「おほほ、打ち合わせには行ったんですけどね。TVは恥ずかしいので遠慮しました。みづえさんの南国情話、中学の時初めて聴いて鳥肌が立つくらいうまかったのを覚えています」
そうか、昔デビュー時のローカル放送では友人の一人としてTVに出ていたから今回も出るかと思ったがな。彼女の「南国情話」は私も聴いてみたいものだ。YouTubeで彼女の歌うのがあると聞いたことがあるが探しきれなかった。
ところで南国情話(S29)だが、これには10年後くらいにこまどり姉妹が同タイトル、異歌詞でレコードを出している。曲は全く同じで舞台が大隅半島佐多岬だ。内容は本歌を少しいじっているのがよく分かる。それはいいとして本家、南国情話についてはいくつか気になることがあるので以下歌詞を載せる。
「南国情話」 作詞:石本美由紀 作曲:三界 稔
岬の風に 泣いて散る 浜木綿悲し 恋の花
薩摩娘は 長崎鼻の 海を眺めて 君慕う
開聞岳の 山の巣に 日暮れは鳥も 帰るのに
君は船乗り 竹島遙か 今日も帰らず 夜が来る
悲しい恋の 舟歌を 歌うて一人 波枕
あの娘思えば 男のくせに 握るろづかもままならぬ
逢えない人を 慕わせる 今宵の月の 冷たさよ
可愛いあの娘も 長崎鼻で 一人眺めて 泣くだろう
可愛いあの娘も 長崎鼻で 一人眺めて 泣くだろう
まず私が子どもの頃、「竹島」という島が「硫黄島」の近くにあり肉眼でも見えるらしいと知っていたが、韓国とのからみで島根県の「竹島」が話題になったころ、最初は「なんで(鹿児島の)竹島が問題になっているんだ?」と疑問に思ったものだ。こまどりバージョンでは「屋久島はるか」に変えられているのはもちろん韓国から横やりが入ったからではない(笑)。
それとネットに出ている歌詞では3番の「握るろづか(櫓柄)」が「ろづな(櫓綱)」のものもありどっちが本当なんだと思った。歌を聴くとどちらにも聞こえる。でも意味を考慮すると一人で舟をこいでいるのだからは櫓柄(ろづか)の方がふさわしい。櫓綱は舟をこぐときに握るものではないからだ。
それと歌詞を眺めていると全編を被う悲しさ、さみしさが際立つ。青色で書いたマイナスイメージの歌詞があちこち出てくる。で、もしかするとこの舟乗りの青年は漁に出て死んでしまったのではないかと思えてきた。3番までは確かに生きているのだが・・。だとするとなおさら悲しさが増す。
漁師と娘の悲恋を歌ったと紹介される南国情話、私が大学入学直後に歓迎一泊二日クラス旅行で長崎鼻、鰻池に行った時にもエンドレスで流れて他県出身学生は苦笑するほどだった。聞けば今でも流れているという。地元関係者の執念すら感じる。でも、繰り返し聴いても飽きず実にいい曲、私の愛唱歌でもあり、歌ってと頼めばきっと「一人唸って 歌うだろう」て。
漁師と娘の悲恋を歌ったと紹介される南国情話、私が大学入学直後に歓迎一泊二日クラス旅行で長崎鼻、鰻池に行った時にもエンドレスで流れて他県出身学生は苦笑するほどだった。聞けば今でも流れているという。地元関係者の執念すら感じる。でも、繰り返し聴いても飽きず実にいい曲、私の愛唱歌でもあり、歌ってと頼めばきっと「一人唸って 歌うだろう」て。
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