尾身さんは昭和24年生まれ、受験校で有名な今の筑駒出身で当然東大を狙える学生だったのだが、高校の時に将来は外交官に憧れ、1年間交換留学生でアメリカに行って帰って来たところ、当時は学生運動が激しく昭和44年の東大入試は中止になってしまった。すでに1年遅れていた尾身学生はそれで慶応法学部に入るも人の役に立つ職業として医学部への転身を思い立つ。当時新設医大ラッシュでその中の自治医科大1期生に見事合格する。自治医大は医学部の中でも特殊で、各都道府県から2名ほどしか受からず、学費も不要、しかし出身県の地域医療に勤務する義務がある。東京は都会だが知ってのとおり離れ小島が多くあり尾身医師も伊豆諸島で勤務していた。
それは最後に紹介するとして、首尾よくWHOの職員になれた尾身さんは西太平洋地域の本部があるフィリピンに勤務することになる。そこで与えられたテーマはポリオ撲滅だった。ポリオって正式名称よりも小児麻痺の方が有名だろう。ポリオウイルスの感染で主に小児が発症し死ぬ可能性もあるが後遺症で筋力の麻痺が生じて歩けなくなってしまう。私が生まれた1959年頃まではまだ発生がそこそこあった。1960年には北海道で5000人以上もの発生者を出した時には、ソ連からポリオ生ワクチンを取り寄せ一斉に投与することによって流行は急速に終息した。その後は日本製の生ワクチンを経口で飲ませることでほぼ根絶できるようになった。私も2000年から数年間は姶良地域の子どもの予防接種に携わっていたので生ワクチン接種を指導した経験がある。現在では不活化ワクチンに変わり生ワクチンは使われていない(ごく稀にワクチンによる麻痺を生じさせる可能性があるため)が、ポリオ予防に果たした歴史的役割は絶大だった。
その後中国で発生した新型コロナウイルスが原因のSARSにも尾身さんは関わり、現在の新型コロナの感染症対策分科会会長になったのも肯けるものだった。なお、SARSは症状が出ないと感染力を持たなかったため封じ込めに成功したのだという。なるほど、今回の新型コロナがやっかいなのは無症状でも強い感染力を持っている点だと番組を見ていて思った。
(ちなみに上の写真は2014年7月、私がサブアラドDrから大三元を上がった場面。中か白のどちらかを切れば聴牌するサブアラドDrは迷った末、ドラでない方の中を切ったが・・。あとでサブアラドはあそこは白切りが正解だったと反省する。その根拠は?それもこてる日記ネタになっていた。当時はブログ移行前で写真掲載が面倒で文章のみ、内容を理解するのは大変だぁ。http://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2014/07/blog-post_13.html)
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