2024年1月1日月曜日

2024年元日

明けましておめでとうございます。こてる日記も2000年から続けて丸24年になります。これからもよろしく。

朝はさっそくお節料理をいただいた。そして今年の年賀状。去年訪れた宮島を背景にネコたちと合成した。もっと面白画像を作りたかったが、生成AIの扱いに慣れておらず通常のフォトショップで作った。


その後、田舎へ年始の挨拶に行くのが定番なんだがいつもだらだらとなるので「今日は早く行くわよ」とカールに急かされ、午前10時前には出発出来た。今日は天気が良い上に空気も割に澄んでいて知覧町に入ると開聞岳がいつもよりくっきりな上に、南の海には薄く煙を上げる薩摩硫黄島がはっきり確認できた(↓写真)。じっくり見ればもっと遠くの屋久島も見えたかもしれない。
実家に着いて、庭を眺めるとヒラーキ自宅の2階にお猿さんが・・・。あは、いや家族に遠慮してタバコを吸っているヒラーキ本人でしたわ(笑)。
ヒラーキの長男デンタル君の娘が昨年生まれたとかで会いたかったが、奥さんの実家にいてこちらに来るのは夕方近くということで残念。次女アーコ、次男ヒロヤン君は帰省し挨拶をしてくれた。うちの三男のチッチともどもヒラーキ夫妻に年始の挨拶をし、近況など語っていた中で、ヒラーキが「この前の通夜で盛り上がった話題に『子どもたちは親のことをどう思っているか』という質問があってさー、チッチ君はどう?」と尋ねてきた。すると、どう思っているかの話題より「これまでの中で親から受けた理不尽なエピソード」という話題を出して来た。「たぶん、僕だけでなく兄貴たちもいっしょだと思うけど、2003年のおはら祭りでの出来事が忘れられない」と。チッチはLINEでテルとセージに同じ質問をしその回答を待った。

「おはら祭りで何があったんだ?」と私。ちょうど青雲会病院がおはら祭りに踊り連を初めて出した年で、私も法被を着て参加した。カールと子どもらは天文館通りへ私たちの踊りを見物しに出かけたのだ。しかし人混みの中でカールと子どもらははぐれてしまった。とはいっても子どもらは青雲会病院の踊りの動きに合わせていっしょに歩道を移動していただけ。だがカールはそのことを知らず、その辺りにいない子どもらを探し回った。そしてようやく見つけたと思って、会うなり子どもら3人に思い切りビンタを食らわしたのだった。しかし子どもらにしてみればどこにもうろついたわけでもなくずっと私や職員の踊りを見ていただけ、はぐれたのはカールの方だった。セージから「おはらまつり」テルからも「おはらまつり。間違いなくそれ。場所まで覚えている。理不尽やった」と返信があり、チッチが「殿堂入りだねえ、やっぱり」とまとめ、カールは「ごめんなさーい」とのスタンプで謝っていたわ。

墓参りに行った後、ヒトミンチョ家に寄った。長兄のトシ登りは帰るところで、次兄フサンコ、三兄ヨカトモらと話をしたが、みんな60歳代後半以上から70歳代になり健康や病気の話題が多かった。ヒトミンチョとは飼いネコの話題で、最近そらんとあずきの2匹とも食事を摂らなくなり、もしかするとこのままダメになるでは?とやきもきしたがまた食べ始めてホッとしたという。なんかウイルス性の風邪にも罹ったのだろうか。何はともあれ今じゃネコも家族。人もペットもみんな健康に気を付けていきましょう。

で、例年なら帰宅する時間は暗くなっていることが多いのだが、まだ明るいので、ついでに護国神社に初詣に行こうと鹿児島に入った頃、チッチが「北陸で大きな地震があった」と言い始めた。TV各局の情報もそれ一色になっていた。震度7というからこれは大変だ。大津波警報も出たそうだ。NHKの女性アナの口調がきつい。それくらい言わないと人々は行動に移しにくいという事前の訓練があるからではないか。津波はだいたい30分以内にはやって来る。しかし我々はついつい「大丈夫だろう」とか日常の行動を取りがちなものだからだ。

帰宅してもしばらくは地震報道一色だった。テレ朝系の「芸能人格付けチェック」もやはり中止になっていた。これを見るのが毎年恒例だったのにー。仕方あるまい。後から民放は通常番組に戻ったが、あんまり面白くないんで、先日NHKBSで放送された「映像の世紀バタフライエフェクト:ビートルズとロックの革命」を見た。ビートルズが登場した頃、日本に限らずイギリスでもアメリカでも「あの髪型はなんだ」「曲もうるさい」「不良になる」など旧世代を中心に反発や誤解を受けていたことも映像に残っていた。ビートルズオタクの私はほとんどが知っている内容だったが、チッチは初めて知ることも多かったようだ。そういえば、田舎に行き来する最中もビートルズの1965年の頃の曲をずっと流してチッチと盛り上がっていたんだった。改めてビートルズは偉大!と思った2024年の元日だったよ。

0 件のコメント:

コメントを投稿