2021年9月14日火曜日

お別れの時

午前は内視鏡検査担当だったが病棟からの連絡で急いで上に上がった。受け持ち患者の心拍が30前後で今にも止まりそうとのことだった。

しかし、ちょうど病室に入って数分でモニター波形はゼロになってしまった。家族には看護師が連絡しすぐに来るとのことだそうだが、とても臨終には間に合いそうもない。陽圧のマスク呼吸(NPPV)で一見呼吸はしているように見えるけれどすでに自発呼吸はない。その後かろうじて心拍が再開するも実質には血液循環はしていない。後は家族の到着を待つのみだ。

20分ほどして息子、娘数人が病室に入ってきた。「残念ですけどお母さんは少し前にお亡くなりになって・・」と伝えると「ええーっ」と息をのむ息子さん。次男くらいかな。その後長男らしき人が来て「だめだった」と聞き「えっ」とまた息をのむ。数日前の入院時から相当厳しいことは私から聞いていても、いざ亡くなるとこれまでの母への想いがあふれるのか皆涙ぐんでいた。いくら余命幾ばくもないと知っていてもその時にはうわっと悲しい感情が出てくるものなのだ。

死亡診断書を書き、また内視鏡室に降りた。2時間弱経って病棟からまた電話があった。お見送りがあるという。もしこの時内視鏡検査中だったなら私は「行けない」と断っただろう。しかし今日の私の検査台の1番台には誰も検査前の人は乗っておらず「ちょうど検査の合間だから行けるよ」と伝えた。すると佳及Nsが「え、先生、すぐに検査よ」と2番台を差していた。たまたまその時は2番検査台で私が担当する人が準備直前待機していた。ええー、聞いてない。病棟Nsに「行く」と返事したからには今さらだ。その人には待ってもらい霊安室へ向かった。

お見送りするとき、家族にえらく感謝された。鹿児島の天妖怪病院を心不全で退院したばかりなのに、2日ほどでまた病状悪化したのを私がまた受け入れてくれたからだろう。正直もうどこをゴールにしていいか分からない、それくらい末期心不全の患者さんだった。すでに97歳を過ぎていれば仕方なかったか。世間的には大往生と言われるだろう。でも家族にはいつまでも長生きして欲しい肉親との悲しい別れなのだと改めて思ったことだった。

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