帰宅してこのところ読んでいる深田久弥の「日本百名山」をぱらぱらとまためくってみた。きちんと1ページ目から読む必要はなく気になった山の頁をパッと開いてさらっと読むというスタイルだから気楽だ。しかし読売文学賞を受賞した氏の文章は味わい深く一座一座をさっさと読み飛ばすには惜しいことが多い。また、福井出身の氏はまだ登山が一般的でなかったころからの登山家で一般大衆ががやがや集まるような山は嫌いなのがあちこちの文に出てくる。氏が登った時期は大正、昭和の前半から30年代までだ。随筆にまとめ1冊の本となったが昭和39年。今はずいぶん環境が変わり登りやすくなった山もあるだろう。
しかし今でも厳しい山もある。その中で読んでいて思わず引きつけられたのが「穂高岳」の最後の文章だ。山と言えばつきまとうのが「死」である。「山男の歌」なんて陽気な楽しい歌に聞こえるが一番の歌詞からして登山死のことを言っている。「♪娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ 山で吹かれりゃよー 若後家さんだよ」それくらい登山をして死んでしまった話はよく聞く。中でも日本標高第三位の穂高岳は遭難死も谷川岳と並び多いという。その穂高の項のラストは以下のように書かれてある。
「・・・そこで永遠に眠った人も多かった。大島亮吉も、茨木猪之吉も、穂高を墓にした。近年は冬山登山に毎年のように犠牲者を出している。小坂乙彦も死んだ。魚津恭太も死んだ。死ぬものは今後も絶えないだろう。それでもなお穂高はそのきびしい美しさで誘惑しつづけるだろう。」 (↓は穂高連峰)
淡々と書かれてあるが何と怖い文章だろう。特に「小坂乙彦も死んだ。魚津恭太も死んだ。」のところはリズム感、悲壮感がすごい。上に書かれてある登山家らしい4人は皆、氏の知り合いか仲間なのだろうな。そう思って念のためネットで調べてみた。
「大島亮吉・・[1899~1928]登山家。東京の生まれ。大正11年(1922)北アルプス槍ヶ岳の冬期初登頂に成功。登山思想の確立に努めたが、昭和3年(1928)3月、前穂高岳北尾根で墜落死。著「山」「先蹤者」など。」
「茨木猪之吉・・
なるほど、大正、昭和前半の登山家、画家であったか。しかしである。後半の二人「小坂乙彦」「魚津恭太」はそうではなかった。調べてもはっきりと経歴が出てこないのだ。おかしいと思っているうちに「日本百名山」文庫本の他文庫本紹介文の中に何と二人の名前を見つけた。何のことはないこの二人は井上靖の小説「氷壁」の主人公の名前、つまりは架空の人物たちだったのだ。「氷壁」は昭和32年に出版されベストセラーになった。その後映画化やドラマ化され「百名山」が書かれたころは一般に流布された名前であったことが分かった。今で言えば例えば銀行もので「半沢直樹も出向の憂き目に遭った」とでも書けば違和感ないどころかぴったりくるようなものだろう。今は誰も覚えていない架空の人物名でも実在の人物にこだわって例を挙げるよりはるかに印象に残る。さすがだと思った。
「日本百名山」にはまだまだ紹介したい文章がある。NHKBSの「グレートトラバース 日本百名山ひと筆書き」を見つつ文でも味わう。山登りの代理満足が得られこのところ一人山岳ブームの私である。
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