入江さんは6月1日に吸い寄せられるように清美軒の取材をした。まるで大将が亡くなるのを知っていたかのように。おかげで武田清則君の亡くなる直前(1、2時間前)の肉声を私は聞くことが出来た。彼は清美軒の由来や今後の予定も語っていた。「東京の大塚で戦後にオヤジがそこで修行し暖簾分けでここと山梨に清美軒はある。一度山梨の店の人が挨拶に来たことがあった。しかし今は東京も山梨も店はなく鹿児島だけ、しかも再開発が迫っていて跡継ぎもいないので6年後くらいは無くなる」「昭和28年11月開業なので70周年くらいまではやりたい」と。
入江さん曰く、『・・6月1日に撮影に行く際に、実際はどこに行こうか前日まで迷っていました。 5月31日の夜、寝床で清美軒に行くことをきめ、Googleのクチコミを観覧し、「焼飯が美味しい」という投稿を多く見ました。 6月1日、午前10時15分頃、私、入江はお店に到着し、撮影許可のお願いをしに参り撮影許可を頂きました。 武田さん曰く「あなた、良かったね!この前もYouTube撮影したいって3人組から電話あったけど、よくわからなかったからお断りしたんですよ」とのこと。』
『武田さんとの会話の中で 「いつ?配信するの?私のお店なんかが、YouTube出さしてもらっていいの?なんだか、嬉しいね~!配信、楽しみに待ってるからね」って。 YouTubeのチャンネル登録わからないからって、Googleアカウント作成も武田さんにお願いされ、その日に私が設定しました。 女将さんからも 「お店はこういうかたちで終わりましたが、入江さんの動画でお店を見られることを楽しみにしてます」とおっしゃってくださいました。』
入江さん曰く、『・・6月1日に撮影に行く際に、実際はどこに行こうか前日まで迷っていました。 5月31日の夜、寝床で清美軒に行くことをきめ、Googleのクチコミを観覧し、「焼飯が美味しい」という投稿を多く見ました。 6月1日、午前10時15分頃、私、入江はお店に到着し、撮影許可のお願いをしに参り撮影許可を頂きました。 武田さん曰く「あなた、良かったね!この前もYouTube撮影したいって3人組から電話あったけど、よくわからなかったからお断りしたんですよ」とのこと。』
『武田さんとの会話の中で 「いつ?配信するの?私のお店なんかが、YouTube出さしてもらっていいの?なんだか、嬉しいね~!配信、楽しみに待ってるからね」って。 YouTubeのチャンネル登録わからないからって、Googleアカウント作成も武田さんにお願いされ、その日に私が設定しました。 女将さんからも 「お店はこういうかたちで終わりましたが、入江さんの動画でお店を見られることを楽しみにしてます」とおっしゃってくださいました。』
最後に『通常、撮影後、配信まで1ヶ月くらいかかりますが、予定を変更し早めて、配信させていただきました。 改めて、故 武田清則様のご冥福をお祈りいたします。入江 拳』と結び、店の前に弔花を捧げていた。最後の料理提供が自分を取材に来たYouTuberだったとは。武田君もネットで披露されるのを楽しみにしていたというが・・涙なしにはここは読めないな。自分生きていた証をYouTuberが最後に残してくれた・・そう思われて仕方がない。
入江拳氏の237杯目は「武田清則最後の一杯」だった。
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