先日の櫨山裕子さんのお母さんの死亡記事の日記ネタ、これを中学時代同級生のシンタカさんが読んでメールを送ってくれた。彼女は櫨山さんの家にもよく遊びに行っていたらしい。
「・・懐かしく思いました。香川京子似の本当に綺麗な方でした。お父様も2月8日に亡くなられたようで2月14日の新聞に載っていました。・・」
おお、そうそう。言われれば女優の香川京子似だ。名前も同じ「京子」だし「言い得て妙」とシンタカさんに返信したわー。
さてさて、今晩日テレ系のバラエティー番組「秘密のケンミンショー」で鹿児島弁が話題になっていた。それは鹿児島弁の代表的な言葉である「ごわす」は本当に使われているかを検証するといったものだった。前回は高知の「ぜよ」を探す内容だったらしい。ほう、どちらも幕末もののドラマでは西郷隆盛の「おいどんは西郷隆盛でごわす」に坂本龍馬の「土佐から来た坂本龍馬ぜよ」が定番のセリフだ。でも実際はそれぞれの土地ではほとんど聞いたことがない言葉なのだ。実際、私も鹿児島で「ごわす」とはっきりしゃべる場面には生きて来た60年で一度もない。いや、「何々・・ごわっん(ごわす)な」とは聞いたことがあるか。番組で鹿児島一の繁華街天文館で道行く人にインタビューしても同じような反応だった。「使わなーい」「おじいさんおばあさんでも使うの聞いたことない」「死語だぁ」「西郷さん以外使っている人見たことない」から「外国人が日本を見てチョンマゲいるんじゃないの?レベルですよ」という辛辣な意見もあったくらい。
そんな中、大隅の曽於(そお)地方でたまに使われているという発言があり、番組スタッフは曽於市を取材に行く。合併三町の中でも末吉町でいまだ使われているらしいとそこの男性のお年寄りにインタビューを試みたがなかなか「ごわす」は出て来ない。諦めて番組の紹介文の入ったチラシを渡したところ、「こりゃあ、あいがとごわす」と返事をしてくれ、スタッフが思わず「えっ?」となった。
いたっーー。「リアルごわす発見!」だぁ。「今、ごわすって言いました?!」に「田舎の人は『あいがとごわす』っちゅっせ言いますよ」と紛れもない返事だ。その後も放送日の3月2日が83歳の誕生日という末吉レディに「あいがとごわすなぁ」と言われ、別の老夫婦には「ご苦労さぁごわいした」と過去形も披露された。確かに末吉町のお年寄りの間では普通に使われていたのだった。へー。これは私も初めて知った。その経緯を地元の方言研究家の橋口滿氏が解説してくれていた。もともとは薩摩藩時代には藩内102ヶ所に武士集団を住まわせる外城制度があり、そこの武士が使っていた言葉(麓言葉と言うそう)でその代表が「ごわす」で、本来は鶴丸城があった鹿児島市内でよく使われていたそうだ。しかし政治の中心である鹿児島にはどんどん新しい言葉が生まれ方言は徐々に使われなくなっていった。鹿児島市から離れた末吉には多くの武士が移住していて、また変化が少ない土地柄でもあり「ごわす」は残っているということだ。なーるほどね。
同じようなケースが京都と薩摩の間にも当てはまる。京言葉であった「おかべ」、これは豆腐のことだが、当の京都では使われていないのに、私が子どもの頃は田舎では「おかべ」って使っていた。また、うらがなしい、退屈だの意味の「とぜん(徒然)ね」も今では全く使われないが、鹿児島弁や九州弁にはあり、自分らも昔はよく使っていた。これは鎌倉時代の京言葉で「徒然草」の兼好法師がまったく同じ意味で使っている。あと「あたらし」もこれはよく古文の頻出問題にもあり「新しい」ではなく「もったいない」の意味なんだが、鹿児島弁では「あったらし」をまさしく「もったいない」の意味で使う。いずれも中央では廃れたが末端の地方では生き残る言葉のパターンだ。いやー、なかなか良い勉強になるなぁ。
ところで、「ごわす」を探す過程で街頭インタビューされた鹿児島県人の「鹿児島市内よりは絶対(ごわすを使う)可能性がある」と指摘された地域、南九州市の頴娃(えい)町が番組内でもクロースアップされていた。カールなど「ごわすよりもそっちの方がインパクトが強くって」との感想だった。お茶や開聞岳を見晴らす番所鼻公園を紹介した後、番組スタッフは寒干し大根を作っているいかにも田舎くさいお爺さんに話しかけた。「寒干し大根どれくらいやっているんですか?」その返事が↓だ。唖然とするスタッフ。番組司会者とゲストたちもあっけに取られ、その後笑い出す。ここに頴娃町出身の高田みづえがいたらリアル頴娃弁が聞けたかもしんないな。
うわわぁ、小学校に入る直前まで頴娃弁をしゃべっていて大人になっても聞き取りは出来ると思っていた私にも全容は理解出来ない。ただイントネーションが頴娃の言葉だとは分かる。ネキおばさんやマサエおばさんが早口でまくし立てるように会話していた場面を思い出す。結婚したてのカールが頴娃の実家に行き「何を言っているのかまるで分からない」と戸惑ったシーンといっしょだ。まさにジャパニーズイングリッシュ「頴娃(えい)語」の面目躍如たる場面だ。思い出すねえ。鹿児島市に一家で引っ越してきた私が6歳の頃、弟とすぐ近くの豆腐屋に行ったら「こら、あんたたちは頴娃から来たねー」と豆腐屋のお婆さんにすぐにばれたとあこネーサ母がよく語っていた。もしかして「おかべを下さい」とでも言ったのかな?いや、イントネーションで知る人が聞けばすぐに頴娃弁って分かる。ただ、1年も経ったころ、子どもって早いね、全く普通の鹿児島弁になっていたのだった。
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