2025年4月10日木曜日

「一生薬」問題

ラブカメ先生が引退されることになって、平日午後の人間ドックの結果判定と説明を希望する利用者への対応が回って来た。今月いっぱいは木曜は私が担当だ。今日は比較的担当数が少ないとはいえ1時間はたっぷり要した。

一通り終わって、ドック担当のもっと掘れNsや白田山Nsらとドックに来る利用者らの病気や健康に対する態度が話題になった。ていうか、私が来週の朝礼スピーチのこともあって話題にしたというのが本当のところだ。

午後に居残ってドックの結果説明を聞いてから帰宅する利用者らは、健康意識が高く、何を食べたらいいのか、内視鏡検査を次はいつ受けたらいいかなどの質問も多い。ただ、そうした人たちの検査結果を見るとたいていほとんど問題なしなんだ。逆に血糖や血圧が高く内服治療をした方がよさそうな人たちに限って「うーん」と口ごもり、次に出てくる言葉が「その薬は一生飲まないといけないんですか」なのよ。出たよ「一生薬」問題。これにうかつに「そうですねぇ」と言うものならほとんどの患者は「いやぁちょっとー。食事や運動で頑張るので薬は遠慮します」となりがちだ。で、結局翌年も同じ異常値のままずっと繰り返し・・ってなる。

患者にしてみれば「この私が一生薬を飲まないといけない体になっているなんて信じられない、信じたくない」って心境なんだろうな。そして「血圧や血糖が高いって言うけど、痛くもかゆくもないし全然症状はないんだから〜」っていう考えが透けてみえる。でも医者は治療を勧めてくるんで「食事と運動でどうにか対処します、できます、やりますとも」ってなるんだ。で、ちゃんと頑張って薬なしで病状改善出来る人はだいたい10人に1人くらいなものでだらだらと高血圧、糖尿病の状態を続けてしまう。やがて動脈硬化や血管の梗塞を起こしいろいろ障害が出てからはきちんと内服も守るようになるけどね。

前にも書いたような気がするが、私がよく患者らに説明するのが「薬で下げた血圧と食事(減塩)と運動で下げた血圧とどちらがいい結果になるか」という質問だ。答えは「どちらでも構わない。結果として血圧を低くした方が勝ちだ」というものだ。たいていの調査で血圧を低くした集団のほうがいい結果が出ているからだ。

内服薬については、毎日飲む面倒さ、薬代、受診、薬の副作用、止められなくなる不安などで「一生」つきまとうことが嫌なのだ。だからそういう患者さんには「いいえ、減塩や運動などで飲まずに下がってくればいつでも止められますよ」と説明し、内服を勧めるようにしている。血圧は低くあるべきだし、それも早くから下げていた方がいい。糖尿病はなおさらで高血糖が血管を傷めて脳や心臓の血管梗塞、腎障害など生活習慣病のラスボスって言ってもいいくらい悪さをする。食事や運動は無論大事。でもそれを確実に実行できない、また続けるのが難しいから内服の助けをどんどん借りればいいのよ。せっかく今は血圧も糖尿もコレステロールもいい薬が出てきて私が医師になった40年前とは隔世の感があるというのにー。

「降圧薬は絶対に飲むべきだ」というようなスタンスでは患者さんはなかなか同意はしない。まだ症状の出る前の未病の段階で将来の体を考え、指導していく「人間ドック」や「健診」時の説明は、説明を受けた人がその気になるように上手にやらねば、ネ。

2025年4月9日水曜日

見てみたいゾ、広末のローキック

昨日のニュースで「自称:広末涼子を逮捕」との一報があり、なに?と思った。自称広末とは他人が広末になりすましているのか。いや、どうも本人のようだ。新東名高速道路で乗用車を運転中に追突事故を起こし、搬送先の病院での治療待ち中に暴行したそうで、以下記事は↓だった。

「手当てを受けるために向かった病院でのまさかの蛮行だった。広末容疑者の逮捕容疑は8日午前0時20分ごろ、病院で看護師の37歳女性の左足を、ローキックのように右足で複数回蹴り、右前腕を引っかいて軽傷を負わせた疑い。院内を歩き回っていたところを制止されると大声を出し、暴行。駆けつけた警察官に看護師が申告して逮捕に至った」

このニュースを聞いて世間一般の人はいろんな感想を持ったことだろう。私は今から16、7年前にカールの姪っ子の結婚式に出席した際、新郎が学生時代に「広末涼子にハマっていた」というエピソードが披露されたことを思い出した。当時の男子学生にはアイドル的な人気があったんだ。彼女は早稲田大学にも行ったんで、かつての吉永小百合のようになるのかと思いきや、ぷっつん&奇行が話題になるなどしてイメージは下落した。しかし彼女は男心をくすぐるような何かを持っている。結婚、出産しても未だに話題になり忘れ去られてはいない。

そして今回の蛮行だ。私はひんしゅくを買うのを承知で、その広末のローキックしている姿を見てみたかった。いや、写真や動画でなくてもいい。イラストでもいいから誰か作ってくれないかなぁ。あの広末がローキックをかます、いい絵になると思うんだが・・。ChatGPTに「広末のローキック画像はないか」と尋ねたが「残念ながら・・」としか返してくれなかった。ううむ。↓のような味気ないイラストしかなかったヨ。
その後↓のような画像もニュースで出た。今時白衣でナースキャップつけている看護師はほぼいないはずだが、イメージとしてそれが分かりやすいんだろうネ。
「悪名は無名に勝る」という言葉が特に芸能界においてはよく言われる。今回の一件は広末の悪名がとどろいて、下手な映画やドラマの宣伝よりずっと効果的だ。今後、なにかのドラマでローキックをする場面があれば面白そうだぜ〜。いや、顰蹙(ひんしゅく)の極みか。どーもすいません。

2025年4月8日火曜日

それは貧乏くじなのか、はたまた宝くじなのか

また来週月曜には朝礼スピーチが控えている。で、いつものことだが1週間を切っているのにまだテーマが決まっていない。だが、昨日の院長室での些細なやり取りで急にテーマが浮かんだ。それは放射線科のつくだ煮君が業務報告に来た際に「個人的なことですが・・」と相談してきた内容がきっかけだった。

「3月に受けた院内での健診で便潜血陽性が引っかかったんですが・・」「ほう」「2日間のうち1日だけ陽性でそれもその度合いが基準値よりほんのわずか上回っているだけでしてー」と、ここまで聞いて私は即座に反応した。「何を躊躇している、必ず大腸内視鏡を受けなさい。陽性と結果が出たなら2日に1回だろうが、わずかに陽性だろうが受けるんだ!」そして「お前なぁ、便潜血陽性になったらこれは『ああ良かった、有り難いことだ』って思わないとー」と強調したのだ。

検査に引っかかったのに有り難いってどういうこと?当然の疑問だ。それを解説した。「そもそも大腸癌で死ぬ人ってどんな人か知っている?」答えを聞かず私は続けた。「それはね、大腸内視鏡を受けたことがない人たちなんだ。肉を摂りすぎたからとか繊維質を摂っていないからとかじゃないんだ。大腸癌って症状がほとんどないんだよ。特に早期癌はほぼ症状がない。進行癌ですらなかなか症状が出なくてかなり悪化してから腹痛だの血便だの貧血など出てようやく内視鏡を受けることになるが、その時にはすでに手遅れになっているのよ」「だから本当は国民の大人全員に大腸内視鏡を受けさせたいところなんだ。しかし現実にはそれはなかなか無理なんで、日本では検便をして少しでも疑わしい人を内視鏡検査させて早めに大腸癌を見つけようというシステムなわけ。何の症状もない人たちがいっせいに大腸内視鏡受けさせてくれと言って来ても国民全員がいっせいにコロナワクチン打った時のように、現場では受け入れが大変だ。だから少しでも大腸癌の疑い高い人を優先的に検査しましょうってことなのよ。で、一度でも検査を受けたらそうでない人に比べ何10%以上も大腸癌で死ぬ確率が下がるってのが調査の結果分かっているんだ。だから便潜血陽性で大腸内視鏡を受けるチャンスが出来たイコール大腸癌で死ぬリスクが大幅に減るってことなんだよ。宝くじに当たったようなものさ。貧乏くじを引いたんじゃない、全く反対のことなんだよ」

つくだ煮君は私の勢いに押されて「いえいえ、よく分かりました。ちゃんと受けます」と了解してくれたが、そこで私は「よし!これを今度の月曜のスピーチのテーマにしよう。健診や検診の異常結果をアンラッキーだと誤った発想をしている人が多すぎる。それらは病気で命を落としたり体調を崩してしまう予防にもなり、本当はとてもラッキーなことなんだよ」そして「ありがとう、つくだ煮君、使わせてもらうからね」とまくし立て、ようやくテーマが見つかったことで一気に奮い立つ私であった。

2025年4月7日月曜日

たっつんと初めて当たった

ネット麻雀って好きでよくやっているけれど、病院の休み時間とか当直帯では滅多にやらない。約30分の闘牌時間中、いつ呼ばれるか分からなくて集中出来ないからね。でも、青雲会病院みたく忙しい病院では出来なくても、割にヒマな病院では昼休みを利用して打っているドクターもいる。サブアラドDrは10年来よく打っているし、最近はたっつんDrも打っている。サブアラドDrは12時20分以降、たっつんDrは12時40分以降に打つパターンが多いな。

今日は珍しく内視鏡検査も早く終わり、昼食も済ませた私はサブアラド五段の打ちっぷりを観戦していた。サブアラドのトップで終わったのち、ふと私も闘牌を申し込んでみようと思い立った。もしかしたらたっつんDrと当たるかもしれない。たっつんDrが天鳳を始めて約3年半、これまで一度も対戦したことはない(サブアラドとは腐るほどある)。これは双方が示し合わせない限り全国何千人もアクセスするのでよほどタイミングが合わないと当たることは滅多にない。でも今日は何となく予感があった。

12時48分、申し込むとすぐに対局開始の合図が鳴って対戦相手が表示された。私が東家で「スーパーたっつん六段」が北家にいるじゃん。おお!急いで証拠写真を撮る私↓。

たっつん、毎回のように勝負手が入り聴牌めくり勝負に出ていたが、sumiya四段という私から見て対面の打ち手がとにかくツイていた。たっつんはそこに東1局1本場イッツードラドラ満貫の手をフッてしまったのが痛かった。その後私がsumiya四段から親満貫を上がり一時トップに立ったが逆転され3位に落ちた。たっつんは東場のビリから這い上がれずラスで終わってしまった。ともかくも私とたっつんの初対戦は私の勝ち(?)に終わった。ふう。

この対戦をサブアラド五段も観戦していて、私が親マンを上がった局面を見て「けっ」となってそれ以降は観戦を止めたという。たっつん六段は「やられた〜悔しい〜」「トップの四段がツキ過ぎていた。なすすべ無し、、、」と振り返り、たっつん愛用の泣き悔しがるうざ〜ネコのスタンプを送ってきた。うしし。
ただ、今日は私がかろうじて上回ったが、このところ好調のたっつんは六段も1300Pくらいあるのに私は六段600P前後とダブルスコアで負けている。サブアラド五段も昇段すれば1200Pになるわけでこの間のリアル麻雀で大敗した私はネット麻雀でも劣勢だ。うかうかしてられないぜぇ〜。

2025年4月6日日曜日

春は花見

別に昨日麻雀をしたわけではないけれど、お昼はカールの希望で「左膳」でそば&天ぷらを食べることにした。その魂胆は、2年前と同様、甲突川河畔の桜の花見を兼ねてということなんだ。甲突川河畔は桜がほぼ見頃を迎えていた。駐車場も一部は花見弁当を食べるところになっていたり、河畔にはすでにシートを張っている花見客らもいた。

開店前に並んでいたので第一陣で入店出来た。私の注文は「海老天盛りセット」カールは「天せいろ」で安定の美味しさだった。
食べ終えて外に出ると、駐車場は入口に待ち車が並んでいるし、4、50分早く来ただけでえらい違いだ。そんな方々を後ろにして、河畔へ出向いた。
天気も良くて寒さもなく来てよかった〜。カールもスマホで写真を撮っている↓。
私は桜島を背景に桜同士を撮ってみたがピントが手前の花に上手く合わせられなかった↓。
川辺に降りてみると、ちょうど立って漕ぐカヌーのスタンドアップパドルボード(SUP)っていうのかな、それを漕いで上流に向かっている男性がいた。へー、面白いな。
30分ほど河畔で過ごしてから帰宅の途についたが、こうした花見があと何回出来るかといったら両手で数えると2、3回しかない。最後はカールとツーショット。大事にしていきましょっ。

2025年4月5日土曜日

鹿児島大学口腔顎顔面外科学教授就任記念祝賀会

昼は城山ホテルで、歯科の鹿児島大学口腔顎顔面外科学の第三代教授就任のお祝いの会に出かけた。これも青雲会病院がそこから歯科医師を長年派遣してもらっている縁からである。出かける前、ネクタイをちゃんと締められるかをカールが少し心配していたが、何の問題もなく出来た。人間、なにがしかパニックに陥ると何でもないことが出来なくなるってことだったんだ。認知症じゃないですって。

会場では案の定というか、知らない先生が多くて、座席表を見て知り合いの先生に丸印を付け、会が始まる前に挨拶に行った。その中ではなんといっても今回大阪から特別に来鹿された初代教授の三村保先生だ。退官後1年ほど青雲会病院に勤務されていたので真っ先に挨拶をした。ぱっと見、20年前とほぼ同じ姿で元気そうでなにより、「可愛いんだ理事長はお元気ですか」と逆に聞かれたよ。もともと全白髪だったので年を重ねられても印象がほとんど変わらなかった。
この他、同じテーブルの両隣には現在青雲会病院勤務の口腔外科出身の覗き悦先生、同じ団地内の某病院理事長のもっとすげ先生がいて彼らとよく会話した。もっとすげ先生は次男のキッキ君がうちのチッチと小学からの同級生で同じサッカー部だったりしてチッチのことをよく知っていた。私と話をするのは初めてでも気さくで話しやすい方だった。他、好青年病院のトクジュウ院長、歯科医師会ボウリング同好会のヒラ哲先生、鹿大歯学部同窓会長で昔からのバスケ仲間のタニグー先生、歯学部バスケの1年後輩の平成り先生など旧知の先生らとも楽しく話が出来た。新教授の西條英人先生は東大から来られたとかで、現東大教授を初め、様々なお偉い先生方のスピーチも盛りだくさんだった。二代目教授の中村典史先生はインドネシアと縁があって彼の国が大好きになり、退官後の今はインドネシアに住んで仕事をしているという。司会者から「地球の果て”インドネシア”から来られた・・」と言われ「いや、地の果てではありません。赤道直下ではありますが」とか言っていたナ(笑)。

歯科関係者とのこの手の会合は滅多になくなかなか面白かった。2、3時間はあっという間に過ぎ、15時過ぎには自分の車で帰宅した。アルコールは一切飲んでいないので大丈夫だ。ノンアル系のものしか飲まなかったので、もっとすげ先生から「おや、飲まれないんですね。うちは妻が酒豪なもんですから子どもたちもみんな大酒飲みでして」なんて言われた。ううむ、セージやチッチを始め酒豪というほどではないが、皆そこそこは飲む。「テル君と比べたら、みんな酒豪扱いされちゃう」とカールはビール片手に言う。夜はやはり飲まずにTVでも見ようとしたら疲れがどっと出たようで、ゲンちゃんやハナビと3匹仲良くホットカーペットの上で寝込んでしまったようだ。後でカールが撮った写真を見たら1匹だけ違うネコがガーガーいびきかいて寝ている様子がありありだった。
↑の写真からおよそ1時間後、私とゲンちゃんだけになったが、なぜかゲンちゃんの位置が私の右から左に移っていたわ〜。↓。

2025年4月4日金曜日

カールのイラスト作ったった

当直は日付が変わってからが大変だった。ワースポ&MLBを見ていていつものように寝落ちしていたら、午前2時過ぎに急性腸炎の患者、そして救急車、午前4時半にも救急、もう来ないだろうと思っていた午前7時半には気管挿管が必要なほどの肺炎の患者が来てバッタバタ。久々に当たりの当直で、睡眠不足のまま午前の外来に就きましたです、ハイ。 

今日から週1回マッコーDrが内視鏡に来てくれることになった。同じく非常勤の並ぶンDr、常勤のタクミDrと私も含めみんな鹿大二内科内視鏡室グループの出身だ。↓左からタクミ、マッコー、並ぶン。ただしみんな60歳代、年を取りました。

昼過ぎには当直明けの権利で早帰りが出来たのは良かった。天気も良く、姶良の用水路沿いの桜も今が満開、春爛漫だぁ。

しかし、帰りの高速で何度もこっくりこっくりして怖かった。帰宅後はそのまま床寝してグースカ。カールが帰宅したのも気づかず夕方18時くらいまで寝込んでいた。ふう。

パソコンを開き、MacOSを15.4にバージョンアップした。これでApple が提供するAI「Apple Intelligence」が使えると知り、立ち上げてみた。何をするということもなく画像処理のツールであるオリジナルの画像をわずか数秒で、しかもアプリから直接作れるImage Playgroundというのを開いてみた。「説明や提案されるコンセプト、さらに写真ライブラリ内の人物をもとに、見たこともない画像を生成できます」ということで、カールの写真をもとにイラスト作成をしてみた。最初は比較的リアルな画像が出てきて(シワもはっきり出る)今一つだった。その中でも一番若く見えて可愛い系の画像を取りだし、保存した。どうかな?
ほう、雰囲気があって特徴が出ている。お目々が大きくて鼻が高く口は小さい。頬も少し出ていて、その点はカールに言わせれば「生まれつきなのに、数年前同級生たちと旅行に行った時に『ヒアルロン酸入れているでしょ』って言われたのよ」と。その同級生は「私には分かるのよ」と自信満々だったそうだが、間違いなのはカールには分かっている。でもなぜにそこまで自信を持てるのか聞いたら「だって私が入れてるからよ」なんだって。ハハハ。

現実世界で美容整形はしなくても生成AIで簡単にそれらしき画像は作れる。面白い時代だよ、今は。

2025年4月3日木曜日

実はすごい佐賀県の胃癌対策

久々に平日の当直をすることになった。もともと今日は泌尿器科の合い言葉Drが当直担当だったが、流行眼(はやりめ)のためしばらく休むことになり、急遽交代したのだった。

夕方、さっそく救急車が来て、どうも重症のイレウス(腸閉塞)のようだ。ここで外科Drに相談すると「部長Drが明日まで不在で万一の時に対応しづらい」とのことで鹿児島市内の病院に転送になった。この後はしばらく呼ばれることはなかったが、いつ呼ばれるかは分からず待機しておく必要がある。でもこんな時にちょうどいい案件があった。それは「胃がん検診均てん化研修会WEB配信」を視聴することで、3月半ばから配信があり今度12日までが期限だったのでそろそろ視聴しないといけなかった。この手の義務案件はなにかと後延ばしにしがちなんだ。家にいるとネット麻雀したりついYouTubeやTVを見たりしてしまうからね。

最初、消化器がん検診推進機構の会長の草野健先生が挨拶し、その後鹿児島県の検診現況を谷口健二先生が講演し、そして後半は佐賀県の検診を遠藤広貴先生が詳細に語ってくれた。最初は適当に流し見で済まそうと思って見ていたが、案外に面白くてスライドをデジカメでパシャパシャ撮って記録までした。鹿児島県の胃癌検診状況は全国的にみても優秀で全国平均よりもほとんどのデータが上回っていた。ところが招待講演の佐賀県はというと胃癌の死亡率が高く2008年には全国2位にまでなったこともあり医療や行政の観点から対策が必要になった。↓のグラフを拡大すれば分かるが、塩分摂取(胃癌の危険因子の一つ)の多い東北が多いのは知っていたが比較的胃癌の少ない九州、沖縄において佐賀がこんなに悪いとは意外だった。
実は胃癌の発生により大きく影響するのは塩分摂取よりもピロリ菌感染であるのは最近では常識になっている。幼少時の汲み取り便所や井戸水の上下水環境が悪いとピロリ菌感染率が上がるのも分かって来ていて(私も田舎育ちで私を含め昭和30年前後の田舎の従兄弟姉妹たちがほぼ全員ピロリ菌陽性だった)、実は佐賀県は水道普及率が全国レベルよりもかなり悪かったんだそうだ。↓グラフ参照。
ほう、そういうことだったのか。これに危機感を覚えた佐賀県知事と当時の佐賀医療界はなんとかしないといけないと全国に先駆けて青少年のピロリ菌対策に乗りだした。2016年から中学3年生全員にピロリ菌検査(尿で分かる)を行い、除菌薬もすべて公費無料にしたんだそうだ。ただ除菌しても1、2割の人は失敗する。その時は薬の種類を変えて二次除菌療法を行う。それも佐賀県は全額補助して上げるという。そしてそれでもごく一部の人は除菌に失敗する。その時は保険は効かない三次、四次除菌療法があるがなんとそれも補助してくれるというんだ。えらい!私は2017年に鹿児島県も後追いで高校1年生にピロリ菌対策で同様の対策が始まった時に「これはいい。ただ、どうせなら除菌療法まで補助すればいいのに」とこのこてる日記で書いたものだ(→「鹿児島県「ピロリ菌検査事業」」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2017/07/blog-post.html)。

鹿児島県で残念なのはなぜかその素晴らしい対策を5年経過して止めてしまったことだ。佐賀県はピロマンというイメージキャラクターまで作ってピロリ菌対策を今でも継続している。
私は思ったね。今でこそまだ鹿児島県は佐賀県より胃癌の死亡率は低いかもしれないが20年後30年後は逆転されるって。20歳代くらいまでにピロリ菌除菌を行うともともと菌がいなかった人と同じくらいの胃癌発生率になることが知られていて若い人の除菌はそれくらい有効なのだ。

う〜む、他者との遅れからくる危機感ってすごい。演者の遠藤広貴先生はピロリ菌治療にも執念を燃やしていて(ちょっとかつての私に似ている。かつて某製薬会社のMRから「青雲会病院が除菌療法使用数で全国2位です」と言われたことがあったくらい)親近感を覚えた。
遠藤先生は鹿児島県の県民総合保健センターの鹿大第二内科初代教授佐藤八郎先生の書かれた記念碑「予防にまさるは治療はない」を引き合いに出していた。うわ〜、昭和61年4月ってその1、2ヶ月前に私は佐藤八郎先生と飲み会の二次会で隣同士の席に話しをしたことを思い出す。当時研修医1年目の私は鹿児島市医師会病院に3ヶ月だけ研修に行き、院長だった佐藤先生と直接会話することが出来たのだ。
あの時「ちょっとヘモ(痔)の調子が悪くてね〜」と語っていたが・・・。

講演後の質問コーナーでは第二内科出身のセトジンDrに皮タックDrらが質問をしていた。
↑は皮タックDrだが、後ろにはカピDrやニューマウンテンDrもいた。あはは二内科同期だよ。ちゃんと医師会館まで出向いて聴講していたんだね。みんなえらい!

2025年4月2日水曜日

3日3週間3ヶ月3年

昨日、新人さんたちが入職したばかりでさっそく彼女彼らたちにオリエンテーションが始まっている。私も昼14時から1時間の院長講話を頼まれていた。で、このネタも3年目で基本同じような内容をしゃべっている。まあ一部修正など必要で今回も直前まで手直しをしてからスピーチに臨んだ。

自己紹介から始まり、なぜ医学部を目指したのか、また青雲会病院へ就職することになったのかなどから話し始めた。1時間近くにわたる話の中で、最初のとっかかりなのだが、実は一番キモの部分なのだ。ありがちな医者になりたい特別な体験をしたか、青雲会病院への入職も劇的なエピソードでもあったかのかも思われるかもしれない。実はまったくそういうことはないどころか、医者にはなりたくないぁと思っていたし、青雲会病院も家を建てた鹿児島市内の場所が意外に姶良の青雲会に行きやすいという拍子抜けするような理由からだったのだ。

理想に燃えて学業や仕事に打ち込んでいたわけではない。だから他人からみたらやる気のない、テキトーなやつって目で見られたりもしていた。確かに頑張るどころか、学生時代は麻雀やパチンコ、修業時代はボウリングにハマっていた。でもそれなりに続けることが大事で、だんだんとそれなりに身についてくるものが多く、私の場合、不惑と言われる40歳を前に医師として残りの人生を全うしないといけないと思うようになった。なんとそれまでは「医師以外の仕事もあるのでは」なんて妄想を多少なりとも抱いていたのだ。

何事もまずは3日やってみる。どうにか我慢できれば3週間、そしてこの仕事はいやだ、だめだと思っても3ヶ月は続けてみてほしいと語った。それでやはり自分には合わない辞めようと思ったら仕方ない。さらに3年も続けて出来る仕事なら一生続けることもたいてい可能だ。

新人さん全員が意欲に燃えているわけじゃないことくらい分かっている。不安はあるだろう、そして自分の居場所はここじゃないって思っている人もいるかもしれない。でもほんのちょっと頑張ってみてーとアドバイスをしておきたかった。医業にさほど関心も熱意もなかった医師が今は現院長になっている。何事もちょっと頑張って続けてみるってこと、これが大事なんですよって。

2025年4月1日火曜日

40年間出来ていたことが急に出来なくなった

今日は新年度の始まりの日で、青雲会病院でも午前8時15分から入職式が行われることになっていた。私は新入職員への辞令交付の役目がありスーツで出勤する必要があった。それで、新しいカッターシャツを着てネクタイを締めてから出ようとしたのだが・・。

まずそのカッターシャツのカラーが非常に硬くてネクタイを中に入れるのが意外と難しく、カールに手伝ってもらっった。その後、ネクタイを締めようとするのだが、なぜか結べないのだ。あれ?と思って左右逆にして結ぼうとするとネクタイの三角形が裏面になったりする。あれあれ?とやっているうちにどうしても結ぶことが出来なくなった。時刻は午前7時40分にもなっていてもう家を出ないと式の開始に間に合わなくなってしまう。それでいったんあきらめてネクタイなしで出勤することにした。↓が実際に締めることが出来ずに慌てている様子の私。カールが写真に撮った。

私がネクタイを初めて締めたのは大学5年のポリクリ(臨床実習)の時で、同じポリクリ斑の宮砂糖君に教えてもらった。というより、宮砂糖君が締めるのを正面に見て全く同じように締めるようにして覚えたのだ。だから彼と私の締め方は同じではあるが、左右反対なのである。それ以来40年もの間、自分でちゃんと締めることが出来たのだ。なのに、なぜ急に出来なくなった?カールは「ボケてしまったのかしら」とマジに不安を覚えたそうだ。私も「そうかもな・・」と答えるしかなかった。でもそれよりまずは遅刻せずに病院に着かねば。

病院に着き、院長室に入って洗面所の鏡の前で改めてネクタイを締めてみた。すると、あら不思議、スムーズに締めることが出来るじゃないの。はあ?どうも家では遅刻しちゃいけないというのと、カッターシャツがネクタイとなじまなかったことで内心あせりが出てしまい、冷静さを失っていたからのようだ。そもそもネクタイなんて頭で考えて締めてはいない。手が覚えているというかねー。だから心の余裕がなくなって慌てるといつもやっていることが出来なくなってしまう。そんな現象だったのかも。

式では何事もなかったのように辞令交付も出来た↑。これでネクタイなしだったら、文字通りなんとも締まらない姿になっていただろう。良かったぁ。