2022年3月11日金曜日

震災後11年、教訓動画

ちょうど11年前のあの日も同じ金曜日だった。午後の大腸内視鏡検査が終った頃、内視鏡室のシホねえNsや竹の香りNsが「センセイ、大事件ですよ」と言ってきたのだ。以下11年前の「こてる日記」から同日の記載を抜き出すと・・

「はあ?宮城で地震だって?何をまた大げさなことを言ってー」と相手にせず電カルをカチャカチャやっていた。地震報道などしょっちゅうあるし宮城にしてもこれまでも何度もあったでしょ、ふーんってな感じ。「でも、すごいですよ。TVはさっきからこればっかし」なんて言われてもすぐにはTVは見に行かず、手洗いを兼ねてトイレに座っている時に携帯で自宅に電話してみた。するとカールも「すごいよ」と全く同じことを言うので、これはーと思った。

外来備え付けのTVを見に行くと、NHKアナウンサーが災害情報を伝える中、TVの映像に釘付けになった。大津波でそこそこの大きさの船が横倒しになったり揺れているところへもう一隻の船がぶつかって来たのだ。生放送だというのにコメントを発することもない。この後の映像で、まるでゴミのように車やコンテナが波間をぐるぐる揺れるのをみてうわっと思い、さらにその直後、木造の家までぐるりと回転しているのをみて唖然とした。

医局に上がると珍しくドクター4、5人がみんなTVを見ていた。千葉の市原ではガスタンクが赤い炎を出して燃えていた。東北だけでなく関東、東京もやられているのか。こんな映像、日本ではゴジラかガメラが暴れた後くらいしか見たことない。

阪神大震災では都市火災と建物と高速道路倒壊が最初の印象だった。今のところ「阪神」ほどは犠牲者は出ていないようだが、あの津波を見ればいったい何百人いや下手すれば千人以上犠牲になるやもしれない。(3月12日午前2時現在で少なくとも330人以上との報道あり)

実際の被害はそんなものではなかった。犠牲者は2万人近くにも及んだのだ。あのぷかぷか浮かんでいたコンテナや車は宮古市の海岸の様子だった。その後私は津波映像をくまなく見ているからだいたいどの地域の映像かは分かる。今日も久しぶりに外来の合間にYouTubeで見てみた。私はその手の映像は平気だが、カッチャンNsは「私はだめだ」と言う。ふむ、人によっては気分を害したり不安感が煽られることもあるので「この映像には津波の被害が含まれますので視聴にはご注意下さい」などの予告が出るのが普通だ。

でも私は多くの人に見ることを勧める。あの日が来るまで津波の怖さを多くの日本人が軽視していたのではないか。それまで被害に遭っていた三陸海岸の住人ですら津波の暴力的なまでの威力を分かっていなかった。あのような大地震が起きたら30分以内には高所へ逃げ切っていなくてはならないのだ。津波の怖さが分かる動画を一度でも見せておけばもっと被害が少なくて済んだかもしれない。

数ある津波動画の中でも教訓に値するものを以下に紹介する。一つは南三陸町歌津地区のもので、警報アナウンスで「海岸付近には絶対近づかないで下さい」と流れているのに歌津大橋付近の住民数人(よく見ると少なくとも4人は確認出来る)が防波堤の内側に突っ立ったまま動かずにあるいは向こうから歩いているのだ。また歌津大橋を走行している車も何台もいる。しかしものの2分ほどで津波は堤防を乗り越え、町内はあっという間に呑み込まれてしまった。数分して大橋も水没する。すご過ぎて言葉を失う。
もう一つは宮古市を襲った黒い津波動画だ。すでに堤防の向こうの河口では船が流され超危険な状況なのに堤防からのぞき見する人やのんきに自転車こいでる人が2人はいる。数分後に黒い津波が堤防をやすやすと越え暴れまくると知っていればとうていあんな余裕行動は取れない。海岸に近づくなだけではダメですぐに高台に逃げろが鉄則だと分かる。
私なら自分の子どもにこの動画は見せるだろう。地震が来たらどうすべきか、津波がどんなものか知っておくべきだと思うから。例え心理的トラウマが残っても我が子に生き残ってくれた方がどれだけいいか分からない。東日本大震災では多くの教訓的動画が残った。何十年、何百年も経てば人はまた津波の恐ろしさを忘れがちになる。これら動画は永久保存にすべきだろう。

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