私は患者さんの名前や生年月日などを見てそこから話題を広げる癖がある。
例えば太平洋戦争戦時中の生まれの患者さんに「あ、だから五十六なんですか」と尋ねるとまさにそのとおりだった。生年月日が昭和18年5月21日だったからだ。日本海軍元帥山本五十六はブーゲンビル島上空で撃墜され亡くなったのが昭和18年4月18日のことだった。しかしその死は国民には伏せられ1ヶ月以上経った5月21日に公表されたのだ。ちょうどその日に生まれた我が子に、親は山本元帥の死を惜しみ五十六の名前を付けたのだろうと推測したのだ。
また「完爾」という戦中生まれの患者さんもいて、「石原莞爾から取ったのですか」には「そう聞いています」だった。石原完爾は陸軍の有名な軍人で満州事変を起こしたこともでも知られる。東条英機を徹底的に嫌い対立し、病気もあってか戦犯指定から免れたが、本来なら東京裁判にかけられてもおかしくなかった。以上の二人をしても、戦前戦中の有名軍人さんというのはある種スターだったんだなというのがよく分かる例だ。
ところで今日の中年男性は木全〇一という名前だった。私は「ほう、有名な心臓の先生と一字違いですねえ」と語った。木全は「きまた」と読む。鹿児島にはあまりいない名字だ。私は専門外だが「木全心一(きまたしんいち)」という心臓、循環器内科の先生がいるのを知っている。心臓の本で知っただけの会ったことも見たこともない先生だ。でも、何て言うか「この先生、まさに名は体を表すだな」と印象に残っていた。「木全心一」の漢字を並べ替え、「木」の横線をちょっと上にずらせば「不」になって「一心不全」となり心臓の代表的な病気である「心不全」を連想させるんだ。医学部卒業時に東大冲中内科(第三内科)に進みその後循環器を専門にしたのも、絶対に「心一」という名前から心臓に親近感を持っていたからだろうと私は推測している。
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