2018年8月20日月曜日

ハイソコMRと高校野球談議

朝早く、カールを乗せて中央駅まで送った。御菓子を買った景品でまた1日バス旅行(福岡・佐賀)が当選したのだ。前も当たって熊本に行ったことがあった。同じ会社が運営しているらしく、途中でジュエリー店に1時間半立ち寄るのがイマイチだけど、昼食付きでワイン工場、果樹園、久留米織工場、道の駅「恋ぼたる」などを見学し無料サービスもあるというものだ。一人で行けば無料だがお友だちを連れてくれば一人8千円追加が必要だ。カールに言わせれば「八千円だったらちょっとどうかなと思う」らしいので彼女は一人で行くことにしている。そしてジュエリー店では絶対に買わないと決めていて今回は文庫本を持っていって時間をつぶしたそうだ。ワイン、梨、ブドウ、昼食は堪能したということ。しっかりしている。

夕方、餅持ち製薬のハイソコMRがぜひお話ししたいと医局にやってきた。何かの薬の宣伝かと思いきや、「先生が高校野球に詳しいと聞いていたので一度野球談議をしたいと思いまして」だと。へー。「実は私も高校野球をしてまして、京都の公立校だったですけど」という。ならばいつが高校3年のときだったのと聞くと「昭和50年」というから「ああ、習志野が2度目の優勝をした時だね」というと「そうです。準優勝は?」「確か、新居浜商かな」「さすがですっ」と感心してくれたところで、私も熱が入りこの後ずっと高校野球談議に花を咲かした。

一般的な名試合だけでなく高校野球裏話とでもいうべき話題が面白く、彼の出身県が京都なので「京都といえば平安だが、結構ワルが集まっていたんだろ」と水を向けると「ええー、そりゃもう。ヤ〇〇でしたよまるで。怖くて近づけませんでした」とのこと、彼が野球していたころは平安の暗黒時代だというのでそれは私も知っていた。私が小学時代はしょっちゅう出場していた平安がぷつりと出なくなっていた時期が高校や大学時代で1975年から1989年まで夏は出場出来ていない。代わりにライバルの京都商や京都西がよく出ていた。平安が本格的に復活するのは1993年に今の原田英彦監督が就任し1997年に川口投手を擁して準優勝してからである。

ハイソコMRは鹿児島勤務も長く鹿児島のチームでは樟南を余り気に入っていない。なるほどなるほど分かる。前の恥山監督が県予選の時につまらぬ判定抗議を30分もやり続け、後で「試合の流れを変えたかった(から)」とうそぶいていたと知り「ありゃいかんです」との感想だった。私もKKBが1、2回戦から県予選を生中継していたころみた試合で弱小校相手に何度も1塁牽制をするのでなんだか牽制の練習をしているみたいだなと不愉快な気分になったのを覚えている。それに鹿商工時代に練習場が住んでいるところの近くだったので見物に行ったら恥山監督ににらまれたことがあってネー。選手を怒鳴っているところも見たし、しかし当時は高校野球ってそんなものと思っていた。

折しも甲子園は準決勝が行われ金足農は日大三にも競い勝ち決勝進出までしてしまった。相手は優勝候補の大阪桐蔭。吉田輝星が本調子ならいい勝負が出来そうとは思うが桐蔭相手には厳しいだろう。でも、ここまで来たら今大会の主役は金農だ。記録には残らなくてもみんなの記憶には残る。ちょうど50年前の第50回記念大会(昭和43年)が大阪の興国が優勝したが話題になったのは沖縄の興南であれよあれよと準決勝まで進みまだ本土返還前のチームに大声援が出たものだった。私が高校野球を見始めたころで聞けば浩宮もこの時の決勝戦(興国1ー0静岡商)が最初の記憶だったと語っておられる。同じ学年なので興味を持った時期も同じ頃なんだ。

夏のナショナルパスタイム(国民的娯楽)、高校野球もあと1日で終わる。以前ならそろそろ秋が忍び寄るなんて風情もあったが今はまだ夏真っ盛りである。

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