と、その運転手が「以前は鹿児島市立病院の産婦人科の先生らを福岡まで送ったものでして」と語ったので、あれ?と思った。実はその話は以前も聞いたことがあったのだ。いつも同じタクシー会社を利用しているのでありうることだ。でも初めて聞いたふりして話に付き合った。産後間もない障害のある赤ちゃんは福岡の病院でないと治療出来ないことが多いらしい。今は新幹線が直通になったので車で行くことはなくなったが、「優秀だった市立病院の先生がいたのですが若くして癌で亡くなったですよ」とも語っていた。名前を聞くも私は知らなかった。同じ団地に住んでいたとかで、あとでカールに話すと、「ああ、サークルマウント先生のことだと思う。セージと同級生の娘さんがいて、奥さんもドクターで仲良かったのに」だと。そうか、それは残念なこと。そこの娘さんは今は医学生ということだ。きっとお父さんのようになりたいと思ってのことだろう。
伊丹空港に着く前に私は眼下の大阪平野の景色を撮りまくっていた。堺市あたりの古墳群を以前から写真に収めたかったからだ。古墳は直に見たことはないが地上からだとその全貌はつかみにくく空からがずっといい。教科書でもみんな空撮写真だ。以前、伊丹行きで見て以来きちんと自分のデジカメで撮りたかった。今日は天気もよくまずまずの写真が撮れた。満足満足。(↓いわゆる仁徳天皇稜のある百舌鳥古墳群)
せっかくだから相国寺を抜けて少し北に行くと上御霊神社があった。ここは1467年、失脚した管領の畠山政長と畠山義就との私闘が当社境内の森で行われ、これが応仁の乱の前哨戦となり、応仁の乱発祥の地とされるらしい。Googleの地図アプリにも「応仁の乱勃発の地」と出ている。(↓言われなければそんなこと全く想像もつかない雰囲気だ)
(↓こちらは古市古墳群。一視野に10基以上もある。右上のが応神天皇稜とされる)
京都へもタクシーを利用した。高速で割に早く京都に着いたと思ったら大間違い、会場&宿泊が北に位置するホテルでインターを降りてから30分以上もかかった。しかも14時以降でないとチェックイン出来ないときた。で、バッグだけ預かってもらい、地下鉄で京都御所付近の駅まで向かった。実は、御所近くの相国寺のヤノケン和尚と15時半に会う約束をしていたのだ。それまで時間があるので御所周辺を見物した。蛤御門を見れば「ああ、ここで西郷どん以下薩摩藩と長州藩が戦いをしたのか」なんて感慨にふけり、門をよく見たがどこにも戦争の傷跡は残っていなかった。当たり前か。御所一帯は巨大な公園というべき場所で地域の人や観光客が散策していた。なかでも北側にある八重桜が見事な咲きっぷりでこれを見ただけでも来た甲斐があったと思った。
園内にある御所の地図を見ていたら北側に藤原五摂家のうち近衛家と一条家の屋敷跡があり、南側に九条家と鷹司家の跡があった。薩摩藩は近衛家と密接な関係があるのは大河ドラマでもよく出てくる。で、藩家老の小松帯刀邸「御花畑御屋敷」が近衛家の別邸で歩いて行ける距離にあった。この場所はつい数年前に確定されたが、実際に歩いてみて近衛家と連絡するにはほどよい場所で、なるほどと思った。
さて御所の北方、同志社大に隣接する相国寺だが、臨済宗相国寺派の大本山で京都五山の一つを形成し配下に金閣、銀閣を持ち京都仏教界でも主流を占める寺である。ヤノケン和尚は私の小中高の同窓生で現在相国寺内の塔頭、大光明寺住職をしている。寺内を回り、法堂内で手をたたくと、音が反響して天井画の龍(「蟠龍図」狩野光信作)が鳴いているように聞こえる「鳴き龍」を試してみた。ヤノケン和尚がこの前のBS朝日の番組で名取裕子相手に「心のきれいな人には聞こえる」とか説明していたもので、一叩きしてみたが私には聞こえない。あれと思ってもう一回叩く。ダメ。ええいこれが最後と叩いたらぶぉんぶぉんぶぉんと響いてきた。ふー、良かったぜ。
(堂内は撮影禁止なので↓の「鳴き龍」はネットから拝借)
この他、相国寺由来の美術品を集めた承天閣美術館も見て回った。それで約束の15時半後ごろ大光明寺前で待っていたのだが・・和尚から電話があり「すまん、実は飛び地境内の出町妙音堂に今いるんだがしめ縄作りが思いのほか時間が掛かって今日は会えそうもない」とのこと。あちゃーそうか。5年以上ぶりに会えるかと楽しみではあったがそれは仕方ないな。令和を迎えるにあたってそんな準備仕事もあるということだ。で、眼前の境内の白壁を見ていたら松の木の影が映ってなかなか面白かった。京都は何でもないところにも風情がある。
せっかくだから相国寺を抜けて少し北に行くと上御霊神社があった。ここは1467年、失脚した管領の畠山政長と畠山義就との私闘が当社境内の森で行われ、これが応仁の乱の前哨戦となり、応仁の乱発祥の地とされるらしい。Googleの地図アプリにも「応仁の乱勃発の地」と出ている。(↓言われなければそんなこと全く想像もつかない雰囲気だ)
ここまで結構歩いたので少々疲れ、タクシーでホテルまで帰った。夜は一人だし食事に出かけるのも面倒でコンビニで飲食物買って部屋で済ませた。疲れがまだ残りベッドでグースカ。明日は講演会に出たら便を早めて昼過ぎには鹿児島に帰ろう。京都観光はしたいが一人で回るより相手がいる方がいいと思った。電話でカールに「やっぱり、(カールと)いっしょがいいよ」と言うと喜んでいた。やはり京都はいいところ、今度はいっしょに秋の紅葉時期に行きたいナ。
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