2024年5月2日木曜日

え!あの人に勲章を?

この前、春の叙勲が南日本新聞に出ていた。親戚のてげてげ先生も瑞宝中綬章という勲章が授けられると写真付きで出ていた。難病研究への貢献が評価されてのことで、この日記では「早起き院長のてげてげ通信」という先生の著書から「てげてげ先生」の名前で登場している。


他の受勲者を見ると全員70歳代で受勲って70歳以上が基本なのかな。調べてみると確かに70歳以上が対象のようだ。Wikipediaによると、「春秋叙勲では、毎回おおむね4000名の方に勲章が授与されます。 春秋叙勲の対象者は、国または公共に対し功労のあった方で、(1)70歳以上の方、または(2)55歳以上で精神的または肉体的に著しく労苦の多い業務や人目に付きにくい分野で長年業務に精励した方です」とある。ふむふむ。

そんな中、オヤ?と思う人が受勲されていた。プロレスラーのタイガー・ジェット・シンが旭日双光章を受賞したというのである。。プロレスに詳しくない私でもタイガー・ジェット・シンと言えば、サーベル片手に流血騒ぎを起こす狂気の悪役レスラーというイメージで覚えていて、あの暴虐ぶりを見ていたら「何で勲章?」と思った。しかし、前例があって外国人レスラーとしてはザ・デストロイヤー(2017年)やミル・マスカラス(2022年)に続く受賞なのだ。へーーえ。↓インドの狂虎と言われた現役時代。恐っ。
特にアントニオ猪木との死闘は評判でタイトルマッチでなくても客を呼べたし、その客に対しても入場の際には頭を上下に振りながらサーベル片手に向かって行くため、皆逃げ惑うのがおなじみの光景だった。

彼はインド出身ではあったけれどインド移民の多いカナダ国籍だった。そしていわゆるヒール役は日本だけのものであって地元のカナダでは、タクシー運転手なら誰もが知っている大豪邸に住む成功した実業家であり、篤志家だったのだ。(以下デイリー新潮での報道による)

日本で得たファイトマネーをもとに、エビの輸入業や、鶏卵ビジネス、及び陶器を中心とした土産物事業を手掛けると、これが大当たり。先に触れたカナダの大豪邸は、部屋数23を誇り、地下のリビングルームの広さは何と100畳以上。テニスコートやゴルフコースも敷地内に完備され、バスルームは来客用やトレーニング室のものも含め13も設置されている。ヘリコプターも持っているというから凄い。名士として、地元ではCMにも多数出演。資産は1990年代中盤に50億円以上はあったというが、以降は数えるのを止めたという。そして2000年代からは、教育への援助や福祉活動への寄付も含めた社会活動に積極的に参画し、2009年には公立学校「タイガー・ジェット・シン・パブリック・スクール」が開校。シンの名が冠された通りも現地には存在する。2010年には、「タイガー・ジェット・シン財団」を設立し、翌年起こった東日本大震災に心を痛め、200万円以上を同財団から寄付。こちらは日本政府から表彰もされている。この時、シンはこうコメントした。

「日本は実家のようなものだから」

そして、ビジネスが成功した理由については、次のように語っている(「週刊プロレス」2010年5月19日号)。〈アメリカ人とビジネスしなかったのが良かった。彼らは心のつながりでビジネスをしない。マネーのつながりがビジネスなんだ。(中略)その点、アジア人はハートのつながりを大切にする。(中略)時間をかけて築いたものはマネーより強力だ〉

なるほど。悪役で儲けた金で放蕩三昧なら受勲などあり得まい。悪役レスラーとして観客を楽しませ、さらに福祉や社会活動、寄付などで社会貢献をする。なんで勲章をと思うことはなかったのだ。さらにタイガー・ジェット・シン、なんと好きな女優は吉永小百合なんだという。「俺はかつて、アメリカ、カナダ、インドの女優を観て来たが、サユリほど上品で美しい女性はいない」(2002年2月22日IWAジャパン大阪大会にて)この発言の直近には念願の2ショット撮影も実現。70年代、新日本プロレスで通訳を務めていた女性がこの時期、吉永のマネージャーをしており、シンの悲願を覚えていたからこそ実現したものであった。ということは、相当昔から“サユリスト”だったことになる(瑞 佐富郎著「アントニオ猪木」より)。↓週刊ファイトに載ったという写真。やや画質は悪いがネットで拾ってきた。
いやいや、旭日双光章受賞おめでとうございます。

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