(3日遅れでこてる日記は書いているので、今日は実際は3月15日だ。今朝、ようやく職員研修のためのスピーチが終わった。このスピーチが終わらないと精神的に落ち着きを取り戻せなかった。ようやく元の日常に戻れた。日記も集中出来ずにネコの写真でごまかしていた感が強かったっす。すみませーん)
外来に17歳の高校生女子が来た。診察が終わって、どうしても私は彼女の名前のことで聞いてみたく「どう、自分のその名前でこれまで何か歌われなかった?」と言った。ほんの少し考えて彼女は「あー、前に言われたことあるぅ」と否定はしなかった。合点し私は歌った。
「♪リ〜ル、リ〜ル、どこにいるのかリ〜ル、誰かリールを知らぁなーいーかー」
ご存じと言いたいが、側にいた誰もこの有名な楽曲を知らない。昭和26年に大ヒットした「上海帰りのリル」(唄:津村謙、作詞:東條寿三郎、作曲:渡久地政信)のサビの部分を私は歌ったのだ。そう、17歳の彼女の名前は漢字ではあるがリルと発音する名前だった。昭和20年代にしてはエキゾチックな名前で多少の違和感があったせいかその後の昭和後半にもこんな名前の女の子は見なかった。しかし、平成も半ばを過ぎると出てくるんだねぇ。彼女の両親はこの歌を知っていて付けたようではない。ちなみに漢字で「倫来」と書く。初見ではまず読めない。が、言われれば二度目以降は間違えずに済みそう。平成の凝った名付けには戸惑うことも多いが、倫来ちゃん、私は気に入ったなー。
私が喜んでいるせいか、彼女も笑ってくれていた。うんうん、素直でよろしい。リルちゃん、将来中国旅行などするかもしれない。上海へは観光でもよく行く。帰国時には「上海帰りのリルで〜す」ってぜひ言って欲しいナ。それが出来るのはリルちゃんだけだから(笑)。↓黄丸の中は画像拡大すれば見えます。「上海帰りのリル」は「お富さん」「島のブルース」の渡久地政信(とぐち・まさのぶ)が作曲している。どちらも私の大好きな歌だ。渡久地は沖縄生まれの奄美育ち。歌謡曲でこの3つをヒットさせただけでもなかなかの才人だと分かる。高校野球オタクの私は渡久地さんが沖縄尚学高等学校校歌の作曲をしていることも知っている。昭和時代に亡くなっていたかと思っていたら1998年平成10年まで存命だったという。私が沖縄にいたころはまだ生きてらしたか・・。もし晩年を沖縄で過ごしていたら狭い島だからばったり会うなんてことがあったかもしれない。あの「ハイサイオジさん」や「花」の喜納昌吉には二度会っている。一度は道端で、二度目はライブハウスで。どちらも普通に会話した。できれば渡久地政信さんにも会ってみたかったわ〜。
「上海帰りのリル」ヒットの余勢で翌年作られた映画より→https://www.youtube.com/watch?v=19n7uyalzmc
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