2021年12月8日水曜日

12月8日に見るべき映像

12月8日は日本と日本人にとって特別な日である。そう言っても最近の若い人は何のことかと首をかしげる。

「あっ!分かった。ジョン・レノンの命日ですか」そう言われ、「何だと、君たちは太平洋戦争開戦、真珠湾攻撃の日も知らないのか」と当時鹿児島大学の永田行博学長は怒った。2003年ごろのことでその場面を私が直に見たわけではないが、氏の著書で知ったとその頃のこてる日記に書いた気がする。今日、内視鏡室でスタッフに同じ質問をするとジョン・レノンすら出て来ない。「はあ?」って感じ。あ、10年くらい前だと「AKB48の劇場初公演の日(2005/12/8)ですか」と答えるオタクがいたかもしれない。今やそれもいない。

しかしここ数日「戦争」を忘れてはならないというスタンスのもと、NHKを始め戦争や真珠湾のドキュメンタリー番組がいくつもあった。気を付けていれば今日が何の日か答えられたはずだ。その中でNHKBSの映像の世紀プレミアム第21集「太平洋戦争 銃後・もうひとつの戦場」(12/4放送、1時間半)を録画で見た。視聴した時刻はまさに日本海軍が真珠湾攻撃をするぴったし80年前のその時間帯(日本時間の午前3時半ごろから、米時間では12/7午前8時)にである。番組宣伝文には「太平洋戦争で、プロパガンダ報道が前線の「勝利」を伝え続けた中、カメラは戦時下の日常も克明に捉えている。自分の写真を慰問袋にしのばせて戦地の兵隊に送る女性、「少国民」と呼ばれた子どもたちの集団疎開先での生活、雨の神宮外苑で出陣学徒壮行会に臨む学生のボロボロの長靴、そして、新たな支配者となった日本人に何度もお辞儀する南方の人々。熱狂から絶望へ、戦場ではない、人々の1347日の暮らしを発掘映像で描く」とあった。

この放送で初めて知ったことがいくつもあった。あのNHKラジオ午前7時の「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」はドキュメンタリーだけではなくドラマ、映画に戦争開始の場面として何度も使われてきた。
今やっている朝ドラ「カムカムエヴリバディ」でも当然のように出てきた。このニュースで当時の日本国民の大多数は大いなる高揚感に包まれたという。多くの証言、日記などに証拠があり枚挙に暇がない。戦争責任は軍部が中枢にいた当時の日本政府のせいばかりでもないと思った。

そしてだ、ニュース映画会社(日映)にとってこの発表は寝耳に水で会社内は蜂の巣を突いたような騒ぎになったそうだ。当時はTVやネットはもちろんなく映画ニュースが盛んであった。私の記憶では昭和の40年代ぐらいまでは映画の合間に上映されていた記憶がある。それで軍関係に街にと日映の記者や撮影班は飛び出し取材をしまくる。その中で大本営に向かった記者はなんと宣戦布告のあの有名なシーンをそっくり再現して欲しいと頼んだそうだ。発表した軍人、周囲の関係者を全く同じ人たちで再現してもらったという。臨時ニュースと同じくらいに有名なあのシーンは実は「ヤラセ」だったのだ。↓がその画像。発表者も書記も全くの嘘ではないが、午前6時の動画ではないことは確かである。それが今回の放送で分かった。
そして海軍が撮影した真珠湾攻撃の記録を日映は手に入れ、1ヶ月もたたずに正月の特番として上映した。観客には「早くニュース映画を見せろ!」の掛け声も飛ぶなど劇映画よりも人気を博したという。

サイパン島のすぐ近くのテニアン島はかつては日本統治領でサトウキビなどの生産が盛んで沖縄などからの移住者が多かった。戦争前の映画ニュースで移住民が「ここは極楽だよ」と感想を言うのも肯けた。しかし太平洋戦争末期の1944年7月末、アメリカ軍はサイパン陥落の直後、戦略的価値の高いこの島へ侵攻し激戦の末10日ほどで占領に成功する。そして民間人1600名ほどのうち3500名ほどが犠牲になったのである。投降してきた民間人の中に子どもたちは2000人ほどもおり米軍は学校を作り男女同じ教室で後の日本戦後教育のはしりのような教育を行う。ただ、校庭に集め体操をさせると「日本の子どもたちは軍隊のような正確さで整列したので素晴らしいと同じに少し脅威を感じた。とても素晴らしかったのでアメリカ兵たちは子どもたちが体操をするのを決まって見に来たものだった」と担当の軍人テルファー・ムックは述懐している。

日本に爆撃に行って帰って来た兵士らは子どもらと交流をする。広島や長崎への原爆もこの島からの爆撃機によって落とされた。B29に乗り3万フィートの上からは平気で爆弾を落とせるのに島に帰って来ると子どもたちを可愛がるのだ。相手は同じ日本人なのに・・。

ニュース映画というのは資料的価値が高い。文や語りよりも多くの感情を刺激する。昨日の津波映像もだが戦争の悲劇を後世に伝えるには映像や動画は大事である。私たちは「戦争を経験していない世代」だが、私たちの子らは「戦争すら知らない世代」といえよう。伝え続けていかねば。

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