朝出かけようとすると、モリサンチー家のハッピーちゃんがまたやって来ていた。カールがいつものようにエサ上げしようとすると、ゲンちゃんも窓から首を出し興味津々で見つめていた。ずっと以前はすぐに外に出ようとしていたが、最近は出ちゃ行けないものと分かっているのか億劫なのか少し身構えているよう。
全然、ネコの話とはちがうのだが、文春オンラインで今日アップされた記事が面白かった。韓国がらみのもので「全斗煥時代の韓国は本当に“暗黒”だったのか? 事実を直視しない「韓国人の歴史観」には付き合いきれない」というタイトルで筆者は黒田勝弘氏。もと共同通信社の記者でその後産経新聞に移り日韓関係を中心に論説を行っている人だ。
記事によると、先頃亡くなった元韓国大統領の全斗煥氏の時代を現在の韓国マスコミ、国民は全否定している。否定する否定しないは各自それぞれの意見であっていいと思うのだが、もし擁護するような発言をすると現在の韓国では抹殺されるという。黒田氏の寄稿は4ページほどでそんなに長くはないのでぜひ読んで見て欲しい。→https://bunshun.jp/articles/-/50692
氏は言う。「韓国では多様な事実、多様な見方が封じられるとその事実は忘れられ、なかったことになってしまう。まだ同時代を生きた人びとが存在する、わずか40年ほど前のことでもそうなのだ。まして1945年に終わった日本による統治時代の事実など、どこかにいってしまっている。「日本時代にはいいこともあった」は韓国では今なお妄言であり禁句である。それを言えば政治家は失脚し、識者は社会的に追放される。全斗煥時代の振り返りは「韓国人の歴史観」を検証する絶好の素材である。韓国では歴史の見方が、人びとの暮し抜きというすこぶる政治過剰であると同時に、それがさらに後世の政治状況で左右されるのだ。事実を直視しない「韓国人の歴史観」には日本人は付き合いきれない。日韓関係がうまくいかない根本原因である」そうか、なるほどなと思う。
あと、この寄稿で興味深かったのが、全斗煥政権始まった頃(1980年〜)の韓国国民の生活レベルだった。なんとTVのカラー放送が始まったのが1980年12月だったというのだ。黒田寄稿によると「それまでカラーテレビは“贅沢”とされ、国民は白黒テレビでガマンさせられていた。カラーテレビは人びとの日常を明るくしたが、それ以上の波及効果があった。カラーの化粧品広告によって女性たちが化粧をするようになったのだ。韓国女性の化粧は、それまでは限られた人たちが限られた場面でするもので、一般の人にはあまり見られなかった。それがこの時からほとんどの女性が化粧するようになった。これで人びとの風情も一気に明るくなった」とのことで、それまでは一般女性は化粧もしていなかったという。日本より20年は遅れていた感じか。伝聞などではなく、当時韓国にいた黒田氏の言っていることだから間違いないだろう。
また当時の韓国に夜間外出禁止令というのがあったのは知っていた。米軍統治時代から続く法律で「国防・治安上の理由で午前零時から4時まで外出や交通は禁止され、屋外での活動は一切認められず、街はゴーストタウンとなっていた」のだった。それが1982年1月から解除され「街頭のネオンサインが解禁になり、街灯も増えた。朴正煕時代はエネルギー節約のため夜はひどく暗かったのだが、全斗煥時代になり街も人も明るくなった。さらに中高校生たちの制服を廃止しヘアスタイルも自由化した。街から黒い詰襟服が消え、街は明るくなった」という。その頃の日本はというと私は大学生で飲み会で深夜になることも徹夜麻雀もしょっちゅうだった。韓国にいたらやっとれんかったな。
0 件のコメント:
コメントを投稿