夕方、中学の同級生だった出誉さんからスマホに電話があった。ああ、お母さんをまた入院させて欲しいということかなと思って出てみた。「こてる先生?実は心臓で入院していた姉が昨日亡くなって・・」「ああ・・」去年から3才年上の姉の体調が悪くもう持たないだろうと聞いてはいた。とうとう逝ってしまったんだ。「そうかそれは残念」「それでうちの母なんだけど」「うん」「今日亡くなったの」「は?・・」
瞬間、娘の死を嘆いた母が自殺でもしたのかと思った。「姉の通夜から母だけ先に帰したの。母は姉をとても可愛がっていたから『なんでーXXちゃん』とすごく悲しんでいたわ。で、深夜に母から調子が悪いと連絡があったのだけど、私も通夜席を離れられなくて・・」出誉さんは一人身で一人息子は県外にいる。実家で母と姉の面倒を看ていた。「朝、ちょっとだけ自宅に寄ったのね。そしたらまあそんなに具合は悪そうにないように見えたのだけど」午前のうちにあっという間に血圧が下がり意識も遠のいて救急でその地区の基幹病院に運んだがダメだったそうだ。
「それで担当してくれた先生にAiっていうの?死んでから撮るCTを勧められて、私も通夜席に戻らなくちゃいけなかったしすぐにお願いしますって頼んだら」結局判明したのが胸部大動脈解離が起きていてそれが死因だったようだ。身内の死の影響があったのかもしれないが高齢でもあったし寿命だったと言えるだろう。ただ、彼女が私に電話してきたのは「夜、電話があった時にすぐに病院に連れて行ったら助かったのでは」という悔恨の気持ちからだった。私は「亡くなるほどの大動脈解離が起きていたのなら手術をしないと助からなかっただろう。しかし手術の適応があったかどうか、手術出来ても術後危険な状態が続くだろうしきつい思いをしたかも」と答えた。
だいたいにおいて遺族は「あの時自分がああしていたら」助かったのではと考える傾向がある。仕方なかった死に対しても自分を責める癖がある。出誉さんのこのケース、誰が彼女を責められよう。話を聞き、医療側からしてもまず助けることは出来なかっただろうということを強調した。「ありがとう、お話しして少し楽になったわ」と言ってくれた。で、下世話なことだが「葬式は姉と母はいっしょにするの?」と尋ねてみた。「姉は元々密葬にするつもりで、それに〇〇宗では別々にしなくちゃいけないらしくて」と2日続きで式を執り行わなければならないそうだ。大変だ。彼女は食が細いタイプだから自分の体にも気をつけるよう話してスマホを置いた。
母の娘の死を嘆き続ける日々がわずか1日で済んで良かったのかどうか、私にはよく分からない。
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