毎朝出勤時にプリウスを起動すると「今日はXXの日です」と必ずアナウンスがあるがやはり「ボウリングの日です」だった。南日本新聞の「ミナミさんちのクイズ」(6/26付け)でも「日本で初めてボウリング場ができた県は?」とあり、解答例が①佐賀県②福岡県③長崎県とあって、これなんか私には全くの簡単問題で、答えは③長崎県と即答出来た。じゃーいつ頃の話?と言われればこれも知っていて江戸時代末期1861年だ。長崎は出島に「本日ボウリング場開店」との新聞記事が出ていたのが証拠でそれが6月22日のことだった。それで日本ボウリング場協会がボウリングブーム真っ盛りの昭和47年(1972年)に制定したのだった。
ただそんな昔からボウリングがあって遊ばれていたと思うのは早とちりだ。この時代のボウリングは今とは違う。ナインピンといってピンの並びも今のテンピンの三角形ではなく9本をダイアモンド型に並べるものだった。今でもヨーロッパでは行われているそうだが、今の形のボウリングはアメリカで発展した。ナインピンが賭け事に利用されるようになりその弊害が出て法律で「ナインピンを禁ず」となったが、ならば1ピン足して10ピンなら法律違反にならないだろうと今のテンピンの形になった。その後ボールの重さの制限(16ポンド=7.25 kg以内)や最高スコアを300にするなどの決まりが出来て今に至る。日本のボウリングは実質昭和30年代から始まった。昭和40年代に一大ブームを巻き起こし、昭和48年(1973年)のオイルショック以降はずっと低調傾向だ。3800施設あったボウリング場も今や800程度と激減している。その一番の大きな原因は若者の数が減っているからと私は推察している。ボウリングはやはり若者のスポーツ&レジャーだ。昭和40年代のブームも戦後生まれの団塊の世代が20代を迎えていたからである。
0 件のコメント:
コメントを投稿