作詞阿久悠、作曲筒美京平というゴールデンコンビによる作品でもある。元々はエアコンのCMソングで、お蔵入りになったのを惜しいと思った日音の村上司(むらかみまもる)が阿久悠作詞で「白い珊瑚礁」で小ヒットを飛ばしたグループサウンズのズー・ニー・ブーの次次曲シングルとして出した「ひとりの悲しみ」(1970)という曲である。「安保闘争」で挫折した青年の孤独がテーマということだったがこれはヒットしなかった。しかしメロディの良さに惹かれていた村上司は、「分かりやすい歌詞にして力強い声で歌えば必ず聴衆の心をつかめる」と考え、尾崎紀世彦に「ひとりの悲しみ」をテスト録音させたところ、これはヒットすると確信し歌詞を書き直してくれるよう阿久悠を説得したのだった。そこで「別れ」をテーマにした歌詞に書き換え、タイトルも「また逢う日まで」にし1971年にリリースしたところ大ヒットした。元々のいい楽曲に時代にあった歌詞それをダイナミックに歌う歌手の三拍子そろってこの曲は名曲となった。それにしてもエアコン曲で先に有名になったらと思うと・・この曲を採用しなかったエアコンメーカーには感謝しなければなるまい。
尾崎紀世彦はその後もそこそこヒット曲を出す(「さよならをもう一度」「ゴッドファーザー〜愛のテーマ」など)が実質この曲しか印象に残っていないのは、この曲があまりにも偉大だからだろう。「あの時この歌」では日本歌謡大賞(かと思われる)で歌うシーンが出てきて、何と若き日の筒美京平が阿久悠、和服姿の実母とともに見つめている!(中央黒スーツ)
これはとても貴重な映像だ。というのも筒美京平は日本作曲家で歴史上一番売れた人なのにマスコミ始め表には一切出てこず一時その存在すら疑われたこともあるくらいなのだ。本当に存在していてこんな顔をしていたのか。中学生のころ彼の作る歌が新しすぎて「この筒美京平の作る曲はなんかなじめないなあ」と平尾昌晃の歌の方がしっくりくる自分がいた。「また逢う日まで」も小学6年の私は「こんな歌がレコード大賞かぁ」と思っていて当時は良さが分かっていなかった。歌詞でいえば「二人でドアをしめて〜二人で名前消して〜」のところがいい。翌年の「女のみち」がド演歌調で「あなただけよとすがって泣いた」のに対し同じ別れでも前向きで希望がもてる。実際、ホステスなど大人の女性にここが受けていたらしい。
なおこの映像では実母の息子を見つめる表情がよくてなんどもリピートして見入ったしまった。
尾崎紀世彦もいい家庭で育ったんだなとその母親を見ただけで想像できた。調べると日劇ダンシングチームの1期生だったそうだ。さらに尾崎の父方の祖父はイギリス人だったそうだ。なーるほど、あのもみあげや西洋人っぽい歌い方はその血もあったか。番組ではなんと「ウルトラセブンの歌」(1967)の出だし「♪セブン、セブン、セブーン」の3番目のセブーンを彼が歌っていると紹介していた。いやー、それは知らなかった。聴けばそこだけよく響いている気がする。尾崎が亡くなったのは2012年でその時のワイドショーなど見ていると彼がよく慕われていた印象でいい人だったんだろうなと思う。
↑はコロッケがモノマネで披露したもの。もみあげや歌い方はまあ似せているのだろうが背後から本物が出てきて歌うとやはりその違いは一聴瞭然だ。たださすがコロッケ、マイクの握り方は本物と違いなく親指と小指を下にして間違ってはいなかったヨ(⌒о⌒)。
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