2022年10月14日金曜日

頴娃町実家に薩摩ツゲあり

昨日の南日本新聞の「記者の目」欄に「薩摩柘をいつまでも」との記事があった。「薩摩柘」は「さつまつげ」と読む。

記事によると、鹿児島特に南薩では女子が生まれるとツゲの期を植える風習があり、年頃になると大きくなった木を売って嫁入り道具の足しにしたらしい。これを読んで私は幼い頃を思い出した。南薩は頴娃(えい)町の実家の垣根近くの木を見て、オエイ祖母ちゃんに「この木は何?」と尋ねたら「ツゲの木だよ」と教えられたのだ。縁側からすぐの所にありいつも眺められて、そんなに大きな木ではなかった。当たり前にそこにあったんでどこにでもある普通の木と思っていた。頴娃町が本ツゲの有名産地とは知らなかったのだ。↓頴娃町のツゲの木。
今だったら絶対デジカメ写真に収めていたはずだ。しかし、頴娃町の実家はもう跡形もなくなっている。もう25、6年前だったか、老人施設を作りたいとの申し出があり、家土地を父デンコーが売ってしまったからだ。1986年を最後に誰も住んでいなかったのでそれは当然の帰結だった。私も6歳まで住んでいた頴娃町の実家の思い出は、小さな池とツゲの木、それに汲み取り式の屋外の便所だ。もっとも後からトイレは屋内で出来るようになったが・・。今回古い写真を取りだして確認したが、それらしい木も便所も写真にはなかった。

私はいつも思うのだが、何気ない風景も写真に撮っておくといい。今では当たり前と思っている風景、光景が後ではかけがえのないものになるんだ。そんなこんなでさらに昔の写真を眺めていて、あれ?と思う写真があった。オエイ祖母ちゃんが正装して写っている1枚の写真、実家を背景にし、昭和50年(1975年)前後と思われるが、背後の窓に反射している木はツゲじゃないかな。

ちょうど縁側に当たる場所だし、十分その可能性はある。誰も気がつかないような新聞記事がきっかけでひととき思い出に浸ることであった。

(追記)日記を読んだカールが「10年以上使ってます」とLINEで連絡してきよったわ〜。

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