「消化器内視鏡」を専門とするDr.こてるです。
趣味のボウリング、麻雀や病院での出来事、家族の内輪ネタから時事問題まで
日々の徒然を「こてる日記」として、毎日アップしています。
2000年5月から開始し2015年5月分からブログに移転しました。
2023年11月27日月曜日
ドキュメンタリー好き
ドキュメンタリー番組好きの私は月曜夜に録画したその手の番組を見ることが多い。今日はNHKが45年前(1978年)に特集放送した「食卓のかげの星条旗 〜米と小麦の戦後史〜」の再放送、映像の世紀「パリは燃えているか」を見た。
小麦の話は以前聞いたことがあった。アメリカが巧妙に日本人に小麦製品を食するよう仕向けたって・・。NHKの番組情報によると「かつて日本人の主食は米だった。しかし戦後、食糧難の時代に大量のアメリカ小麦がもたらされたことで主食に小麦が加わった。そのかげには、アメリカの余剰小麦輸出政策があった。キッチンカーを各地の農村に走らせて粉食を奨励し、またパン食の学校給食を全国に広めた。番組では、アメリカの戦略とそれによって余るようになった米の消費拡大運動を対比させて描く。その後も米の消費は減り、一方でパンの消費は増え続けている」ということだが、別にアメリカが仕組まなくてもいずれ小麦消費の方が増えていくのは必然だった気がする。小麦に比べ米はバリエーションがずっと少ないし。以前別の放送で、米屋の奥さんが旦那さんが「(米屋だから)うちの朝食は米に限る」というのを「(本音は)パンにして欲しい。作るのが大変だから」とぼやいていた。旦那は苦笑していたが・・。
「パリ燃え」は第二次世界大戦のナチスドイツのパリ占領の話だった。そもそも映像の世紀という番組のメインテーマが「パリは燃えているか」という曲だ。NHK番宣によると「この番組のテーマ音楽『パリは燃えているか』は、ヒトラーが第二次大戦末期に発した言葉に由来する。しかし、パリは燃えなかった。パリを治めるドイツ軍司令官がヒトラーの破壊命令に背いたのだ。ナチス占領下のパリで何があったのか。亡命先から市民に徹底抗戦を呼びかけたドゴール、ドイツの監視の中、創作を続けたピカソ、シャネルはナチスの協力者となった。『パリ燃え』のメロディーに乗せて贈る、パリ百年の不屈の物語」と3人それぞれの生き様を映像を通して描いていた。私は1940年のナチスの占領当初、「パリを見るのが夢だった」とヒトラーがパリ見物をするシーンが印象的だった。得意の絶頂の瞬間だったワケだが、4年後には連合軍のノルマンジー上陸作戦で逃げざるを得なくなり、その翌年自殺に追い込まれることを私たちは知っているからね。エッフェル塔を前にしたヒトラー↓。パリ占拠直後はドイツ兵らに香水「シャネルの5番」が飛ぶように売れたが、パリ解放後はアメリカ兵らに取って代わられた。シャルル・ドゴール将軍は戦後フランス政界に君臨したが戦後世代の若者らには反発され解任に追い込まれたとあった。栄枯盛衰を短時間で見聞き出来るのもドキュメンタリー番組だ。話を戻し、私はドゴールと言えば一番暗殺の対象になった指導者というイメージがある。それは1973年の映画「ジャッカルの日」の印象が強いからだ。1970年にドゴールは没しているが映画のドゴール役をやった俳優を見て一般大衆の中には本物を思った人も多かったという。シルエットだけでドゴールと分かるくらいだったしナ。なんにせよ、ドキュメンタリー番組は見て面白いしためにもなるので一番好きなジャンルだ。この分野で他の民放はNHKには敵わない。私はNHKの受信料は払いたくはないが、ドキュメンタリーのことを考えればまあ仕方ないかなと思うところではある。
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