今日は祝日「建国記念の日」だなんて全く意識することなく休みを過ごした。今でもこの日については賛成派反対派それぞれの集会が開かれ、それが一応ニュースになっている。でも昔はもっと左派右派の色分けがはっきりする日だった。
印象的だったのは私が鹿大入学時、ドイツ語の教官荒川譲先生が反対派の集会で挨拶をしていたことだった。先生は単位取得が難しく「鬼の荒川」として教養生らに恐れられていて、自分の独語担任でなかったのを安堵したものだった。そのかわり山原という少し若手の先生が担当でそれでどうにか単位は取ることが出来た。荒川先生は集会で挨拶している表情を見ても厳しさが感じられ、気骨の人だなぁと思ったものだ。調べると1999年に鹿大を退官されている。まだ御健在だろうか。
そうだ、大学3年になり、基礎医学を学ぶころは第二生理学の橋村三郎教授が厳しいと有名だった。この方も妥協を許さない性格で「鬼の橋村」と恐れられていた。生理学1単位で留年をくり返している学生もいるとの噂もあった。どこの大学でも単位取得に厳しい先生は「鬼の」という冠詞が付き、逆に楽勝で取らせてくれる先生には「仏の」が付く。生理学の中でも神経生理が専門だった橋村先生の試験問題は、例えば「ピッチャーが球を投げるときの神経の働きを解説せよ」といった一体どう答えればいいか難しいものが多く、本試験の時にも私は困惑、全く自信の持てないまま終えた。当然追試、再試を覚悟していた。ところが意外にも本試で合格、追再試を受けずに済んだのには驚き安堵した。後で知ったのだが、橋村先生が急病で入院されていて、本人が採点をせず教室員に任されたからだとのことだった。
そんなラッキーもあり4年生に進んだ私だったが、いつまでもそう楽をさせてくれるはずもない。前年に単位を落としていた第一解剖学、第一生理学の追試もあって行き詰まり、何と医動物学(寄生虫学)1単位を落とし留年する羽目になった。医動物学の佐藤教授は温厚でニコニコした表情の先生だったが、寄生虫学1単位でもダメなものはダメとはっきりしている先生だった。4年生をもう一年することになり、医動物学教室に同じく1単位で落としたシェルゲン君と前期は出入りし、フィールドワークの付き添いやハムスターのエサやりなど手伝ったものだ。
ひょんなことから昔の教授先生らを思い出してしまった。調べると橋村三郎先生は2013年6月8日に逝去されていた。私が習った1980年当時すでに60歳を越えていたはずで天寿を全うされたようだ。ご冥福を祈ります。
0 件のコメント:
コメントを投稿