白鵬、勝ったね。照ノ富士との間合いや肘打ち、勝った直後のガッツポーズに雄叫びなど、そりゃー横綱の品位がどうのこうのととうるさ方は言いたくはなるだろう。
枡席には妻や子どもたちが泣いていたし、解説の北の富士さんが「白鵬、優勝を最後に引退するつもりか?」と思わずつぶやいたように、そうなのかと私も思ったヨ。しかし優勝インタビューでは「これでまたやっていける」と言っていて引退は考えていなかったようだ。そうだよな、復活優勝を記念に引退なんてなんとなく日本人力士っぽくて「勝ち」にこだわる白鵬らしくない。白鵬の45回優勝という記録はおそらく今後100年破られないんじゃないかな。それくらい空前絶後の記録だ。なんともすごい力士であることよ。今の子どもたちは白鵬をリアルタイムでしっかり見ておいた方がいい。40年50年後には伝説の力士として孫たちに自慢出来るはずだから。伝説の力士と言えば昭和の大横綱双葉山だろう。私は小学3年時の小学館の学年雑誌で「双葉山を知っていますか」「伝説の69連勝」「時津風理事長」などと写真付きで紹介されていたのを見て初めて知った。しかしなぜそれが出ていたかというと昭和43年12月16日に亡くなったからだ。当時は大鵬全盛ですでに20回以上の優勝を重ね双葉山の12回優勝は問題にならず、ちょうど連勝を伸ばして45連勝をしている時期だった。となれば昭和初期の年2場所しかなかった時期に69連勝ってどんなにすごいんだと思った。双葉山の相撲を実際に見てみたかった。大鵬の連勝は戸田との対戦、いわゆる「世紀の大誤審」で止まってしまった。昭和44年の春場所のことだ。ビデオで確認すると明らかに戸田の足が先に出ていたのに大鵬の負けになってしまった。これ以降物言いではビデオの結果が参照されるのが当たり前になったが、大鵬にしてみれば「遅いよ」だったろう。
ただこの一件でWikipediaによると「大鵬自身は誤審の判定を下された件について不満を述べることはせず、むしろ誤審を招くような相撲をとった自分に責任があるとして、『ああいう相撲をとった自分が悪いんです』とだけ語った。この発言は、大鵬の高潔な相撲哲学を象徴する言葉として話題を呼び、横綱としての大鵬の評判を以前にも増して高めることになった」だそうだがホントかね。実際は違う。私は後に大鵬の特集号の雑誌を買っていまだにずっと持っているが、それによると負けたその日は「チクショー」と叫ぶほどの相当な悔しがりようで深酒もしている。そのエピソードを知り、大鵬だって人間、それが当然だろうと思った。いかにも横綱らしさを要求する圧力どおりに振る舞う、あるいはそうさせられる日本社会のあり方を示しているようだ。しかしモンゴル人は違う。朝青龍が関脇だったかな、横綱貴乃花に負けた時帰りの廊下で「クソっ!」って悔しさを露わにしていた。それを見てうちのデンコー親父は「なんだあれは、なっていない」と即座に批判した。(その件で朝青龍を擁護する私と口げんかになったのも今は懐かしい思い出だ)そんな気質が白鵬にもある。
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