夕方、国分の京セラホテルで「第18回始良地区地域連携NetWorks情報交換会」に出席した。実はこれ、加治木温泉病院が主催で前回は昨年10月3日にもあり、その時は私は別の会議の影響もあってだいぶ遅れて駆けつけての参加だったと日記にも書いた。今回は20分前には到着し席に着いた。その席もやはり中央前のテーブルだったが、今回はメインのゲストは霧島市立医師会医療センター院長の河野嘉文先生だった。加治木温泉病院のリハビリ部門の発表の後、河野院長が今月リニューアルオープンした医療センターの概要を紹介、アピールするスピーチを行った。古かった建物をほぼ全部建て直し、先進機器の導入、そして鹿児島県では初めての病室の全室個室など新病院といってもいいほどの新改築になった。
河野院長は「旧病院では猿や猪が出没していましたが・・」とスライドで院内に野生動物が出没するなどの状況であったと少々の笑いとともに説明をしていた。そしてロボット支援手術、PETーCTやICU・CCU増設など紹介され、地域の基幹病院としての充実ぶりがよく分かった。直近の利用者アンケートもあって「さっそく少々のクレームも出てきまして・・」といくつかそれを取り上げていた。↓に列挙してみる。・外来待合の椅子が少ない
・バス停の椅子がなくなった
・無料のお茶がなくなった
・会計待ち時間が長い
・会計の近くにトイレが必要
・A〜Fのブースではなく番号にしてほしい
・駐車場が足りない
・設備は一流、対処は二流
「無料のお茶」はそもそもがなくてもいいはずだし、「椅子が少ない、駐車場が足りない」については「実は従来なら患者1人につき付き添いは1、2人程度だったのが6、7人も付いて来ているケースがかなり多い」らしく、実は新病院の見学がてらの人が多いそうだ。会計待ち時間もクレームでは1時間と書かれてあったが実際にチェックすると約20分であったそうだし、会計の近くのトイレも確かにすぐそばにはないが10mちょっと歩けばトイレはあるそうで、「A〜Fのブース」問題については「それなら『いろはにほへと』にしましょうかねぇ」とのことだった(笑)。ま、「設備は一流、対処は二流」との指摘には「今後努力改善していきます」とのことであった。まあ、クレームだけ取り上げれば以上のようになるが実際はお褒めの言葉のかなり多いそうでなによりだ。
後でテーブルでの河野院長の話で「うちは平均在院日数は10日未満に抑えなくていけない」と聞き、大変だなと思った。医療センターは完全紹介型の病院ゆえに次から次へと患者さんを受け入れては出していかねばならないわけで、ある程度改善すればまた紹介元に帰すか介護施設へ転所させねばならない。平均在院日数が10日を超えると基準を満たせず収入が減らされる仕組みなのだ。青雲会は同じ急性期病院でも紹介状なしでもOKでかつ高齢者の入院もかなり多くとても10日未満に退院とはいかない。
実は私は今から38年前に前身の国立療養所霧島病院時代に半年間勤務したことがあった。それまでにいくつかの大きな病院に勤務したことがあったが当時の霧病は一番雰囲気が違った病院だった。病院内には「民間移転反対!」などのビラも貼られていたし、職員も看護師さんたちがみないわゆるおばさんばっかしで20歳代は病棟に1人か2人くらいしかいなかった。患者さんも長期入院が多く、3年4年はおろか10年近く「住んで」いる人もいた。看護師さんが「あの人はもう帰る家がもうないそうですよ」とこそっと教えてくれ驚いたものだ。また、私は消化器内科として内視鏡検査をせねばならなかったが、そこにあった大腸内視鏡は見たことないくらいの古い機種で(無論電子内視鏡ではなくファイバースコープ)、硬くて操作性も劣り、私は半年の間一度も回盲部まで到達出来なかったのだ(今ではあり得ない)。
そして今から25年ほど前の2000年7月にとうとう「霧病」は閉鎖となり、隼人町立で運営は姶良郡医師会が行う病院(当時は隼人町立医師会医療センター)として再出発となった。偶然ではあるが、私は青雲会病院に就職したばかりではあったものの、立ち上げの最初の9ヶ月を週1日水曜日に内視鏡検査担当になった。内視鏡医が不足気味で大学第二内科に依頼があって当時の内視鏡室のボスの松ピカ先生に「最後のご奉公」として頼まれたのだった。毎週、胃カメラ7、8名、大腸内視鏡4、5名をやっていたな。今度は回盲部までは100%入ったヨ。雰囲気も国立病院時代とは結構変わって来ていて、河野院長によると「国立時代は人件費率が80%(!)もあったのが、医師会への移管時は40%にまで落とせた」そうだ。もっとも20年以上経ち、さすがに今はそんなに低い人件費率ではないそうだが、80%というのは単独では経営維持出来る数値ではない。病院の人件費率は50%台が妥当で60%を越えると経営が厳しくなると言われている。80%とは普通はとっくに倒産レベルで、国からの補助が合ってこそ成り立っていたのだろうが、さすがに国も面倒見切れなくなったってことだ。
ちなみに昨今の建設費人件費高騰の煽りで当初移転予算は100億円くらいの予定が150億から160億近くまで膨れ上がったそうだ。河野院長曰く「どうにか予算を出してもらえた」そうで、他県のケースでは病院移転や新築が白紙撤回や中止になったなどのニュースもあり、今後の病院経営の厳しさを加治木温泉病院(玉昌会)の高田理事長も語っており身が引き締まる思いだった・・。
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