高校同窓生の水床君から年末にメールがあって、シンガポール在住の同窓生謝美さんが帰郷しているのでミニ同窓会に参加しないかということだった。謝美さんと言えば中国人と結婚してシンガポールにいると私は以前クラスの同窓会幹事をしていて知っていたものの全く会わずじまいだった。海外にいればそうそう会えるものではない。だから今回はぜひと参加した。場所は天文館の小さな中華料理店「整備軒」でここも同窓生武清君の店という縁である。
謝美さんといえば高校時代、常にトップクラス(学年で2クラスだけ成績優秀クラスがあった)にいて美人で陸上もやっていて非常にモテていた。私とは3年生の時がいっしょで、そんなに親しく話すことはなかったが、一期校試験直前日の教室で小1時間ほどだべったことがあり、あれ、なかなか親しみやすいキャラだなと思ったことを覚えている。大事なテスト前にそんな無駄な時間を過ごすくらいだから二人とも一期校は落ちた。私は幸い二期校の鹿大に受かったが、彼女は二期も落ち鹿児島の予備校に通う浪人生活に入った。当時も今もセントラル高は現役主義でクラスの中で浪人したのは彼女ともう一人男子がいただけだった。
浪人時代も相当モテていたらしい噂が聞こえていた。そうだ、ついこの間、歯科医でボウリング仲間のMノ下が「浪人時代、謝美をえらく好きになってしまって」という話をしていた。彼は彼女と1年2年と同じクラスで何で浪人時代に今さらと思ったが、はけ口のない生活での一過性の症状だったのかな。彼女は同じ予備校に年上の中国系の先輩男子と付き合っているという噂があり実際そうだったようで二人して九大に合格した、とここまで何となく知っていた(Mノ下は相手にされなかったってことだな)。それでシンガポールに行く羽目になったんだと私はずっとそう思っていた。そこで、40年弱ぶりに会う謝美さんはどうなっているだろうと期待して天文館に向かったのだった。↓の写真が高校2年時の彼女だ。拡大したのでボケているがモテていた片鱗はうかがえるかもしれない。
デジカメを構え、整備軒の小さな3階座敷に行くと、「あ、こてるー」と知った顔から声が出た。今回の集まりは全部で8人とこぢんまりした会で、私は主役の謝美さんをすぐに探し始めたのだが・・あれ、どこにいるの?すると口をぽかんと開け「こてる君けー?」とベリィショートカットのおばさんが驚いてこっちを向いていた。あは、あなた誰、ひょっとして謝美さん?と心の中では思ったが、今日の女子3人のうち2人はすぐに特定できたので彼女以外ではあり得ず「謝美さんだね、久しぶり〜」と挨拶した。いや、それにしても高校時代の面影はどこに・・痩せてしまって眼鏡掛けているしそれに肌が(シンガポールにいるせいか)浅黒くなっていた。特に輪郭の印象が違うのでおそらく街ですれ違っても絶対に気付かないだろう。
彼女に結婚やシンガポールでの生活の様子を聞いてみた。まず結婚相手は浪人大学時代の中国系男性ではなかった。就職して3年東京で語学学校にも通っていてそこでシンガポールから日本語を学びに来ていた13才年上の華僑のサラリーマンと知り合い求婚され結婚することになったのだという。元彼とはとうに別れていた。だが行ってみると、驚いたことに彼の家には離婚調停中の妻も住んでいて(!)そこで同居生活をしていたという。晴れて結婚できたのは約1年後くらいだったそうだ。あとでカールにこの話をすると「私だったら絶対そんな結婚はしないわ」という。当然かと思うし日本ではあり得ない話だね。その後一女をもうけ、幸せに暮らしていたが、今から8年前彼女がたまたま帰国していた時、毎日電話連絡していた彼が2日も出ずに不審に思っていたら、何と急死していたことが分かった。
「へー、それは大変だ。何で亡くなったの」「脳腫瘍だったの。以前に脳の良性腫瘍を手術していてその影響があって誤嚥し窒息して・・」「うわ、それは・・で、聞いてその時は動転したでしょう」「うん、気違いになった」
「気違い」という言葉は現在の日本では使うことをはばかれ滅多に公けの場で聞かれなくなった。しかし、今夜それが私には一番印象に残った言葉だった。彼女のその時の状況をこれほど的確にビビッドに伝える言葉は他にないだろう。
その後、彼女は金銭管理をすべてやっていた夫の様々な事後処理に戸惑い、プレッシャーがのしかかり、一時は死のうとまで思い詰めたという。しかし娘がいたのでこらえ切れた。でもどうやって処理できたのか「覚えていない」のだと。その後、思春期の娘がぐれるとまではいかないが彼女と衝突するようになりそれも悩みの種だったが、最近は落ち着き、すでに孫娘までいるとのことだ。↓写真。目を隠せばますます誰だか分からないわ。
へーえ、40年近くも経てばいろいろあるねえ。でも明るさはあの頃と変わらない。中国語は片言だと謙遜していたが聞いた感じほとんどネイティブだったよ。このあと二次会まで送って私は先に帰った。今夜は県職員の吉文君とも30年以上ぶりに会ったが彼はいつでも会おうと思えば出来る。謝美さんとはもしかするとこれが最後の巡り合いかもしれない故に「こてる日記」にしっかり記録しておこう。また会うことを期待して、再見(ツアィチェン)!
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