2025年6月23日月曜日

「日本の兵隊助けますか?殺しますか?」

今日、6月23日は沖縄では学校や役所は休みになる。いわゆる「慰霊の日」だ。沖縄では戦没者追悼の行事がある。NHK始め、この日に合わせて沖縄戦のドキュメンタリーや1971年の東宝映画「激動の昭和史 沖縄決戦」放送など特集番組があり、今年はそれら大部分を視聴した。

いや、沖縄戦の番組って見るのがつらい。住民らを巻き込んだ見込みのない戦いでひたすら悲惨な状況が続くんだ。当の沖縄出身のカールは「私は見たくない」って見ようとしない。カールは以前は沖縄の南部方面に行くのも嫌がっていたな。平和の礎のある平和記念公園に行ったのもつい最近になってだった。私は初めて沖縄に出張に行った昭和63年(1988年)に本屋で沖縄戦に絡む書籍を数冊購入し衝撃を持って読みふけた時期がある。「もし自分が沖縄戦の最中にいたとしたら」と想像するとやはり希望が持てない。どこかしこで自分が死ぬイメージしかないんだ。

今回の特集番組で特に印象に残ったエピソードがある。慰霊の日の6月23日前後で組織的な戦闘が終わっても多数の日本兵、住民が追いつめられた南部のガマ(洞窟)に潜んでいた。米軍がスピーカーで「みなさん出てきなさい。日本軍はもういません」といって投降を促すのだが皆なかなか出来ようとしない。米軍を怖いと思うのは当然だが、捕虜になろうとすると怖いのが日本兵でもあるのだ。投降しようとする人を背後から撃ち殺そうとするからだ。でも、住民の中に息を決して投降する人が出てきて固唾を呑んで背後か見守る住民らこう言った。「みんな、運動会の見物くらい人が出てるよ〜」これで助かったのだ。

そして南部の巨大壕「轟の壕」には600人ほどの日本兵、住民が潜んでいた。そして住民が壕を出るのを阻んでいた日本兵たちの姿は入口付近からは消えていた。
で、当時25歳の女性の証言だ。「上からマイクで『戦争は終わりましたからね。みんな出てください。私たちは助けに来ましたから心配しないで出てください。あなた方 ここにおったら明日は爆破かけますよ。死にますよ』ということ言われたからじゃあ出ようじゃないかとあっちこっちで盛り上がったわけです。入って右側のところが入り口から右側が友軍で左側、一般民でしたからですね。一般民のところはみんなざあっと出たわけですよ。」

もう一人中年男性の証言があり、「死ぬんなら青空を拝むんだから本望だと言いながら上がっていったわけです。そこにアメリカの少尉が来て「下に日本兵いますか?」と尋ねる。それに「たくさんいる」と盛んに言ってたんですよ。そしたらその兵隊が「日本の兵隊助けますか?殺しますか?」まどろっこしい日本語で言いよったんです。
そしたらね、一斉に「殺せ 殺せ」って言うんですよ。だからものすごいとたんにドキッとしましてね。本当にこっちも腹が立ってるんですけどね、そんなにまで恨んでアメリカに対して『殺せ』と言うことに対してはびっくりしまして恐ろしいことだとパッと気がついたんですよ」

今、沖縄の人たちが日本特に日本本土に対して複雑な思いを抱いている原点がここにあった。日本人を守るはずの日本兵の方が怖かった、恨むほどだったと当時の沖縄住民は証言しているのだ。しかも一斉に「殺せ」とほとばしるほどまでに。その中年男性は「その根本は戦争、敗戦それが原因だ」とは述懐しているが、同じ戦争でも味方をなじる心境にさせたという事実は無視出来ない。「沖縄戦」は日本人皆が知るべき歴史的事実である。

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