コロナによる客数減で霧島の霧島国際ホテルが今年5月に廃業するというニュースが出ていた。1971年開業というからちょうど50年になる。霧島国際ホテルには思い出がある。小学校の修学旅行でホテルが開業したばかりの9月に私たちは泊まったのだった。↓赤丸が私。
覚えているのは土産物売り場がまだ充実していなかったこと、食事や各クラスの余興はおニューの部屋であったが、泊まった部屋は新館の隣の旧館で全然新しくなかったこと、そこで枕投げなど散々やらかし後で先生やPTAに叱られたことなどだ。それから30年近く経ち、今度は子どもらを連れて温泉に入ったのは覚えている。大きなホテルで築50年も経てばリニューアルが必要だが客が押し寄せる時代ならともかく投資に見合わないとなれば廃業せざるをえなかったのだろう。同じ事はここ10年来のボウリング場にも言える。霧島国際ホテル開業のちょうど同じ頃、日本はまさにボウリングブームの真っ盛りだった。全国あちこちにボウリング場が出来たはいいがピークを過ぎオイルショックも重なって3000軒を越えていたのが一気に1000軒に激減した。その後は安定期に入るも30年、40年経つとリニューアルの問題が出てきた。ボウリング場ってそもそも場所も建物も成りがでかい。リニューアルするにもお金が相当かかる。今後もボウリング人口が安定して増える見込みがあれば造り直す経営者もいるだろうが何せ少子化時代だ。私がボウリングを始めた30年前はもっと客が多く待ち時間も必ずあったものだ。それが今は待ち時間はゼロ、楽勝で投げられるが、人が少ないとワクワク感が足りず行く回数も減って来ている。ボウリング場はどんどん減り続けている。
してみると40年前後で時代は変わり、その際に重厚長大なものは時代の変化についていけず倒れてしまいがちってことが分かる。病院も同じ。40年経って建て替えられないようではヤバい。今給黎病院が今年1月4日新築移転した。ずっと前から移転すると言ってなかなかだったが本当に移転できてまずはご同慶の至りだ。青雲会病院は移転して今年で13年。まだまだ先の話だがいずれ新築移転するとしたら大きな駐車場があるので隣に移り、今の場所が駐車場になるだろう。そこからまた3、40年経てば今の場所に移り・・まるで20年で遷宮する伊勢神宮みたい。
いやいや霧島国際ホテルの一件からいろんなところに想像が飛んでいってしまったヨ。
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