2024年5月22日水曜日

医者の不養生

循環器内科のイキナリDrと初孫の話をしたことを昨日書いたが、他にも話題があった。驚いたのがマツタケ先生が3月に急死していたことだった。第2内科の後輩であり、その息子さんはチッチが高校の時の同級であるばかりでなく同じサッカー部にも属していた。マツタケ先生は循環器を専門にしていて仕事で直接関わることはなかったものの、見た目も実際も非常に優秀なドクターだった。アメリカ留学なども数回し、帰国後は旧1内科の循環器グループに属していたようで、それだけなく循環器とは少し違う新しい医学教育へも取り組み、別の地方国立大に転勤し准教授となりそこの大学の教育賞も受賞されるほどだった。その後関東の私立大へ転勤となりそこでも同様の活躍をしていて、大したものだと陰ながら感心していた。

イキナリDrは「詳しい死因などは知らない」と言うが、仕事中だったという噂もありならば多くは心循環器系のはず。「そのケースと似ているが私の知り合いの心臓専門のDrも2ヶ月ほど前に心筋梗塞になった」と言っていた。まさしくそれが専門の分野だったのにーと。いやはや、昔から医者は自分の専門分野の病気で亡くなりやすいなんてよく言われる。「医者の不養生(ふようじょう)」ってね。「紺屋(こうや)の白袴」や「坊主の不信心」も聞くが「医者の不養生」が一番よく言われる気がする。どちらも還暦を迎えたばかりの年齢でまだまだこれからやることやれることはいっぱいあるはずなのにー。

私はイキナリDr(彼も心臓関係の病気を起こしたが一命をとりとめた)に「自分は胃癌と大腸癌だけはそれが原因で死にたくはない」と言った。自分の専門とするところで気を付けていさえすればそれで死ぬことはない。膵臓癌は治療困難ゆえにたとえ専門でも仕方ないが、胃癌大腸癌はきちんと検診や定期的な内視鏡検査を受けていればほぼ対処可能だからだ。

昔、第1回講談社ノンフィクション賞受賞作の柳田邦男の「ガン回廊の朝(あした)」という有名な本があって、国立がんセター設立から黎明期のガン撲滅のための医師の奮闘を描いたものだが、目次の第一部の添え書きにこう書かれている。「昭和37年国立がんセンターは学閥を超えて発足した。病院長の久留(くる)が初代総長の田宮を診察すると明らかなガン症状がー」そして、この長いノンフィクションは<総長の顔色がすぐれない>という文から始まるのだ。結局は総長の病気は進行胃癌と判明する。当時はまだ早期胃癌を発見するのは難しい時代だった。がんセンターはレントゲンでの二重造影法という画期的な撮影法で早期胃癌を次々に発見し胃癌の発見治癒に大きく貢献することになるが、始まった当初は総長をガンで亡くすという皮肉な結果から始まったのである。

医学部4年生だった昭和57年(1982年)の春休み、3月22日から3月26日の4日間で上巻を読み終わり、面白くて下巻も3日間で読み終えた。思えば消化器内科に進んだのはこの本の影響もあった気がする。胃癌大腸癌で死ぬわけにはいかない、この本を読み、強くそう思った。本の影響って大きいねっ!

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