2021年11月7日日曜日

行ってみてよ、谷中霊園

東京は日暮里駅を降りてすぐのところに谷中(やなか)霊園という大きな墓地がある。ここには多くの著名人らの墓がある。最近の話題で言えばNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公渋沢栄一や徳川十五代将軍慶喜の墓がある。先に慶喜が1913年(大正2年)に亡くなり、その時は渋沢栄一が葬儀委員長を務めた。幕末の一時期にあった主従関係が明治大正の代まで続いていたのが珍しい。↓徳川将軍は芝の増上寺か上野の寛永寺に埋葬されるのが慣例であるけれど、唯一の例外が慶喜で天皇に遠慮したか仏式ではなく神道での葬儀を望んだためらしい。

そして渋沢も1931年(昭和6年)に亡くなり同じ谷中霊園に眠っている。そのお墓の向きは慶喜公の墓所を向いているという。渋沢栄一は来年発行予定の新一万円札の肖像画にもなっており実業家しても有名であるから、どこぞの会社の社長さんあたりが拝みにやって来そうだね。↓「青淵」というのは渋沢の雅号である。
幸田露伴の名作「五重塔」のモデルになった塔も墓所内に建っていて露伴の家から直接見えていた。しかし1957年(昭和32年)に放火心中事件のせいで焼失してしまったという。現在はその跡が残るのみである。そんなつまらないことのせいで・・。


墓地内に妙な形をした墓があり何だと思って近づくと「東京大学医学部納骨堂」とある。学生の遺体解剖に提供された人たちの墓所である。
そのすぐ隣には「千人塚」と銘された墓が3つ建っている。これはかつて献体が千人に達するたびに建てられたものという。
この墓一帯がなんとも言えぬ妖気が感じられる場所だった。私は霊気とかそんなのは全く感じない質なのだが思わずゾクッとするものがあった。あの宜保愛子さんがここに立ったら「見えますね」とでも言うのだろうか・・。さらに近くを歩くと戦中に発覚したスパイ事件のゾルゲ事件の主役ゾルゲと尾崎秀実が秘密文書を取り交わした場所と言われる(?)木の割れ目があった。
その中を覗いてみると・・
残念なことに空き缶が放置されたままで、事の真偽がそれだけで疑われるようだった。

この谷中霊園、他にもいっぱい有名、無名のお墓があり、とても紹介しきれない。最後に変わり種を一つ。↓髙橋お傳という人の墓。解説板を読むとなんと明治初期の殺人犯だ。

なんでこんな人がこんな立派な墓を・・と思って裏側に回ると、寄付連名に「尾上菊五郎」「市川左團次」「三遊亭圓朝」など歌舞伎や落語の有名人らの名前がずらり。なるほど、演劇や話芸の元ネタの人としての感謝と鎮魂のためにこんなのが建てられているのだと納得した。

谷中霊園は見て回れば回るほどネタの尽きない場所だ。また話題にする機会があればと思う。

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