2023年7月4日火曜日

「ナパーム弾の少女」と「マクナマラの誤謬」

またNHKBSのドキュメンタリーを見た。テーマはベトナム戦争で今回取り上げていたのは有名な「ナパーム弾の少女」の写真にまつわるエピソードだ。写真の正式タイトルは「戦争の恐怖」。撮影後、翌日には各新聞に載せられ、大きな反響を呼び、翌年のニュース速報写真部門でピュリツァー賞を受賞した。当然、私も見たことがある。

撮影したのはベトナム人報道写真家のニック・ウトだ。ウトは同じくAP通信に勤めていた兄をベトナム戦争で亡くしている。この写真を取った直後からウトはナパーム弾を受けた少女ファン・ティ・キムフックちゃんを助けるべく病院に連れて行く。しかし近くの野戦病院では「どうせ助からない」と断られる。サイゴンの大きな病院に連れて行くもそこでもいったんは断られるが、自分の取材許可証を提示し、翌日に子どもたちの写真が世界中の新聞に掲載されると医師らに告げ、受け入れされることに成功する。(ウトは2015年に米誌バニティフェアのインタビューに応じ、病院側に告げた言葉は正確には『もし子どもたちの1人が亡くなったら、あなた方は苦境に立たされる』だったことを明かしたとのことだ)

ナパーム弾とは主燃焼材のナフサにナパーム剤と呼ばれる増粘剤を添加し、ゼリー状にしたものを充填した油脂焼夷弾で親油性の性質があり、人体に付着すると洗い流す事ができない上、燃焼する際に大量の酸素が使われるため近くにいるだけで酸欠や一酸化炭素中毒によって命を落とす可能性がある恐るべき兵器だ。実は上の写真の少女は友軍であるアメリカの爆撃機によって落とされたナパーム弾で背中を焼かれ、服を脱ぎ捨てないといけなかったのだ。写真は何枚も撮られ背後からのものを見れば少女の背中が大きく焼けているのが分かる。
彼女は17回も手術を受け14ヶ月も入院しようやく一命を取り留めたのだ。どろどろに溶けた皮膚を洗浄する処置を何度も何度受けたという。「とても嫌だったが、今では感謝している。あの処置がなければ感染症で私はまちがいなく死んでいた」と述懐していた。治癒はしたもののいまだに痛みが出ることがあり後遺症の苦しみは残っている。↓は彼女の退院後に面会したニック・ウトだ。
あの写真でこの二人の人生は大きく変わることになった(余談だが、当時のニクソン米大統領は内密にこの写真が「やらせ」か否かを問い合わせたりし、疑いの目で見ていたという)。キムフックさんは何度も何度もインタビューを受けたり、後の北ベトナム政府のプロパガンダに利用されたりし、医師になりたいという希望は叶わず、直訴して留学を希望する。キューバの大学に行き、そこでベトナム人男性を知り合い結婚もするが、後にカナダに亡命し、現在はカナダの市民権を得てトロントに在住している。今では自身の体験を本に著し、さらに戦争の犠牲になった子どもたちを支援する慈善団体、キム財団を設立し、1997年に国連親善大使に任命され、自身の人生や寛容力について世界中で講演を行っているという。↓現在の二人。
ニック・ウトは自身三度も戦争による負傷を受け、片足にまだ榴散弾が残っているそうだ。また「私は生き延びることができましたが、不幸にも命を落とすことになってしまった多くの写真家がいました。戦地の取材中に死亡した日本の写真家、沢田教一のことを覚えていますか? 彼はとても良い友達でした」とも語っており、私が子どもの頃に見た「安全への逃避」の写真家とも知り合いだったそうだ。沢田の「安全への逃避」を含む一連の写真は1966年のピュリツァー賞を受賞したが、彼は1970年に紛争地のカンボジアで襲撃され死亡している。↓があまりにも有名な写真「安全への逃避」。
思うのは写真の持つ力だ。当時のアメリカ軍は自分らの側の宣伝にもなるとして報道陣の取材に寛容だった。しかし、インパクトのある内容をシンプルに伝える写真や映像の力や影響の大きさを懸念するようになり、現在は規制をするのが当たり前になっているという。

ベトナム戦争がテーマのドキュメンタリーは興味深くためになるものが多い。NHKの映像の世紀バタフライエフェクト5月29日放送の「ベトナム戦争 マクナマラの誤謬(ごびゅう)」も相当だった。「マクナマラの誤謬(ごびゅう)」とは、数字にばかりこだわり物事の全体像を見失う意味の現代の故事成語で、ベトナム戦争当時のアメリカ国務長官のロバート・マクナマラのおかした過ちのことだ↓。
マクナマラは相手戦死者をカウント(ボディカウント)し戦争は有利に進んでいるとアピールした。ボディカウントを増やすことで、いずれ敵兵が枯渇し、戦争が継続できないポイントに早期に達するはずだと計算したのだ。しかし何度かベトナムに視察していくうちに彼自身も疑念が生じる。ボディカウントの数字目標は達成しているのに戦争になぜ勝てないのか。ベトナムから帰国する飛行機の中で、マクナマラはその疑問を、ベトナム中流の調査員だったダニエル・エルズバーグに向けた。現場をよく知るエルズバーグの回答は「状況は1年前と変わっていない」と。1年前に比べ兵隊の動員数は増やしているのに、ということは戦局は悪化している、とさすがのマクナマラも理解した。

しかし飛行機から降りたマクナマラが記者に語ったのは正反対の内容だった。「今日私がお伝えするのは、この1年の軍事的前進は我々の期待以上だということです。我々の軍事圧力がベトコンに大きな犠牲を与えています」これを後ろで聞いていて不信感を抱いたエルズバーグは「こんなウソを付くような仕事には就きたくない」と思ったそうだ。ただ、マクナマラも時のジョンソン大統領にベトナムからの撤退を提言はしていたそうだ。しかしジョンソンは戦争を止めようとはしない。結局、二人は対立しマクナマラは解任される。

そして、この後、エルズバーグの「ある行動」が世界に衝撃を与えることになる(詳しくは書かない。後にスピルバーグ監督、トム・ハンクス主演「ペンタゴン・ペーパーズ(2018年公開)」という映画の題材にもなった)。そのエルズバーグ、つい最近6月16日に92歳の生涯を閉じ、世界的なニュースになっていた。ドキュメンタリーを見ていた後だったから「へーえ」と思ったよ。

いやはや、ベトナム戦争は現代の我々に様々な教訓を教えてくれる。そのネタはまだまだ尽きない。

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