2018年2月4日日曜日

母と子の「ヨイトマケの唄」

明け方、私は前日録画したNHKの「美輪明宏 ヨイトマケの唄 その愛と秘密」を見た。1時間半の番組の間、私は何度も涙を流しっぱなしだった。いかん、もともと「ヨイトマケの唄」を聴くとよく涙してしまうのだが、この歌にまつわるエピソードもよく泣けてしまうんだ。この歌はこてる日記でも何度も話題にしてきた。平成12年の紅白で美輪明宏が熱唱熱演したのも当然日記に書いた。私が最初に美輪のこの歌を見て聴いたのはいつだったろう。NHKで60代のころに録画したもの(おそらく2000年65才時の「そして歌は誕生した(第11集)」)だったと思うが、ビデオテープに録画したのを何度も見ては感激し泣けたものだった。そもそもはなかにし礼が「戦後の日本の歌謡曲でこの歌に勝るものはない」という意見を見たのが始めだった(今回の番組でもなかにし礼は激賞している)。自ら曲を作詞する彼がそんなことをいうなんて、独りよがりの意見じゃないかと思っていた。しかしー。今ではその意見に激しく同意する。

世に出たのは現テレビ朝日の木島則夫モーニングショーで昭和41年のことだった。初披露後、局に1日中電話が鳴りっぱなし、手紙は2万通も届き、アンコールで1週間後歌うと今度は5万通も来たとか。当時、芸能界から干され気味だった美輪(当時は丸山明宏)はどさ回りする中で自らの思いを模索するうちに知り合いになった親思いのエンジニアの青年や子どもの頃クラスにいた日雇い労働者の母を持つ級友のエピソードなどが浮かび、自然にメロディーや詞が浮かんできたという。さらに今回の番組で中村八大が大きな役割を果たしていたと初めて知った。もう少し前の昭和30年代、同性愛をカミングアウトして非難され、仕事がなくなっていた美輪は中村八大に自作の曲を見て欲しいと頼み込んだ。受け取った中村はそのすばらしさに驚き、これを世に出さねばと尽力した。ヨイトマケの唄もその中にあり、それは先のモーニングショーで評判を呼びレコード化されヒットもしたが、その後「土方」「ヨイトマケ」という言葉が差別用語だという理由だけで民放では放送禁止歌の憂き目に遭う。しっかり歌を聴けよ!どこが差別なんだ!土方やヨイトマケの仕事に就く母親がどんな素晴らしいかを歌っているじゃん!「土方」の歌詞を「労働者」なんて歌ったら味わいも何もなくなってしまうぜよ。TV局なんて全く上っ面だけの判断しかできず、情けなさ過ぎる。中村八大は昭和43年、そんな美輪のためにリサイタルを開く。それをこっそりテープに録画されていたものが今回の番組の目玉であった。

「ヨイトマケの唄」はそんなことで忘れ去られるヤワな歌ではなかった。平成の代になっても桑田佳祐の肝いりで民放でも歌われCD化され、その前には泉谷しげるも歌い、美輪と同じ系統に属する槇原敬之や米良美一も歌っている。ついには2012年の紅白でフルバージョンを美輪自身が歌い最近の美輪しか知らない若い世代にも反響を呼んだ。
(やや音声が小さいが紅白でのヨイトマケの唄↓)
https://www.youtube.com/watch?v=sMxfM230jt4
(美輪自身が徹子の部屋で語ったこの曲のいきさつ↓)
https://www.youtube.com/watch?v=w-6Ak_b2Pdk

ちょうど今日は枕崎の病院にあこネーサ母を見舞い行く予定だった。手がしびれるようになって怖がっていた手術をようやくこの前受けてくれた。夜が明け、カールに「今日は一人で行く」と言うと「あら、(いっしょに)行ってもいいわよ」と言われたが「いや」とやんわり拒否し出かけた。目の周りが少しむくんでいたがそんなことはどうでもいい。親孝行できる時にしっかりしておこう。今日は私と母だけで十分だった。

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