今日は外来担当日で17時半までの勤務だったが、しばらく外来で過ごしていた。ベロリンガー・インキンタイム社のタナカッツMRの訪問を待っていたのだ。彼は鹿児島勤務が今月で最後だった。お互いお世話になったゆえ、ぜひ挨拶をということで今日になった。鹿児島勤務はなんと13年にも及んだという。これは4、5年で転勤になることの多い薬品会社のMRとしてはかなり異例だ。
私が彼と初めて会ったのは2011年の1月12日だった(↑左タナカッツMR、右タシケントMR)。当時はタシケントMRが青雲会病院の担当で彼とはボウリングをいっしょにしていて、後にタナカッツMRが青雲担当になったとき彼もボウリングをするようになった。まあ「青雲会病院内科担当ならボウリングやるのは必須」ぐらいの引き継ぎがあったのは間違いない。タシケントMRは担当を外れてもボウリングには来ていてマイボールも作り直したりして衛材のスリウェルMRともども長くいっしょにボウリングをし、防火ボウリング大会では私たちのチームを破って優勝したこともあった。↓ボウリング練習最盛期の2014年ころ、左からタナカッツ、スリウェル、タシケントMR。
タナカッツMRはなかなかボウリングが上達せず、練習の最後にチーム戦を組むときはタナカッツMRのチームにはハンディを与えて勝負!なんてことも多かった。しかし、長くやれば徐々にはうまくなり200アップゲームも何度か達成した。それよりも2019年度までは通称「こてる会」というボウリング練習会の連絡役をしてくれて、大いに助かった。それが2020年の3月以降はコロナのせいで「こてる会」は自然消滅、私自身もボウリングをしなくなって2年近くも経つ。
しかもMRの仕事の生命線である病院訪問も禁止ないしは制限され、タナカッツMRからは何度もリモート面談の依頼があり年に3、4回はやったかな。ついこの前の6月20日も遠隔で面談したばかりだ。↓は2020年3月18日の初面談の時の様子。
事前に約束したりする必要もあり少し面倒なこともあったが、時には5年前に愛知県に転勤になったタシケントMRとも同時面談できたりとリモートならでの恩恵もあった。↓2022年4月1日。しかし営業マンは長く鹿児島ばかりで仕事をし続けるわけにもいかない。今度は熊本に転勤だそうだ。ちょうどその熊本の前任者も今日は挨拶に来た。入れ替わりらしくこれまでのタナカッツ担当地域をタチヒロMRが、タチヒロMRが担当していた熊本は天草方面をタナカッツMRが担当するということだ。「天草かぁ」私は9年前に母親らと天草旅行に行った話題や少しばかりの熊本トリビアを披露したりした。下天草島で「おっぱい岩を見ようと海岸近くまで行ったのにどの岩か分からなかった」というと、タチヒロMRは当然知っていて「どっち側の道路から行くかで見つけにくい場合があります」と教えてくれた。そうだったのか。タナカッツMRは九州出身でもないのにこれでしばらくは九州から離れられないな。ただ赴任地が熊本と聞いて彼の奥さんはどちらかといえばホッとしたという。まあ北海道や東北なんかだと気候も風土も違うだろうし、大都会もまた身構えちゃうだろうしね。真面目で仕事熱心なタナカッツ君の今後のさらなる活躍を記念し、今日のこてる日記はタナカッツ特集だった。
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