当直明けの今日の半日を過ごせば、年末年始は珍しく日当直が組まれていない。しかし入院患者は10名以上抱えているので、その間の点滴や処方指示などで午前の半分は費やされた。内視鏡は2件のみで特に大したことはなし。しかし例年、昼前に入院依頼の連絡が他院から来るのだが、はたしてその通りで、ソーシャルワーカーのフロント君から「加治木の〇〇クリニックから炎症反応が高くて入院させたい患者さんが・・」と打診があった。はあ、いつもこれで昼の御用納めの会には遅刻してしまうか参加出来ないんだ。でも今回は「今年は受け持つことは出来ない」とすぐに断った。なにせ仕事始めの1月4日まで病院に来る予定がないのだ。責任が持てないではないか。フロント君「なるほど、分かりました」と、他Drに頼んでみるということだった。うむ、これは仕方ない。
そんなワケで、今年の12月29日は昼食も御用納めも余裕で対処出来た。会は1年間の青雲会病院の業績の発表やラブカメ先生のスライドによる総括と約40分ほどで終わった。この「御用納め」、以前は弁当にアルコールを含めた飲食会といった趣きだった。旧病院の頃は朝から職員が餅つきもやっていた。それより以前(昭和)の可愛いんだ病院時代は秋の職場運動会もやっていたらしい。しかしいつの間にかそれらは無くなった。忘年会もこのところずっと無いし、いわゆる職場の親睦会めいたイベントは、コロナのせいだけでなく、減るか無くなっていく風潮だ。これは青雲会病院という職場だけのことではなく、日本社会全体の潮流なのかもしれない。
年々では気づきにくいが、約30年という世代ごとに振り返ればより分かりやすくなる。結婚式も平成初めのころまでは出席者200人を超える披露宴も結構あったが、今では100人未満が当たり前だ。現代日本の初婚年齢の平均は男子31歳に女子29歳だが、平成初期は男子28歳、女子26歳だった。年賀状にしてもこの20年前をピークに投函数は減少しっぱなしという。そもそもが年賀とは直接相手宅へ出向いて直接手渡しで贈るのが大昔は当たり前だった。それが年賀状で済ますようになり、今ではそれすらもしない人が増えてきた。商売も元日に店を開けて年始セールなんて昭和の頃はどこもやっていなかった。TVの店舗新年CMでも「明けましておめでとうございます。初商いは正月4日から」と伝えていたものだ。大衆側も年始セールに三が日に出かけるか、あるいはせっかくの休みだからと国内&海外旅行だ。まあ、初詣客は相変わらず多いようだが・・。昔、家の近くの天文館公園は正月にサーカスや見世物小屋、お化け屋敷に露店がひしめき、参拝客帰りの客でごった返していたものだった。そうそう、天文館通りを歩くとまだ傷痍軍人がいて物乞いのようなことをしているのを見かけたこともあった。それらも昭和50年代にはなくなったな。
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