2020年6月9日火曜日

アンベMR、7年ぶり登場

夕方17時半過ぎ、医局に戻って来ると廊下にマスク掛けの男性MRが立っていた。まあいつもの光景であるが、よーくそのお顔をみると・・なんと、鍋田岩崎製薬のアンベ君だった。

「おおーっ、鹿児島にまた来たの?」「はい、今度は所長で」「いやー、東京にいると聞いていたけど」「はい、東京の中央線沿線あたりにいました」この4月から長年活躍した鹿児島に所長として再び来てこれで三度目の所長だそうだ。年齢からすると今度が最後の勤務かも。

アンベMRとは17、8年前の旧青雲病院時代からの付き合いで、その頃研修医のイケシューDrらと麻雀をした記憶があって、10年近く打っていなかったが、2012年の眼科OhツカンネDrの「麻雀したい」を叶えるために彼にセッティングを頼んだのがきっかけで私の麻雀熱が再燃した。それから1年くらいはずっと彼に幹事役を頼んで雀荘で打っていた。2013年に彼が所長栄転でいなくなってからは私が幹事を務めている。ある意味私の麻雀人生の恩人なんである。

この7年間の麻雀歴を話したり、サブアラドDrや見せたまえDr、最近は打たないがダイボDrの話題や近頃麻雀が世間を賑わしていることなど話すと、「私は麻雀はスポーツと思っていますから」と来た。私も「そう、私はゲームと思っているが同じ意味だな」と同意した。彼も麻雀の転機になったのが最初のころの私との闘牌だったという。トップ目でありながら終盤に危険牌の5ピンだったか5萬だったかを振り込んで転落した半荘があった。その時、あまり人の打ち方をあからさまに非難しない私が「それは明らかに暴牌だろ」と指摘し、それが彼の打ち方を変えるきっかけになったそうだ。8年前にもそう言っていたし私も印象に残っていた。麻雀復活後は私とは五分五分の戦績で、ある時彼は面前大三元を私から上がったこともあった。その時は休めのバイ満を見逃しての達成で振った私は呆然としたものだった。

それで「また打とう」「ええぜひ」となったが、この御時世ではすぐにとはいかない。コロナがもう少し落ち着いたら、またあの熱き闘牌を、よろしく!

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