2019年4月4日木曜日

あの時の子どもといっしょに仕事をする

朝、医局に糖尿病内科の新しい非常勤の大菩薩Drが挨拶に来た。これまで週1回来てくれていた聞くっちDrが近々開業するため代わりに大学から派遣されたということだ。まだ30代前半の大菩薩Drに私は例によって即デジカメ撮影をし戸惑わせたがこれはいつものこと。それよりもすぐに「大菩薩先生、お父さんのダイボ先生は元気かな?」と尋ねて面食らわせた。彼とは全くの初対面なのだが、実は1ヶ月ほど前、大菩薩と名を聞いた時にすぐにダイボDrの息子だと分かったからだ。

「いやいや、学生時代から同級生で結婚式にも出席したし、君が生まれた時にダイボ君が『こんな名前でいいのかな』なんて言うから『いいよ、全然問題ないじゃん』と答えたものだったけどねえ」などと話した。パッと見た目はダイボDrの息子とは分からないもののニコッと笑った際の表情がオヤジさんに似ていたな。

いやはや同級生の息子といっしょに仕事をする年になったんか。思えば聞くっちDrとも似たようなケースだった。彼のお父さんは鹿児島市立病院の先生で私が医師1年目の時に研修した際の直接の指導医で外科の基本的なことを教わったものだ。19年前、国立療養所霧島病院が今の霧島市医師会医療センター(当時は隼人町立医療センター)に移行した際そこの週1内視鏡担当することになり、そこですでに糖尿病専門だった聞くっちDrにこの度は私が内視鏡の指導をして、「これは恩返しかぁ」とつぶやいたものだ。

今度は大菩薩Drに糖尿病患者の治療をお願いすることになる。親から子へ子から親へとめぐりめく関係が今後も続いていくのかも・・。

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