2023年5月1日月曜日

急遽、通夜に

朝、まさに出勤直前だった。カールが新聞を見ていて「あら、テル君のお友だちのお母さん亡くなっている」と教えてくれたのだ。「なに?!」と確認すると間違いない、見せたまえDrの母親の死亡広告だった。見れば「4月29日に91歳(数え)で安らかに永眠した」とあった。ああ、私たちが闘牌に夢中になっていたあの日の夜亡くなっていたのか。見せたまえはその事実を私たちには連絡してこなかった。さすが気遣いの彼だ。

広告では今日の18時から通夜、明日の午前11時に告別式とあり、急遽黒ネクタイだけ持って出かけた。17時半の終業と同時に病院を出て、葬儀場に着いたのはちょうど18時で式場では神式にて通夜が始まったばかりだった。参列者はみな黒服で白シャツは私だけ。まあこれは仕方なかった。神式の進行は久しぶりで線香の代わりに玉串を捧げるのも慣れず先の参列者のを見て慎重に行った。

遺族代表挨拶は見せたまえ兄の見せタンゴDrが行った。先生とは以前糖尿病の勉強会でいっしょだったことがある。御母堂は慈善活動など長く活動されたり、「城山観光ホテル(現:城山ホテル鹿児島)や山形屋が大好きで・・」と鹿児島人らしい人柄をしのばせる発言もあり、見れば病院やクリニックからの献花に交じって確かにそれら企業からのもあった。

見せタンゴ先生は最後に少し涙ぐむ様子だったが、私も父デンコーの葬儀での挨拶の最後に不意に声が詰まり涙ぐんでしまったことを思い出した。これは前もって予想できないんだよな。帰りがけに一家の写真など展示されていて、見せたまえはお母さん似だったんだと思った。先々月の櫨山さんの母の時は家族で既に済ませましたとの死亡広告だったが、今日参列してやはり故人をみんなで偲(しの)ぶ葬儀の方がいいかなと思ったことだった。

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