常にBS1のドキュメンタリー番組を自動録画しているが、その中に「ブルース・リー10枚の写真」という番組があった。これは著名人の生涯を写真10枚で読み解くBBCの人気シリーズの1本で、今回「BS世界のドキュメンタリー」の1本として今夜23時20分にオンエアされたばかりだった。その番宣によると「人種の壁を越えたスターを目指し、アメリカに進出するも一度は挫折したブルース・リー。しかし戻った香港で「ドラゴン危機一髪」などがヒットし、ついにハリウッド初主演を勝ち取る。だが完成目前に急逝し、その後、世界で旋風を巻き起こした。当時のブルース・リーが直面した映画界にあった差別意識とは」で一言で言えばブルース・リーの生き様を簡潔かつ十分に語った番組だった。
血筋で言えば、父親は広東の演劇団の花形役者で母親は中国人と西洋人のハーフ、ということはリーはクオーターということになる。1940年生まれというからあのジョン・レノンと同い年だ。劇団がアメリカで公演中のサンフランシスコで生まれているが、すぐに香港に帰りそこで中国拳法を習いたくその一派の詠春拳に入門しすぐに頭角を現したのはいいが兄弟子たちからは嫉妬される。↓は師匠とのツーショット。このような微笑んでいる写真は珍しいと知人は語っていた。
そんな中、ストリートファイト(要するに街での喧嘩)もよくやり問題児になった。そこで父親が18歳のリーをアメリカに行かせることにした。場所はシアトルでバイトしつつも大学に通いここで哲学を学ぶ。武術道場も開き当時としては珍しく黒人、黄色人種、白人など差別することなく指導したという。番組では言わなかったがここで後の妻となるリンダとも知り合っている。↓いい写真だ。彼が亡くなる頃は女優ベティ・ティン・ペイと不倫の噂もあっただけに・・。西海岸で開かれた武術演技の動画はハリウッドの関係者の目にとまり、スクリーンテストを受け、それでTVドラマの「グリーンホーネット」の準主役を射止める。テストの動画を見ると武道が俳優になるための手段ではなく本職だったのだと思える。TVが終わると、リーは俳優としての職はなくなった。当時の映画、TV界はまだまだ白人以外の差別意識は相当で東洋人が主役などあり得ないという状況だった。ただ道場にはジェームズ・コバーン、スティーヴ・マックィーンなどハリウッドの俳優なども弟子入りするなどの変化はあった。アメリカではなかなか芽が出ないリーに香港から映画出演の話が舞い込み、また彼は育ったところ戻る。そこでカンフー主演映画「ドラゴン危機一発」が香港映画史上最大ヒットを記録する。立て続けに「ドラゴン怒りの鉄拳」「ドラゴンへの道」とヒットと飛ばし、そこの映画プロダクション(ゴールデンハーベスト社)は香港一の規模になったという。つづいて「死亡遊戯」の撮影を開始したが、ハリウッドから主演映画の誘いが来る。それが「燃えよドラゴン(1973)」だ。私が中学2年の冬休みが終わって3学期になった時(1974年)、男子連中の話題が「ブルース・リー」「燃えよドラゴン」一色だったのを思い出す。1973年冬に鹿児島では「アマゾネス」「燃えよドラゴン」の2本立てで放映があった。頭の中がエロい中2生らは「アマゾネス」目的で見に行ったはずなのに、映画館を出た後は、誰もそんなB級映画(監督はテレンス・ヤングなのでそんなことはないが・・)には触れず、「アチョー!」と言いながら蹴りのポーズをするようになっていた。映画を見に行かなかった私は、TVで紹介された映画の一部動画を見て驚き、次に放映された「ドラゴン危機一発」からは必ず見に行くようになった。
ブルース・リーの魅力は映画を見るだけで分かるところにある。彼が世界で一番有名な中国人であることに異論はないだろう。ある日本人が世界の果てに行っても「おれはブルース・リーだ」というとどうにかなると言っていたのを思い出す。リーは「燃えよドラゴン」で世界的なスターになったのだが、封切り6日前に「頭痛に用いた鎮痛剤の副作用の脳浮腫」で急死してしまう。検死解剖しているのでそれが公式ということだが、どうにも引っかかる。最近の研究で腎不全と低ナトリウム血症からきた脳浮腫ではないかという説が出てなるほどと思った。それによると「ブルース・リーは最期の数カ月間、固形物を食べずに、もっぱらニンジンジュースやリンゴジュースを飲むという食生活を送っていた。死亡当日も体調に異変が起きる直前まで、一日中繰り返し水分を摂取していたという。一般論として、過剰な水分摂取が尿中への水分排泄と一致しない場合、低ナトリウム血症となり、脳浮腫を引き起こし、数時間で死に至るおそれがある」という。なるほどだ。私は解剖結果とは違うが「くも膜下出血」が近い死因と思っていた。頭痛の訴えの後、数時間で急死している点がそっくりで脳浮腫も起こすしね。
映画のセリフ「考えるな、感じろ(Don't Think. Feel!)」やインタビューでの「友よ、水になれ(Be water, my friend.)」などの有名なセリフがあるが、これは彼が哲学科で学んだことは無関係ではあるまい。明日7月20日は彼の没後50周年という。ビートルズもそうだがブルース・リーも50年経っても忘れられるどころかますます輝きを放っている。真のスターってことだ。
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