先週、医師会の会合で大井病院の泣かん薗院長と会った。帰り際に「最近ボウリングはどう?」と聞かれ「全くやっていない。今年に入って1回しか投げてしない」と答えると「私の方はどっぷりです」という。まあプロアマ戦などに出ているとは聞いていたが・・。「実は職場でチーム作って実業団として大会に参加しているんですよ」さらに「岡山商科大で学生チャンピオンになった野村選手を職員に迎えているんです」とも。へーえ。
元はと言えば鹿児島国体だ。2年前に開催されるはずが3年後に延期になった。その国体に他県から優秀な選手を迎えていたそうだ。しかし中止になったため多くは他県に移ったが、野村選手は鹿児島に残ると言ってくれ、そこで泣かん薗Drが病院の職員に迎え、いっしょにボウリングをしているんだという。「野村君はとちぎ国体にも今行っています」とも教えてくれた。ほう。
今日の南日本新聞にその野村経博選手を含む成人男子の4人チームが優勝したと大きく出ていた。日置秀一プロもチームにいてみんなを支えてくれたようだ。日置プロは男子プロでも一流だからそりゃ心強かっただろう。↓左から日置プロ、東福選手、久冨木選手、野村選手。
日置プロとはT-MAXボウルで知り合いだし、写真に出ている東福選手とは串木野トリオリーグで投げたことがあった。私が知ったばかりの野村選手の肩書きには「七徳会大井病院」の名がちゃんと出ていて泣かん薗Drもさぞご満悦だろう。ところで、元青雲会病院勤務の泣かん薗Drにボウリングを勧めたのは他ならぬ私だ。20年以上前、年に2回ある姶良郡医師会ボウリング大会(3人チーム戦)でなかなか優勝出来ず、ボウリングの上手い職員を私は探していた。泣かん薗Drは「ボウリングには自信がある」と言い、確かに腕の振り上げ、狙いともに上手で、ぜひボウリング大会にと出てもらい、4回目にして初優勝したのだった。そこで「先生ならマイボール作って投げればもっといいスコア出せますよ。作りましょう!」とマイボウラーへと画策したが、泣かん薗Dr、すぐには乗ってこなかった。2大会連続でチーム優勝をしたが、やはりマイボールは持とうとしなかった。
それがひょんなことから1年後にマイボウラー誕生となる。これはずっと昔の日記ネタにもなった。で、昔の日記を検索して調べてみたら・・驚いた。泣かん薗Drが初めてマイボールを作ったのは2003年の10月11日、19年前のぴったし今日だったのだ。ボウリング場は今はなきトーフクボウルだ。一部抜粋してみよう。
「・・昼は仮眠をとって、医学部ボウリング大会「納杯」のためトーフクボウルへ。 今日はそれだけではなく、泣かん薗Drのマイボール作りもある。すでに泣かん薗ファミリーは投げ始めていた。 子供たちはボウリングが初めてで、とても楽しそうだった。 オーヤマドリラーにマイボールは初めてですからと泣かん薗Drを紹介し、早速ドリルしてもらった。15ポンドのボールを投げるのでうまく行くか心配してたようだが、あまり重さを感じないと驚いていた。 まだ、上手く回転をつけられずスキッド(ボールのすべり)が多い球質だけど、徐々にフックボールを投げられるようになりストライク連発するようになるさ。
ハマるぞぉ。」
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