あら、あんなに幼い娘が・・」と出発の様子を見た人が言ったという出だしで始まる文章だった(光村図書で確か6年生の教科書)が、その後の内容は覚えていない。ほか、学研の「学習」と「科学」や小学館の「小学〇年生」、旺文社の「〇〇時代」などの学習雑誌など大きくなれば捨てられて手許に残っていない。それらが今の自分を作っていったわけで、あの頃の教科書や学習雑誌も取っておけばなぁと今にして思う。「そんなの邪魔なだけよ」とカールは言うがね。

ともかく、新札にようやく触れることが出来た。ただ、今は物珍しいが数ヶ月もすれば日常のことで一万円札も「諭吉ちゃん」から「栄一ちゃん」なんて呼ばれるんだろうな。

2024年7月20日土曜日

忙の日

土曜だが午前は外来、午後は日直だった。これが忙しパターンの典型で、午前は発熱コロナ外来、午後は救急と重症患者が多く、事務当直のケノ君が「今日はひっきりなしに電話が掛かってきます」と驚いていた。ま、この暑さと湿気じゃそうなるだろうと予想はしていた。

遠くさつま町から珍しく腹痛の救急搬送依頼がありそれを受けたはいいが、1時間ほどかかり待っている間、姶良の救急隊からトイレで心肺停止になっている患者の受け入れをお願いしたいとのこと。二次当番病院が都合で受けられずこっちが引き受けた。なにせその人は息をしていないわけで、どうのこうの言ってはおられない。で、その2台がわずかの時間差でやって来た。当然心肺停止の方を優先して対処する。しかしいったん心拍はちょっと戻ったものの結局はダメだった。↓は救急隊員が白板に記載していた経過記録。

この2台の救急に加え、飛び込み外来で顔面の違和感とまぶたが閉じにくいという顔面神経麻痺(ベル麻痺)ぽい患者も来ていて、CTやMRIの指示を出しつつ、亡くなった人の家族に説明をしていた。腹痛患者は入院が必要でその指示出しをして顔面麻痺の患者の診察をしようとしたらもう一人若い男性の飛び込み患者が救急外来に来ていた。脚立から落ちて怪我をしたんだという。担当のカッコちゃんNsがその右腕を見て「これはウチではだめ。整形外科医のいるところでないと」と口走っている。通りすがりにチラと見ると、腕を打撲し大きくえぐれ、骨が見えていた。骨が見える骨折はここでは対処できない。きちんとした清潔操作と処置が必要で、整形外科病院でないと。超ベテランのカッコちゃんNsもいつもと違ってあせっていたな。姶良市内の2ヶ所の医療機関に相談するもどちらも対応不可で、鹿児島市内の大きな病院に行ってもらうことにした。

その間、脱水&熱中症で点滴をしている患者らも点滴が終わり帰るころになっていた。午前中、ゴルフをして、庭仕事をして、田んぼを見に行って、みーんな熱中症になって、正午前後に病院に来ていたのだ。夕方16時過ぎになって私は一段落したと思ったらカッコちゃん「あと6名います」と言うではないか。何ぃ。「そのうち2名はもう17時半の外科のカムイDrが来てから診てもらいます。縫合が必要そうですから」という。そうか、そうしてくれい。しかしそこに「94歳の母親の様子がおかしくて」という母娘が飛び込んできた。なんでも姶良の山形屋ストアにいっしょに買い物にいって母を車に乗せたら言葉が出なくなったという。歩けてもいたのに今は歩けないとも。それって脳梗塞ぽい症状だ。この暑さで外に超高齢の親を出したらいかにも起こりそうじゃないの。いったん帰っていた放射線科のラブフラ技師をまた呼んでMRIを指示した。しかし当直交代の17時半までには撮影を始められなかった。それで交代のカムイDrに「かくかくしかじか・・後をよろしく」と電カルに書いてようやく午後日直業務を終えられた。

今日の午後は時間があれば今度の月曜朝礼の院内勉強会スピーチの原稿スライドを作れたら・・と思っていた。しかしクリック一つ、手も付けられなかったわ。日当直日誌を付けて、帰る間際、先ほどの超高齢患者のMRIが気になって画像を見てみた。うーん、専門外の私が見ても左の脳梗塞を起こしていると分かる。外科のカムイDrは画像を脳外科オンコールのポンシンDrに送り治療の指示を受けることだろう。交代時間があと30分遅かったら私がそうする役目だった。

いったん日直や当直をすれば、院長だろうが研修医だろうが、こんな忙しさにまみれることは十分にありうる。でも2ヶ月前の5月25日の土曜日直はかなりヒマでアイマスクを着けて居眠りばかりしていた。そんな日直もあり、それも日記ネタになった。今日は忙閑の忙の日だったネ。

2024年7月19日金曜日

キタローことクネオ

きょうは外来担当日でこの暑さのせいとコロナ患者が増えていることもあり忙しかった。コロナと言えばサブアラドDrは大丈夫だろうかと少しは気にしていたら大丈夫と分かった。だって昼間っからネット麻雀していたもん。そしてラスばっかし引いてせっかく頑張って七段になったのに一気にポイントを落としていた。

「コロナで安静にしているかと思いきや、天鳳どん打ってラスになっちょるがっ」と鹿児島弁で皮肉のコメントを送ると、「バカが。少し気分良くなったから打ったらビリじゃ」と返して来よった。まあ、しばしの休養だな。頑張ってちょー。

家の庭はロッジをほぼ取り壊して表面がコンクリートになった。そこに隣家のキタローが来てくつろいでいた。私が通っても逃げようともしない。そして私たちが「クネオ」とあだ名を付けたように体をクネクネし始めた。そして最後は大きなあくび。
クネオも我が家に庭に姿を見せ始めてのは8年ほど前のこと。その頃は今より少しほっそりとはしていてまだ警戒心があった。でも人なつこくってカールに抱っこもされていた。下の写真が初めて姿を見せて数日経った頃のクネオ。まだゲンちゃんを警戒している。
↓はロッジがあった頃でやはりクネってます。
エサを上げるとたいていちゃんと食べてくれる頼もしいネコです。今後もよろしくネ、キタローことクネオちゃん。

2024年7月18日木曜日

うつっちゃった

今日あこネーサ母は95歳の誕生日を迎えた。チエコンさんから「今日はお母さんの95歳の誕生日でしたのでお花を届けました♫会えなかったのですが、なんと!夕方、スタッフさんが写真をお届け下さいました🥰素晴らしいスタッフさんたちにお世話して頂きありがたいです🥹」と写真を撮影したものがLINEで送られて来ていた。
「お布団を引き上げる左手に力強さを感じますよね!」ともあり、確かに。胃瘻造設をしてからやはり体調が改善しているようだ。
「栄養が行き渡り、しっかりされてる感じです。食堂などに飾ってくださって皆さんに眺めて頂ければ」とお願いして来ました😊暫くは場も華やぐかな〜🥰」と、チエコンさんには頭が下がる。

今日は午後から早帰りだった。しかし昨日のボウリングの疲れもあったか、帰宅早々、床でごろんとなった。暑いし眠いしでここは寝るに限る。

で、夕方起きて体調が特に悪くないのを確認して少しほっとした。実は昨夜サブアラドDrからメールが来て「コロナにかかってしまった」と聞いたからだ。げっ、2日前に麻雀でじっくりと対面で過ごしていたじゃん。その時に彼が発症していれば私も間違いなく感染していただろう。しかし3日経過してもどうもない。サブアラドDr「(過ごし安病院での)外来では全部僕が対応してるからねー」だそうで一昨日の診察時に患者からうつったのに違いない。

それで珍しく夜のネット麻雀を打っていなかった。彼が打たない日って出張や旅行くらいしかないからよほどきつかったんでしょう。いやはや、しっかり休んで早く回復して下さいな。

2024年7月17日水曜日

技師連とボウリング

久々のボウリングだった。放射線科のタッチゲンさんが「ボウリングをぜひしたいんです」と先月言ってきたからだ。彼女は息子たちと時々投げているらしい。私が以前から朝礼スピーチなどでボウリングの動画を披露するのを見てやってみたいと。それで放射線科のソラナリ科長、得心君、ラブフラさんの4人と私の盟友難ガターさんの6人で国分スターレーンで投げることになった。

3ゲームということで料金を見たら大人はなんと1900円と大きく値上がりしていた。60歳以上は1ゲーム分はサービスがあってそれだと1500円だとか。それでも以前と比べれば高くなった。ボウリング場も経営が大変なんだろう。

18時は過ぎにはみんなそろっていて、さっそく投げましょうという雰囲気だったが、私と難ガターさんはテーピングなどの準備があり、すぐに投げるというわけにいかない。得心君なんか「ガチ勢は違う」とその様子をスマホで撮影していた(後で彼のインスタグラムに上げられていたわい)。放射線技師連中はマイボールで投げるのを見るのは初めてのようで、私たちの常識が珍しいようだ。まあそうだろうな。ハウスボール、ハウスシューズだけの頃は私もそうだった。

今日のスターレーンは奥でしっかり曲がるオイルコンディションで最初の数フレームはボールが裏に行きやすく、5枚目ほど中に寄って若干右に向けて投げたら簡単にストライクコースになった。ただスプリットも多くて198点、200アップはならなかった。難ガターさんは私より曲がる球質なのに以前のコンディションのイメージがあるのか調整がうまくいかない。116点とトンデモスコアを出した。で、2ゲーム目は私同様に中に寄ってみたらとアドバイスすると途端にストライクを連発しだした。4連続ストライクなどで204点、ボウリングはちょっとしたことでこうも変わる。私も調子良くて223点。3ゲーム目も私は212点で半年ぶりのブランクをほとんど感じさせなかった。ふむ、ボウリング歴33年のキャリアはだてじゃないぜ。

さて、技師連中のボウリングだが、ほとんど投げたことのない若手のラブフラさん、まずはボールの握り方から教えねばならなかった。ボールは親指をホールに入れ、中指、薬指で握るものだが、彼女は人差し指、中指でつまむようにして投げていた。そこを修正させさらに親指をしっかり根元まで入れるよう教えた。これだけでも少し安定する。実際ガターの回数がすごく減った。タッチゲンさんは勢いよく投げることは出来るがムダな動きも多くコントロールが乱れやすいフォームだ。立ち位置を少し前にさせボールを上に上げてではなく前に出すようにしてみたらと教えた。これまでボウリングをやっている分、修正に少し時間がかかる感じかな。ソラナリ科長には投げ終わる瞬間の手のひらが上を向く「お控えなすって」になっているのを「握手」にするとフックが掛かっていいよと教えたが、得心君はいかにも男子投げで、大きく振りかぶりスピードのある直球でピンをはじけ飛ばすタイプで、それはハウスボールで投げるのには普通のことで何も指導しなかった。いや、本当は教えることがいっぱいあり過ぎて・・なんだ。うまくなるにはどうしたら良いかと聞かれたら、「思い切ってマイボールを作ること」だからねー。ソラナリ君の今日の後半の投げ方ならマイボールが似合いそう。マイボール作って面白いと思ったら、今度はハウスボールじゃボウリングはしたくないってなるよ。↓左から得心、ソラナリ、ラブフラ、タッチゲン。

3ゲーム終わって、恒例の国分の馬酔木での食事をするつもりだった。実際、店まで行ったが、なんと「21時半で営業終了です」と。なんだって。えー!2月に行った時は22時閉店だったのにー。以前は24時閉店だった。それで他の店をネットでチェックするも軒並み21時半閉店だ。これは・・働き方改革が4月から施行されたのが大きいか。人手不足もあり以前のように24時近くまで営業を維持できないんだろう。結局全国チェーン24時間営業のジョイフルに行って食事した。食事の後もおしゃべりして店を出たのは23時を過ぎていた。うーん、たまにみんなでボウリング&食事をするのならこれくらいの時間を欲しいよなぁ。久々のボウリングは現代日本の働き方改革を目の当たりにしたことの印象が強かったわ〜。

2024年7月16日火曜日

ハナビぺろぺろ

夜、20時40分過ぎのこてる家の居間では白黒ネコ2匹がまた睨み合いの緊張状態にあった。

背後からのちょっかい攻撃を出したハナビが怒ったゲンちゃんにビビって椅子に避難した。じっと見上げるゲンちゃん。

3、4分の膠着状態の後、ゲンちゃんは畳部屋へ行き、ハナビはテーブルに乗って睨み合いは自然消滅した。

その後、最近の蒸し暑さのせいか、カールが畳部屋でぐた〜となってうたた寝しているとゲンちゃんも側でいっしょにたたずんでいた。ゲンちゃんはカールに一番懐いている。睨み合いからすでに20分近く経過していた。
すると、なんとハナビもカールに寄ってきてその左手をぺろぺろ舐めるじゃないの。あんましカールには懐(なつ)いていないが徐々に変わるもんだねぇ。ゲンちゃんもじっとそれを眺めていた。
30秒近くハナビはぺろぺろしていたかな。家ネコになってすでに10ヶ月以上、だんだんと慣れてきて懐き始めてきてええこっちゃ。後はゲンちゃんとケンカしなければなーんも言うことないよー。

2024年7月15日月曜日

12年で500日を費やしていたなんて

大谷のドジャースもしまらない試合を昨日今日と続けてやってしまった。相手は弱いはずのア・リーグのデトロイト・タイガース。今日は1点リードの9回裏に2点入れられ逆転負け、昨日なんかなんと9対5と8回までリードしていたのに9回裏に5点差を追いつかれ10回裏には逆転負け・・トホホな内容だった。いくら弱いといってもちょっとした投手陣の弱みがあるとすぐにつけ込まれる。それくらいの差の中で争っているんだ。昔昔のこと、弱い阪神に「(当時全盛期だった)池田高校にも負けるんじゃないか」という戯れ言を言う野球ファンがいたが、実際はプロはそこまで弱くはない。メジャーリーグのチームも弱いと言っても高校生じゃないんだよな。

今月は残り土曜日でリアル麻雀が打てそうにないからと、サブアラドDrたっての希望で今日の午前からリアル麻雀になった。私は7月に入って天鳳を打つ気が起きず2週間近く麻雀に手を出していない。対してサブアラドDrは天鳳が七段に昇段したとかで毎日打っている。まったく飽きるということを知らない。ほんと毎日風呂入ってトイレ行ってご飯食べるがごとく、毎日麻雀(ネット)を打っている。私も麻雀大好きなんだけど麻雀にやや飽いて打たなくなる時期が年に1、2回はある。今年は今がその時期のようだ。しかしサブアラド七段は毎晩22時ごろから0時台まで毎日欠かさず打っている。それが12年前からずっとなのよ。調べると12年間で2万4千半荘(!)近くも打っている。私など7千半荘くらいで彼の3分の1も打っていない。1半荘が30分強かかるため計算すると雀豪サブアラドは約1万2千時間で12年間のうち500日をネット麻雀だけに費やしたことになる。すごい。

今年のリアル麻雀も好調でこの前なんか一人勝ちだった。やっぱり好きこそものの上手なれってか。それでもって今日も半荘10回打った。で、結果はどうか。ぎゃははーっ、なんとサブアラド雀士の一人負けだったヨ〜。相手の早く高いダマ聴牌に振り込むのはほとんどサブアラド雀狂ばかりだった。↓は私のダマのハネマン手(ホンイツ、一盃口、ドラ、赤ドラ)に放銃。
ここ最近は麻雀についてはなんとなく上から目線での発言が多かったサブアラド雀キチだが今日は最後の半荘でようやくトップを取って一矢を報いたがそれまでずっとマイナスだった。ふっふー、たまにはお灸をすえなくちゃ。

2024年7月14日日曜日

初めて付けた病名とは

世間は海の日がらみで3連休だが、今日の私は病院当番日の日直業務だった。75名ほど外来受診者が来てそのうち50名が発熱外来(コロナ外来)患者だった。そして検査をすると32名にコロナ陽性が出た。実に64%の陽性率だ。そのほとんどの人に私がコロナ陽性であることを直接伝え、処方を出した。最近はコロナ治療薬のラベブリオやゾコーバを希望する人は少ない。補助があった時と比べて、5日間の処方代が健康保険の3割負担を使ってもラゲブリオは3万円以上するからねぇ(ゾコーバでも1万5千円はする)。

私もだいぶ慣れてきて、以前ほど腰が引けての病状説明はしない。着けているマスクもN95タイプではない普通のものだ。ぐったりして呼吸困難を起こしている人もほとんどなく、肺炎の患者もいなかった。ま、インフルエンザと同等という印象だな。ただ、感染に気を付けないと医療施設では容易にクラスター化するから気を付けねばならない。

一般外来患者の中には救急に近い人から人生相談に近い人まで様々だ。その後者の代表例が80歳の高齢女性だった。今年に入って毎月数回は外来に来て様々な訴えをしている人だった。主に心窩部痛や背部痛で腰痛も時に訴えていた。それで内科、泌尿器科、外科など受診し採血、心電図、レントゲンはもちろん腹部エコー、血管エコー、胸腹部CT、胃カメラなどこれでもかと諸検査を受けていた。でもたいした異常なしで、担当したDrの処方を見ると解熱鎮痛剤のカロナールが時々出ているだけだった。受診前に電子カルテ半年分を調べて「はて?」と私は思った。外来看護師は「またこの人ですか」なんて言っている。うーむ、他にいっぱい患者が来ているのに休日の病院に来るほどの症状なのだろうか。ちと、面倒だな・・。

でもまずは患者本人の訴えを聞かねば。

「ここ2、3ヶ月前からみぞおち(心窩部)のあたりが痛いというか変な感じで・・」「胃カメラを3月にしてたいした異常なしで薬も出ていますね」「うーん、効いているのかなぁ」一応そのあたりを触ってみるも「なんでかなぁ」という言い草だ。それにCTも内視鏡も超音波も全部調べていて特に問題なしと分かっている。で、「そもそも今一番気になることはなんですか」と尋ねてみた。

すると同居している52歳の息子が心配なのだという。ほう。もしかしたら息子は障害者なのだろうか。いや、昔に事故をして左の眼がが見えないがちゃんと仕事も出来ているという。ふうむ。どうもそこら辺を突いてみる必要がありそうだ。そして予想通り、夫とは5年前に死別していた。不定愁訴が多い人は配偶者がいないことが多い。そして同居の息子が結婚もせずいるのが心配なのだという。他に子どもは娘がいて結婚はしているも子どもがおらず、ゆえに孫は一人もいないのだと。

私は「今時、日本人男性の4分の1が生涯未婚だって知ってます?50歳で独身なんてごまんといますよ。何十万いや何百万って中年の独身男性っているんです。それでもたいていは元気で仕事もしている。だから今は何も心配ないし、やがて年取って身体が不自由になっても今の日本福祉制度は優秀で市町村の必ず誰かが面倒看てくれます。息子があなたの心配をするのなら分かるけれどねぇ」と言い、さらに「もしかしたら息子が年取る30年後40年後もあなたは生き続ける気だね。ええとその時は110歳か120歳か。でしょー!」すると「いやいやそんなに長生きするつもりはない」と当然の返事をしてくる。それで「だから息子は一人身であってもあなたよりはずっと元気で長生きするからそんなに心配する必要はないでしょ」

そして最後に私はこう尋ねた。

「あの、息子さんですよ、あなたのことをうるさがっていませんか?」すると「そーなんですよ」と。やはり。私は患者の肩をたたいて「大丈夫、心配なしです。今日は薬も出しませんからそのまま様子見でいいです」と言い放った。これに納得し、その80歳女性は帰って行った。

最後に、この患者の病名を付けなくてはならなかった。だが適当な病名が思い浮かばない。不安症という病名はあるが心配症という病名はなかったような・・・念のため調べてみた。え?!びっくりした。「心配」というそのままの病名が保険収載されていたのだ。あらま。「心配」・・私が医師になって40年め、初めて付けた病名であった。

2024年7月13日土曜日

シホねえ夫妻とビールで乾杯

6月17日に日記ネタにした「シホねえと飲もう!」に書いたとおり、今日彼女との飲み会をした。場所は甲突川沿いのイタリアンレストランの「マルコポーロ」だった。シホねえは最初はセンテラス天文館の黒ノ壽展望ビアホールを予定するも「すでに予約満杯」ということだった。

「旦那さんも紹介したい」という彼女の希望通り2対2の飲み会になった。結婚して1年半くらい経ったのかな、無論私もカールも彼女の夫とは初対面だった。ただSNSなどでお顔は知ってはいた。聞けば、二人は職場は違うが彼の姉がシホねえと同じ職場でその縁で知り合ったという。
2年くらい前に彼女から「来年は良い報告が出来そう」と予告があったとおりになり、彼女の息子も祝福してくれたという。夫のアッキーさんも「それがなによりでした」と言い、反対があれば結婚はしなかっただろうとのことだ。

ま、1時間半の飲み放題ということで挨拶もそこそこビールで乾杯!となった。
料理もなかなか美味しく、ビールは最初の1杯だけの私にとっても満足いくものだった。私以外の3人は次々にビールをぐいっとやっていて、カールなど後半の食事は食べられなくなり美味しいお肉は私がちゃっかり頂いた(⌒о⌒)。
カールは「シホねえさんが結婚して幸せそうなのがなによりだ」と喜び「それに久しぶりに外でお話ししながらいっぱい飲めて幸せ」だって。確かにこうしたプライベートな飲み会はコロナのころは全くなく、今年に入ってからぼちぼち出来るようになった。

アッキーさんは会社員で、朝は早くに仕事に出て夜も比較的帰りは遅いという。乗っている車はトヨタのハチロクだ。これにカールが「テル君のヨカトモ従兄さんといっしょだー」と反応。聞けばこれまでもスポーツカータイプの車が好きでマニュアルミッションでぐいぐいやっていた(本人はいたって安全運転とのこと)そうだ。車の違反とかしないのは親が警察官(刑事)だったのも影響したとか。ほう、刑事かぁ。親が刑事ってのは私の友人のウシカワ君以来だな。そこでウシカワ刑事が解決した事件の話題を出したり、アッキー親刑事さんも外では鋭い優秀なデカでも家では温厚で優しいおじいさんだとかなど話題が広がった。

私はやはり1杯以上はビールは飲めず後はソフトドリンクで過ごした。飲める連中だけならなかなかリーズナブルな値段設定でもあり、雨でなければロッジで甲突川の涼風に当たりながら飲むのもいい感じだったろう。↓はタクシー待ちの私をシホねえが撮った写真。雨が降ってきやしないかと手を挙げた私になぜか後光が差している。
飲み会は一次会で終わったものの、なかなか楽しく「絶対またしましょうね」と約束してお別れしたのだった。ぐぃっ!

2024年7月12日金曜日

連携あれこれ

今日は昼休みを除いて、朝から夕方まで連携業務にずっと振り回された。朝は送る方、昼は受ける方だった。

入院していた高齢女性の腹膜炎が悪化し、婦人科の治療を要する疾患だったため、情報提供書を書き鹿児島市内の婦人科治療が出来る病院をいくつも当たった。A病院は詳しい情報を聞き、「受けてもいいが最終的には看取るだけになりそう」と受け入れたがっていなかった。B病院は以前その患者を診療したことがあり、いったんは「受け入れる」と言ってくれたが電話がまた掛かってきて「病棟の関係で受け入れ出来ない」とのこと、しかし「C病院にこちらから連絡したのでそちらと交渉して欲しい」と仲介をしてくれた。で、C病院に電話して事情を話すと、どうにかOKとなり昼前に救急転送出来た。実はこの患者は近くのDクリニックを最初受診し、処方を受けるも症状改善せず、3日前の夕方に当院を受診した。採血とCTで私は婦人科疾患だろうからとF産婦人科クリニックに紹介したが、「うちでは入院加療が出来ない」とのことで2日前に入院となり、絶食点滴+抗生剤点滴で改善しないかと希望を持ったが今朝の検査で逆に悪化傾向となっていた。Fクリニックの担当医も心配して「状態改善なければB病院かC病院に紹介したほうがよろしいのでは」と、昨日の午後わざわざ電話も来たりしていた。なんと一人の患者に6つの医療機関がからんでいたのだ。

午後は近隣のクリニックから紹介状付きで何人も受診があった。青雲会病院は午後も新患を受け付けていて、午前に他クリニックを受診し原因不明あるいはより重症という患者さんが来るので結構大変だ。一人は進行癌で緊急内視鏡をタクミDrに頼み、一人は腹膜炎で入院させ、一人は施設に帰れそう、一人は日を改めて入院した上で大腸内視鏡が必要と予約を入れた。この間、再来患者を診て、おまけに16時には「くにがまえ」経理部長から「病院の経営事情についての説明をする時間を2、30分ほど」と言われていたが「すまん。それに費やす時間はない」とキャンセルした。昨日、こうなると思っていて、プーさん病院との会が中止になったときに、くにがまえ部長に「時間が出来たので明日の予定を今日出来ないか」と連絡したら、午後から休みを取っていた。どうにも間が悪いぜ、くにがまえさん。

それでも終業時間の17時半過ぎには一段落出来た。腹膜炎の患者は私が入院指示を入れたが外科とのからみもありそうで、信号Drに診察を頼むと快諾してくれ、病棟に上がったら、既に外科転科され抗生剤の指示もしっかり出ていた。いやはや、有り難い。病院でのお仕事って今は連携なしには考えられないナー。

2024年7月11日木曜日

コロナのせいで・・

今夜は城山のホテルでプーさん病院の地域医療連携会&懇親会に参加する予定だった。私の他にカワゼンDrも参加予定だった。ところが、午後になって急遽中止(延期)との連絡があった。そう言えばプーさん病院はコロナのクラスター発生で数日前にも減黄が必要な患者の転院依頼を断られたんだった。コロナがらみで他院との連携会どころではないと判断したようだ。これは他人事ではなく、当院でも先週、4階病棟で数名の患者や一部職員のコロナ感染があって数日間入院制限をしていた。2年くらい前までならマスコミに騒ぎ立てられるところだったろうが今じゃニュースにもならない。

院長室の胡蝶蘭がついに残り二花だけになってしまった。そのうちの一花はもう落ちそうで明日あたりは最後の一花になりそう。二鉢のうち一つは2ヶ月足らずで枯れたのに、こちらはちょうど3ヶ月、よく持ってくれた。ありがとう。

その入院を断られた患者は今綺麗病院に紹介し即転院となったが、今日のFaxで内視鏡手技が成功したと連絡があった。ほう、素早い。その手技は10年くらい前は大学病院クラスでないと行われていないものだったが、今では市中の基幹病院でも出来るようになったんだ。私が大学病院にいた30年近く前には考えられもしない手技だ。ふむ、地域連携を深めるはずだったのが逆にライバルとも言える他病院との連携を深めることになったとは。コロナも罪深いのう・・。

2024年7月10日水曜日

スイカもモモも

この前の日曜日、田舎のヨカトモ従兄から「スイカや野菜を持って来た。自宅のロッジに置いておくから」と電話があった。その時はまだ千葉にいたので「ありがとう」と言うだけで何もできなかった。自分で作ったスイカ&野菜ということで有り難いことだ。カールが「スイカは冷やしてから」ということで、今朝それが出た。

皮も薄く実もしっかりとあり食べると甘い。なかなかの出来映えだ。さっそくメールを送ろうと思ったらヨカトモとはLINE登録しておらず妹のヒトミンチョに野菜の他「スイカは特に甘く食べやすく美味しかったです」と送った。

ちょうどカールの山梨の友人コマミさんからもモモが送られて来ていた(一部スモモも)。

これは夜に食べてみたが、若干甘みが足りない気がした。うーむ、年によって味わいが違うような・・。山梨では夏に御老人の糖尿病が悪化するのはこのモモとブドウのせいとはよく言われるそうだ。若干、甘みが少ないくらいがちょうどいいかも。

「お中元も来ているからどんどん食べなきゃ」とカールがいう。うへー、甘いのは大好きだけど年食うと甘い水羊羹とかジュース類はちょっと敬遠したくなるねぇ。蒸し暑さ満開で夏が来たとは分かっていたが、今日のスイカやモモで味覚も夏本番になってきたわぁ。

2024年7月9日火曜日

胃カメラ記念日

人間ドックの胃カメラを受ける人で結構年配の女性がいた。いつものように検査前に過去の画像記録を必ず確認する。すると、ここ5年で4回目の胃カメラのうち3回が今日と同じ7月9日に受けていた。もう1日も7月11日でほぼ同じ時期だ。去年と偶然いっしょの日に胃カメラということはたまにあるがここまで同一日に胃カメラを受ける人は珍しい。なかなか健康問題に熱心な方で、4年前の今日「年1回は胃カメラを受けた方がいいと先生に言われたから」だという。

そのおかげもあってか特に問題のある所見もなく無事に検査を終えられた。で、「7月9日」ということで私はひらめいてそのドック利用者に言った。

「『年に一回したらいいね』と医師が言ったから七月九日は胃カメラ記念日」

うん、元歌は俵万智のベストセラー「サラダ記念日」からだ。

「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」

他にいっぱい有名な歌があってなかなか感心した覚えがあり、ベストセラーになるのも肯けた。この他で私が覚えているのは↓で、こんなんで短歌になるんだとこれまた感心した。名前と高校名を変えたらいくらでも応用がきくぞー(笑)。

「万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校」

2024年7月8日月曜日

意外と知らない目薬のこと

朝礼で眼科の看護師のビッグ山さんがスピーチをした。タイトルは「目薬」だった。目薬の基本的なことについてスピーチしたものだったが、意外に知らないことが多くてへーえと思った。

目薬が汚染される一番多い原因が滴下するときに睫毛(まつげ)に触れることだという。涙液が逆流してしまうからだ。なるほど。そして1回の点眼は1滴で充分だとも。なぜなら「目に貯めておける涙量は最大でおおよそ0.03ml。目薬の1滴はおおよそ0.03~0.05mlとされているので目薬1滴を確実にさせれば十分な量です」だから滴下したらまぶたをパチパチさせることなくそっと閉じておくだけでよい。「流れてしまったり、瞬きすると、目薬が涙嚢から鼻涙管を通り鼻から口へと流れていきますよ」とも。ふむふむ。1、2分まぶたを閉じておくのが一番効果的なんだそうだ。そして目薬はいったん開封すると1ヶ月が使用の期限だという。
これを聞いて自宅や内視鏡室に以前から使わずに放っておいた目薬があることを思いだした。それで後で確認してみたら・・げっ!抗生剤目薬が2017年9月が使用期限、ドライアイ用のが2021年10月が使用期限でとっくの昔に切れているものだった。内視鏡室のステロイド点眼剤など開封してすでに7年も経過していた。即、捨てたわ。私は眼鏡を使ったことがなくあまり眼科の世話にならないせいか目薬をややぞんざいに扱っていた。以後、気をつけまーす。