昼休み、好青年病院のトクジュウDrから電話があった。彼は第二内科の後輩であるが、今は私なんかよりずっとえらくなっている。たまに好青年病院には患者紹介でお世話になる。数週間前も肝臓の患者さんを紹介していたのでそれがらみかと思ったら、違った。
「お久しぶりです、こてる先生。ついさっき知ったばかりなんですが、ピッピDrが亡くなったって本当ですか」
はあ・・そうか。ピッピDrが急逝して4週間近くなるが彼は知らなかったか。
「本当だよ。その日の夕方まで何も変わりなく仕事をしていたのだけれど、翌日家族から連絡があって、亡くなったと聞いた時は信じられなかった」「家族の希望で葬儀や会葬の類いは遠慮して欲しいとのことで私も詳しいことは分からないんだ」「医師会からは姶良郡内へは死亡通告はあったみたいだけどね」私は淡々と伝えた。
トクジュウDrは第2内科、大学以前から同級生だったそうだ。驚くのも無理はない。彼は青雲会病院に来て3年余り、「とても働きやすい」「内科と外科の連携がこんなに良くとれている病院は初めてだ」「ここに来て良かった」と感謝の言葉をたびたび語っていた。私も信頼し特に胆膵系の疾患についてはほとんど任せていた。机も前後ろで毎日なにがしか言葉を交わすのが当たり前だった。ただ、亡くなったというその日は朝も昼も夕方も忙しかったのと、互いにタイミングが合わず会話することがなかった。その日の夜、ふっと彼と一言も言葉を交わさなかったことを思い出し少し残念に思っていた。でもまさかその日が最後だったなんてー。
ついこの間まで彼の机には生前そのままの物が置かれていたが9月23日にはすっかり無くなっていた。遺族にすべて送り届けたのだろう。本当に彼はいなくなってしまった。
それでも何かにつけて彼を思い出す。なにかまだ生きているような錯覚すらある。トクジュウDrからの電話がなければこうして日記に書くのもためらわれた。まだまだ信じられないが彼の冥福を祈るばかりである。
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