2023年8月31日木曜日

「私がおかしいのかしら」

カールが「私の方がおかしいのかしら」と語りかけてきた。

今日、ギボヒサコがお世話になっている施設の介護を担当している60歳代女性職員と話をする機会があった。その女性の妹さんは今年、くも膜下出血になって命は助かったがある程度の脳の障害は残らざるを得ないという。さらに姉も乳癌とさらには肝臓癌も見つかって「今年は大変な年だ」と嘆いていたそうだ。それを聞いてカールは「それは大変でしたね。私も明日乳癌の定期健診に行くんですよー」と言ったら、その女性「えー!怖くない?」と反応したのだ。それにカールは「え、毎年のことですからー」と返事したが、どうもその女性職員は乳癌検診など受けていないようだったという。

それで「毎年、乳癌だけでなく、子宮癌のほか一般健診を受けている私の方がおかしいのかしら」と言ってきたのだ。これには当然「何言っている、おかしくないし、十分まともだ」と私は答えた。

「怖い」という言い分は「健診や検診を受けると癌が見つかるかもしれない、だから怖い」どうもそういう理屈のようだ。でも論理的に考えれば分かるよね。怖いのは「癌になって死ぬ」ことであって、癌があるかどうかを知る「検査そのもの」は怖くはないのだ。内視鏡はまあ怖がるのも分からないでもないが、採血、レントゲン、エコー、ブラシ擦過検査などは大したことない。

検査を受ければ自分に癌宣告が来るかもしれない、検査を受けなければそのような宣告が来ることはない。自ら怖い場面に出くわす真似はしたくない。だから健診(検診)を受けない。そういうことだろうねぇ。

まるで注射を嫌がる子どもと同じだ。これまでも何度も指摘してきた論理ではなく感情で行動するタイプ。人間の行動には論理でも感情でもどちらを優先してもいい場面はたくさんある。しかし結末が生きるか死ぬかの場面では当然論理的に行動しよう。癌という病気は進行するまで自分では気づきにくいもの、だから早めに健診を受けるのだ、と良き大人は行動しなければ。それが分かっていて「敢えて受けない、癌であってもそれは自分の運命だからそれを享受する」というのであれば私は何も言わない。ただなかなかそういう立派な人にはあったことがない。皆うろたえ、どうにかして助かりたいと病院にやってくるのだ。

もう一度言う「カール、お前はおかしくない」

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